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翠とクレア3 ![]()
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それからクレアの案内で村長宅に向かったレンは彼女に診察の助手を頼んだ。
「え?私が?ですか?でも・・・何も分かりませんし・・・助手の方がいらっしゃるのに私がお手伝い出来るものがあるのでしょうか?」
クレアはレンの申し出を快く受けたいがとても無理だと思った。薬草のことなら少し自信があるがそれ以外は経験も知識も無いからだ。
「患者が若い娘さんと知らなくて男の助手を連れて来ましたのでどうしようかと思っていました。身体を調べますので女性が手伝って下さると患者も緊張しませんからね。居て下さるだけでも構いませんのでお願い出来ませんか?」
「そう言うことでしたらお手伝いします」
「ありがとうございます」
レンはまた必殺の微笑みを添えながら礼を言うと、クレアは又真っ赤になってしまった。
村長の娘コルダはクレアと同じくらいの年頃だ。レンはクレアを残して皆退室させた。
診察を始めたレンはいつもの癖で患者に自分は向いたままクレアに後ろ手を出してしまった。
今までならクレアは必要なものを手渡してくれるのだが・・・
レンは、あっと気がつき手を引っ込めようとした。
しかしクレアはそれを、さっと手渡した。渡した彼女は無意識に手が動いたという感じのようだった。
「・・・ありがとうございます」
レンは振り向いて微笑んだ。
「い、いえ・・・私・・・あの、それで良かったのですか?」
「ええ」
レンの笑みが深まりクレアは何故それが分かったのかと言う疑問は吹き飛んでしまった。レンにドキドキしてそれどころでは無かったのだ。
診察の結果、患者の病状は思ったより悪くは無かった。それはレンだからそうであって一般的な医師では手に負えないだろう。
「あ、あの・・・お嬢さんは大丈夫でしょうか?」
診察が終わり用事が無くなったクレアはレンと二人だけだと緊張してしまって慌てて話しかけた。
「ええ、大丈夫ですよ。今から少し治療をします。助手を呼んできてもらえますか?」
「あ、はい!」
クレアは何となく、ほっとしてサードを呼びに出た。レンはその姿を見送ると小さく笑った。
「本当にあの頃のクレアですね・・・」
彼女は何かとサードを引っ張り込んでレンと二人だけにならないようにしていた。その訳を後で聞くと恥ずかしかったらしい。今もそわそわとして落ち着きが無くなっていた。それとは別に記憶が完全に失われているのでは無いとレンは感じた。看護婦時代の手際を覚えているのは確かだった。きっかけさえあれば全て思い出すかもしれないという希望が湧いて来た。しかし焦りは禁物だ。
「お連れしました」
クレアがサードを伴って帰って来た。やはりサードが近くにいる方がクレアは安心した顔をしていた。レンはいつもの嫉妬心がムクムクと湧きあがってしまう。
(面白く無いですけれどね・・・)
(え??な、なんだ?オレ何かした訳?)
サードは自分に向けられたレンの冷やかな視線にびくつき何?と聞いてみた。
「別に・・・」
何でも無いと言われてもそんな感じでは無かった。しかしレンの意識が患者に向いたのでサードもそれ以上追求するのを止めて小声で聞いた。
「で?どうなんだ?直ぐに治せそうか?でも長引かせた方がいいだろう?此処に長く逗留するにはさ」
それを聞いたレンはサードに非難の目を向けると更に声を落として答えた。
「馬鹿なことを・・・そういうことはしません。適切な治療を施します」
サードはやっぱりな、と言うように肩を竦めた。
「それでも直ぐに直るものではありません。かなり衰弱しているので強い力は注げませんからね。少しずつ注いで先ずは薬を受け付けるようにします」
「じゃあ丁度良かったよな。今は力を制御しているからやりやすいだろう?」
「そうですね。どちらかと言えば少しだけ注ぐ方が加減し難いですからね」
クレアは二人がひそひそと小声で打ち合わせしている姿を心騒ぎながら見ていた。この二人が並んでいる光景を前に見たような気がしてならなかった。
(何故そう思うのかしら?変な私・・・)
もっと良く考えようと思った時にクレアはレンが患者に癒しの力を注ぐのを見た。優しい翡翠色がほのかに輝いていた。
(あ・・・やっぱり地の龍・・・)
龍はその力の特性によって瞳の色が異なる。レンの瞳の色が翡翠色だったからクレアはそうかも知れないと思っていた。州城から派遣となればそれくらい当たり前かもしれない。癒しの力を持つ地の龍の医師は意外と少なく主立った都市にしかいなかった。今回のように一般では手に負えず派遣を要請しても聞き入れて貰え無い場合も多い。
