レギナルトは皇帝を皇宮へ送り届けると、ふと思いあたってティアナを迎えに大神殿へ向かう。
そして相変わらず取次ぎを使う事無く大神官の私室に入って来た。
「ハーロルト、一人か?ティアナは?」
「これは皇子。本日はお疲れ様でございました。ティアナ様はゲーゼ様と隣室にてお話し中でございます」
「また、ゲーゼの長話か!付き合っていられん!連れて帰る」
ドアに向かって進むレギナルトをハーロルトが慌てて止めた。
「いいえ、ティアナ様がお話ししたい事があると人払いをされましたのです」
「・・・・・・・・・・」
レギナルトは構わず隣室の扉に手をかけた時、中からティアナの声が聞こえた。
「宿命は変えられないのでしょうか?私は皇子とこの気持ちのまま結婚したくないのです―――」
その言葉も終わらぬうちにレギナルトは扉を開け放った。
もちろんレギナルトは承知していた。ティアナが自分との結婚を嫌がっている事を。誰が彼女の心にいるのかも。しかしハッキリと 結婚したくない と言葉にされては自分の中で何かが壊れた音がした。
「・・・・・ティアナ。今、何と言った?」
その声はレギナルトも自分で驚くぐらい淡々として冷静だった。
ティアナは皇子がこの場に来るとは思わなかった。しかも一番聞いて欲しくない相手に間の悪い話しを聞かれてしまって動揺した。
「・・・・・・私」
「皇子。今、ティアナ様とお話ししておりますのは私でございます。どうぞお引取りをお願い申し上げます」
ゲーゼはレギナルトの勘気を覚悟の上そう言ったが、予想を反して無言で皇子は静かに退室して行った。
いつもの皇子らしからぬ態度に不安を覚えたゲーゼは、ティアナは自分が送って行くからと、ハーロルトにレギナルトの後を追わせる事にした。
ティアナはカタカタと震えて、今にも倒れそうに顔は青ざめている。
ゲーゼは事の重大さを感じ静かに問いかけた。
「お話しを続けましょうか。御結婚されたく無いと言われるのは、皇子がお嫌いだからですか?」
「いいえ!違います!そんな事が言いたいのでは無いのです。全く逆なんです!皇子を好きになってしまったからなんです。この気持ちのまま結婚したく無いと言うのは理由があります。皇子は私自身を見てくれません。冥の花嫁という存在でしか見てくれてないのです。約束された花嫁・・・・既に自分のものである私に強い所有権を主張されるだけで愛では無いのです。初めはそれだけでも嬉しく思いましたが、本当にそれでいいのかと思ってしまったのです。どんなに愛しても返る事の無い虚しさに耐えていけるのかと・・・どんどん欲が出てくる自分が嫌いになりそうです。皇子は誰も愛さないのでしょう? そんな気がします」
ゲーゼはティアナが何を言いたかったのか分かった。
確かにあの皇子相手では難しい希望だとも思う。
宣託を告げた時の皇子との会話を思い出した。彼は良くも悪くも生まれながらの王なのだ。全てが自分のものであるのだから、ティアナが望むような感情は無いだろう。あの現皇帝でさえも、同情はあっても男女のそのような感情を見たことがない。脈々と続く聖なる血が物語っているようだ。
ゲーゼは大きく溜息をつくと既に泣いているティアナを慰めるように優しく話しだした。
「そうでしたらもうお止めになりますか? 皇子に出逢わなかった昔に戻りますか?宿命を変える事は出来ませんが放棄することは出来ます。貴女が婚姻を承諾しない限り、この結婚は成立しないのです」
「私?私が承知しないと出来ないのですか?」
「はい。これは皇家秘事でございますが、貴女の承諾とは冥界神が決めた貴女の幸せの為の条件なのですから。ご自由なのです。しかし、この婚姻は世界の救済に繋がります。建国時の盟約により冥界とデュルラー皇家の血が交わる事で〈沈黙の地〉に眠る魔を防ぐ事が出来るのです。ですから、どうあっても私としては御結婚を御承知して頂きたいのです。これはデュルラー帝国人民の為、いいえ此方の破綻はオラール王国にも影響を及ぼします。妖魔によってどれだけの人命が失われるか・・・」
