第四章 届かぬ想い1

       
 夜会から数日過ぎようとしていた。ティアナはその夜から塞ぎ込んでしまった。
自分でも気持ちに整理が出来なく心乱していたのだった。日課の墓参はしても大神官との
何時(いつ)ものお茶の時間は(うわ)の空で、早々に(いとま)を告げて部屋に閉じこもっているのだ。
ゲーゼもドロテー、ハーロルトも彼女の様子に心配していた。

今日もティアナは自室の窓辺で、溜息を何度もつきながら思いに
(ふけ)っていた。
(私、どうしたのだろう?あんなに好きだったイヴァンの事を、あの夜まですっかり忘れていたなんて・・・・感傷に浸るような余裕が無かったと言っても、本当に最近は彼の事を思い出す事さえして無かったのだから・・・・・)

ティアナはイヴァンとの思い出を思い浮かべようとするが、以前の様に鮮明に思い出せなかった。
暖かな霧にでも包まれているかのような印象なのだ。
それに比べて鮮烈に頭に浮かぶのはレギナルト皇子の姿だった。
イヴァンの穏やかな優しく心が暖まった気持ちとは逆に、傲慢で燃え盛る炎のようなレギナルト皇子を、恐れながらも強く惹かれている自分を認めたく無くって戸惑っていた。
私はイヴァンが好き、皇子は嫌い

と繰り返し心の中で唱え続けて自分を戒め続けていた―――
ティアナは〈冥の花嫁〉の皇家に伝わる婚姻は、本人の意思によると言う事実を知らない。
自分は〈冥の花嫁〉の運命だからレギナルト皇子といずれ結婚しなければならないが、心まで運命に絶対従わないと思っているようだった。運命に翻弄されるせめてもの反抗心だった。
それでもあの夜会以降、レギナルトが欠かすことの無かった朝夕の訪問が無くなったのが気になって仕方が無かった。ハーロルトから訊けば、政務の忙しい時期も過ぎ皇宮で泊り込むものは無いのに?と、彼も首を傾げて言っていた。
 一方、レギナルトはあの夜、ティアナが嬉しそうにイヴァンの名を口にした以来、自分の心を抑える事が出来なかった。ティアナを見れば激情に駆られ、弟の名を呼ぶ唇は二度と呼べないように。
イヴァンを思い浮かべるその瞳も何もかも塞ぎ閉じ込めてしまいたくなる。
自分のものにならない彼女を激情で引き裂いてしまいそうなのだ。
そこまで思うのに彼も自分の想いを頑なに認めようとはしていない。
ティアナへの気持ちは、思い通りにならないものへの征服欲と自分のものだと言う独占欲であって、それ以外では無いのだと―――

気持ちに整理をつけようとティアナに会う事を避けていたが、ドロテーから彼女の様子がおかしいとの報告を受けて今朝は訪れてみた。
窓辺に佇むティアナは陽光に透けて消えそうだった。
そしてその唇は声なく
イヴァン と動いた。
「!」
レギナルトが今まで抑え込むように努力したものが崩れる音がするようだった。
ティアナに触れれば、もう自分を止められる自信は無い!
レギナルトは胸に起き上がった獣を抑えながら入口より踵を返した。

ティアナはレギナルトには気付かなかったが、入れ替わるようにエリクが訪れた。
「おはようございます。ティアナ様」
「おはようございます。? 今日はエリクなのですか?ハーロルトは?」
「ハーロルトは本日、妖魔討伐に出掛けますので替わりました」
「妖魔!」
「はい。以前から追っていたものですが、その妖魔は強く警備隊もかなり被害をだしてしまい、レギナルト皇子に直接討伐にお出掛け頂く事になりました」
「えっ?皇子も行くのですか!」
ティアナは驚き、思わずエリクの腕を掴んで問いかけた。
「ご心配には及びませんよ。皇子は〈闇の聖剣〉の使い手。その力をもってすれば瞬きする間もなく妖魔を消滅させますから、大丈夫です」
〈闇の聖剣〉は普通の剣のように切り裂くものでは無い。もちろん刃こぼれなどしない名剣に違いは無いのだが、本来は剣に宿る神秘なる力を発動させて使用するものである。その力を出す事が出来るのはデュルラー帝国の正統な主のみに受け継がれていくのだ。
現皇帝は既に聖剣の所有をレギナルト皇子に譲っていた。
妖魔の殲滅は国が行う最優先事項であり、軍備はその為にあると言ってもいい。その為、聖剣での討伐が必要と判断された場合は、その所有者が赴く事は当然なのである。

ティアナは大丈夫だと言われても胸騒ぎがして落ち着けなかった。しかも向かった先が両親を襲った妖魔がいた渓谷方面だと言う。
日課の墓参さえ行かず皇子の帰りをただひたすら待った。無残にも引き裂かれた両親の姿を思いだし、それが皇子の顔に変わる白昼夢を見ては悲鳴をあげたくなった。

そして陽が傾き始めた頃、宮殿内が慌しくなった。皇子が帰還したようだった。
様子を見に行ったドロテーが青い顔をして帰って来た。
「ティアナ様!皇子が、皇子が妖魔に襲われて!」
そこまで聞いてティアナは目の前が真っ暗になり、心臓が冷たく凍りつくようだった。
ふらりと崩れる彼女をエリクが抱きとめた。
「あっ、申し訳ございません!ティアナ様!ティアナ様!皇子はご無事です!傷を負われておりますが、お命に別状はございません!」
「ドロテー!なんて紛らわしい言い方なんだ!驚いたじゃないか!」
「申し訳ございません。もうあまりにも血が出ていて、動転してしまって!」
「皇子は無事なのね・・・」
ティアナは安堵して涙が出てきた。
嬉しくても、悲しくても涙するティアナは一度泣き出したらなかなか止まらない。ドロテーもエリクもそれを知っていて、必死に止めようとあれこれ言って慰めていた。