とにかく医師不足が問題だとレンも常々感じているところだった。
クレアが見守る中、治療が終わるとコルダが久し振りに昏睡から目覚めた。両親が泣きながらレンに感謝して大変だった。よくある事だがレンにとって今はそれどころでは無かった。
ちょこんと頭を下げて去って行こうとするクレアが目に入り慌てて追いかけた。
「クレア、待って!」
「え?」
親しげに名前を呼び捨てられたクレアは驚いて振り向いた。
「あっ・・・すみません。クレアさん」
「いえ・・・あの?何か?」
よそよそしい彼女にレンの心は、チクッと棘を刺すように傷付いた。
「貴女を診る約束でしたから・・・」
「でも・・・そんなに困ってないので・・・」
彼女のその答えにレンの心が悲鳴を上げるようだった。
「それでもすっきりとなさりたいでしょう?大事なことを忘れているかもしれないでしょう?そのままでも良いのですか?」
レンは祈るように言った。
「・・・・・・私ですね。結婚式の途中で事故にあったそうなのです。覚えて無いのですけれど・・・それよりも結婚しようとまで思った人のことを思い出せないんです・・・その時死んでしまったそうなんですけれど・・・私・・・思い出せなくって・・・母はつらいからだと言います。でも・・・私・・・うっ・・・つっぅ・・・」
「クレア!」
クレアが急に頭を抱えて呻き出した。
レンは直ぐに彼女を抱きしめ力を注ぎ込んだ。暖かな優しい翡翠色の光りがクレアを満たし輝いていた。すると頭が割れるように痛んでいたものが、すっと軽くなってきたのだ。
「大丈夫ですか?クレアさん?」
優しく強いレンの腕に抱かれていたクレアは正気に戻り、顔を真っ赤に染めると慌ててその腕の中から飛び出した。
「だ、だ、大丈夫です!ご迷惑をおかけ致しました!」
「・・・・・・それは良かった。私も貴女の治療方法が分かりましたよ」
「え?そ、そうなんですか?」
「はい。明日から毎日治療致しましょう」
「ま、毎日ですか?」
「はい。そうそう、母君には内緒にしませんか?」
「え?母さんに内緒?」
「ええ、貴女のことで心配ばかりしているのでしょう?治るかどうか分からない治療を受けて期待するよりも治って驚かせた方が良いと思いませんか?」
「治るかどうか分からない・・・」
急に不安な顔をしたクレアを見たレンはいらぬ事を言ったと後悔した。
治るかどうか分からないとはもちろんレンの本心だ。こればかりはレンでも分からないことだった。
それでも母親にこのことが知れれば邪魔されるだろう。クレアが思い出して一番困るのは母親だからだ。奇跡のようにクレアが再び思い出さなくても彼女を振り向かせる時間が欲しかった。
再び彼女の前に跪き愛を語り結婚を承諾させたいのだ。
「・・・私を信じてくれませんか?貴女の悪いようには致しません。もちろん全てを思い出してもらえれば私も嬉しいのですが・・・そうでなくても力になりたいのです・・・」
クレアは眩しいくらい麗しいレンにそう乞われて断れるものでは無かった。
立っているのがやっとの感じだ。見つめられて足がガクガクと震えていた。
胸の奥もザワザワと落ち着かない・・・どうしてしまったのだろうと思うくらいだ。
とにかくクレアは頷くのが精一杯だった。
頷くとその目眩しそうなくらい綺麗な彼が光りの源のように微笑んだ。
クレアは思わず目を細めたくらいだ。だからその日はずっと家に帰ってからも上の空で夜も余り寝られたものではなかった。目を瞑ればレンの姿が浮んで来るのだ。クレアは何度も寝返りをうちながら夜明けを待ったのだった。
「で?レン、これからどうするのさ」
サードは朝飯を豪快に平らげながら聞いて来た。
ここはレンに与えられた仮住まいの家だ。初め村長は自分の家の客間へと強引に誘って来たがレンがやんわりと断ったのだ。なるべく他人と接触せずにクレアに集中したいからだった。
だから小ぢんまりとした家にサードとレンの二人だけだ。
だからサードは嬉しそうにレンの世話を焼いていた。食事も大雑把だが適当に作ってやっていた。
レンは放っておくと栄養剤だけ飲んで過してしまうのだ。食べ物もそうだが何でも淡白で欲求する事が殆ど無いに等しい。そのレンがクレアだけは心から欲している。
「そうですね・・・どうしましょうかね・・・」
「おいおい、いきないり気弱だな?どうしたんだ?」
レンは大きな溜息をついた。
「・・・彼女は一時的に忘れているだけのような気もします・・・でもそれに触れると激しい頭痛が襲って来るようです。昨日それを目の当たりにしました。あれが頻繁になれば記憶障害だけでは済まなくなるでしょう・・・」
