
「この阿呆が!ぼやっとするな!」
「え?サ・・ガン?」
リネアの視界を遮ったのはサガンの背中だった。
そしてリネアの代わりにネストリの刃を左腕に受けていた。
「ネストリ、これはどういうことだ?」
サガンは腕に、グッサリと突き立てられた刃を勢い良く抜くと呆然と立ち尽くすネストリにその切っ先を向けた。
「答えろ!ネストリ!」
「クッ・・・ククク・・・あははははっ」
「なぜ笑う!」
「もう少しだったのになぁ〜お前、何で来たワケ?俺の好きにしていいとか言ったのにやっぱりこの女のことが気になった?」
「・・・隷蜜の・・薬の臭いがしたからだ」
サガンの答えは半分本当だ。ネストリを信じていたがリネアのことが気になって仕方が無かった。
そうそう簡単に組み敷かれることは無いと思う反面もしかしたら・・・という懸念・・・だがそれがどうしたと思う気持ちも大きく後を追いたい気持ちを抑えていた。
しかし風に乗って微かに臭う媚薬の特殊な香りにサガンは立ち上がった。
ネストリは彼女が泥酔しているのが演技だと知らない。それなのに酔っている女に媚薬・・・それも服従を強要することが出来る特殊なものは必要無い筈だ。しかもそれを使われればリネアは逃げられない。
サガンは考えるより先に足が動いていた。そして目にしたのはまさか!と言う光景だった。
そしてまた考えるよりも先に振り下ろされる刃の前に飛び出していた。
「はは・・・あんなに離れた場所でも嗅ぎ分けるんだな。しかも音も気配もさせずに一足跳び・・・化物」
「なっ!」
陽気で気の良い兄、ネストリの聞いた事の無いような悪意に満ちた声にサガンは息を呑んだ。
「何言われているんだろうって言う顔をしているな。お前は化物なんだよ!常人より目が良い?耳が良い?鼻が利く?足が速くって腕力がある?猛牙族なら当たり前だよなぁ〜でもお前のそれは化物染みているんだよ!力が強い者が王者となるって?そりゃそうだ。今までだってずっとそうして来た。みんな仲良く王と呼ばれる代表を盛り立てていたよな。それはどうしてだと思う?そんなに力の差が無かったからさ!ほんのちょっとした差で決まる王だから成った王も何時交代されるか分からないからみんなと馴れ合う。皆が皆お互いを牽制しつつ助け合っていたんだ。血族のその固い結束が大きな力となってこの国を支配して来た。ところがどうだ?お前は俺らとは全く違う!まだ言葉も良く喋れない時からエンライを動かし、今ではまるで自分の手足のように操る。そんな真似なんか誰一人出来やしない。神獣達はお前に服従しお前しか見ていない!誰よりも恐れられ平伏される存在・・・そんなお前に俺らはカスに等しいだろう?必要無いだろう?正直に言えよ、サガン!」
神の遺産エンライはそれを受け継いだ種族だけに服従する。
しかし神獣を従わせる力にはそれぞれ差があった。それでもお互い似たり寄ったりだった。
それをサガンが変えてしまったのだ。彼が誕生した時、エンライ全てが喜びの咆哮をあげた。
神獣に祝福された王の子としてサガンは生まれながら人々から恐れられていた。
そして成長と共に皆の期待通りに・・・それ以上に絶対的な力を知らしめた。
「―――俺がいつお前達を蔑ろにしたって言うんだ?」
サガンは今にも噴き出しそうな怒りを抑えながら聞き返した。
「はっ!ほらそれだ!お前の力が俺らよりも親父よりも強いって分かっているのに何時も一歩退いた態度!それがムカつくんだよ!馬鹿にしているとしか思えない!親父だってそう思っているだろうよ!」
「―――それで俺が目障りだから殺そうとしたのか?」
「ああ、そうだ!お前さえいなければ俺達兄弟はみんな自分の生き方に誇りが持てる。お前に必要とされない俺達がお前にいつ殺されるかって怯えなくてもいい!」
ネストリの言葉は鋭い爪でサガンの心臓を抉り取るようだった。今までの自分が全て壊れていくような感覚さえ感じていた。
そのサガンの背中にもたれていたリネアは身体中に暴れまくる媚薬を抑え込みながら言った。
「みんなの為みたいな事を言っている・・・よう・・・だけど・・ただ・・・サガンに嫉妬し・・・ているだけじゃない」
ネストリは兄弟の話に割り込んで来たリネアに向って怒鳴った。
「黙れ!天眼!」
「黙らないわ・・・よ」
リネアは黙っていられなかった。よそ者のリネアでさえも直ぐに感じた力関係はサガンの心一つだと思っていた。そしてそのサガンが血族を大事にしていると見ても分かるが蛇連鎖によって気持ちが伝わってくるから尚更だった。そうでなければとっくにサガンが父親を押し退けて王となっている筈だ。
「お前は黙っていろ。これは俺達兄弟の話だ」
『何強がっているのよ!信頼していた兄にメチャクチャ言われて落ち込んでいる癖に!私だったら号泣ものよ!いいから貴方は引っ込んでなさい!』
リネアは声を出すのが面倒で心話で言った。
それを聞き取ったサガンは怒気を上らせると背中にもたれかかるリネアを睨んだ。
怒りを抑えて引き結んでいるそのサガンの唇にリネアがからかうように軽く口づけをした。
「なっ!」
「ふふっ、良い顔。その方が似合っているわよ。さて・・・と。毒より始末が悪い薬のようだけど大分慣れたわ・・・覚悟は良いかしら?私は容赦しないわよ」
まどろんでいたようなリネアの金の天眼が輝き大きく開眼した。
そしてリネアからの口づけに驚くサガンの前から姿を消した!!
