翠とクレア5 



「クレア、ぼうっとしてどうしたの?」
クレアの母と名乗るアガサが最近様子の可笑しい娘に声をかけた。

「・・・母さん、私ね・・・最近何だか色々思い出しそうになるのだけれど――」
「思い出さなくていい!」
母の、ぴしゃりと言う大きな声にクレアは驚いた。

「どうしてそんな風に言うの?思い出さないより思い出した方が良いでしょう?先生だって――」
「先生?」
アガサは顔色を変えて直ぐに聞き返した。

「あっ、えっと・・・何でもないわ・・・」
クレアはレンから母親には内緒にしていた方が良いと言われていたのを思いだし言葉を濁した。
しかしアガサの追求は続いた。

「先生?先生って言ったわよね?それは村長の娘の所に来ている医者のこと?その医者がお前に何って言ったの?」
「別に何でもないわ」
「クレア!言いなさい!」
「母さんこそどうしてそんなに怒るの?」
「母さんはお前のことが心配なのよ。診察の手伝いと言って毎日毎日出かけているけれど本当にそれだけなの?楽しそうにしていたから黙っていたけれど最近は沈んでいたでしょう?その医者のせいでしょう?」
誤魔化そうとしていたクレアだったがレンを責めるような言い方をされて我慢出来なくなってしまった。

「母さん!先生は悪くないわ!先生は私の記憶が戻るように治療してくれているのよ!治るかどうか分からないから母さんに教えてもし治らなかったら、がっかりさせてしまうから言わなかっただけよ!」
「そんなことをこそこそしていたの!」
「そんな事って?母さん・・・」
母親が喜んでも怒るとは思わなかったものにクレアは困惑した表情を見せた。

「もう二度とその医者に会ったら駄目よ!」
「会ったら駄目って・・・母さん!私、コルダお嬢さんの治療の手伝いもしているのよ。そんな無責任なこと出来ないわ!」
「もう随分良いって聞いているわ。もう手伝いなんかいらない筈よ。お前は騙されているのよ!あの男もそうだった!私の可愛いクレアを盗った!私とずっと一緒にいればあんなことにならなかったのに!お前まで渡さないわよ!」
「母さん、何を言っているの?私までもってどういう事?」
錯乱して叫ぶ母の言動にクレアは眉をひそめた。
時々発作のように癇癪を起こすことがあるがこんなに錯乱して意味不明なことを言うのは初めてだった。

「クレア!約束しなさい!もうその男と会わないって!」
「か、母さん!い、痛い!」
アガサはクレアの二の腕を、ぎりぎりと指を食い込ませながら言った。
その時、クレアが大事に飾っていた結婚の祝いの(ぎょく)―――
半分に欠けた翡翠の玉がアガサの目に入った。

「これがあるからそんな事を言い出すんだわ!」
アガサは玉を掴んで振りあげた。

「母さん!何をするの!」
「クレア、あなたは私の娘よ!昔のことは忘れなさい!あなたはずっと私と一緒にいるのよ!」
アガサはクレアの肩を揺さぶって激しく言ったがその目の焦点は合って無かった。
クレアは急に怖くなった。こんな感じの人達を以前に見たような気がした。
霞む記憶の中・・・それは高い柵に囲まれた白い建物だった。そして横に居た誰かが言っていた。


『残念なことに心の病には薬も私の力でも治せません。少しでも心が癒えるようにとは思いますが・・・』
その後、その人が何か言った。

『私も―――』

私も何と言ったのかクレアは思い出せなかった。嫌、思いだそうとすると例の頭痛がきそうで思い出すのを止めた。

(母さんが?どうして?)
クレアは母がその記憶の中にある精神的に患っていた人達の症状に似ていると感じた。

でも信じられなかった。普段はそんな感じに見えないからだ。
その母が喚き散らしながら振りあげていた玉を窓の外へ投げ捨ててしまった。

「母さん!」
クレアはたまらず肩を掴む母親を振り払って家を飛び出した。
記憶に無くてもそれは大切なものだと感じていた。見ているだけで心がふんわりとして幸せな気持ちになるのだ。涙で霞む目を拭きながら翡翠の玉を拾い上げたクレアはそのまま家に背を向けて走った。
今は一人になりたかった。
そして向かった先は林檎の花が咲くあの場所だった。
季節外れの不思議な林檎の木はまだ小さな白い花を沢山咲かせて風に揺れていた。
レンが自分へと贈ってくれた花―――驚いて嬉しくて心が震えた。


 どれくらい時間が経ったのだろうか・・・その想いに浸りながら見上げていたクレアに思わぬ邪魔が入ってしまった。
「林檎?何か白いものが見えると思って来てみたらこれ?この時期に?」
それは最近ではすっかり病も抜け調子が良くなった村長の娘コルダだ。
まだ出歩く許可を出していない筈だが勝手に出て来たのだろう。病気の間は流石に大人しかったが元々遊び好きの我が儘娘だ。親の言う事を聞かない娘が医者の言うことを聞くはずも無い。

「コルダさん、まだ出歩いては駄目ですよ。先生も言っていましたでしょう」
クレアを無視して林檎の木を見ていたコルダが睨んできた。

「先生には内緒よ!いい?分かった?言ったらあなた達親子はこの村から出て行ってもらうし、二度と入らせないように父さんに言うわよ!」
いきなり敵意剥き出しで脅されたクレアは驚いた。
この村の野山は薬草が豊富で仕事で使う半年分はここで採取している。そんなことをされたら生活に困ってしまうだろう。戸惑っているクレアに追い打ちをかけるようにコルダは続けた。

