
猛牙国に入ったリネアは既に後悔し始めていた。
今まで浴びたことの無い突き刺すような陽の光と身体中から噴出す汗が不快で堪らなかった。
「何て暑いの!まるで暖炉の中に身を投げ込んだみたい!」
そう悪態をつくとラナが、クスクス笑い出した。
「私が天眼国に行った時の驚きに比べたらまだまだ!だって私は肌が切れるように寒いっていう体験したこと無かったし」
「私も暖炉で炙られるような体験は無いわよ」
ラナはそれもそうかと言って、ケラケラ笑った。
目の前に広がっているのは雄々しく生い茂る木々だ。
大自然に守られた彼らはほぼ自給自足で生活している。食物の七割を他国から買い付けている天眼国とは大違いだが、他国との交流が少ないせいか閉鎖的な感じでよそ者には敏感のようだ。
それでも好奇心旺盛な彼らは用心しつつも解放的なところがある。だから国境の地域は比較的に他民族が往来しても違和感が無いようだ。
そんな入り口にリネア達は到着した。もちろん身分は隠しての道行だ。天眼族というのは隠せないにしても植物研究者という肩書きで研究を目的とした旅行者を装っている。
「リネア様が学者?変なの。全然そんな風に見えない」
「そう?これでも学者並に詳しいわよ。王族に生まれなかったらその道に進んでいたと思うわ」
リネアは植物の育ち難い天眼国で強い憧れを抱きながら書物を読んでいたのを思い出した。
目にも鮮やかな緑に鮮烈な色の花々・・・陽の光りよりも眩しいそれらに暑さも忘れそうだ。
暫しそれらに目を奪われていると何やら不審な動きをする男達が目に入って来た。
(あれは?)
数人の男達が人混みに紛れながら周りの様子に用心深く気を配っているのだ。彼らは上手く周りに溶け込んでいると思っているかもしれないが気を読むリネアの目に留まってしまった。そしてその中の一人が肩に背負っている大き目の布袋から弱々しい気を感じた。
(子供?)
また人攫いが横行しはじめたかもしれないとリネアは咄嗟に思ったのだが・・・
眩しい陽がいきなり翳った時、大きな獣らしい咆哮が聞こえた。しかもそれは上空だ。
砂塵を舞い上げながら突風が巻き起こった。そして大きな羽音―――
一回の羽音と共に突風が地面を叩きつける。
「な、何?」
リネアは渇いた砂が舞い上がる中で瞳を凝らしその正体を見極めようとした。
その時、横に居たラナが歓喜にも恐怖にも似た声をあげた。
「エンライ!」
(エンライ?)
猛牙国の持つ神の遺産―――エンライ。翼を持った獅子。
それは厚い皮に覆われた翼と矢じりさえ弾く剛毛に覆われた胴体を持ち空を翔る獰猛な神獣。
この神獣を自在に使役する事が出来るのはこの国の王族だけだ。彼らが命じれば大人しく従順に従う。言い換えれば彼らしかこの神の遺産を使えないという訳だ。
リネアは爆風の中、目を細めてそのエンライを見上げた。
大きな翼を広げるその獣の背中で立ち上がる人物を見た。強烈な陽光を弾く黄金色 の髪が鬣 のように後ろに靡 いている。その髪と同じく輝く黄金 の首飾りが幾重にも重なり褐色の肌に踊っていた。
(若い男ね・・・)
猛牙族は完全な男上位で婚姻制度が無く、女は気に入ったら手元に置くというぐらいの感覚らしい。
それに年中発情している民族だと揶揄されるくらい多産系だ。だから王族にも沢山王子はいる。
その中でも他国に名前を轟かせているのが暴虐の王子≠ニ呼ばれるサガンだ。勇猛な王と言われた彼の父親でさえもサガンを恐れている感じらしい。反逆を企んだ部族の女、子供関係なく皆殺しにしたのは記憶に新しいものだ。それも只殺すのでは無くまるで楽しむように残虐の限りを尽くして殺したとのことだった。
気丈なリネアでさえも絶対に係わり合いたく無い人物だったのだが・・・
誰かは分からないエンライの背に立つ男とリネアは一瞬だが目が合ったような気がした。上空を飛ぶ男の顔まで見えないのにそう感じたのだ。
(黒翔の女か?違う・・・まさか天眼か?)
