
汗を流したリネアは、すっかりくつろいだ様子で濡れた髪を召使い達に拭かせていた。
ついでに爪の手入れもして貰っている。何人もの召使い達が傅き世話をする様子はまるでこの部屋の主のようだ。この部屋とはもちろんサガンの部屋だが誰が主か分からないぐらいリネアは馴染んでいた。
「あら?まあ上手ね。お前の名前は何と言うの?」
リネアは爪に描かれた美しい模様を見て言った。
「え?わ、わたしですか?メイサです」
熱心にリネアの爪の手入れをしていた娘は頬を染めながら顔を上げた。
「おいっ!ちょっかい出すな!」
ふて腐れたようにベッドに寝転がっていたサガンが起き上がって口を挟んで来た。
「貴方のものとか言う訳?だったら私に頂戴」
娘はゴクリと唾を飲み込んで大きく瞳を見開いた。サガンに向って何かをねだるものはいないからだ。どんなに寵愛を受けている女でも、父親である王でさえも殆ど言わない。
言って許されるのは妹のユーシャぐらいだ。
「頂戴だとぉ――誰に向って言っている!」
「もちろん、貴方によ。女の子は沢山いるのでしょう?一人ぐらいくれたっていいじゃない」
「お前!さっきはユーシャの子守りに目付けていただろうがっ!」
「?そうね・・・あの子も可愛かったわよね。う〜ん、悩んじゃうなぁ〜んん??別に悩まなくてもいいか!二人貰えれば良いし。決めた!じゃあ、二人ね!」
サガンは開いた口が塞がらなかった。
リネアは上機嫌で塗りあがったばかりの爪を目の前にかざして眺めている。
サガンの事は全くの無視だ。
「ば、馬鹿やろう!ユーシャの子守りは駄目だ!あれはユーシャも気に入っているんだ!」
「あら?そうなの。ユーシャちゃんが相手なら仕方が無いわね。じゃあ、取りあえずこの子だけで良いわ」
リネアは残念そうに肩を竦めると目の前で傅いているメイサを指差した。
「なっ、ななっっ!」
「あら?この子も駄目なの?」
「いい加減にしろ!」
「私に命令しないで!と言っているでしょう!それに貴方、まだこの子に手を出していないでしょう?最近来たばかりかしら?初々しいものね。あんな男より私が優しくしてあげるわよ。たくさん気持ち良いことしてあげるし。ねぇ〜可愛い子猫ちゃん」
おどおどしながら二人のやり取りを窺っていた娘はリネアの誘惑に顔を真っ赤に染めた。
「うるさい!黙れ、黙れ!誰がやるって言った!」
「煩いのは貴方の方よ!馬鹿みたいに突っ込む事しかしない能無し男は黙ってなさい!女がそれだけで喜ぶと思ったら大間違いよ!」
離れた場所から怒鳴っていたサガンだったが、とうとうその場所からリネアの前まで足音も荒くやって来た。
「俺が何だって?能無しだと?男を知らん癖にベラベラと偉そうに並べやがって!」
召使い達は激昂するサガンに恐れたのか小さな悲鳴を上げ、後ろに下がってしまった。
しかしリネアは平然とその怒り狂うサガンを、チラリと見上げただけだ。
そして溜息まじりに呆れるように言った。
「誰が男を知らないって?そう言えばさっきもそんな事言っていたわよね?趣味は趣味としてそれを容認してくれる寛容な婚約者が私にはいるのよ。貴方の妄想を壊して悪いけれど、ちゃんとすることはしているわ。それに私の婚約者の方が貴方より上手だと思うわよ。クスっ、でも・・・貴方でも女は生娘が良い派なのね?天眼の男達はそういう傾向だけど・・・貴方がねぇ〜意外と可愛らしいのね。クスクスっ」
サガンはリネアに笑われている事柄よりも、彼女がもう既に男は経験済みだと言うことにショックを受けていた。
(女好きの癖に決まった男がいるだと?―――それに何って言った?その男の方が上手?)
