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昼前にティアナは皇子宮の中庭に出て〈星の夢語り〉の手入れをしていた。
不思議な花で蕾が次々と出て花が絶える事が無いのだ。今は挿し木をして増やしているところだ。
庭へ続く扉が騒がしくなったと思うと、貴族の娘達数人が庭へ降りてきた。
その中の一人が、ティアナに駆け寄りいきなり平手で叩いた!
そして汚いものでも触ったかのように、付けていたレースの手袋をその場で投げ捨てたのだ。
ハーロルトがティアナの前に立ちはだかった。
「エリノア様!何をなさいますか!お止め下さい!」
「お黙りなさい!ハーロルト!そなた誰に向かって言っておる。汚らわしい女。ここから出て行きなさい!」
忌々しげにティアナを睨みつけるその令嬢は、ティアナより少し年上のようだった。美しく巻いた髪と瞳は薔薇色で、艶やかで官能的な女性だ。連れの娘達は、このエリノアと呼ばれた少女の取巻きのようで、喝采を送りながらクスクス嗤っている。
エリノアは更に持っていた扇でティアナを叩こうと振り上げたがハーロルトに止められた。
「無礼ものお放し!いくらお前でも、許しませんよ!」
「いいえ、私はティアナ様の警護を申し付かっておりますので、たとえエリノア様でも、お止めさせて頂きます」
「ええい!お放し!この盗人の方を捕まえなさい。避暑から帰ってみれば帝都で、わたくしは笑いもの。大神官の遠縁ですって?大嘘つき!ただの卑しい平民くせに。どういう手を使ったと言うの?大神官やら、皇子の気を惹くなんて!汚らわしい!」
「何を・・・・あなたは誰なのですか?いきなり・・・」
ティアナはいきなり叩かれ、浴びせられた非難の数々に驚いた。
ハーロルトが言いにくそうにその令嬢の手を放す事無く答えた。
「アウラー公爵家の第一公女エリノア様です。レギナルト皇子のお従妹で・・・・御婚約者になられます」
「皇子の・・・婚約者・・・」
「そうよ!お前のような汚らわしい平民が皇子の周りに侍るのも目障りです!わたくしは許しません。早く出て行きなさい!」
「出て行くのはエリノアお前の方だ!」
一喝したのはレギナルトだった。
ドロテーの機転で怪我の為、政務を休んで私室にいた皇子を呼びに行ったのだ。
公爵家の令嬢を制止出来るのは皇子しかいないからだ。
後ろから現れたレギナルトは寝室から身支度する事なく丈の長い、ゆったりとした室内着を肩に羽織っただけの姿だった。
ハーロルトはエリノアの縛めを解き、下がって控える。
取巻きの令嬢達は飛び上がり、深々と頭を下げて皇子に礼をとった。
「まあ皇子。ご機嫌如何でございますか?ご無沙汰しておりました。エリノア、昨日こちらへ戻ってまいりました」
エリノアは優雅にお辞儀をすると、真っ直ぐレギナルトを見上げた。
「戻りましたら大変驚きました。わたくしとの成婚前に女人を公然と側に侍らすなど、あってはならない事でございましょう?血筋が第一の皇家。それなのに側室にもならないような身分のものをお側に置いていらっしゃるのですから。皇子ともあろうお方が何を血迷われて!」
「言いたい事はそれだけか?・・・もう帰るがいい。アルラー家への使いが行き違いになったのだろうが、エリノア、お前との婚約は解消だ。お前に私を非難する権利は何も無い」
「何と言われました!皇子!そこまでこの女に溺れましたか!ああ・・・レギナルト皇子、お目をお覚ましくださいませ。ご身分をお考えくださいませ。わたくしは嫌でございます。イヴァン皇子も昨日こちらにお戻りの様子・・・イヴァン皇子や皇帝に申し上げて貴方を説得して頂きますわ。わたくしが卑しい女の次の妃など―――この魔性の女め!」
エリノアは再びティアナに向かって扇を振り上げたが、レギナルトの手で押し止めされた。
そして周りが震えあがるような怒りが皇子から噴出した。
