砂糖菓子の花嫁[後編]


 自分の夫に今更ながら淡い恋心を抱くリリアーヌは結婚五年目になった。
もともと小柄だったから成長しても大人びた感じでは無いが、淡い金髪とすみれ色の瞳は愛らしく楚々として魅力的だった。

 リリアーヌはあの指輪をした左手をかざして見ていた。ピッタリと彼女の指におさまっている。
それを確認するとついつい微笑んでしまう・・・ギスランはこの指輪が丁度良くなったら婚礼の続きをしよう、と言ってくれていた。
それを思い出すと胸が高鳴るのだ。

(今度、お帰りになったら・・・)
 浮き立つ気持ちがリリアーヌをいっそう輝かせているようだった。
 そして待ちに待ったギスランは本人では無く、一通の書状だった。
それを読み始めたリリアーヌは次第にそれを持つ手が震えてきた。
最後のほうには涙で字が霞む。

 その内容は、盟約に記された天の花嫁≠ェ現れ、ギスランがその夫候補となったという内容だった。夫に選ばれたら女王の後を継ぐ王代理になるとの事だ。
そうなれば天の花嫁≠ェ正妃となり、リリアーヌが第二妃となる旨が書かれていた。
だから物事が確定するまでリリアーヌは実家に戻り待てとの申し伝えだったのだ。

 ギスランが自ら書いた内容だったが、その文章に何の感情も読み取れなかった。
ただ淡々と綴られた報告書のようだった。

 大粒の涙がぽとぽと落ちて止まらない―――左手に輝く指輪が涙で濡れた。
 離縁とは言われていない。ただ待てと言われているだけだ。
貴族はまして王族なのだから正式な妻以外の愛妾ぐらい持つと覚悟していた・・・・
だがこの五年間そんな話も無く、その覚悟は忘れていたようなものだった。
自分が正式な妻だとギスランが認めてくれていたからこの五年という歳月に誰一人として次の妃を娶らないのだと都合のいいように思っていた。
まさか自分が愛妾となる事は全く考えていなかったのだ。
悲しみに胸が張り裂けそうだった。

 一方、ギスランは思いがけないこの話を聞いて初めは信じられなかった。
王位継承者がいない今、野心が全く無い訳ではなかった。
継承者を無くした王国は窮地に立つのは目に見えていた。
女王の跡を継ぐのはユベールか自分だと思っていた。
それに負けるつもりは無かった。しかし今回天の花嫁≠フ出現でそれがはっきりするのだ。
その天の花嫁≠フ夫候補の条件は王族である事と、第一子がいない事が最優先される。

 リリアーヌを思い浮かべた。彼女はもう小さな子供では無かった。
幼い時から見ていたが会う度に愛らしく美しく成長しているようだった。
そしていつも癖のように指輪をいじっていた。それをとても大事にしているようだった。
ギスランは婚礼前に何も考えず適当に選んだ指輪だったから逆に悪い気がしていた。
その指輪も最近ではピッタリになったよ
うだった。
そうなったら続きをしようと婚礼の夜、約束をしていた・・・・・
だが今はそれが幸運をもたらしている。喜ぶべき事なのにギスランは何故か気分が晴れなかった。

 天の花嫁≠ナあるフェリシテは素晴らしい女性だった。
リリアーヌと歳は同じぐらいだろうが何から何まで正反対だ。ギスランは、はっとした。
いつもリリアーヌとフェリシテを比べているのに気がついた。
今は天の花嫁≠ノ集中しなくてはならないのに、ついリリアーヌの事を考えてしまう・・・・

(何をしているんだ!私は!)
 ギスランは心の中で悪態をつくとリリアーヌの影を追い払うのに専念したのだった。
 リリアーヌは実家に戻って暫くは閉じこもって悲しみに沈んでいた。
そして家人達はその花婿選びの経過などの噂はしないようにしていたが、噂というのはどんなに気をつけていても何処からか聞こえてくるものだった。
噂では天の花嫁≠ェ素晴らしく美しいとか、ギスランが優勢だとかそんな話だった。

 ギスランの事を思えば頑張って貰いたい。
だけど美の女神のように美しいといわれるその人と結婚して欲しくは無い・・
(きっと私みたいなつまらない者なんて天の花嫁と比べればギスラン様はどうでいいと思われるでしょうね・・・)
 そう思いながら指輪を見つめた。
(でも・・・きっとお菓子だけは喜んでくれるはず・・・それなら・・・)
 リリアーヌはギスランに会えなくてもいつも喜んでくれていた菓子を届けようと決心した。
この想いが少しでも届くようにと、心を込めて生地をこね焼いた。

 でもギスランは直接会ってくれないだろう。しかし天の花嫁なら悔しいが確実に渡して貰えると思って機会を窺った。
しかし彼女に会う勇気が出せなくて何度も失敗してしまった。

