
「もう片付いたのか?」
悶々としていたサガンは、ふと顔を上げて誰もいない場所に向って言った。
すると何処からともなく返事が返って来た。
「はい、全て捕らえました」
隠し扉の向こうから答える声は先刻サガンから人身売買の黒幕の処理を任されたタイトだ。
「自決させるなよ。明日の族長会で首を刎ねるのだからな。―――しまった!族長会!不味い!」
サガンは明日が月に一度ある猛牙国の全ての部族長が集まる会だと言うのをすっかり忘れていたのだ。このままでは呪を受けた事実を国中に知らしめることになってしまうだろう。それは弱点をさらけ出すようなもので命の危険が更に増すことになる・・・もちろんそれが狙いでかけられた呪だ。
タイトが音も無く扉から出て来るとサガンが険しい顔をして考え込んでいた。
「欠席されますか?」
「・・・出なくても噂はすぐに広まる・・・」
猛牙国の多くの部族を抑えているのは力だ。
それをまとめる王にしてもそれを継ぐと言われるサガンに弱点があれば国が揺らぐ―――
「しかし対は金眼の天眼族・・・これを使えば逆に有利になるかと思いますが?」
タイトの意見は最もだ。鎖に繋がれた相手が弱者であればある程、弱点になる。逆に強ければ問題は無く逆に最強の組み合わせとなるだろう。しかしそれには問題が・・・
「コイツは俺の言うことを聞かない!」
確かにリネアは誰もが畏怖するサガンを全く恐れていない。もちろん生命を脅かすことが出来ないのだから怖がることなど無いだろう。
「コイツは死んでも別に構わないと思ってやがる!己の死を恐れない奴は一番厄介だ!」
サガンはリネアのその飄々とした態度が気に入らなかった。どんな屈強な者でも死は恐怖するものだ。サガンも例外では無いだろう。今までが恐怖する経験がなっただけで死は考えたくないものだ。
それがリネアからは全く感じられないのだ。かといって死を望む人生の落伍者の感じでもなかった。
とにかくリネアに言う事を聞かせるだけのネタが無いのだけは確かだ。
「しかしせめて大人しく臨席して頂けないと困りますでしょう?」
タイトの言うことは正しい。ごねるリネアを連れて行けば弱点をさらけ出すに等しいだろう。ここは彼女に協力してもらうしか道は無い。
「なんてこった!俺様が女の機嫌を取らないといけないとはな!世も末だ!」
部族間のいざこざは部外者のリネアには全く関係の無い話だ。彼女は自分がどう振舞おうと気にする必要はないだろう。こうなったら協力を仰ぐしかない。その為には彼女の気分を良くしなければならないだろう。他人のことなどお構い無しの傍若無人なサガンにとって一番嫌なことだった。
「むうぅ・・・分かった!お前はもういい、下がれ!」
サガンはタイトにそう言うと嫌々ながら召使い達を呼び鈴で呼んだ。
そして深く眠っているリネアの爪の化粧をやり直しさせた。彼女が何だかんだと関心を示していたものだったからだ。
「おい!それはどれくらいで乾く?」
「は、はい・・・あの・・・一時間と少々・・・」
「はあ?そんなにかかるのか!」
召使いは真っ青になって頷いた。こればかりはどんなに怒られようとどうすることも出来ないのだ。
しかしサガンは舌打ちをしただけで下がれと命令した。
リネアの眠りは深く目覚めるのはまだ先だろう。無意識に寝返りをうてば折角やり直させた爪が台無しになってしまう。
「ベッドの柱にでも括りつけるか?」
それは良い案だと思ったサガンが身を乗り出しかけた時にまた左肩が疼き出した。
リネアを見れば苦悶の顔だ。
「またか?冗談じゃない!」
しかも今度は寒そうに震えているようだった。無視しようと思ったサガンだったが・・・
無意識に彼女の隣で横になるとリネアを抱き寄せてしまった。体温の低いリネアの身体が心地良く更に引き寄せた。すると肩の痛みが和らぎ苦悶の表情も消えた。
サガンは何故か、ほっと胸を撫で下ろしていた。
それに裸で抱き合っていると言うのに自分が少しも興奮しないことに驚いてしまった。
湯殿ではリネアの裸体を見ただけで欲望が頭を擡げたと言うのに不思議なことだった。
本当に意味が分からない―――