ようやくリネアの言っていた暴言がサガンの思考に浸透して来ると、怒りは最高潮となって来た。
しかしリネアはやはり気にした様子でもなく大きな欠伸をしたのだった。
「はふっ、ん〜眠たい。今日は流石に疲れたわ・・・お腹も空いたような、空かないようなだし・・・せっかく涼んだからもう寝るわ」
「お前!」
さっさと立ち上がったリネアを掴もうと手を出したサガンだったが、
「触らないで!」
リネアが直ぐに、ぴしゃりと言った。
「せっかく塗った爪が台無しになるでしょう!それにもう今日はもうこれじゃあ何も出来ないから許してあげる。でも少しは借りるわよ。子猫ちゃん、これが乾くまで私の手を持っていて。私が寝返りうっても大丈夫なようにね」
リネアは怯えて後ろに行ってしまった召使いにそう命令した。娘はビクビクとサガンを窺っている。
「おいっ、勝手なことばかり言っているんじゃないぞ!それにそこは俺の寝床だ!」
「大きいんだしいいじゃない。もう私は眠いのだから新しいベッドを運ぶなら明日にして頂戴。それか貴方が今から運ばせてそれに寝たら?とにかく私はもう寝ます。子猫ちゃん、いらっしゃい」
リネアは手招きしたがメイサは流石にサガンが怖いのかその場から動こうとしなかった。
リネアは、キッとサガンを睨んだ。
「貴方が怒るからよ!どうしてくれるの!」
サガンは驚き過ぎてもう反論する気力が無くなってしまった。リネアには自分の言葉が通じないとしか思えなかった。こんなに我が儘で勝手な女などいない。それにいつの間にか振り回されている自分も信じられなかった。負かそうと怒鳴るだけ疲れるだけだとようやく分かり出した。
「おい、そこのお前、こいつの命に従え!」
リネアは少し驚いてしまった。サガンの受け答えが面白く調子に乗って言っていたがこんなにあっさり彼が引くとは思わなかったのだ。
(へぇ〜意外)
「ありがとう。じゃあ、お願いついでに寝酒でも頂ける?あれはお酒でしょう?」
リネアはベッドの近くにあるそれらしい容器に入ったものを指差した。
サガンは無言でギロリと睨んだだけだ。だからリネアはベッドへ優雅に腰掛けるとそれを注がせてこさせた。大きな杯に三分の一だけ注がれた酒は強い芳香を放っていた。
「強そうね。寝酒は甘い果実酒が好みだけど無いの?」
「そんなものは無い!」
「ふ〜ん。じゃあ、明日は用意して頂戴」
「なっ!」
今度は酒の注文まで言い出したリネアにサガンは怒鳴ろうとした時だった。
酒に口を付けたリネアがその杯を投げ捨てたのだ。そして自分の口の中に指を突っ込み今飲んだものはもちろん胃の中のものも一緒に吐き出した。しかし殆ど食事をしていないので固形物は出ずに胃液が出たようなものだった。
「本当に強い酒ね?一気に飲んだら確実に昇天するわね・・・」
「ま、まさか・・・毒?毒かっ!」
「・・・そうみたいね。ちょっと舐めただけだけど・・・かなりくるわね」
リネアは血の気が抜けたような顔をして答えた。
サガンの部屋にあるものは当然毒見をしている筈だ。
それなのに毒を盛られるとすれば部屋係しか出来ない・・・サガンはリネアが欲しがった娘を見た。
彼女にリネアは酒を頼んだが動かず、他の者が注いで来ていた―――
それが妙に違和感だった。
「お前かっ――!」
「きゃぁ―――っっ!」
メイサはサガンに髪を掴まれ悲鳴を上げた。
「誰の指図だ!」
「な、何のことでしょうか?わ、わたしは何も・・・お、お許し下さいませ」
「お前が毒を盛ったのだろう!白状しろっ!言うまで切り刻んでやるぞ!」
サガンが剣を抜いた。しかしそれを止めたのはリネアだった。
「ここでそんな事をするのは止めて頂戴。私、眠たいって言ったでしょう?血の臭いのする部屋で眠るなんて嫌よ」
「庇うつもりかっ!」