ティアナは一般的に伝わる建国英雄物語の華やかな、まるで褒賞の一部の様に冥界神の一族の花嫁を下賜されるような話しか知らなかった。自分に帝国の運命がかかっているなど思いもしなかった。
両親を思い出した。妖魔によって生涯を終えなければならなかった事を。あってはならない事なのだ。
愛してくれないから結婚したくないと言う我儘は許されない。
ティアナは急におかしくなった。絶望が心を蝕んでいるのかもしれない・・・
「冥界神はおかしいですね。そんな条件をつけるなんて。世界の存亡に関わる事なのに、その話を聞いて誰が拒否出来ると思ったのかしら?そうでしょう大神官様?そんな馬鹿な事をする人なんていないわ。本当におかしい・・・笑ってしまう・・・・皇子は当然知っていらっしゃいますよね?私の事を見ないのは当たり前だわ・・・愛なんて世界の危機に比べたらちっぽけなもの。永久に続く義務の輪ですね・・・」
ティアナはそう言うと空虚に笑った。
ゲーゼはティアナの絶望を感じて自分が語った事を後悔した。
心優しい彼女がこの真実を知ればそう答えるのは分かっていた。自分の焦りが語ってはならない秘事を言ってしまったのだ。数百年に一度の聖なる神事を無事に終わらせたかった。
自分もティアナを〈冥の花嫁〉としか見ていなかったと気がついたのだった。
心の美しいこの少女を改めて個人として認めるとともに、冥界神に代わり行く末を見守ろうと思う。
そして何時ものように 姫 では無く親愛を込めて名を呼んだ。
「ティアナ。私の失言でした。忘れてと言っても無理でしょうが、冥界神は貴女の本当の御両親ですから親にとって世界より子供の幸せを願いたかったのでしょう。それが手放す貴女への愛の形だったのでしょう。愛の形は人それぞれだと思います。どれが正しいかは分かりません。ティアナ、貴女は自由なのです。だから自分の幸せを考えて下さい」
「愛の形・・・・・そうですね。私、間違っていました。愛して貰う事ばかり考えていましたけれどそんなの関係無かった。馬鹿ですよね。考えてみれば結局、愛する人の幸せが私の願いだと思います」
悲しみの闇に一筋の光の答えを見つけたティアナは、涙で潤んだ瞳を微笑ませた。
「良かった。貴女が微笑んでくれると私も嬉しい。しかし、困りましたね。皇子は貴女の 結婚したくない という言葉を聞いているだけなので、誤解されたままでしょう」
「そうですけど、私は皇子に自分の気持ちを言うつもりありませんから良いです。もちろん結婚を申し込まれれば承知しますけど秘密です。だって愛してくれなくても良いと思っていてもやっぱり悲しいですから・・・・言葉や気持ちを表して期待する答えがこないのは辛いから内緒です。だからゲーゼ様も言わないでくださいね」
「・・・・辛かったり、悲しくなったりしたら何時でも此処に来なさい。私で良かったら幾らでも話しを聞きまましょう」
普段はしかめっ面で厳しいゲーゼはティアナの前だけは慣れない笑顔を作る。
笑顔でおいでと両手を広げる彼に、ティアナはまた大粒の涙を流して嗚咽をあげながら抱きついた。
一方、大神官の私室から静かに退室したレギナルトは扉を後ろ手で閉めると、上を見上げて笑い出した。そして大神殿の中を走り抜け、愛馬に跨りそのまま城外に駆け出していった。
後を追ってくるハーロルトにも気付かず全速力で当てもなく駆ける。ハーロルトはレギナルトの名馬に追いつく事は難しく目視で追いかけている状態だった。
レギナルトは駆けながら胸を苦しめる思いを締め出したかった。
