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最終章 神国の扉4![]()
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計ったかのようにやって来た使者から受け取った書簡をイエランは王座に座ったまま一読すると冷たく微笑んだ。微笑≠ニ使者は感じたかもしれないが彼を知っている周りの臣下達は息を呑んだ。
王が未だかつて無いぐらいに怒っていると感じたからだった。
側に控えていたカルムも天眼を閉じていても肌が総毛立つような戦慄を感じた。先日のように山を炎で焼き尽くしたような力が爆発してもおかしく無いだろう。しかし今は強靭な精神力でそれらを抑えているようだった。
「―――天眼の王イエランは承知した、と国に帰って報告するがいい」
低頭しながら去って行った使者は法国の者だった。
「何を言ってきたのです?」
カルムは直ぐに聞いた。王は何を承諾したのか?
「くっくくく・・・・法国への招待状だ。黒翔国と天眼国との今回の件で、仲介を申し入れたいそうだ。何でも黒翔の王子海翔がこの件を願い出だとか。そして中立国である法国で会見の場を用意してあるらしい。しかも・・・貴殿のお探しの小鳥は保護してある。と言う追伸入りの内容だ!聞いて呆れる!何が中立国だ!死んだ奴なんかの名前を出して!馬鹿馬鹿しい!」
「王子海翔?それはもしかしたら本当かもしれません。それなら納得出来ます。その秘宝を持った王子が、我らの攻める前に法国に行っていたのだとしたら・・・天翔城を守る筈の風魔鏡はその時無く、だから我々は容易くあの城を落とせた。実際その場には無かったのですから・・・それに王子の首を王は見られましたか?」
「・・・・嫌。見たとしても顔を知らぬのだから分からない」
「そこです。残った近侍か召使いに確認させたぐらいでしょう?ミウ姫のような肉親にでも確認をとらなければ替え玉など幾らでも出来ます。それに彼女を連れていった黒翔の男・・・彼がその王子なら彼女が大人しくついて行ったのも頷けましょう」
確かにそうだと周りの臣達もざわめいた。
その時、硬いものを切る鈍い大きな音が響き渡り、皆が静まり返った。視線は数段高い位置にある王座にいるイエランに注がれる。皆が見た音の源は王の横にあった衝立が一刀両断されていたものだった。
(美羽の兄が生きていると言うのか?あの男が・・・)
イエランは怒りを静めるように息を吐いた。
そして衝立を斬った大剣を床に投げ捨て低く嘲るように言った。
「何処へなりと出向いてやろう。それが地の底だとしても・・・」
「何だって?天眼の王を正面から呼んだ?」
海翔は李影の発言に驚いた。
「ああ、そうだ。あの娘を餌にしたらほいほい乗って来た。有難いことに本当にあの天眼の王を骨抜きにしてくれているようだ。我が愛しき姫君は」
海翔は彼の愛しきという言葉は気に入らなかったが、あの噂に名高い王がそこまで美羽に執心していると思うと苛々した。天眼の王は若くして王位に就いても諸外国を恐れさせる人物だった。それに比べて自分は年齢は変わらないのに父親の影から脱することが出来ずにいた情けないもので、妬心がいつも渦巻いていた。
「だから風魔鏡の発動を止めてくれ。路を渡って来るだろうからな。ただし、奴が来たら直ぐに発動しろ。大軍が後から来られたら厄介だからな」
海翔は唇を噛んだ。
自分がこの秘宝を持ち出したばかりに天眼の奇襲にあってしまったからだ。遺跡の文字の解読にこの鏡が必要と分かり、持ち出すように李影から言われて、国を離れたのが事の始まりだったのだ。
それから兄がもたらした情報に美羽は耳を疑った。イエランが敵のど真ん中にやって来ると聞いたからだった。
「まさかでしょう?兄様?当然、ここが友好的でないと知っている筈でしょう?」
「もちろん、罠だと十分知っているだろうね。だけど直ぐに承知したらしい・・・」
美羽はまさかと思いながらも、どんな所でも彼は来るだろうとも思っていた。雪山でも猛牙国でもこの国までも来たのだ。だからこの迷宮のような城にだって平気で来るだろう。
(何故?どうして?)