リネアの両手に気を配っていたサガンもいつの間にか寝入ってしまったのだった。
そして翌朝目覚めたリネアは、ぎょっとしてしまった。
獰猛な獣を思わせるサガンがまるで猫のように丸まって自分に寄り添って寝ていたからだ。
しかも太い腕がリネアを抱き込むようにかぶさっていた。
気持ち良さそうに眠っているサガンは幼く見え近隣諸国に鳴り響くような血肉を食い散らかす獣には見えなかった。
だからリネアは思わずその腕を払いのけずに大人しく彼を観察してしまった。
(あ・・・まつ毛、結構長いのね。その割には瞳ぱっちりとかじゃ無くて・・・)
あっ!とリネアは声を出しそうになった。
サガンの黄色い瞳が、ギラっと開いたからだ。確かにリネアの観察通りにサガンの瞳はぱっちり系では無く釣りあがったものだ。じっと見開くその瞳は誰もが恐れる気を放つ獣の目だ。きっと本当の獣ならこの目だけで獲物の足を竦ませ狩ることが出来るだろう。リネアも今はそんな気分だ。
しかしそれが一瞬のうちに和らいだ。サガンが大きな欠伸をして身体を伸ばしたからだ。
まるで猫が背伸びをするような感じでリネアは思わず吹き出してしまった。
「何だ?」
起き上がったサガンは不快な顔をして言った。
リネアはそのサガンの姿を見て、はっと我に返った。最後に見た時もそうだったが裸だ。しかも自分も裸だった。突然襲った眠気はもちろん尋常では無く謀られたと思った筈だった。寝起きでぼんやりしていたとは言え、肝心なことを忘れていた。もちろん寝ている間の記憶は無かった。
そして自分の身体・・・確かめる為に下腹部へ手を伸ばしたが・・・
「何だ?自慰でもして俺を楽しませてくれるのか?」
「ば、馬鹿!そんなことする訳ないでしょう!」
伸ばした先には性交の跡は無かった。もちろん自分で感じる身体の違和感もない。
「・・・流石の貴方も寝ている女を犯すことはしないのね?」
「俺が?はっ!まさか!犯ろうと思ったら気絶していようと死に掛かっていようと関係なくするさ!嫌がる女を無理矢理抱くのが最高に好きだからな」
「っ!本当に野蛮ね!」
じゃあ何故絶好の機会を逃したのだろうか?あれだけリネアにちょっかい出していたというのに?
と思ったが・・・
(私が許さないと思ったのでしょうね。死んだら困るのは自分だし・・・でも・・・)
リネアはそう思いながら納得出来ていなかった。
「おいっ、その左肩の傷はいつも痛むのか?」
「え?」
夜着を着なおしていたリネアは突然のサガンの問いに驚き手が止まった。
そしてその肩に手を当てる。暖かなこの地に来てから痛みは小さくなり気にならない程度だった。
しかし昨晩の服毒で昔を思い出してしまった―――
リネアの母は黒翔族でも国一番の美女と噂される程だった。そして夫に選んだのは平凡な天眼族の男だったらしい。氷の国に舞い降りた常春の美女は不幸な事に天眼の王に見初められてしまったのだ。
王は拒絶する彼女の夫を手にかけ無理矢理奪ってしまった。
そして王との間に生まれたのがリネアだ。その時から心が狂っていたのだろう。
リネアの母親は憎い王の子として我が子を疎み憎んだのだ。
だから母親から毒を飲まされたことは何度もあった。いつも冷たい母がその時だけは優しくそして渡された飲み物に毒が盛られていた。何日もがき苦しみ命を繋いだのだ。でもその毒杯を渡す時だけ母は優しく、毒が入っていると分かっても母親の愛に飢えていたリネアはそれを受け続けた。だから毒に慣れようと思ったきっかけはそれからだった。そして母親が癇癪を起こす度にリネアは命の危険にさらされ、とうとう左肩に大きな傷を受けてしまったのだ。その傷は今でも彼女を苛んでいる。
心からくる苦痛もあるのかもしれない。
忘れた・・・忘れようと思っていてもきっかけさえあれば思い出してしまうのだ。
昨日はまさにそんな感じだった。眠りが深く余り覚えていないが何時もの夢の後も終わることのない悪夢を見ていたような気がしていた。でも・・・
(何だかいつもと違ったような?)
悪夢から逃れる方法は何時も一つだけだった。助けてくれる者が現れるのだ。
しかし今回は違った感覚だったような気がした・・・思い出せない何かが?