「待て!」
サガンの叫びよりも早くリネアはネストリの首に刃を当てていた。引けばその首は飛ぶだろう。
しかしその瞬間、サガンはネストリから受けた自分の傷を抉った。
「くっ・・・」
リネアはサガンと繋がっている痛みで刃物を落としてしまった。
「何するのよ!痛いじゃない!」
サガンはリネアの足元に落ちた刃物を遠くに蹴り上げた。
「余計な事するな!戦をするつもりか!」
「何を言っているの?私は命を狙われた。その報復をするだけよ」
リネアの素早い攻撃に驚き固まっていたネストリが我に返り笑い出した。
「ははっ!分かってないな、お姫さんは。俺を殺したら猛牙と天眼の戦になるってサガンは言ってるんだよ。この国は俺達王族の強固な支配で成り立っている。その俺達が身内でガタガタしていたら各部族への抑制が効かず、あっと言う間に小競り合いが起こりこの国は崩壊だ。だからサガンは俺を断罪出来ない。だってそうだろう?そんな事をすれば皆に公言することになる―――俺達兄弟は争っているってな。手を叩いて大喜びする部族は多いだろう。そこで公言出来ないとしたら俺があんたから殺されると不味い訳さ。兄を殺された手前あんたはもちろん死刑。そうなれば天眼国も黙っちゃいない―――猛牙国と天眼国の戦に発展するのは目に見えている」
サガンは口を引き結んだまま一言も口を挟まなかった。ネストリが言うことが正しいのだろう。
しかしリネアは妖しく高慢に微笑んだ。
「言いたい事はそれだけかしら?」
「な、何!」
「サガン、よくこんな腑抜けな馬鹿を今まで野放しにしていたわね。それの方が呆れるわ。グズグズ言うこんな役立たずは、さっさと殺してしまえばいい!支配体系が壊れそう?馬鹿馬鹿しい!貧弱な力が何人か寄り集まって大きく見せていたのが一人で足りたのなら良かったじゃない。サガン一人で十分なら彼に自分達も支配されたら?嫌ならサガンを越えることね。サガン!貴方も貴方よ!馬鹿みたいに仲良しごっこせずに逆らう者なんか神獣の餌にでもするといいわ!他人には出来て身内に出来ないなんて最低よ!」
リネアの暴言混じりの叱咤にネストリは憤怒の形相でわなわなと震えていた。
サガンは意外にも無表情だった。そしてどうでもいいことをぽつりと言った。
「エンライは人肉を食わせない。味を知ると厄介だからな」
「あら?そうなの?獰猛な感じだから頭からバクバク食べそうだと思ったのに」
今まで息巻いてまくし立てていたリネアはまるで何も無かったかのように何時ものようにふざけた感じで答えた。
「お前はもう喋るな―――ネストリ、この蛇連鎖もお前の仕業か?」
「はっ!尋問か?今更どうでもいいだろう?俺を殺すか?なぁ〜サガン」
開き直ったネストリは両手を広げて言った。
「馬鹿にしないで!私がお前を殺してやるわ!」
「お前は喋るな!って言っているだろう!」
今にも飛び掛りそうなリネアをサガンが自分の腕の中に引き寄せてしまった。
「ちょっと!放しなさいよ!」
「黙れ!大人しくしろ!」
「嫌よ!私に命令しないで!私に怒るよりあいつに怒ったら?散々馬鹿にされて何故黙っているのよ!らしくないわよ!」
「お前がそんなに怒ることも無いだろうが!」
「だって!私――」
リネアは言いかかった言葉を呑み込んだ。
それにサガンの事なのにまるで自分のことのように腹を立てているのに驚いてしまった。
(私・・・今何て口走りそうになったの?)