「それにもうあなたは来なくていいわ!先生だけで十分よ!だいたい役にも立たないのに毎日、毎日来て!先生に自分の治療してもらっているって聞いたわよ!先生は私の為に来たの!あなたが診てもらうなんて厚かましい!下心見え見えね!記憶障害ですって?そんなの病気でもないしどうせ嘘でしょう!だいたいあなたみたいな、ぱっとしない女なんかあんなに素敵な先生が相手になんかしないわよ!私の方がずっと相応しいわ!」
コルダはレンが好きなのだとクレアは気がついた。レンなら誰でも恋するだろう。
自分も記憶の曖昧さが無くなれば素直にそう思うことが出来る。しかしその記憶が戻った時、結婚まで考えた相手を思い出した時が怖かった。死んだと聞かされた相手だし今は記憶も無いから平気だ。
でも記憶が戻った時に好きだった相手を直ぐに忘れ次の恋に移れる程、自分は器用では無いとクレアは思った。それに平凡な自分がレンに相応しいと思ってもい
ない。そう思った時、胸の奥が、ツキンと痛んだ。以前もこんな感じを経験したことがあったような気がした。さり気無く聞こえるようで聞こえない声で囁かれていた覚えがあるのだ。女達の敵意丸出しのものだ。
その記憶をもっと奥まで辿ってみようと思った時、コルダが叫んだ。

「ちょっと!何あれ!火事?」
クレアが振り向くと青空を覆うように黒煙が広がって行くのが見えた。しかもその方角はクレアの家がありその先は森に繋がっている。

「母さん!」
森が燃えているのだ。近くの民家はひとたまりも無いだろう。クレアは家に向って走り出した。

「母さぁ――んっ!」
クレアが心配した通りに彼女達の貸家が燃えていた。そしてその裏の森が燃えている。

「おいっ!娘が帰って来たぞ!」
「本当だ!」
村人達が集まっていた。しかし心配してくれている様子では無かった・・・皆が怒った顔をして一斉にクレアを指差したのだ。

「お前の母親が家に火を付けたんだ!見ろ!火が移って森が燃えてしまった!」
「そうだ!」
「そうよ!どうしてくれるの!」
「嘘です!母さんはそんなことしない!」
クレアは首を振って言った。

「俺は見たんだよ!お前の母親が気狂いのように喚き散らしながら家に火を放っていた!そしてお前んところの怪しい薬に引火して爆発してしまったんだ!火の勢いもだが乾いた風が強すぎてあっという間にこの有様だ!」
生木を嘗め尽くす炎が狂ったように森を焼いていた。こうなったらもう手の施しようがないだろう。

「母さんが・・・そんな・・・でも、母さんは?母さんはどこですか?」
「知るか!」
「このままじゃあ俺達の家まで火の粉が飛んで村は全滅だ!お前達よそ者が来たせいだ!」
村人達はクレアに全て責任があるかのように口々に怒鳴った。
遅れてやって来たコルダもそれに同調して散々罵った後に石を投げ付けた。
しかしその石はクレアに届かず、代わ
りに誰かの腕の中に引き寄せられていた。コルダの投げた石が当たったのは駆けつけたレンだった。
「大丈夫ですか?クレア」
レンの優しい声を聞いたクレアは思わず涙ぐんでしまった。彼にすがって泣き出したい気持ちだった。母親の異常を感じていたのに逃げ出してしまったことを後悔した。そして取り返しのつかない奇行に走らせてしまった。

「・・・母さんが・・変だったの・・・何だか怖くて・・・でもこんなことをするなんて・・・」
レンは頷いて震えだしたクレアを抱きしめた。

「クレア、貴女のせいでも誰のせいでもありません。ただ我が子を愛しすぎただけ・・・」
アガサはクレアが目の届かない所に行くのを嫌がった。何処かに行くとしても時間を決められてその時間通りに帰らないと癇癪を起こしていた。それがこんな事になるとはクレアは思いもしなかったのだ。

「先生!その気狂いの娘を庇うのですか!」
抱き合っている二人が気に入らないコルダは声を張り上げた。
集まって来ていた村人達も一斉に非難しだした。
火付けの犯人がいない今、怒りの対象はクレアだった。

「何だ!お前達!いい加減にしろよ!」
燃える炎のような髪をしたサードがそれこそ怒り狂った。

「そうです、黙りなさい!何の罪もないものを非難するのは許しません!」
レンはクレアを背に庇って村人達に向き合った。いつも穏やかな笑みしか見た事のなかったコルダは息を呑んで真っ青になってしまった。レンの端整な顔はうっとりするものだが一旦、笑みが無くなれば恐ろしく冷たいものに変貌するのだ。それでも勇気あるものが小さな声で言った。

「も、もう森も家も何もかも無くなってしまうんだ。こいつらがこの村に来なかったら良かったんだ。責任をとれ」
クレアが、びくっと震えた。それを感じたレンが彼女にだけ優しく微笑んだ。

「クレア、大丈夫ですよ」
「先生・・・」
レンはクレアの瞳に浮ぶ涙を指で、そっと拭ってまた微笑んだ。
たちまちクレアの顔が赤く染まり俯いてしまった。もうまともにレンの顔を見る事が出来ないのだ。
ドキドキと胸が高鳴って息が止まりそうだった。

「サード、用意は良いですか?」
「いいぜ!でも良いのか?やっちゃって?」
「構いません、クレアを悲しませたくありませんからね」
「それはそうだ!」
サードは不敵に笑い頷いた。

「あ、あんた達!何をするつもりだ!」
二人の不穏な言葉に村人達がざわめき始めた。



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