たかが少女一人に心を掻き回される愚かな自分に嫌気がさす。だから愛≠ネど余計な感情だったのだと思う。皇統を継ぐものとして犯してはならない愚かな行為をしているのだから。
(苦しい。気が狂いそうだ。敗北は認めない!こんな自分も認めない!全て何もかも認めない。ティアナにも私を拒絶させない!私はそれが出来るだけの地位も権力も全て持っているのだから。最後には自分から身も心も投げ出させてやる。そう、イヴァンの腕の中では無い!私の腕の中にだ・・・)
レギナルトは今まで自制していたティアナに対する思いを解き放ち、ほとばしる激情のまま神では無く自分に硬く誓ったのだった。
そして、気持ちが落ち着き馬首を皇城に向けると、途中でハーロルトが追いついた。
「ハーロルト。ティアナの側を離れて何故ここにいる」
先程の尋常でない行動をしていた皇子が、今は何時もと変わらない様子にハーロルトは安堵した。
「ティアナ様は大神官様が預かるとの事で、皇子の護衛に参りました」
「ゲーゼ、余計な事を。お前にはティアナの護衛を私が指示しているのだから大神官の言う事を聞く必要はない。命令違反だ!分かっているのか」
「処罰は覚悟しております。私は必要だと思いましたので大神官様に従いました」
ハーロルトが大神官に言われたぐらいで、第一優先であるティアナの護衛を外れる事は無い。
最近皇宮と言うかレギナルトの身辺に不信な事が度々あるからだった。まだ大事には至ってないものの無視する事は出来ない状態なのだ。それなのに皇帝がお忍びだとか冗談では済まされなかった。
しかも本命かもしれない皇子まで合流してしまった。早々に皇城に引き上げ安堵していたところへ、今度は皇子が従者も無く城外に飛び出して行ったのだからそう判断したのもおかしくない。
皇子の不興を買ったがそのまま離れず帰城する事を承知して貰った。
しかし悪い予感は当たると言うが不安は的中したのだ。
皇城近くの道にさしかかった時だった。その道はもともと林の間に通した馬車や騎馬専用の静かな道で、皇子が良く利用する道だった。
弓の鳴る音に気付いた時には数本の矢が二人に目掛けて降って来たのだ。木の上から狙っているようだった。しかも両側から射掛けている。馬は甲高いいななきと共に立ち往生する。
一射目は辛うじてかわしたが、レギナルトを狙っているのに間違いなかった。
「皇子!大丈夫でございますか!」
「ああ。七、八人はいるな。囲まれている。来るぞ!」
レギナルトは聖剣を抜いた。
二射、三射と止まった二人に確実に襲ってきては剣で叩き落していく。
馬の行く手にも射かけられて進むのもままならず、木の上からでは身を隠す事も出来ず打つ手が無かった。続けて降る矢がハーロルトの馬にかすると、急に暴れ出し泡を吹いて倒れた。
「皇子!毒矢を使っております!危険です。次の一射を防ぎます。その間に駆け抜けて下さい!」
ハーロルトは命を落とすつもりだった。毒矢はかすっても命取りになる。皇子を死守するには馬の足止めする矢と皇子を狙う矢を同時に止めなければならないのだ。
レギナルトは不敵に笑った。まるで刺客など相手にしていない様だった。
「毒矢とは、奴らは本気だな。ハッ、おもしろい!人間相手に使った事は無いから効果の程は分からないがハーロルト、私が聖剣を詠じる間だけ防いでくれ」
レギナルトはそう命ずると、聖剣を両手で捧げ持ち響き渡る声で〈闇の聖剣〉本来の力を解放する呪を詠じ始めた。
「ДЖИУЫГЛ・・・深淵の静寂を破り我は汝を召喚する。我にその闇の無限と虚を滅ぼす閃きを貸し与えよ・・・йлФжДП」
呪が終わるに従って聖剣の刀身が白銀に輝き始め、その反対に周辺は光が失われたかの様に、闇色に染まっていった。そして、レギナルトが聖剣を一振りすると、その闇を切り裂く様に閃光が降り注ぎ刺客達を一人また一人と次々に雷が直撃し瞬殺していく。レギナルトがまだ白銀に輝く聖剣を鞘に納めると、周囲は次第に明るさを取り戻していった。
