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ハーロルトは近衛兵第一隊を招集して、エリクと共に皇宮のレギナルト皇子の指示を待った。
昔から、皇后達の確執は避けがたいものになっていた。以前からあった度重なるレギナルト皇子暗殺も、第二皇后ベアトリーセが糸を引いていると言う噂は絶えなかったのだ。前回は取巻き貴族のご機嫌取りだったとの安易な理由で、皇后は無関係として片付けられてしまっていた。その犯人となった貴族に苛烈な処刑が行われたのは言うまでも無い。もう、誰も皇子を狙うなど思うのでさえ恐怖する制裁だった。それ以後、暗殺事件は起きる事がなかったが、ついに最大の禍根を断つ機会が訪れたのだ。
アウラー公爵家は帝国でも皇家と繋がりが深い大貴族であり、皇家といえ迂闊に手が出せないまでに増長していた。第二皇后ベアトリーセの謀反は政治的にも都合が良かったのだ。アウラー家も叩けば幾らでも埃は出るだろう。先日の地方領主のように、皇家の目を盗んで私服を肥やすもの達の良い見せしめとなり、貴族たちの膿を出すことが出来る。
レギナルトが現れた。彼は腰に佩した闇の聖剣の鞘が銀に鈍く光っているだけの、全身漆黒の服を纏っている姿だった。まるで天の裁きを与える死の神のようか、それとも死んだ魂を抱く冥の神のようだった。レギナルトは揃った近衛兵を見渡すと、下知を飛ばした。
後宮の第二皇后の棟である西側の各入り口に兵を配して包囲する。迅速な行動は一糸乱れず後宮の静寂を破ることは無かった。
ベアトリーセはここ最近、後宮から表に出ることが無かった。派手好きの皇后にしては社交の場に現れず、引きこもっている様子なのだ。あれだけ行き来した私邸にも行かず、イヴァンが逆に後宮に入り浸っていた。レギナルトは陰謀に忙しくて自分の遊びなど後回しなのだろうと思った。
足早く奥へ奥へと続く扉を開け放ち、ベアトリーセがいる部屋へ踏み込んだ。
ベアトリーセはただ一人長椅子にうつ伏せるように座っていた。
扉の開け放たれた音と、駆け込む多数の足音に彼女は身体をゆっくりと上げた。
久しぶりに見たベアトリーセの面変わりした様子にレギナルトは驚いた。
若い頃は宮廷一の美貌を誇って高慢に輝いていたが、今は幽鬼のように弱々しく見る影も無い。
今頃、罪を悔やんででもいるのだろうが?それでも今更遅いのだ。
レギナルトは虚ろにこちらを見つめる皇后に、皇帝の署名が入った逮捕状を開いて罪状を述べた。
「――――以上。これより第二皇后の位を剥奪、第一級罪人として投獄する」
レギナルトはあまりの手応えのなさに不信に思った。
観念したと言う様子でも無い。どこか違和感を覚える。
兵がベアトリーセに手をかけた時、彼女が笑いだしたのだ。その笑いは嘲笑でも悔しさからでも無かった。それは安堵したような喜びの声だった。
「何を笑っている?野望が潰えて気でも狂ったか」
「ああぁ・・・皇子、感謝いたしますぞ。いつ、わらわを捕らえに来てくれるかと待っておりました・・・早く、早くあれを殺して下さいませ」
「何を言っている。何を殺せと言うのだ?」
ベアトリーセはガタガタと震えだした。
幽鬼のように青ざめていた顔は血の気を失っていた。そして激しく首を振った。
「イヴァン!イヴァンでございます。あれが、あれが全ての元凶ですぞ!」
「自分の罪をイヴァンに着せるつもりか?愚かな。即刻、投獄しろ!」
暴れるベアトリーセを兵士らが押さえつけた。
レギナルトは、醜いものでも見るようにベアトリーセを見据えた。
「皇子よ!イヴァンはイヴァンであって我が子では無くなったのじゃ!あの子は妖魔じゃ。嘘では無い、奥の部屋を見るがいい。奴が食した娘達の亡骸が山積みぞ!」
世迷言をとレギナルトは思ったが、奥の部屋を開けさせた。
しかしそこには累々と積まれた干物のように精気を吸い尽くされた亡骸があった。
「な――っどういう事だ。これは―――」
「イヴァンが、あれがした・・・わらわの侍女達じゃ。あれがアデーレと帰って来てから違和感を持っていたが、そう、そなたが冥の花嫁とイヴァンを訪れたのを境に全てが始まったのじゃ・・・・あれは」
ベアトリーセが告白し始めた。あの日、イヴァンは言った。
『そうだね。聞いてもらおうかなぁ〜それに僕も話したいこと色々あるしね』
ふとした時に見せる表情と言動に違和感があったが、誰が我が子を疑うだろうか?