呑み込んだ言葉は認めたくないものだった。
リネアが自分の想いに囚われている間にサガンが動いた。ネストリに背中を向け歩き出したのだ。
引き寄せられ腕の中に居たリネアも促されるまま歩き出していた。
「おいっ!俺に何もしないのか?おいっ!サガン!」
去り行くサガンの背中にネストリが怒鳴ったが、足を止めるのでも無く、振り向きもしなかった。
「馬鹿にするなよ!おぉぉ―――っ!」
無視されて激怒したネストリは半獣化して跳躍して来た。鋭く尖った爪と筋肉が異様に発達して盛り上がった上腕はまるで大振りな鎌のようだった。その腕がサガンの背中目掛けて襲いかかった。
しかしサガンはそれをまるで飛んできた虫でも払うかのように受け流した。
「このぉぉ――っ!うりゃ―――っ!」
ネストリは何度も襲い掛かったがサガンにかすり傷一つ付けることが出来なかった。
「無駄だ、ネストリ。お前は俺には勝てない。何度やっても同じことだ」
「そうだろうよ!お前は人の皮を被った化物だ!」
ネストリはかわされた反動で地面に膝をつき罵倒した。もうそれぐらいしか力が残っていない。
サガンに真正面から挑んでも敵わないと十分承知していたからこそ念の入った罠を仕掛けたのだ。
ネストリならユーシャを誘拐させる手引きは簡単で計算通りの筈だった。ところが大きな誤算がリネアと言う存在。彼女が蛇連鎖の相手で無ければもっと簡単に済んだだろう。
サガンを殺したのは全部あの忌まわしい一族であって残された兄弟は悲しみを乗り越え国を盛り立てる筈だった。サガンの追及通り、あの一族を甘い言葉で騙し操っていたのだ。
そして事が成就すればサガンの仇として証拠諸共消し去る予定だった―――
「何時でも何度でも掛かって来ればいい!俺は負けないし死にはしない!」
サガンは一度だけ振り向くとそう豪語した。そして地面に顔を付けて泣き崩れる兄が目の端に映ったがそのまま歩み去って行ったのだった。
「ちょっとまさかあのまま放置な訳?許すつもり?」
少し呆けている間に除け者にされたまま部屋に帰ったリネアは憤懣をサガンにぶつけた。
しかしサガンは黙ったままだった。
「何か言いなさいよ!サガン!」
「―――何を言えって?俺が能天気な阿呆だったとでも言えばいいのか?」
やっと答えたサガンの声音にリネアは、はっとした。その声は怒気を孕んだものでは無く悲痛感漂うものだったのだ。信頼していた・・・しかも血が繋がった兄弟に裏切られてかなり動揺しているとリネアは感じていたが思ったより重症のようだった。しかもその悲しみを隠そうとしているのが伝わって来た・・・
「泣けば?私以外誰もいないわよ・・・」
サガンはリネアを見た。
「―――何でお前が泣くんだ?」
(え?私が泣いている?)
リネアの頬に涙が伝っていた。まさかと思ったリネアは確かめるように震える手で頬に手を当てた。
何故だと訊かれても答えられない。どうして?
「あ、貴方と呪で繋がっているからよ!」
リネアは慌ててそう言い訳したが・・・視線を落とした先にあった筈の蛇連鎖が消えていた。驚いてサガンを見れば彼の手首にも無い。
「いつの間に・・・」
ネストリの野望が潰えた証しかのように蛇連鎖の効力も消滅していた。
「―――賭けは終わりだ。俺の前から今すぐ消えろ」
サガンはリネアに背中を向けて言った。全く予想していなかったその言葉にリネアは息を呑んだ。
「か、賭けは貴方の勝ちよ!私の負け!だから――」
「さっさと天眼へ帰れ」
「貴方の望みはそれなの?」
サガンは答えなかった。そうだとも・・・違うとも・・・
「サガン!私を見てハッキリ答えなさいよ!」
「・・・・・・・・・」
リネアは呪で繋がっていなくてもサガンの深い悲しみを感じていた。
「辛いのでしょう?私が慰めてあげる」
「いい加減にしろ!勝手に俺の気持ちを分かったような事を言うな!俺は辛くも悲しくも無い!だからお前なんか必要無い!女なんか幾らでもいるんだからな!」
呼ばない癖にとリネアは心の中で呟いた。サガンが誰かに弱みを見せる筈が無いのだ。
彼は常に強さを誇示し続ける・・・それが今回裏目に出たとしても・・・
サガンはリネアに・・・彼女にこれ以上自分の弱さを見せたくなかった。
それで無くても彼女の柔らかな身体を抱きしめて誰にも言えない胸の内を吐き出してしまいたい衝動を抑えるのに必死だった。これ以上、みっともない姿を彼女にだけは見せたくなかった。しかしそう強く思う気持ちの原因まで考えてはいない。とにかく今はリネアを追いやりたいだけだった。
「―――分かったわ。もう会う事も無いでしょうね」
一度も振り向かないサガンの全身から拒絶を受けた気がしたリネアは心が酷く傷付いた。
傷付いているサガンを慰めてやりたかった。これは駆け引きでは無く心から湧きあがる想いだった。
自尊心を捨てて彼の背中にすがって情けを乞いたかったがそれさえも拒まれたら自分がどうかなってしまう予感がして出来なかった。
想いが錯綜して苦しくて堪らない―――リネアもこの場から直ぐに立ち去りたくなった。
リネアの天眼が開いた―――
「カルム―――っ!私を迎えに来てぇ―――っ!」
全ての力をその心眼に注いだ。遠く離れたカルムに向って―――リネアに天眼国まで届くような心眼の力は無い。しかし一刻でも早くサガンの前から消えたかった。苦しくて堪らない―――