「・・・昔の古傷よ。寒かったら痛むけれど昨日は疲れたからでしょうね。迷惑をかけたのならごめんなさい。あら?」
視線を落としたリネアは初めて自分の爪が綺麗に塗りなおされていることに気が付いた。
「これ、いつのまに?」
「ふん!ギャーギャー煩かったからだ」
「へぇ〜そうなの」
返事は素っ気ないがサガンの狙い通りにリネアの機嫌が良くなった。しかしこれからが問題だ。
「・・・今日、族長会がある・・・」
(族長会?お偉いさんの集まりってことかしら?それって大変じゃない)
そう思ったリネアだったが気に無い返事を返した。
「ふ〜ん、それで?」
「部族長達が月に一度集まる大事な会だ。当然、俺も出る・・・」
「貴方が出ると言うのなら私も出ると言うことかしら?それとも扉の外で待てとか?」
誰かに頼むと言うことをおそらくしたことが無いと思われるサガンが嫌々ながらする話―――
リネアは辛うじて笑いを堪えて聞き返した。
「この目立つ呪の鎖を隠せないのだから隠れていようが同じだ」
「そうなのね」
サガンは苛々して来た。言いたい事の半分も言い出せていないうえにリネアが他人事の顔をしていて腹が立ってきた。命の危険があるのは自分だけではないにだ。
「いいか!その中には機会さえあれば俺を殺したいと思っている奴らは何人もいるんだ!お前は分かってない!」
リネアはとうとう吹き出してしまった。サガンが自分に願うのを待っていたが可笑しくて仕方が無くなってしまったのだ。
「な、何が可笑しい!」
「どうぞお願いって言わないなぁ〜と思ったのよ」
「はあ?」
「ねえ、お願いは?サガン」
クスクス笑いながら言うリネアと反対にサガンは真っ赤になって怒気をのぼらせていた。
「なななな・・・」
「貴方の言いたいことは分かるわ。私が金の天眼でも開いて睨んでいればいいのかしら?呪の対が弱点だと思わせたく無いのでしょう?違う?」
(馬鹿にしやがって!分かっているならさっさと言え!)
とサガンは心の中で叫んだ。まだまだリネアの機嫌を損ねる訳にはいかない。
「ああ、そうだ!宝石でも女でも好きなのをやるからお前は大人しく立っていろ!」
「大人しく立っていろ?立っていて下さい。お願いします。じゃないのかしら?それに誰に向かって言っているのかしら?此処の女の子は魅力的だけど、宝石も可愛い女の子達も私は国に帰れば不自由してないのよ」
「むぅう・・・(俺が下手に出ていれば好い気になりやがって!)」
「ふふふっ、冗談よ。貴方が誰かに頭なんて下げないわよね。人の上に立つ者が膝を屈したり頭を下げたり、なんてしないものね」
そうだ!とサガンは言いたかったが以前、天眼の王が美羽を守る為、名も無い暴漢に膝を屈し頭を足蹴にされたのを見た。それには驚いたがそれを嘲ることなど出来なかった。自分では真似が出来ないと悔しく思ったのを思い出した。
「・・・俺は出来ない」
サガンはそれしか言えなかった。何にせよそこまでする気持ちになるものに出会えていないから出来ないのだ。
リネアにサガンの悔しさが伝わって来た。
(悔しい?どういうことなのかしら?)
怒るどころか大人しくなってしまったサガンがリネアの母性本能をくすぐった。守ってあげる必要が全く無いのにそんな気がしたのだ。
「了解したわ。それならそれで派手に決めましょう。湯浴みして着替えてと・・・忙しいわ。でも一番時間がかかる爪が出来ているから良かったわ。ありがとう、サガン」
素直に礼まで言われたサガンは思わず驚いてしまった。
「そ、そうだ。女の仕度を待っている、じ、時間は無い。え?湯浴み!また入るのか!」
「当たり前じゃない。さあ、行くわよ」
それからサガンは女の仕度を待つことなど今回が最初で最後だと思った。それでもやっと出来上がったのにリネアは不満顔だった。衣にしても履物から装飾品に至るまで後宮の女達が羨ましがるような仕度なのにだ。
「この首飾り好きじゃないわ」
「嫌いなら好きなのを付ければいいだろうが!」
サガンは宝石が入った大きな箱を蹴った。召使い達が羨ましそうに見守る中、リネアはその箱を掻き回していたが肩を竦めた。
「ん〜しっくりこないのよね」
「適当に付けとけば良いだろうが!」
「ん・・・あっ、それ!それが良いわ!」
リネアが指をさしたのはサガンの首にかけてあったものだ。
「全く、煩い」
サガンはブツブツ言いながらも自分の首からその飾りを外すと、リネアが頭を出したのでそれにかけて渡した。
それを召使い達は恐ろしいものでも見るかのように息を飲んで見ていた。サガンが言いなりになっているのを初めて見たのだ。どんなに気に入っている女にさえこんな事はしないだろう。それが目の前で自然に行なわれている・・・目を疑いたくなるのは当然の事だった。
そして開かれた族長会―――
父親でもある王でさえもサガンに注目した。蛇連鎖はもとよりそれに繋がれた人物。
それが金眼の天眼族となれば誰もが驚くものだった。サガンと並んで入って来た美女の額には輝く金眼があった。金の天眼は王族の印だ。しかもその力は山をも砕き、世界の果てまで見渡し・・・心の全てを視ると云われる恐ろしいものだ・・・と誰もが知っている。
遥かなる昔に世界を支配していた神と呼ばれるものに最も近いと云われる世界最強の種族だ。
サガンは皆の反応に手応えを感じた。そしてこのまま上手く運べば良いと思ったのだが・・・