最終章 星の夢3

  
 イヴァンが背中を見せた時には、闇の聖剣は鞘から抜き払われて、レギナルトは呪を詠じ始めていた。

ДЖИУЫГЛ・・・・深淵の静寂を破り我は汝を召喚する・・・」
それを見たティアナは皇子が本気でイヴァンを殺すつもりだと叫びかけたが、その叫びは有りえないものを見た叫びに変わってしまった。
それは結界で闇色に染まった室内でも関係なく、まるでそこを切り取ったようにハッキリと見えた。
呪は聖剣の力の解放とは別に妖魔を呪縛する。
後ろを向いていたイヴァンが顔だけ真後ろに向いたのだ。その秀麗な顔はダブったように歪んで醜悪な物体がズルリと抜けてきた。
それでもイヴァンの口はしゃがれた声をだした。

「ぐおおぉ――何故!そ、そうかあの女だな?役立つと思って生かしていたのに!」
・・・・我にその闇の無限と虚を滅ぼす閃きを貸し与えよ・・・йлФжДП」
レギナルトは呪を続けた。妖魔には恐怖を与え、人々には安らぎを感じさせる不思議な音律―――
妖魔は抜け出しかけた体を再び、イヴァンの中へ戻し始めた。
呪を詠じ終えた皇子は、聖剣からほとばしる白銀の輝きをイヴァンに向けた。

「い、良いの?弟を一緒に殺してしまうよ」
「黙れ!もう取り込んでしまっているだろうが!」
レギナルトが聖剣を握りなおして
(つらぬ)こうとした時、
「兄上!殺さないで、僕を助けて!」
イヴァンの声と顔で叫ばれ一瞬、剣を止めてしまった。
それを逃さず妖魔は剣の間合いから外れたのだ。だが、急にイヴァンは胸をかきむしりながら、もがき始めた。

「ぐおおおぉ―――っ、やめろ――」
イヴァンの身体からあの醜悪な物体がまた抜け出してきたのだ。上半身に二つの身体。
イヴァンの身体の方が弱々しかったが、妖魔と違う意思の言葉が発せられた。

「・・・あ、あにう、え。今のうちに僕に構わず妖魔を・・・斃して・・・」
イヴァンの自我はまだ妖魔に取り込まれていなかったのだ。聖剣の呪で弱まった妖魔の縛から抜け出してきたようだった。
レギナルトは半分抜け出した妖魔に聖剣を突き刺した。剣先から白銀の閃光が妖魔に流れ込んだ。

「ぐげぇぇ―――」
妖魔は完全にイヴァンから抜け出し、その姿を現した。おぞましいその姿はハッキリとした形をとっていなかったが、両手とおもわしい鋭く長い爪が光っていた。
レギナルトは、くるりと体勢を整えて聖剣を持ち変えて踏み出そうとした時だった、急に後ろから羽交い絞めされたのだ。虚ろな瞳のイヴァンが皇子を押さえ込んでいた。
妖魔が抜けても長く融合していたイヴァンは、妖魔の傀儡の呪からは開放されてなかったのだ。

妖魔は嗤ったのだろうか不気味な音をたてると、毒々しく光る爪がレギナルトに向かって振られた。
闇色の室内でその光景は、陽光の中で見ているようだった。鈍く光る爪と芳しく香る赤い血が一緒に軌跡を描いた。ゆっくりとまるで時間の流れが止まったかのようだった。
「ティ、ティアナ―――っ」
ティアナは考えるよりも先に身体が動いていた。皇子を庇うように妖魔の爪にその身をさらしたのだった。
彼女は安堵したように微笑むと、レギナルトの胸に倒れこんだ。