「誰に向かって意見している!私に意見出来るものなどこの世で誰一人いない。ティアナを侮辱することは許さない。それに解消だと言ったのだ。お前に次も無い!私の妃になるのはティアナだけだ。お前達こそ覚えているがいい、今度、彼女に危害を与えるようなら公爵家であろうと罰する!ハーロルトも怠慢だ!頬を叩かせるなど!刃物だったらどうなっていた?甘いぞ!以後気をつけよ」
レギナルトは怒りを、すっと収めると叩かれて少し赤く腫れているティアナの頬に軽く指で触れて、大丈夫か?と聞いた。そして動く気配の無いエリノア達に振り向く事無く冷淡に追い討ちをかける。
「目障りだ。早く出て行くがいい」
令嬢達は弾かれるように去って行った。
「小賢しいことだ。ティアナ、嫌な思いをさせて済まなかった」
「・・・・・・・・・・・」
皇子の身分なら許婚など当然だろうが、その存在を目の当りにしてティアナは動揺した。
去っていった令嬢は、物語に出てくるような完璧なお姫様で、皇子にとても相応しく思った。
皇子は手酷く追い払ったが、自分がいなければあんな醜い心を晒す事無く、皇子と仲睦ましかったのでは?と、思うのだ。
薔薇色の姫とレギナルト皇子の寄り添う姿が瞳に浮かび、心がキリキリと痛む感じがした。嫉妬なのだろうか?自分に自問自答をするが、その答えはもう一つ確かめてからだと心は言うのだった。
「―――皇子。先程、イヴァン・・・イヴァン皇子が帰って来ていると・・・い、いますぐ会わせて下さい!会わなければならないのです!お願いします」
レギナルトは懇願し、小刻みに震えながら頭を下げるティアナを見つめた。
とうとうその時がきたのだと―――
分かっていたつもりのイヴァンの気持ちが分からない今、二人が再び会えばどうなるかなど考えられない。自分の都合よく考えればイヴァンは本当にティアナとは軽い遊びで本気でなかった。
悪く考えれば、本気だったのに引き離されただけで再会すれば元通り。
いずれにしても自分達の間に避けて通れない問題なのだ。どの様な結果となろうとティアナを渡す事は絶対にありえない。彼女が泣いても叫んでもその手を離す事は無い!
ゲーゼに聞いた〈冥の花嫁〉を道具の様に扱ったと言う愚かな王の話しは違うと思った。今ならその王の気持ちが分かるような気がするのだ。それはきっと誰をも惹きつけてしまうといわれる花嫁の心が手に入らず、それでも渇望し閉じ込めてしまったのだろうと・・・そう・・・・誰にも渡さないようにと―――
「―――分かった。すぐそのように取り計らおう。出掛ける用意をしておくように・・・」
レギナルトは、そう静かに告げるとその場を後にした。
皇子とティアナ二人しか分からない会話にドロテーもハーロルトも首をひねっていた。
好奇心の強いドロテーは、皇子が去るまで顔を上げなかったティアナに訊ねてみた。
「ティアナ様、イヴァン皇子とどういう繋がりがおありになるのですか?」
「・・・・・イヴァンとは・・・私がまだ冥の花嫁だと分かる前に身分を隠した彼と出逢っていて・・・恋人同士だったの・・・」
意外なその話しにドロテーもハーロルトも驚いた。
「恋人同士って!そんな・・・・」
「ずいぶん昔の事のように思ってしまうけれど・・・・まだ春だったわ。それこそ今のエレノア様のようにレギナルト皇子が怒鳴り込んで来たの。弟と別れろ、お前のようなものと付き合う身分じゃないと。それに皇子は決め付けたのよ。私がイヴァンを騙した性悪女と。そしてイヴァンは遠方にやられ私達は引き離された。それ以来全く連絡も無かったの。それに私は二人の正体なんて知らなかった。だけどレギナルト皇子と再会してしまった。冥の花嫁として・・・・」
「そのような事が・・・それでティアナ様をお迎えに行ったあの日の皇子の言動や、なされようが納得いたしました」
「そんな!ではティアナ様はイヴァン皇子の事を愛しているのですね?でも、いくら引き離されたって連絡一つしないのなんておかしいわ!」
「普通そう思うのが当たり前よね。そうなの、私は確かめたいの・・・イヴァンの本当の気持ちと、私の本当の気持ちを・・・」