 そんな自分の意気地なさとフェリシテを妬む卑しい心を懺悔しようとリリアーヌは大神殿を訪れたのだった。話を聞いてくれたのは大神官エルヴェ・ガロアだ。
彼の慈愛に満ちた微笑と話はリリアーヌに希望と癒しを与えてくれた。
そして帰り際にはありがたい申し出をしてくれたのだった。

「三日後にお二人は剣の稽古をする予定になっております。その時にそれをご用意されたらいかがでしょうか。そしてその前に是非こちらへお寄りください。貴女が心安らかに勇気が出るように神のご加護を祈りましょう」
「大神官様がでございますか?」
「はい。いつも信心深く此方に通って下さる貴女の為ですから時別に・・・」
「勿体無いお言葉でございます。ありがとうございます。是非そうさせて頂きます」
 大神官は個人的に祈祷をすることは無い。
それだけでリリアーヌは成功した気分になっ
たのだった。
そして早速、作った焼き菓子を大神殿に持ち込んだ。

 その後無事にフェリシテの手に菓子箱を渡したリリアーヌは結局落ち込んでいた。
間近でみた天の花嫁は噂以上に綺麗だったからだ。
勝ち目なんか無いと思ってはいたが、まるで敵わないと思うと悲しかった。

 その翌日に珍しい客がリリアーヌを訪れた。ユベールだった。
「やあ、リリアーヌ。元気?昨日はお菓子ありがとう」
「え?ユベール王子に届けられたのですか?」
 リリアーヌの表情が一瞬で曇った。
「違う、違う。叔父上にフェリシテは渡していたよ。私がたまたま其処にいたからね」
「良かった!私・・・余計な事と思ったのですけど・・・ギスラン様は喜んでいらっしゃいましたか?」
「ああ、とってもね。でも独り占めしようとしたから私と口喧嘩になってしまって・・・結局怒って帰ってしまったんだ。それを置いてね。申し訳ない。叔父上の為に君がせっかく作ったものを私のせいで・・・本当に悪かった」
 リリアーヌはギスランには結局食べて貰えず残念だったが、ユベールがひたすら謝るので怒る気持ちにはなれなかった。
「王子そんな事で謝らないで下さい。まさかそれで今日お越しになられたのですか?」
「だってあの叔父上だよ。怒らせたままじゃ大変だろう?だからリリアーヌにもう一度作ってもらおうと思ってね」
「嬉しい!本当ですか?」
「昨日のみたいなのが良いかな?果物とか使ったものとか出来る?」
 リリアーヌは首を傾げた。
「果物ですか・・・あの手の焼き菓子には使った事無いのですがやってみますね」
 ユベールの瞳がきらりと光った。
「へえ〜色々出来るんだね?そう言えば昨日、丁度良くフェリシテをつかまえられたね?ずっと其処で待っていたの?」
「いいえ。その前に大神殿に寄っていましたから」
「神殿に?何をしに?」
「あの・・・大神官の説教を聴きにいっていました。そのついでに大神官様からギスラン様達の予定をお聞きしたので・・・」
 特別にして貰った祈祷なんて恥ずかしくてリリアーヌは言えなかった。
だが二人の予定を教えて貰ったのは事実だった。

 そう答えた後、ユベールの様子がおかしかった。何か考え込んでいる感じだ。
「ユベール王子?どうかされましたか?」
「・・・・・・あっ、いや何でも無いよ。まあ、いずれにしてもお菓子を宜しくね。出来たら此処に使いを出すからね」
 そう言ってユベールはミレー家を後にしたのだった。

  

 それから暫くして王国を震撼させた事件が明らかとなった。大神官の謀略―――
 リリアーヌは信じられなかった。
慈悲深かったあの大神官が恐ろしい大逆罪を犯したとは思えなかったのだ。
しかもユベールが暗殺されていた王位継承者のジェラールだったのには本当に驚いてしまった。
しかし結局それで後継者騒動も治まり天の花嫁は当然ジェラールと結婚する。
夫候補で無くなったギスランが自分の所に戻ってくるのは嬉しかった。
 だが事件の内容が細部にわたり公になるのに従ってある事実も発覚したのだ。
それはギスランの暗殺未遂事件だった。