地面には雷で木から叩き落された消し炭のような刺客の死体が転がっている。
「人間相手に使うものではないな。手加減が出来ない。ハーロルト、一人外したから捕まえて首謀者を吐かせろ」
ハーロルトは〈闇の聖剣〉の威力は妖魔の討伐で幾度も見た事があるが、人間相手に使ったのは初めて見た。それは虫を殺すより簡単に思え、人など全く相手にならない神業を恐怖と共に再認識した。
生き残った刺客も神の域である力を目の当りにし、その聖なる皇族に刃を向けた事にすっかり恐れをなして大人しくひれ伏していた。
しかし、これで最近の変事はレギナルトを狙ったものと証明したようなものだった。
さすがに皇宮ではこの様な強硬手段を用いる事は無いが、皇子の行動を熟知し把握しているものの犯行だと言う事は推測される。この刺客が何処まで首謀者と繋がっているのかなのだが、大胆にも皇子を狙うのだから簡単には正体を現さないだろう。
レギナルトは捕らえた刺客に向かって冷酷に嗤いかけた。
「ハーロルト。その男、仲間から口封じで殺されないように。それと全部吐くまで自害もさせるな。早く死にたいと思うような苦痛を与えられるだろうからお前は早く喋る事だ。皇族に刃を向けたものは極刑なのだから、同じ死ぬなら苦しまずに早めがいいだろう?」
男はレギナルトの圧倒的な王気に射すくめられて顔色を失っていた。
「オレは何も知らない!ただここで射掛けろと言われただけで、何も知らないんだ!それも正か皇子様だったなんて知らなかったんだ!本当なんだ!」
「それは残念だ。知らないのなら苦痛は終わる事は無いな。無知こそ大いなる罪だ」
「ひぃぃ―――っ。助けてくれ――」
レギナルトとハーロルトは顔を見合わせた。
刺客と言ってもかなりの小物で話しにならないようだと。これでは首謀者は割り出せないだろう。
特殊な皇統の継承を行うこの世界において、第一皇子を暗殺するのは愚の骨頂でしかない。皇位継承者は第一子のみで、他に皇位継承権は無いのだ。仮に第一子が早世し、跡継ぎがいなかった場合でも、第二子が皇位継承者を名乗る事は出来ないのだ。そして新たな皇統を継ぐものをもたらす〈冥の花嫁〉が現れるまで皇帝は空位のままなのだ。
そうは言っても永い歴史の中、目先の欲に溺れた痴れ者はいた。
レギナルトも幼い頃は度々、イヴァン派の貴族から命を狙われた事があった。最近では無くなっていたのだが、これもその手合いなのか〈冥の花嫁〉の存在を察知した皇位を狙う皇族か、ただの怨恨なのか―――狙われる要素は幾らでもあった。
憂いが無くなるまで〈冥の花嫁〉を隠そうとしても秘密はいずれ洩れるもの。
その線だとすれば首謀者は絞られてくる。皇家の血筋は長年管理されているから〈冥の花嫁〉との婚姻に条件の合うものは容易にわかるのだ。最有力候補はもちろんイヴァンなのだが本人はそういった事に全く無関心だ。だが生母やその取巻きの派閥は別なのだ。
そう考えるとレギナルトは最悪の情景が脳裏に浮かんできた。大神殿で婚儀を挙げるティアナの隣には自分では無くイヴァンがいた。
(確かに私が死んだとしても、ティアナがイヴァンと婚姻を結べば帝国に何の支障も無いと言う訳か。嗤えない話だな・・・)
レギナルトは、惹かれあっている二人に割り込んでいるのは自分であって、神の定めた運命はこの二人の為にあり、自分は無になる定めなのかとさえ思ってしまいそうだった。
レギナルトはその後、暗殺の件は他に気取られ無いよう、ハーロルト達に処理を指示して皇子宮へ戻ったが先程の思いに囚われて続けた。だが夜も更けてそろそろ寝台に入る位の時間に、人払いをしてティアナを連れてくるように命じたのだった。