脅威の視力を持つ猛牙族の男はリネアがハッキリと見えた。鋭い勘はもとより聴覚と嗅覚にも優れる種族の特性上、リネアの見かけは黒翔族でも天眼族だと見抜いたようだった。
獣のような黄色い瞳が油断なく細められた。
(活きの良さそうなイイ女じゃないか?野郎ばかり追い掛けてつまらんかったが・・・イイ手土産が出来たな)
ククッと喉で嗤って、ペロリと渇いた唇を舐めたのはリネアが最も会いたく無かった人物。
その名を聞くだけで誰もが震え上がると言われるサガンだ。
エンライが降下し始めると人混みに紛れていた不審な男達が悲鳴を上げて走り出した。
彼らを追って来たのだろう。遅れて後二頭のエンライが到着し兵と思われる者達が次々と飛び降りては方々に散って逃げる男達を追い掛け始めた。
人通りの多い場所は怒号と悲鳴が混じりあい騒乱の渦となった。エンライはサガンの乗った一頭を先頭に円を描くように上空を飛んで睨みを利かせていた。地上の兵士と上空のエンライに挟まれた男達は次から次へと捕縛されている。
「ラナ、いらっしゃい。巻き込まれたら大変よ。向こうへ行きましょう」
「いや!私はここで見たい!」
「ラナ!」
同族でもエンライを見る機会は早々無いのだろう。ラナは目を輝かせて派手な捕り物を見ている。
「そこだ!追え!」
一瞬の間に真上から声が降って来た。
そして目の前で喚く男はリネアが目に留めた子供を詰めた荷を担いでいた男だ。その男は担いでいた布袋を肩から下し中身を出した。中から出て来たのはリネアの予想通り子供だった。身なりの良い四、五歳くらいの女の子だ。
「ユーシャ!」
エンライから飛び降りて来た男が叫んだ。
「く、来るなぁ―――これを殺すぞ!」
「この野郎!ユーシャを放しやがれ!」
追い詰められた男は半獣化して、ぐったりとした子供の首に、ガタガタと震えながらも長く尖った爪をかけている。猛牙族は彼のように半獣化して人間ではありえない馬鹿力を発揮するものだ。
柔らかな子供の首なら一瞬のうちに引き裂く事が出来るだろう。
エンライから降りて来た王族らしい男は、ギリギリと歯軋りをしていた。
子供とその男の髪色が良く似ているのでリネアは親子だと思った。誘拐犯を追って来たと言う感じだろう。いずれにしても関わり合いにはなりたく無いものだ。
しかしその子供が目を覚まし近くに居たリネアと目が合ってしまった。
こぼれ落ちそうな大きな瞳を潤ませている。助けに来た男が目に入らなかったのだろう。
「たすけて・・・おねえちゃま・・・」
「・・・まぁ、可愛い・・・」
「リネア様!」
ラナは、ムッとしてリネアの袖を引っ張った。リネアの悪い癖が出たようだ。保護欲を掻きたてられるものを彼女はこよなく愛する。それが犬でも猫でも構わない感じだ。
リネアは強い。しかし何時も勝ち目の無い兄と弟に挟まれて自分が保護を受けているようで嫌だった。だから自分の力を確かめるかのように弱い者を構いたくて仕方が無いのだ。
リネアは細長い布を取り出し額に巻くと歯軋りして立つサガンに向って不敵に微笑んだ。
「貴方の子供?私が手伝ってあげるわ」
「俺の子供だと?おいっ、お前!」
サガンが怒鳴った時にはリネアの姿は目の前から消えていた。そして子供に爪を立てる男の目の前に突然現れた。男は驚く間も無くリネアは消え、そして再び現れた時は宙に浮いていた。まるで残像のように現れては消える奇怪な現象に驚く男の顎をリネアは宙に浮かんだまま蹴り上げた。
「ぐあっっ―――」
「ユーシャ!」
子供が放り投げられサガンが慌てて駆け寄ったがその前にリネアが抱きとめた。
「ユーシャちゃんと言うのかしら?大丈夫?」
驚いたような顔をしていたユーシャだったがリネアの腕の中で、にっこり笑った。
「ありがと、おねえちゃま」
「どう致しまして」
リネアは微笑んで抱いていたユーシャを下へ下ろした。
「ユーシャ!」
サガンが駆け寄って来た。
「あっ、おにいちゃま!」
リネアは振向いた。猛牙の男は憤りを隠さずリネアを睨んでいる。
「親子じゃなくて兄妹だったのね?」
リネアはそう言って楽しそうに笑った。
「黙れ、女!」
「あら?妹さんを助けてあげたのにそんな態度は良くないわ。礼を言えとまでは言わないけれどね」
男の顔が怒気で赤く染まって来た。何時もの調子で喋っていたリネアだったがラナが震えながら自分の後ろに隠れるように引っ付いているのに気が付いた。
「リ、リネア様・・・王子です・・・サガン王子・・・」
「サガン?」
リネアは小さくなって震えるラナに聞き返した。
「暴虐の――ひっ」
ラナはサガンから睨まれて飛び上がった。
「おいっ、女!ここに何しに来た!しかも天眼族!額を隠してもお前が天眼だってことはお見通しだ!」
リネアは天眼族というのを隠したい訳では無かった。金の天眼を隠したかったのだ。
金色は王族の印―――天眼を見れば素性が直ぐに分かってしまう。つい最近、いざこざがあった手前それは避けたかった。神の遺産を使役する様子から見て王族だろうと思っていたがまさかその張本人だったとは・・・運が悪いとしか言いようがない。こうなったら白を通すしかないだろう。
「申し訳ございません。偽るつもりはありませんでした。これは埃避けのつもりでございました。何しろ砂塵が舞っていまして開眼すると瞬きは出来ませんので・・・私は植物を研究しておりまして方々旅をして研究しているもので今日此方に着いたばかりです」
サガンは自分の正体を知っても動じず、スラスラと言葉を並べるリネアを逆に不審に思った。
姿を瞬時に消して現れるというものは天眼の力だと思ったが賊を倒した手際は普通ではないと直感した。それに猛牙族の同行者がいるのもわざとらしく思えた。
「おいっ、そんな嘘が通じると思うのか?」
(あら?突っ走る只の馬鹿かと思ったら意外とお利口さんなのね?)