エリクが確認してきた話では対象の妖魔の他に、調査になかった妖魔の集団が急に現れたとの事だった。妖魔は群れる事が無いが、今回はまるで皇子一人を狙ったかのように襲ってきたとの事だった。妖魔の集団を相手にあれぐらいの傷で済んだのは、皇子だったからだとハーロルトが言っていたらしい。

医師達が出入りし慌しかったが、夜になると宮殿内も落ち着いていた。
ティアナは大丈夫だと聞かされても心配だった。本当かどうか確かめずにはいられなかった。
ここに来て一度も皇子の私室には行った事は無かった。女性が男性の部屋を訪れるのは大変はしたない事だからだ。それでも今回ばかりはそんな常識などどうでもよかった。
エリクやドロテー達が退室した後、ティアナは急ぎ皇子の部屋に向かった。

丁度、中からバルバラが出て来たところだった。
バルバラは、心配そうに胸で両手を合わせているティアナを見ると微笑んだ。
「ティアナ様、如何なさいましたか?」
「皇子は、大丈夫ですか?」
「はい、大丈夫でございますよ。今は眠っていらっしゃいますが、お顔だけでも見られますか?ご心配なのでしょう?」
ティアナはコクリと頷いた。
バルバラに見つかってしまった時は、追い返されるかと思ったが安心した。
バルバラは室内の寝室の扉を教えてくれて、皇子にはあまりお近づきにならないように、と注意し
て去って行った。
室内に入ると華美な装飾が省かれた広々とした空間が現れた。その左側にある寝室に通じる扉を開けて入ると、灯かりが少なかったが月明かりが差し込んでいた。
天蓋付きの大きな寝台に近づくと、レギナルト皇子は熱があるのだろう少し荒い息をしていた。
ティアナは誘われるように足が勝手に動き、皇子に近づいて行った。
(良かった・・・本当に生きている。ありがとうございます)
ティアナは神に感謝し、涙が自然と溢れてきた。
生きている温もりも確かめたくて手を伸ばした時、誰だ!
と言う誰何(すいか)の声と共に、伸ばしたその手を皇子に掴まれた。そして声を出す間も無くグルリと寝台に引き倒されて、首に聖剣を突きつき付けられたのだ。
驚いたのはレギナルトの方だった。手傷を負って神経が過敏になっているところへ、自分に近づく気配を感じて押さえ込んだ相手がティアナだったからだ。

「ティアナ!何故ここへ?」
ティアナはバルバラの注意がこの事だったのだと今更理解した。驚いて声も出なかった。
押さえ込まれた身体に皇子の体温が伝わってくる。
左肩は痛々しく包帯が巻かれているが、引き締まった上半身は剥き出しで聖剣を握るその姿は月光を浴びて神々しかった。
「わ、わたし・・・心配で・・・」
大きく見開く瑠璃色の瞳は涙で滲んでいた。
触れまいと避けていたものが自分から飛び込んで来てしまったのだ。それも涙を浮かべて自分を心配していると言う。
レギナルトは歓喜に震え、もう何も考えられなかった。
「――本当に良かった・・・父さん達みたいになったらと思って・・・私、私―――」
ティアナはそう言うと、ポロポロと大粒の涙を流し始めたのだ。

はっ、と我に返ったレギナルトは聖剣を置いた。
妖魔と聞いて両親の惨劇を思い出し、自分に同情しているのだと感じとると、無償に寂しく思った。
それは手に入らない憤りでは無く、どうしようにも無い
寂寥(せきりょう)感だった。
激情のまま引き裂くかと思っていた感情は、より大きな異なる思いで包まれた。
レギナルトは自覚してしまったのだ―――

(そう・・・・認めよう。私は彼女を愛してしまったと・・・そして彼女の心が何よりも欲しいのだと―――自分をイヴァンより愛して欲しいと願っているのだと―――)
認めてしまえば目の前で泣くティアナに触れることさえ恐れてしまう。
彼女が自分を見て怯えるような事は絶対出来ないと。泣かないで欲しいと願う―――
そうでないと抑えた欲望で彼女を傷つけてしまいそうなのだ。

「―――私は大丈夫だ。心配はいらない・・・だから泣くな。頼むから・・・」
次第に嗚咽をあげながら泣くティアナの誘うように開く唇が、レギナルトの心を掻き乱す。
このまま
全て奪ってしまいたい―――という思いを鋼の精神で押し止めた。
そして、両手で優しくティアナをすくい起こした。
月光に照らしだされたのは、乱れた胸元に輝く星の刻印―――
自分のものだと印された未だ叶わぬ想いの刻印にそっと唇をあてた。
「さあ、もう出ていってくれ・・・・」
今の行為で驚くティアナを追い出した。
そこまでが限界だった。
これ以上こんな静寂の夜、二人きりでいるなど気が狂いそうだった。いや、もうそう思っていること事態が既に狂っているのだろうと思った。
レギナルトは月の光を弾く、闇の聖剣の柄に施された紋章を見た。
自分とティアナと同じ星の刻印―――
運命の輪を呪い、それでも彼女と出逢わせてくれた運命に感謝するのだった。
ティアナは刻印に優しい口づけをされた時、鼓動が早鐘のように鳴った。
未だに胸の刻印に焼き
(ごて)でも当てられているようだ。
ティアナも今回の件で、自分の気持ちに気がつき始めた。しかし、もう一つ確かめなければと思うものがあるのだった。そしてそれは、翌日に訪れたのだ。



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