美羽は今まで何故なのか深く追求しなかった。というよりも次から次へと自分に襲い掛かるものに振り回されて考える余裕が無かったのだ。だから今、やっとゆっくりと考えていたのだった。
しかしその答えが見つからないまま天眼の王がやって来てしまった―――
迎えたのは李影と海翔のみ。その三人には広すぎる謁見の間に単身で乗り込んで来たイエランを出迎えたのだった。
「ようこそ天眼の王よ。初めてお目にかかります。私は法王より調停を任せられた李影と申します。そして此方が黒翔国の王子海翔殿でございます」
イエランは李影の名前だけは知っていた。若いが大層な切れ者がいると――しかし紹介された黒翔の王子と瓜二つとは・・・見るからに縁者だと分かる。
「御託はいい。用件を言え」
「これは、これは。冷徹なる王と聞いておりましたが大層短気でいらっしゃる。まあ、私もその方が手っ取り早くて助かります・・・実は貴方に協力して頂きたいものがありましてお呼びした次第です」
「協力?泣きついてきた黒翔との調停では無かったのか?」
イエランはわざとらしく嘲るように聞いた。
海翔がむっとして出掛かったが、李影は、ふっと微笑んで彼を止めた。
「単刀直入で良いと言われたのは貴殿でしたでしょう?言うことを聞かねば貴殿の大事な小鳥をくびり殺すまで・・・」
イエランは表情一つどころか瞬きさえしなかったが、海翔は驚き目を見開いた。
「李影!約束が違う!」
李影は、ぴくりとも動かないイエランから目を逸らす事無く、憤る海翔を手で制しただけだった。
「仲間割れか?しかしそれは嘘であろう?あれをあっさり殺すならこんなに苦労して攫わないだろうからな」
「ふふっ、お見通しという訳ですか・・・まあ当然でしょうね。ならば取引として黒翔国を治めるのに邪魔なこの男の命を差し上げましょう。如何かな?」
「なっ!李影!裏切るのか!」
「さて、裏切るも何も。お前は私の手駒の一つ、持ち主がどうしようと私の勝手。お前にそう言われる筋合いは無い」
海翔は声も無く立ちすくんでしまった。
生き別れた兄弟だったが、少しでも二人の溝を埋めようと心を砕いていたつもりだった。それが全く彼には届いていなかったどころか、その心を利用されていたと知ってしまった。
イエランは嗤いだした。
「これは笑止。法国の李影という人物は賢いと聞いていたが、噂とは誠にあてにならないな。お前にお膳立てして貰わなくても何処に居ようが私が殺す」
美羽がいつも夢の中で呟いていた兄の名前。海翔―――何度その名を枕元で眠る美羽の口から聞いたことか・・・それだけでもその男に死を与えるには十分な理由だった。死んだ後でさえも美羽を独り占めしてきた男。それが生きているというのなら尚更だった。どす黒い嫉妬という名の渦がイエランの胸の中で渦巻き、切り裂くような殺気が漲ってきた。
しかしイエランと海翔の間に美羽が飛び込んで来たのだった。
隣室で待たされていた彼女が彼らの会話を聞き、堪らず出て来たのだ。そして庇うように海翔に抱きついた。そう・・・あの夜も空中でこの男をそうやって庇っていた。
言葉では言い表せない怒りが込み上げる・・・
「離れろ!その男は殺す!」
「嫌です!お願いします!兄を殺さないで!」
叫ぶ美羽の唇の端が切れて腫れているのが目に入った。別れた時にはそんな傷は無かった筈だ。
それはまるで無理強いした口づけの跡のようだとイエランは思った。
(誰と!誰が美羽に!)
イエランは頭に血が上るのが自分でもはっきりと分かった。持って行きようの無い怒りが渦巻いた。
美羽が去ったあの夜のように―――
「黙れ!」
イエランが剣を振り上げるとともに美羽が叫んだ。
「やめてぇ―――貴方は私からまた兄を奪うの?今度は私の前でそれを見せつけるの?貴方は違うと思っていたのに・・・貴方は義父と同じだわ!同じよ――っ」
「美羽・・・」
海翔はこんなにはっきり意見を言う美羽を初めて見た。しかも自分さえもすくみあがってしまった天眼の王を真っ直ぐに見つめていた。それに自分を庇っているのだが彼女の怒りはそれでは無いような気がしたのだった。
(・・・天眼の王に対して悲しんでいる?)
美羽はイエランがまるで義父のように、自分が嫌がることをして喜ぶ人物だったのかと思って悲しかったのだ。
イエランは美羽の言葉に愕然とした。高暁と同じとかいうのでは無く、また兄を奪うのか、と言う言葉が胸に突き刺さったのだ。
(また?また奪う?また・・・)
兄を失った美羽の悲嘆する姿は胸が痛んだ。しかしそれを更に煽り続けたのはイエランだった。
彼女にまたその悲しみを再現させるのは、自分の身を傷付けるよりつらいものだとイエランは感じた。
そう思えば取る行動は一つだった。振り上げていた剣をだらりと下げ、薄く嗤いながら三人の様子を窺っている李影へ静かに振向いた。
「何をすればいい?」
「協力して頂けるのですか?これを殺さなくても?」
美羽がぎゅっと海翔を抱いた。イエランはそれを苦々しく、ちらりと見た。
「これが狙いだったのだろう?私がこの男を殺せないと知って・・・狙い通りだ」
李影はいつもの自信たっぷりの笑みを浮かべた。
「ええ。彼女は私にとっても大事ですから殺せません。でも彼女の大切なものなら私は別に大切では無い。もちろん貴殿も・・・だが私と貴殿が違う所は、彼女の大切なものを奪って悲しませたく無いと思うところ。実に恋だの愛だのは人を弱くさせる・・・情けないですね?天眼の王よ。愉快だ!あっははははっ・・・・」
李影は宋からイエランが彼女の為に膝を屈し、暴漢の足蹴にされたと聞いた時にこの手が使えると算段したのだった。李影は哄笑しながら何やら合図をすると、空間から湧いたように兵達が現れた。そして美羽は無抵抗にその兵達に連れて行かれるイエランを呆然と見つめた。
(何故?どうして?何故止めたの?)