「庇ってなんかいないわよ。そんな野蛮なことをしなくても良いって言っているの。私が・・・」
リネアが、グラリと上半身を前に傾けた。
「おいっ、大丈夫か?」
サガンはそう言いながら自分にもその影響を感じていた。
「だ、大丈夫・・・お水が欲しいかしら・・・もう少し毒を薄めた方がいいみたい・・・」
リネアは経験上毒に耐性がありその処置はもちろん自分の限度も分かっている。
水とサガンから渡された解毒剤を飲み干すと続けた。
「私が天眼で心はもちろん記憶の隅々まで見てあげるわ。精神探査をすれば全て分かる・・・生きたまま身体を裂いて見られるみたいなものだから正気を保てるかは保障出来ないけれどね。切り刻まれるのとどちらがいいのかしらね?死ぬ程つらくても痛くは無いし血も出ないからいいでしょう?ねぇ子猫ちゃん」
リネアはカルムのように精神探査出きる程の力は無い。あくまでも脅しのようなものだ。
しかしサガンは以前、カルムがそれをしたのを見た事があった。はっきり言って気持ちの良いものでは無いのは確かだ。そしてそれをされた男は気が触れていたのも事実だ。この猛牙国では謎の多い天眼の力そのものを皆恐れている。認めたくは無いが特にその心眼の力は最も嫌悪していると言ってもいいだろう。噂だけでも酷いものだ。
だからその犯人かもしれない娘は青ざめてしまった。
「お、お許し下さい!お許し下さい!」
容疑者の娘はその脅しにあっさりと屈服してしまった。
「ねぇ、あなた、ラナと言う娘は知らない?」
「え?・・・そ、それが何か?」
「知っているの?もしかして姉妹?」
「はい、姉ですが・・・」
「やっぱりね、良く似ているもの。それで人質は誰?母親かしら?それとも妹か弟?」
メイサは驚いて瞳を大きく開いた。
「おいっ!何の話をしているんだ!」
「サガン、最近人身売買の取り締まりか何かしている?」
サガンはリネアに名を呼ばれて不覚にもドキリとしてしまった。二度目だが一度目はそんなに感じなかったが今思えばサガンを呼び捨てにする女は誰もいないのだ。だから不思議な感覚だった。
しかし人身売買の件を何故リネアが知っているのか?
「どうしてそれを聞く?」
「やっぱりやっているのね?親玉は猛牙国に居ると思っていたけれどね」
「お前、何を知っている?」
それは極秘に進めている大掛かりなものだった。サガンは用心深く聞いた。
「天眼国にもその組織があったのよ。壊滅させたけれどそれは所詮蜥蜴の尻尾を切っただけで何れはまた生えて来るものだったわ。その時にこの子の姉ラナを保護したのよ。奴隷市に売られていたのを助けた形だったけれど・・・たぶん途中から目的が変わった。私への監視、もしくは暗殺の命を受けていたと思うわ。もちろんラナは普通の女の子だから私を殺すのは無理。でも私の動きだったら知らせることが出来る。ねえ、ラナも脅されて人身売買の手伝いをしていたのでしょう?」
「・・・は、はい。ある日怖い人達が家にやって来て・・・兄さんが犯した大きな失敗の責任を私達に取れと言われて・・・家を飛び出して何年も音沙汰なしだった兄さんがその人達の仲間になっていたようなのです。それで――」
ラナの妹メイサは込み上げる涙で声をつまらせた。
「それでラナが何でも言うことを聞くから妹達に手を出さないで、と言ったのでしょう?」
メイサは涙を落としながら頷いた。
「でも約束は守らなかった。ラナが必死に私のご機嫌を取って情報を流していたと言うのにね。その情報は彼らの役に立たなかったのでしょうけれどね」
「偽情報をつかませていたのか?」
「違うわよ。何も隠してなんか無いわ。それに知られて困るようなものは無かったし」
「気にもしない訳か。傲慢だな」
サガンの言い方にリネアは、ムッと来たが確かにそうだとも思った。