「そんなに酷いのか?」
「ええ、かなり重度のものですね・・・悪くすれば心の臓も止まるかもしれない・・・」
「うそだろう?そんなに酷いなんて・・・たかが頭痛だろう?」
「頭痛の原因は色々あります。クレアの場合・・・過去の腫瘍で引き起こしていたものと酷似しています」
「え?まさかまた?」
サードは流石に真っ青になって聞き返した。
以前クレアの頭の中にどうすることも出来ない腫瘍があり死を待つだけだった。それをレンとサードの力で無理矢理取り除き再生させたのだ。その代償が記憶だったのだがそれが奇跡的に戻って来ていた。でもレンはずっとそれを信じていなかったのだとサードは最近知ったのだが・・・
その病気の再発となれば厄介だろう。
レンは静かに首を横に振った。
「いいえ。彼女の頭の中は綺麗なものでした。しかしあの当時の痛みは記憶として残っているのでしょう。何も無くても精神的に痛みを再現している・・・そんな感じです」
「痛みの再現・・・そうか・・・」
サードは他人事では無かった。自分も過去にそういう経験をしていたのだ。
幼少の頃、家畜のように鞭打たれた時代―――顔に傷を受けたのもそういう時だった。傷が治ってもずっと痛み続けていた。それはその時代を思い出す度に疼いたのだ。サードは右頬の傷跡に触れた。
「痛むのですか?サード?」
レンが気遣ってそっと囁くように言った。レンはサードの悲惨な過去を知っている・・・
「嫌、オレは大丈夫さ。今はあんたが居るんだ。過去の亡霊に悩む事なんか無いさ」
サードは、ニカッと笑顔で答えた。
その時、トントンと遠慮がちに戸を叩く音が聞こえて来た。
するとレンが男でも見とれてしまうような笑みを浮べ立ち上がった。
「クレアです」
彼女の気配を感じその声も弾むようだ。そして急いで開けた。
「あの、ご近所からたくさん卵を頂いたので持って来たのですけれど・・・もうお食事は終られましたか?」
差し出された籠の中に新鮮な卵が並んでいた。
「いいえ、私はまだです。良かったら作ってくれませんか?」
「え?私が?」
「はい。私は全く駄目でして彼が作るのですが・・・人の食事とは思えないもので・・・」
「なっ!レン!それは無いだろう?形は悪いが味は良いって前言ったじゃないか!」
「あれは情けです」
「なっ!」
クレアが、クスクス笑い出した。
テーブルの上を見れば確かに豪快な料理が並んでいた。何でもぶつ切りにしている感じだ。
「喧嘩しないで下さい。私で良かったらお作りしますよ」
「ありがとう、クレアさん」
「い、いえ」
レンの極上の笑みを受けたクレアは顔が真っ赤になってしまった。
(心臓に悪いってこういうのを言うのかも・・・)
クレアはレンの視線を背中に受けながら手早く料理した。手を止めてしまうと振り向いてしまいたくなるようだった。だから忙しく体や手を動かした。
「はい、出来ました。どうぞ」
「うわ〜上手そう。やっぱりクレアの飯は最高!」
「やっぱり?」
クレアが怪訝な顔をして聞き返した。
「あっ、えっと・・・やっぱりじゃなくてえっと・・・」
「クレアさん、この馬鹿の言うことは放っておいて下さい。昨日貴女を間違ったのと同じですから」
「間違い?私・・・似ています?その人に?」
「そですね・・・似ていると言えば似ていますし。全く違うと言えば違います・・・」
どこかつらそうに話すレンの様子がサードだけでは無く彼にも関係するのでは無いかとクレアは思った。しかもこの様子からすると・・・
「あの・・・その方はもしかして・・・行方不明なのですか?」
サードが探したと言っていたのを思い出したのだ。
「そうですね・・・どこをふらふらとしているやら・・・早く戻って来て欲しいのですけれどね・・・」
レンが優しく微笑みながら言った。
「大事な人なんですか?」
クレアは思わず聞いてしまった。
「ええ・・・とても。早く戻って来て欲しいと願っています」
レンの答えにクレアは胸が痛んだ。ぎゅっと締め付けられるような感覚だった。
(こんな素敵な人に恋人がいない筈が無いわよね・・・何を期待していたんだろう・・・馬鹿なクレア・・・)
サードがレンの背中を突いて耳打ちして来た。
「おい、レン。お前の言い方、問題有りだぜ。全く何やっているんだよ。振り向かせようとしている相手に誰か好きな奴がいるってにおわせてどうするんだ?馬鹿かよ」
「え?あ・・・それもそうですね」
「馬鹿」
しかし遅かったようだった。誤解したクレアはよそよそしくなってしまったのだ。
それはその後も続いてしまった―――