リリアーヌがそれを知った時、未遂だと言っても恐ろしく身体が震えた。
しかしその方法についての事柄を知った時、悲鳴をあげて気を失ってしまった。

 リリアーヌは夢の中で苦しんだ。自分が大神官に相談してしまったせいで卑劣な暗殺者の思惑にはまって誰よりも愛しいあの人に死をもたらしたかもしれなかったのだ。その菓子を食べてギスランが赤い血を吐いて死ぬ幻を見た。もしかしたらそうなっていたかもしれないのだ。
フェリシテに嫉妬した醜い心がその犯罪を誘ったのかもしれないと思った。
翌日訪れた王子はこの事を探りに来たのだろう。
もしかしたら自分があの時点で疑われていたのだろうか?
そう思うと堪らなかった。ギスランも当然そう思ったに違い無い。
この恐ろしい事が実際行なわれたなら犯人は自分になっただろう。
嫉妬で逆恨みして夫を殺すという筋書きだ。
そんな事思ってもいなかったが、もう自分は彼の妻である資格が無いと思ってしまった。
信じた神の代行者に裏切られリリアーヌは平常心でいられなかった―――

 オベール公爵邸から何度も戻って来るようにとの使いが来たがリリアーヌは応じようとしなかった。
両親達も説得したがリリアーヌはただ泣くばかりで話にならない状態だった。

 事態の収拾にあたっていたギスランが久し振りに屋敷に帰ってその事を知った。
連絡が行き違いになっていたのだろう。
ギスランはまさかリリアーヌが帰って来ていないとは思っていなかったのだ。
 急ぎミレー伯爵家へ向った。

「ミレー伯!リリアーヌはどこだ!今から連れ帰る!」
 ギスランの急な来訪にミレー伯は慌てた。
ギスランの激昂した様子に伯
爵は顔色を無くしたようだった。再三の使者を無視していたのだから当然といえば当然だが、娘が哀れでどうする事も出来なかったのだ。
「オベール公。お待ちを!リリアーヌは公のもとに戻りたく無いと――」
 ギスランが、ギラリと睨んだので伯爵は黙ってしまった。
「リリアーヌはどこだ?私が彼女と話す!」
 ミレーは娘が殺されるかもしれないと思った。ギスランが烈火のように怒っているからだ。
 ギスランはリリアーヌを探し求めて奥へと進んで行く。どこが彼女の部屋か分からない。
しかし風に運ばれてふわりと甘い菓子の香りがして来た。
それはいつもリリアーヌから香るものだった。

 ギスランは迷わずその部屋の扉を開いた。だがそこに彼女はいなかった。
今の今まではいたのだろう。開け放たれた裏庭に通じる扉から逃げたようだった。
 その近くのテーブルの上には風になびいている手紙がギスランの目に入った。
その手紙を押さえているのはあの指輪だった。

 その紙には走り書きでお返しします≠ニ書いてあった。
 ギスランはその指輪を掴むと庭に出た。
目の前に広がるのはミレー家自慢の迷路の庭だった。似たような彫刻や生垣に木立を配置した一風変わった庭園だ。慣れないものが迷い込んだら出るのに一苦労する入り組んだ造りだった。

 ギスランは森の迷宮を彷徨っている感じがした。もしくは緑の要塞だ。
それでも迷路の片隅の木立に小さくうずくまっているリリアーヌを見つけた。
その姿はまるで出逢った頃のように小さかった。泣いているのだろうか?彼女は小さく震えていた。

 走って息が上がっていたギスランは落ち着くように大きく深呼吸をした。
「リリアーヌ。さあ帰ろう」
 ギスランのその声に憤りは無かった。静かに語りかけるようだった。
 リリアーヌの肩がビクリと揺れた。そして顔を上げると泣き濡れた瞳でギスランを見上げた。
 その繊細で(もろ)く壊れそうなリリアーヌ独特の姿はギスランに強烈な保護欲をかきたてる。
どんなものからでも守ってやりたいと思うのだ。
最も危険で遠ざけなければならなかったのは事も有ろうにギスラン自身だった。
日増しに愛らしく育っていく彼女に強い劣情を感じていたからだ。しかしそれは無意識だった。
自分でも気付かずリリアーヌとの距離をとり、そのくせ常に気にかけていた。
天の花嫁の夫候補になってもリリアーヌとの関係は別次元の感じがていたのだ。
彼女が悲しむと思ってもいなかった。
 帰って来ないと聞いた時、心の奥に閉じ込めていた何かが鎖を断ち切って出て来たようだった。
その獣のような
何かを今は必死に抑えこんでいる。
 ユベールがよく言っていたリリアーヌは砂糖菓子≠フようだと。
本当にその通りだ。甘くてすぐ溶ける夢のような菓子―――