自分達は傲慢だろうと思う。天眼族が恐れるのは同族だけだ。他国の者達が何か画策しようとどうにでもなると思って馬鹿にしているのは確かだろう。リネアもラナの思惑を知っていて近くに置いていた。彼女が必死なのを馬鹿にしていたつもりは無いが、知っていて何もしなかったのは同じことかもしれないとリネアは思った。
そして今回は面白半分に連れて来たのだから非難されても仕方が無いことだ。
「・・・確かにそうね。傲慢だったわ・・・ラナを退ける事は容易かった。でもそうせずに彼女で危険な遊びをしていたようなものだもの」
あっさりと傲慢さを認めてしまったリネアにサガンは驚いてしまった。それこそ傲慢なら絶対に認め無いだろう。
「不気味なくらい素直だな・・・ふん、まあいい。お前の言う通り女や子供を売り飛ばしていやがった奴らを根絶やしにする予定だ」
「あら本当?助かるわ。でも意外ね。そんな商売はこの国では罪にならないのかと思っていたわ。だから大本が此処だって分かった時に根本を断つのを諦めたもの」
「お前達はどうせ俺らは野蛮で未開な国ぐらいしか思ってないんだろう!女は奪っても売り買いするもんじゃない!」
「奪っても売り買いしない?くっ・・・くくくっ、あはははっ!それって!変な理屈ね!楽しいわ!それいい!最高!」
リネアは身をよじって笑い出した。
褒められているのか馬鹿にされているのか変な気分のサガンだったが笑われるのは好きじゃない。
しかし楽しそうに笑うリネアを見るのは不快では無い自分がいた。それこそ妙な気分だ。
「おいっ、いい加減にしろ!それで?俺に毒を盛れと言われたんだな?」
リネアは、さっと笑いを引っ込めた。サガンがメイサの断罪に入ったからだ。
周りの空気が一瞬のうちに変わってしまった。今まで気にしていなかった風がそよぐ度に聞こえる葉ずれの音が妙に大きく感じた。
「わ、わたしは・・・姉さんが逃げたって聞いて・・・代わりにしろと命令されて。飲み物に混ぜるか・・・夜伽を言われたなら直接・・・飲ませろと。で、でも毒だと言われませんでした!強力な眠り薬だから飲ませたら狼煙を上げろって!それを合図に城の中にいる仲間が殺しに行くからって・・・だから・・・」
「完全な捨石だった訳ね。飲み物に混ぜて成功しても犯人として囚われ多分口封じされる。閨の最中に口移しで飲ませるにしても口に含んだだけで無事じゃ済まない強い毒。どちらも死ぬ運命・・・この子は嘘を言っていないわよ」
メイサは自分を庇ってくれそうなリネアを見上げたが小さな悲鳴を上げて凍り付いてしまった。
リネアの額に金色に輝く天眼が開いていたからだ。
「そんなに怖がらなくて良いわよ。嘘を言っているのかどうかだけ視ているだけだから」
サガンもリネアを見た。輝く金の天眼はどんな宝石よりもリネアを神々しく見せるだろう。
誰にも屈しない傲慢な天眼族が唯一従う存在がこの金の天眼を持つ王族だ。
彼らの力は全てを超越していると云う。その彼女が視たものは確かかもしれない。しかし・・・
「理由なんかどうでもいい!俺を狙った奴は生かしておかない!それだけだ!」
「そうね。私もそうした方が良いと思うわ。仲間が城にいるとしたら見せしめになるでしょうしね・・・」
「へぇ〜庇うと思ったが意外だ」
「まさかでしょう?天眼国でも一緒よ。王族に弓引くものに容赦しないわ。そうそう、どうせなら殺す前に楽しませてくれないかしら?好みだって言ったでしょう?」
リネアが謎めいた微笑みを浮かべて言うと、サガンはニヤリと笑った。
「分かった。良いだろう。おいっ、お前達は下がれ!いいかっ!この事は他言するな!もし俺の耳に聞こえてきたらその口を縫い付けるぞ!」
メイサ以外の召使い達はサガンの恫喝に悲鳴を上げて部屋から逃げ出した。
そして残されたメイサは今にも倒れそうなくらい震えていたのだった。