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イヴァンの兄、レギナルトは怒っていた。
弟がどこか素性の知れない平民の女にうつつを抜かし、役目を放り出しては三日と置かずに通っているからだ。人の良い弟は性悪な女に騙 されているに違い無いと決め付けていた。
イヴァンは腹違いの兄弟だが、たった一人の弟ということもあり母親達の確執とは別に彼をとても可愛がっていた。一歳しか違わないのに責任ある兄の立場のせいなのか、精神的にもレギナルトが優っているようで歳の差がひらいている様に感じられる。一つしか違わないと聞く者は驚くぐらいだ。
それは容姿のせいもあるだろう。イヴァンのフワフワした砂糖菓子のような雰囲気と違い、同じ紫の瞳をしていても視線は鋭く紫水晶のような冷たさを感じさせた。そして夜を思わせる濃 藍 色の長い髪が整い過ぎる貌 を縁取 り、更に冷めたく落ち着いた雰囲気を際立 たせているのだ。
いずれにしても、イヴァンを諌めたが珍しく諦めようとしなかった。
全く面倒な事だったが身内の恥を他に任せる事も出来ず、レギナルトが処理する事にしたのだ。
そして弟と同じく質素な目立たない格好に身をやつし、イヴァンが熱を上げているいう女の元へ馬を駆けさせたのだった。
目的地に到着したレギナルトは馬を通りの外れに繋ぎ、調べていた女の店へ足早に向かうと店内を覗いてみた。奥には若い娘はいない様子で、夫婦らしき者達が此方に気付く事なく会話をしていた。
「ティアナはまだ帰って来ないのか?もうとっくにあいつは帰っていったんだろう?」
「あいつって、イヴァンさんの事?そう言えば今日は早かったわね。でもティアナはあの神殿跡が大好きだから日が暮れるまで帰って来ませんよ」
レギナルトは会話を聞くと、その場から離れた。
(イヴァン!今日も来ていたのか!神殿跡とか言っていたな・・・)
レギナルトは再び騎乗し神殿跡地へ向かった。
そして辺りを見回すと目的のものは直ぐ見つかったが、彼が想像していた者とはずいぶん違っていた。彼は思わず眉根を寄せた。弟をたぶらかす妖艶な美女を思い描いていたが、確かに美しいが女と言うよりまだ少女のようでは無いか?
無防備に眠る姿は楚々として強烈な保護欲を掻きたてられた・・・・
(保護欲?守ってやりたいだと?馬鹿な!)
一瞬浮かんだ気持ちを打ち消して、これがこの少女の手管だと思う事にした。
ティアナはうたた寝をしてはいたが熟睡はしていなかった。まどろむ中で人の気配を感じ、ゆっくりと瞳を開いた。そして前に立つ人物に焦点を合わせると声も無く驚いた。
全く知らない人物なのに威圧する光を放つ紫の瞳が、自分の事を憎んでいるようだったからだ。
整った口元は、その冴える容姿に相応しい冷たい声を紡いだ。
「お前がティアナか?」
ティアナは目の前の圧倒的な存在に、ただ頷くしか出来なかった。
「私は、イヴァンの兄だ」
「えっ、イヴァンのお兄さん?」
ティアナは視界いっぱいに立ちはだかる男が、イヴァンの兄と聞いても安心する事は出来なかった。
彼はイヴァンより長身で体躯 の作りが違い、全身からみなぎる様な力を感じた。見るからに剣でも何でもかなりの使い手だと分かる。それらを裏切るかのような容姿は、まるでしなやかな獣のようだった。
ティアナは自分が獣に追い詰められた小動物のような気持ちになってきた。
でも勇気を出して恐る恐る立ち上がった。
(何をしにきたのだろう?イヴァンを探しに来たのかしら?)