リネアは悪名名高い彼が只の乱暴者では無いかもしれないと思った。
「おいっ、聞いているのかっ!」
「もちろん聞いています。大きな声で怒鳴られるから恐ろしくて・・・」
リネアは自分を抱きしめて怖がっているふりをした。
「そんな色仕掛けでこの俺が騙されると思うのか!」
(色仕掛け?)
怖がったふりはしてもそんな危険な事をしたつもりはない。
周りの兵達のにやけた視線が集まっている場所は・・・
(ああそうか。胸ね、胸)
暑い猛牙の土地に合わせ着ていたものは露出の多いものだ。ちょっとした動作でそれを強調する形となる。だから怖がった仕草は胸を寄せて大きな谷間を作っていたようだ。丸く盛り上がった胸が色欲の強い猛牙の男達を刺激しているのだろう。特にリネアの肌は黒翔国特有の象牙色で陽光の弱い天眼国独特の環境で作られた透明感のある肌理 細やかな美しいものだ。同族の女達の陽に焼けた褐色の肌ばかり見ている彼らには物珍しく欲望を刺激する筈だ。
(初めての感覚かもね。結構気分良いんじゃない?)
金の天眼を持ち、しかも最強と言われる天眼軍を束ねるリネアは男達からそんな視線を送られることは無い。あからさまな欲望を漲らせる男達の視線にさらされるのはとても新鮮で面白い経験だった。
「女!何が可笑しいんだ!」
サガンの怒鳴り声にリネアは自分が愉快そうに口元を綻ばせている事に気が付いた。
「え?あら、本当。何故かしら?ふふふっ」
リネアは我慢出来ずにとうとう笑い出してしまった。
サガンは唖然として黄色の瞳を見開いた。今まで出会った女達はサガンを目の前にすれば恐怖するか媚びを売ろうとするものばかりだった。それなのに?怖がったふりをするので色仕掛けかと難癖付けたものの、今度は愉快そうに笑い出した。
「俺を馬鹿にしているのかっ!」
サガンが叫んだその時だった。
リネアが蹴り倒していた男が呻きながら、腰に下げていた皮袋の口を開けてサガンに向かって投げたのだ。その皮袋の緩んだ口から何かが飛び出しサガンに襲いかかった。それは細く長い蛇に似た生き物で鋭い牙を剥きサガンの右手に絡みついた。
「毒蛇ぐらいでこの俺を倒せるものか!」
サガンは簡単に考えていた―――
今にも牙を突き立てようと鎌首を擡げるそれを掴んで牙を封じたつもりだったがそれが間違えだった。驚いた事に押さえていた頭が分離してしまった。蛇の中からもう一匹が出て来たような感じだ。
そしてそのもう一つの頭ははぎ取ろうとしたその左手に噛みついた。
痛みは一瞬だったが反射的に押さえていた頭を放してしまった。
二つになった頭の片方はサガンに牙を立てたままで、放されたもう片方は飛び跳ね近くにいたユーシャに襲いかかろうとした。
「ユーシャ!」
サガンは叫んだが自分に絡む蛇が邪魔をして出遅れてしまった。
しかしサガンの反対側に居たリネアが素早く反応してユーシャの前に出ていた。リネアも簡単に排除出来ると思っていたそれが手に絡みついてしまった。それでも落ち着いて短剣で切りつけた。しかし・・・
「ちょっと!何これ!嘘でしょう?」
リネアは信じられないという声を上げた。短剣で切ったつもりなのにまるで金属にでも切りつけたかのような感触だったのだ。そしてリネアの短剣を持つ腕に牙が突き立てられた。痛みは一瞬だった―――
しかしその二つの頭を持つ蛇のような生き物は見る間に変容しだした・・・鎖のような柄の表皮が立体的になり本当に無機質な金属のような鎖になってしまったのだ・・・
ジャラリと鈍い音がしてリネアの手首に下がった。それはまるで手枷を付けられたかのようだった。
余りの気味の悪さにリネアは顔をしかめて憤った。
「本当に何なの!」
リネアは噛みつかれた右手を振ってみた。しかし蛇の頭はいつの間にか無くその先はどういう仕掛けなのかリネアの手首から生えているようにとけ込んでいたのだ。そしてその先を見れば・・・大人が両腕を広げた長さの三倍くらいの長くも短くも無い鎖の先にサガンが同じく繋がっていた。
両端で繋がれた二人は自然と目があった。奇妙な沈黙がその場を支配した―――