「ご、ごめんなさい・・・ギスラン様。私・・私・・・・お願いです。離縁して下さい・・・・」
 大粒の涙を流しながらリリアーヌは言った。
 ギスランは瞳を大きく見開いた。
「何故?どうしてだ?」
 湧き上がってきた激昂を抑えながらギスランは問いかけた。
「・・・・私は・・・醜く嫉妬しました。それを利用されて取り返しのつかない事になるところでした・・・・」
 ギスランは舌打ちした。
「誰がお前に余計な事を!あれはお前に責任は無い」
「いいえ!私はきっとまた醜い嫉妬をしてしまいます!我慢しないといけないのに・・・・あなたが他の人を娶る度に・・・・こんな狭い心は妻として失格なんです!」
 リリアーヌの告白にギスランは呆然となった。
政略結婚で妻として己の務めを果たそうとする献身的な姿は見ていた。
そこに嫉妬する程、自分を慕う心があったとは思わなかったのだ。

(違う!私が気付かないように無視していただけだ!)
 リリアーヌが自分に問いかける瞳も声も日増しに甘く切なくなっていた。
ギスラン自身がまだその時期では無いと、見てみぬふりをして自分の想いを抑えていただけだった。
小さく幼い彼女は自分の高ぶる心のままに抱けば壊れそうだったからだ。
指輪が丁度よくなるまでと、変な約束をしていたがそんなものなど破りたいと思う心を抑えあと一年、もう一年と過ごしていた。
それとは逆に大切過ぎるから心の奥底では、彼女にとって自分よりユベールが似合いでは?とも思っていたからこそ心を抑える事が出来た。

 そしてその約束の日が近づいたというのに自分が彼女を裏切った形となってしまったのだ。
フェリシテは自分に王権をもたらしてくれる者でしかなかった。彼女自身素晴らしく好感を抱かない男はいないだろう。
だがリリアーヌは利益だとか関係なかった。実際、フェリシテを娶ったとしたら義務的に彼女をたてるだろうが、心はリリアーヌを選んでいただろう。彼女を手放すつもりは無かったのだ。
しかしリリアーヌはこの裏切りを許してくれないのかもしれない―――

「・・・・リリアーヌ。では別れよう。これはもう必要ないな・・・」
 ギスランはそう言うと手に握っていた指輪を遠くに投げた。
 リリアーヌは、あっと声を
あげて、立ち上がると指輪が光って消えるのを見た。
大事にしていた結婚の証―――本当に終わってしまったのだ。
望んだ事なのに空を見上げたまま涙が止まらない。

 そして自分がいつの間にかギスランの腕の中にいるのも気が付かなかった。
心地よい温もりを感じてリリアーヌが我に返った。
ギスランの鋼のような胸に抱すくめられているのに気が付いたのだった。
 頭の上のほうからギスランの声がした。

「リリアーヌ。これをお前に――」
 ギスランが離れたかと思うとリリアーヌの前に跪いたのだ。
そしてその手にはすみれ色の宝石をはめ込んだ綺麗な細工の指輪を持っていた。
 ギスランはリリアーヌの左手を取り上げるとそれを指にはめた。
指輪は測ったかのように指にピッタリとおさまった。それはリリアーヌの為に作らせた指輪だった。

 驚くリリアーヌにギスランが言った。
「私の今回の行動はお前を酷く傷付けたと思う・・・許して欲しい。流されるままにしてしまった前の結婚は終わらせたい。そしてリリアーヌ、改めて私はお前に結婚を申し込む。この宝石を見付けた時、お前の顔しか浮かばなかった・・・適当に選んだ指輪なんかお前に相応しく無い。愛している・・・私が本当に望むのはリリアーヌお前だけだ。これから他に誰も望んだりしない。剣にかけて誓おう。だからリリアーヌこれを受け取って結婚してくれ」
 リリアーヌは夢を見ているのかと思った。
恋しくて切なくて憧れ続けたギスランから望まれているのだ。
夢なら覚めないで欲しかった。早く答えなければ・・・・夢が覚めてしまう。

「――はい。ギスラン様」
 ギスランは立ち上がり歓喜と共にリリアーヌを再び強く抱いた。
夢では無い抱擁にリリアーヌは驚いてギスランを見上げた。
その瞳にギスランの口づけがそっと落ちてきた。
甘い砂糖菓子のようなリリアーヌ―――

 ギスランは名残惜しそうに抱く腕を緩めると彼女を見つめて言った。
「さあ、リリアーヌ。今度は誓いの口づけをしよう。もちろん大人の口づけだ。いいな?」
 リリアーヌは頬を染めて頷いた。
 二人だけの結婚の誓いは、まるで甘い砂糖菓子のようだったとか―――

あとがき

可愛らしいリリアーヌの恋物語は如何でしたでしょうか?外伝でも他の比べると半分ぐらいの長さでした。これぐらいも良いなと自分で思ってしまいました。
そう思うとブリジット女王の大恋愛編でも・・・とか考えてしまいます。
もしくは盟約が結ばれる前の世界とか・・・・などなど野望が増えそうです(笑)
広がる「盟約」の世界に今後もお付き合い頂ければ幸いです。

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