「イヴァンを探しているのですか?それなら彼は・・・」
レギナルトは不遜な態度で彼女の言葉を遮って自分の話を始めたのだ。
「弟との別れ話をしに来た。弟はお前のような者と付き合うような身分の者では無い。即刻、別れてもらう!」
ティアナは絶望に胸を押しつぶされながら彼の話を聞いた。
何時かこんな時が来るような予感はしていた・・・・
イヴァンは隠していても貴族のようだったから、絶対に家族の人が許す筈が無いとも思っていた。
でも、ちゃんとした理由を聞きたかった。
「私が平民だからですか?」
以外と平然な彼女の様子を見たレギナルトは、ほら見た事かと思った。
益々怒りを込めて彼女の問いに答える事無く話を続けた。
「イヴァンにはアデーレと言う婚約者がいる」
今度は取り乱し様に、嘘!と叫ぶ彼女を黙らせるように彼は、低くゆっくりと喋りだした。
「嘘じゃない。由緒正しい家柄の娘だ。弟とは幼馴染で、イヴァンの事をよく分かっているから安心して任せる事が出来る。それに二人は昔から愛し合っていた。今回運悪くアデーレが母親の静養の付き添いで遠方に行ってしまって、寂しがりやの弟は落ち込んでいた。そこにお前が付け込んだだけだろう?迷惑な話だ!」
「嘘よ。信じないわ・・・イヴァンは私が好きだと言っていたのよ・・・そんな話・・・信じない!」
「信じるも信じないも関係無い。弟にアデーレの事を聞いてみるといい。それもイヴァンが今後、逢いに来たらの話だ」
ティアナはレギナルトの次から次へと噛み付くように並びたてる話に耳を塞ぎたかった。
イヴァンの許婚の話も愕然としたが、初めて会った彼が自分の事を性悪女と決め付けて話すのがとても嫌だった。
確かにイヴァンは謎が多かったが本当に愛されていると思って疑った事は無かった。
信じたく無いがイヴァンに聞けば直ぐ分かるような嘘をわざわざ言いに来るものでも無い・・・・
(それに彼は何と言っているの?今後、逢いに来たらの話?どう言う事なの?)
ティアナは不安がよぎって意味を読み取ろうとレギナルトを見上げた。
それを感じ取ったレギナルトは、忌々しげに彼女を見下すと更に追い討ちをかけたのだ。
「イヴァンをアデーレのいる所の仕事を言い付けた。今日、そこに向かって出発している頃だろう。直ぐに終わるような内容では無いから、これでアデーレとの時間もたっぷり取れてイヴァンの気持ちは治まって目も覚めるだろう。お前は御用済みと言う訳だ。いい金蔓 だと思っていただろうが残念だったな」
イヴァンは何日か会えないと、それこそ今日言いに来た。
(本当は別れの挨拶だったの?私は遊ばれていただけだったの?だけどこの人は、私がイヴァンのお金目当てに彼を堕落させたような言い方をしている・・・まるで私が悪いみたいに・・・・)
レギナルトはティアナを見て、はっ、とし思わず視線を逸らした。
「泣いたって無駄だ!そんな何も知らない娘のような振りをしても私は騙されない」
いつの間にかティアナの美しい瑠璃色の瞳から、まるで光りの雫のような涙が溢れていたのだ。
大きく見開くその瞳にレギナルトが映っていた。
彼女は大きく息を吸うと、瞼をきつく閉じて涙を振り切り、小刻みに震えながらも再びレギナルトを静かに見つめ返した。
「彼のお金なんか関係ありません。イヴァンが好きです・・・これだけはハッキリしています。だから・・・それが本当に彼の望みなら迷惑をかけるつもりはありません」
レギナルトは吸い込まれるような瑠璃色の瞳から涙がこぼれた時、先程打消した気持ちが持ち上がってきた。だが・・・再び心の奥底へ押し込めた。
それから殊勝な彼女の言葉に裏が無いかと瞳を細めて聞いた。彼女は見事なまでに清純で可憐な少女を演じきっている。まるでイヴァンの方が彼女を弄んでいたかの様な錯覚をしそうだった。
(見事なものだ!これならイヴァンもひとたまりも無かっただろう。これで決着はつくだろうが・・・・)
レギナルトは懐から金袋を取り出して彼女の足元へ放り投げた。
落下の衝撃で口紐が緩み、中から帝国金貨が輝きながら跳ね上がって地面いっぱいに広がったのだ。
「今までの代価だ。これで十分だろう?」
レギナルトは冷やかにそう言うと、ティアナの静止も聞かずさっさと去って行ってしまった。
ティアナは最後まで商売女のような扱いを受けて、悔しくて悲しくて仕方が無かった。こんなに人を憎いと思った事も無かった。お気に入りの場所が忌まわしい金貨で汚されたような気がして、とうとう声をあげて泣き伏してしまったのだった。