微笑む姿と声は正しくイヴァンだったのだから。
部屋で二人になるとイヴァンはティアナの話をしだした。何時知り合ったのか、どうして好きになったのかと・・・・それはまるで恋したての少年のような様子だった。
その夢見るように話す口から耳を疑うような言葉が綴られ始めたのだ。
『―――でね。兄上が僕達を引き離したんだ。だけど良かったよ。この馬鹿な男は利用価値も無い平民の女に入れあげていて、利用価値のある婚約者の公爵家の姫を捨てようとしていたんだから。馬鹿な記憶と感情には嗤ってしまう。たけど冥の花嫁だったとはね〜皇族より美味だろうね〜』
イヴァンが舌なめずりして、今まで見た事もないような残忍な笑みを浮かべた。
『そ、そなた・・・何を言っておるのじゃ・・・いったい』
イヴァンはその歪んだ顔を、母の目の前にピタリと定めると嗤った。
『まだ分からないの?親子揃って間抜けだな〜僕は僕であって僕じゃない。兄上の命で任地に赴くところでこの身体を頂いたのさ!ほら』
イヴァンであり彼では無いというその者から、ドロドロと粘る物体が頭からズルリと半分抜け出した。光りを失ったような虚ろな紫の瞳がベアトリーセを見て 母上 と呟いた。しかし、再び醜悪な物体はイヴァンの内側に溶け込んでいった。
『ははは、さすがに冥神の血筋なだけある。まだ意識があるようだ』
『う、嘘じゃ。イヴァンは、イヴァンは・・・』
『本当に良い身体が手に入ったよ。本当は第一皇子の方が良いと思ったけど、今日見て諦めた。皇家の力が強すぎて無理だからね。それよりも奴を殺して僕がこの帝国を手に入れた方が簡単だと思ったよ。この間も殺そうと思って妖魔を仕掛けたんだけど、全部やられてしまった。反省したよ。人間は人間のやり方で殺す方がいいとね。今まで散々、仲間を殺してきた皇家なんて滅ぼしてやるんだ。そして妖魔の帝国を築くんだ!ねえ、母上。僕が皇帝になるのが望みなんでしょう?役に立ってよね。そうすれば食べないでいてあげるから』
――――レギナルトはベアトリーセの話しを聞き終わり、有りえない事実に困惑した。
否定したいが、あの亡骸の存在は否定出来ない。妖魔は下級のものは知能が低く人間の血肉を食らうが、上級になってくると知能が高く狡猾で、人型をとり人間の精気を吸う。しかし人型の妖魔は話には聞いていても実際見た事が無かった。しかも身体ごと憑かれて記憶さえ奪い、自在に操る妖魔は聞いた事は無い。今までに存在しなかった強力な妖魔が出現してしまうまで、この地の封印が弱まってきていたのかと痛切に感じた。
ベアトリーセは逃げる事も出来ずに、表だった協力をしていたようだった。毒殺の件で思わず証拠に辿り着けたのは、彼女が巧妙に仕組んだ事だったのだ。レギナルトに知らせて、イヴァン=妖魔からの開放を願ったものだった。
「イヴァンは今どこに?アウラー家で見かけたがもう帰っていった筈だが」
「確か、今日は冥の花嫁の味見をするとか言って出かけて・・・・」
「馬鹿な!」
「わらわは止めていたのじゃ。花嫁がいなくなったら皇帝になれぬと。だが、なかなか皇子の暗殺も上手くいかず機嫌が悪くて、侍女達を食い尽くしていたが、もう飽きたとか申しておって・・・ああ、恐ろしい」
あの場はハーロルトとレギナルトの気配を感じて一旦去ったのだろう。
イヴァンの身柄を確保するのが先決だった。レギナルトは近衛兵全隊員あげての捜索を指示した。
居場所特定させるのを第一優先とし、手出し無用との事だった。その妖魔は恐らく聖剣でしか対抗出来ないと思われるからだった。
レギナルトは焦る思いを隠す事なく、ティアナの元へ直走った――――
その頃、皇子宮に戻っていたティアナは会ってはならない訪問者が訪れていた。
「ティアナ様。イヴァン皇子がいらっしゃいましたが・・・どういたしますか?」
事情を知っているドロテーが、気遣わしげに訊ねてきた。
「えっ?駄目。会いたくないから断って!」
「それは酷いな〜」
イヴァンは既に取り次ぎを無視して、彼女の部屋の入り口に立っていた。
「イヴァン!あなた、どうして」
「ああ、勝手に入って来たこと?僕は一応、第二皇子なんだからね。皇子宮だって兄上でなければ僕を止める事なんて出来ないよ。あのね、二人で話したい事があるんだ。そこの君下がってくれない」
「私は話す事は無いわ。ドロテー此処にいてちょうだい!」
ティアナの言う通りに動こうとしない侍女に、イヴァンは不機嫌に命令した。
「この僕が言っているんだよ!退室してよ。皇族に逆らうつもり?」
何時もあの威圧的なレギナルトに対抗するドロテーにとって、イヴァンなど役不足で問題外だった。
平然と澄まして答えた。
「私の主人はティアナ様ですから、主人の命が優先でございます。それにレギナルト皇子からもティアナ様を第一優先にと命じられておりますから、申し訳ございません」