「冥の花嫁になったからにはイヴァン様と添い遂げる事は出来ないと言っても、あんまりだわ!でも、ティアナ様の気持ちって?」
ティアナは困ったような悲しいような顔をしただけで答えなかった。
程なくイヴァンの所へ出発した。彼は母でもある第二皇后の城外にある私邸にいるという事だった。
皇位後継者以外は城内に宮殿が無い為、通常は独立するまで後宮に住まうか城外に私邸を持つ。
イヴァンはレギナルトと違い、母から溺愛されていた。それは自己愛の延長線のようなものだが、自分に良く似たイヴァンを皇后はとても愛しているのだった。
皇后は後宮に住まうものだが、イヴァンをこの私邸に住まわせるようになると頻繁に皇后も訪れている。その邸宅は皇城より距離にしてそう遠くない場所にあった。
レギナルトとティアナは馬車の中お互いに沈黙し到着を待つ。馬車が大きな揺れと共に止まり、二人の間に緊張が走った。レギナルトが先に降り、ティアナの手を取って降ろした。彼女の手が異常に冷たく、どういう表情をしているのか見る事が出来なかった。どんなに醜く獰猛な妖魔でも瞳を逸らす事など無い自分が、こんな少女の顔を見るのを恐れるなど情けなかった。
馬車の音を聞きつけてイヴァンは入り口で出迎えていた。
「兄上!お久しぶりでございます。僕の方から帰還のご挨拶に行かないといけないのに申し訳ございません」
「・・・・・・・・・・・」
「イヴァン・・・・」
「えっ?えええっ!どうしたの、ティアナ?ティアナだよね?うわぁ〜驚いた!一段と綺麗になって一瞬わからなかったよ。驚いた〜でも何故兄上と?」
「イヴァン、私聞きたい事があるの。アデーレさんと言う許婚がいるそうね。彼女の事どう思っているの?それと私の事は?」
ティアナは両手を胸元できつく合わせて訊ねた。
レギナルトは瞑目して何を考えているのか表情は見えない。
イヴァンはきょとんとした顔をしている。
「アデーレ?ああ言ってなかった?親の決めた許婚だけど大切に思っているよ。ティアナ、君の事も好きだったよ」
「私もアデーレさんも好きだったと言うの?それは・・・それはどっちの方がより好きなの?」
「何故決めないといけないの?アデーレといると何時でもそうしていたいような安らぎを感じるし、ティアナ君といる時は刺激的で胸がいっぱいになるくらい楽しいよ。どちらかなんて考えられないよ」
ティアナは信じられなかった。彼は二人とも好きだと言う・・・不誠実な言葉に全く罪悪感は無いのだ。
彼の愛は一人のもので無く何人もの人に注がれる。身分の高い人達にとって当たり前の事なのかもしれない。正妻の他に何人も妻を娶るのだから・・・・・
自分はそんな愛に耐えられないし、確かめたかった事もハッキリした。
イヴァンと会って確かめたかった事は、自分が彼の事を本当はどう思っていたのかだった。
こんなイヴァンでも好きだと思うが 好き と言われた言葉に以前の様に心が動かなかった。
イヴァンは、おとぎ話に出てくる皇子様のようなもので憧れだったのだ。自分が恋に恋していたのだと言う事がハッキリ分かったのだ。好きの種類が違うのだと・・・・本当に好きならば、みんな好きと言う彼を絶対に自分のものにしたい欲望が出る。しかし、それが出ないのだ。
あの暖かい霧のかかった思い出のように、ほのかに優しい思いに包まれるだけだった。
しかし今、本当の恋をしているのを認めずにはいられなかった。怖くて孤独な人・・・・その人を知れば知る程、惹かれている自分がいた。時折みせるそれとは気付かせない優しさを持つ人。
愛している と言って欲しいのは、レギナルト皇子その人に他ならなかった。
しかしそれはとても叶わない夢―――
彼こそ他に並ぶもの無き王者であり、愛など個人のものにならない。それに既に自分のものと約束されている私に心配る必要も無いのだから・・・・・
「どうしたの?ティアナ?君は僕の事、嫌いなの?」
「ううん、好きよ。だけど―――」