兄は当然殺されると思った。止めに入ったが、彼が留まるとは思っていなかったのだった。
止める理由が無い。戦勝国にとって王女なら利用価値があっても、王子である海翔は邪魔な存在でしかないからだ。
(私を悲しませたくないため?そんなこと・・・理由になるの?)
それに李影が不可解な事を言っていた。恋とか愛がどうとか?それが人を弱くさせると・・・誰を?
美羽はあと少しで答えが見つかりそうだったが、その場所から連れ出されてしまった。
そしてその場には李影と海翔が残った。
「そう睨まないでほしいね。全部、策略だろう?」
「僕に言わずに?」
「騙すのは味方から騙さないと真実味がないだろう?そんな簡単な男じゃないんだから」
「・・・・・・・」
李影は信用出来ないと海翔は思った。今この時でさえも騙しているかも知れないのだ。肉親の情に流されやすい自分が情けなくなった。
「儀式は明朝。分かったな?」
李影はそう言い残して去って行った。
海翔は迷った。このままでいいのかと・・・しかし国を追われた自分の力では李影に対抗出来ず美羽を守ることも難しいだろう。
「どうすればいいんだ?」
部屋に閉じ込められた美羽は連れて行かれたイエランが心配だった。
何故?心配するの?≠ニ心の中の誰かが言った。
そしてまた違う誰かが・・・・だからよ≠ニ答えた。
・・・・という言葉が聞こえないのに美羽はそれが答えだと感じていた。その部分を考えると胸がふんわりと温かくなるからだ。もう何故とか理由はどうでも良くなってとにかくイエランの安否を確かめたかった。大人しい姫と思われているのか扉に鍵がある訳でも無く、監視も緩かった。美羽は寝ているようにベッドに細工をすると、そっと窓から抜け出した。しかし何処に行けばいいのか?
「迷路みたい・・・やっぱり牢屋かしら?牢屋と言ったら地下か塔の上よね?」
どちらから探そうかと迷っているところに、ばったり麗華と出くわしてしまった。
「 ! お前、こんな所で何をしているの?」
「わ、私・・・捕まった天眼の王を探していて・・・」
「天眼の王が此処に来ていたの?」
麗華は知らなかったようで驚いた顔をしたが、もう駄目だと美羽は諦めながら頷いた。
「そう・・・あの王がここまで・・・それほどお前を・・・羨ましいわね・・・」
「え?」
麗華の声が小さくて何を言っているのか聞こえなかった。
「付いていらっしゃい」
「え?」
「会いたいのでしょう?王に?」
「あっ、はい」
「居そうな場所なら分かるわ。そこまでなら案内してあげる」
美羽は驚いたが、すたすた歩く麗華に半信半疑で付いて行った。やはり迷路のような回廊を渡り、壁のような扉を抜けて多分、下におりている感じだ。そして辿り着いた場所は、いかにも地下の牢獄というような薄暗い空間だった。
「この奥よ。この時間なら監視の巡回はまだ来ないわ。じゃあね」
「あの・・・ありがとうございました」
美羽はさっさと去って行く麗華の後ろ姿に礼を言った。何故彼女が連れて来てくれたのか分からなかった。だけど彼女の瞳がとても悲しそうだった。
麗華自身も、どうしてこうしてしまったのかと歩きながら思った。イエランが美羽を想う心に感動したのかもしれない。麗華の傷ついた心はその傷を癒したくて泣いていた。自分も誰かにそういう風に想われたいと願っていたのだった。
この空間全てが石造りだった。冷たい殺風景な石は美羽の忌まわしいあの塔を思い出させた。
しかし塔とは違って地下にあるからもっと陰気だった。
美羽は恐々と進み地下牢へ到着した。するとイエランの後ろ姿が見えた。
彼は両手両足を鎖で繋がれて鉄格子の中に居た。それは神に最も近いと云われる天眼族の王の姿とは思えない侮辱的なものだった。無抵抗なのに、わざと彼を貶める為にしているとしか思えなかった。
美羽はその姿を見るだけで胸がいっぱいになって涙が溢れだした。
冷たい鉄格子に手をかけた時には、その涙は頬を伝っていた―――