「ふん!もう良いよ。(生意気な!後で食ってやる!)じゃあ、ティアナさっきの話しの続きしようか?僕は友達で良いと言っているんだよ」
「駄目よ。あなただってレギナルト皇子の気性は知っているでしょう?私達は恋人同士だったのよ。それなのに今は只の友達です≠ネんてあの皇子に通用すると思っているの?皇子は私に近づく者は絶対に許さない。イヴァンあなた、皇子に殺されるわよ!」
ティアナの言う事は、ありえる事だとドロテーも思った。
レギナルト皇子なら、そうするに違いないと。それ程までに狂おしくティアナを愛して求めているのだから当然だろう。ティアナ本人が一番気付いているようで気付いていないのが、ドロテーにはもどかしかった。あれだけ烈しい求愛の態度をとられているのに、只の所有欲としか思ってないティアナに呆れていた。しかし、イヴァン皇子との事があるから気付かない振りをしているのかもしれないとも思っていた。いずれにしても、自分はティアナの味方だと自負しているので、彼女がイヴァン皇子を退けるなら手伝うまで!と、皇子に反抗心を燃やした。
しかし、このへらっとして優しげな皇子がドロテーを手荒く押しのけるとは思わなかったのだ。
「イヴァン!ドロテーに何をするの!」
「邪魔なんだよ!べったり守るみたいにくっついて!」
ドロテーは転倒して強かに身体を打ちつけた様で起き上がれなかった。
駆け寄ろうとするティアナをイヴァンは絡め取るった。
「離して!イヴァンあなた、おかしいわよ。こんな事する人じゃないでしょう?」
「うるさいな〜僕がなんだって?だいたい君は僕が好きなんだろう?あいつになんか渡さないよ。ぜ〜んぶ僕の物さ!全部ね」
イヴァンはティアナの両手を片手で封じ込めると、グイッと後ろ髪を掴んで乱暴に仰むかせると唇を奪った。
ティアナは信じられない思いで瞳を大きく見開いた。
イヴァンが何時もしていた小鳥がついばむようなもので無かった。ティアナは嫌悪しか感じられなかった。レギナルトと違う感触に吐き気を覚えたが、イヴァンは離そうとしない。
その時、扉が激しく開く音がした。
顔はイヴァンから固定されて動けない。
視線だけ扉の方に向けると入り口に立つ、レギナルトの激昂した姿が映った!
(あっ!)
ティアナは驚いて声をあげたが、声にはならなかった。
「イヴァン!離れろ!」
イヴァンはティアナから顔を離した。しかし、その腕は彼女を強く抱きしめたままだ。
「兄上。お留守のところお邪魔して申し訳ございません。先日の兄上の忠告は守れそうにないです。僕は気付きました。アデーレの事は好きだけど妹のようにしか思えないと。でも彼女は違う。失いそうになって自覚したんです。ごらんの通り愛し合っていますから。お許しください」
「よくも抜けぬけと!」
ティアナが捕らわれている以上、イヴァンの正体が既に判明していると彼に悟らせる訳にいかなかった。レギナルトは何とか彼女から離れさせなくては、と内心焦るが正体を知らないティアナが、イヴァンと口づけをしていたのを目の当りにして嫉妬に狂っていた。相手は妖魔なのにイヴァンとの密会を暴いた気分だった。
しかも妖魔でなくてもイヴァンの気持ちは正しくその通りだと知ったから尚更だった。イヴァンの本心はティアナにあって二人は愛し合っていた―――それを引き裂いたのは自分だ!
ティアナは、イヴァンから逃れようともがいて、レギナルトに必死に訴えた。
「皇子!違います。イヴァンとは何でもありません!」
「ティアナ。イヴァンを庇っているのか?私が殺すと言ったからか?今、あれを見せ付けておいて、その言い訳は苦しいと思わないか?」
レギナルトの声の調子がゆっくりと低くなっていった。本気で怒っている時の特徴だった。
段々近づいて来る皇子に向かって、ティアナは違う、違うと叫ぶように首を振った。
「違うはないだろう?ティアナ。この間だって僕の事好きだって言ったじゃない」
「違うもの!イヴァンは好きだったわ。だけどそれは只の憧れだったのよ。恋に恋していただけで好きの意味が違っていたの。男女の関係で好きかと聞くなら違うわ。だからあなたと恋人になんかなれない!私は、私は(レギナルト皇子が好き)・・・・」
最後の言葉を呑み込んだティアナの告白に、イヴァンは気にする様子が無かったが、驚いたのはレギナルトの方だった。さり気なく近づく歩みを止めて、思わず彼女の言葉を反芻してみた。
(どういう事だ? いいや、それよりも奴を斃すのが先決だ!)
レギナルトは再び彼らに近づきティアナの腕を掴んで引いた。二人の瞳が絡み合う。
「いずれにしても彼女は返してもらおうか?イヴァン」
「―――仕方ないな〜今日は一応退散するよ。でも、次は無いよ、兄上」
イヴァンは大人しく引き上げる事にした。
今まで遊び半分だったが 次は無い との宣言通りに、レギナルトの命を今度は本気で狙うつもりだ。