ティアナは最後まで本当の気持ちを言えなかった。レギナルトによって遮られたのだ。
彼女の好き≠ニの告白を耳にした途端、レギナルトの自制心が濁流によって決壊した。
開いたその瞳は瞋恚の焔に揺れている。
「イヴァン!他言を禁ずるが、お前には言っておく。ティアナは〈冥の花嫁〉として目覚めた。分かるな?私のものだ」
お前には権利など無い! と言っているようだった。
そしてその言葉はティアナを深く傷つけた。自分のものだと主張するレギナルトは、ティアナの事は〈冥の花嫁〉と言う存在でしかない事を思いしらされた〈冥の花嫁〉だから必要であって、道具のようなもの・・・気持ちなど関係なく売り買いされるようなのだ、と思うと心に悲しみが広がっていった。
二人の皇子の会話をこれ以上聞きたくなかった。踵を返して馬車に向かった。
自然と涙が溢れて光の雫のように、翻る金糸の髪と一緒に風にのって流れた。
レギナルトは咄嗟に彼女の腕を掴んで止めたが、振り向いたティアナは泣いてはいなかった。悲しそうに微笑んでいただけだった。
「皇子、帰りましょう・・・もういいですから・・・・もう十分です。ありがとうございました」
「・・・・・・・・・・・」
イヴァンは到着早々、帰って行く二人を見送り邸内に入ると、母ベアトリーセが待ち構えていた。
その美貌は今だ損なう事無く甘やかに輝いている。
「レギナルトは何の用事だったのじゃ?」
「ん〜?〈冥の花嫁〉を連れて来たと言うか〜」
「何!〈冥の花嫁〉が降臨されているのか!」
「ああっ!しまった!他言するなって言われていたのに〜でも母上だからいいか。母上、内緒にしていて下さいよ。でも、残念だなティアナは僕の恋人だったのに・・・・」
「冥の花嫁がそなたの恋人だったとは・・・・それならもちろん花嫁はそなたのものであろう?そうすればイヴァンそなたは皇帝になれる!」
「あっはははは、母上それはたんなる噂で、その権利は皇族の血が流れていればあるんだけれど、それは神の定めた皇位継承者が不在の場合のみ適用されるんだよ。つまり今でいえば兄上が健在だから関係ないの。あっ!これ皇家秘事だった!母上これも内緒ね」
ベアトリーセは大事な事に気付かず気軽に喋る我が子を愛おしく見ながら、その心中に野望が芽生えていた。
レギナルトがいるから関係無いのではなくて、レギナルトがいなければ可愛い息子に望めなかった地位が約束されるのだ。それも〈冥の花嫁〉という最高の条件で。次代を考えなければ幾らでも暗殺は考える事は出来た。実際過去にもその様な暴挙にでた皇族がいたが、結果として聖剣の後継者を失う事は国を荒れさせた。
ベアトリーセも若い頃、同じく何度かはそういった愚かな行為を計画した事もあった。しかし大逆を恐れて断念していた。だが〈冥の花嫁〉がいる今なら問題は無い。これは緊急事態の為の処置方法なのだろうが、なんと都合の良い事か・・・・・
(レギナルト、憎い妹イルゼの息子。そしてわたくしから第一皇后の地位を奪った忌まわしい子・・・・)
ベアトリーセは、ニタリと微笑んだ。
「よう分かった。それは残念だったのう。美しい娘だったのだろう。どれ慰めで話しを聞かせてはくれぬか?」
「そうだね。聞いてもらおうかなぁ〜それに僕も話したいこと色々あるしね」
ティアナとレギナルトは帰り道の馬車の中、お互い行きと同じく沈黙していたが、その無言の下にある感情は大きく異なっていた。レギナルトは自分の考えていた最悪の状態だと勘違いをしていて、もどかしい思いにとりつかれていた。
ティアナはクヨクヨ考え込むかと思ったが違っていた。
皇子が時折見せる激しい独占欲は今思えばとても嬉しかった。それは愛で無く自分のものだと言う所有権からきているのだろうと思う。だから自分の気持ちは皇子に話すつもりは無かった。
皇子の愛が得られないのなら、自分から所有権を満足させるような告白をしたくなかった。
そして自分をいつも見続けて欲しいと思うささやかな願いを抱いていたのだった。