目の前の出来事にイヴァンも呪から解かれ、レギナルトの縛めを外していた。
レギナルトはティアナを片腕で支え、狂ったように聖剣を妖魔に振り下ろした。大地を震わすような断末魔が響き渡り、妖魔は蒸気のように霧散していった。
レギナルトは聖剣を鞘に納めて結界を解き、ティアナを抱え上げて寝台に向かった。
彼女の背からは聖なる血が止めど無く流れ、レギナルトの腕を濡らしていく―――
温かいそれは命の炎のようだ。命が流れる・・・・
「医師を呼べ!急げ!ティアナ、しっかりしろ!何故こんな事を」
レギナルトの全身に廻る血が冷たく凍っていくようだった。

「まだか!早くしろ!ティアナ、ティアナ!」
寝台に横たえると、ティアナが薄く瞳を開いた。

「――皇子、大丈夫ですか?」
ああ、と、レギナルトは自分の頬に彼女の手を当てて頷いて見せると、ティアナは安心したのか再び瞳を閉じた。

 ティアナの負った傷はかなりの深手で、何日も昏睡状態が続いた。時折目覚めても再び昏睡する。
医師団の治療も空しく、日に日に弱まっていくばかりだった。
レギナルトは、付きっ切りでティアナから離れる事が無かった。守れなかった自分に対しても、また不甲斐無い帝国一であるだろう医師団に対しても憤っていた。

「どうだ!まだ治せないのか!お前達、もし彼女を死なせるような事があれば、その首が胴体に付いてないと思うがいい!」
医師達は皇子の勘気を受けても、体力の無いティアナに回復のめどがたたなかった。
筆頭医師が低姿勢で覚悟を決め言上した。

「殿下に申し上げます。誠に残念ながら、ティアナ様のお命に陰りがございます。もうそれほどお時間は無いかと思われます」
レギナルトはティアナから視線を外し、後ろで聞きたくも無い言葉を吐く医師を見た。

「・・・・もう一度、もう一度、申してみよ」
医師は皇子の自分を突き刺すかのような鋭い瞳で射抜かれて、息を呑んだ。

「・・・もう、手の施しようがございません・・・」
レギナルトは彼らに当たっても仕方が無いと分かっているが、怒りのやり場が無かった。
医師達も、その場で切り殺されるかと思うような殺気が皇子から立ち昇り、目を閉じた。
しかし、ティアナが身じろぎして薄っすらと瞳を開けたので、皇子の意識がそちらへそれたのだった。

「ティアナ!私だ。分かるか?ティアナ」
「・・・・・皇子? 私は?・・・・お願いが・・・あります・・・・あ・・の野原に連れて行ってくれませんか?・・・父さん達の・・・あの花を植えていて・・・最近行ってないから・・・・心配で・・・」
「何を急に・・・そんなの身体が治ってから幾らでも行けば良い」
「・・・それは、たぶん無理かな・・・皇子、駄目ですか?」

筆頭医師が沈痛な面持ちで、最後の願いをお受け下さい、と小声で言うのが聞こえた。
もう最後の覚醒のようだった。
レギナルトはきつく瞼を閉じて開いた。その瞳に怒りは無かった。穏やかで限りなく愛しむような光りが宿っていた。

「ああ、分かった。あの神殿跡だろう?今直ぐ連れて行ってあげよう」
ティアナはかすかに微笑み頷いた。近くにはドロテーの忍び泣く姿があった。

街を抜けて広がる一面の野原は、短い秋の終わりにも関わらず花々を咲かせていた。崩れた神殿跡の周りには、ティアナが少しずつ植えていた〈星の夢語り〉の花が優しい音色を奏でていた。
ティアナのお気に入りの場所であった神殿の壁を背中にする様にレギナルトは彼女を腕に抱いて座った。

「寒くないか?少し風が出て来たようだ」
ティアナは、ふふふっと笑った。

「何が可笑しい?」
「何だか可笑しいです。皇子が優しいから・・・・」
「ははっ、確かに私はお前を恐がらせてばかりいたからな」
ティアナは動くのも辛いが、レギナルトの顔が見えるように身体をずらして見上げた。レギナルトは彼女の体勢がきつく無いように抱き直してやった。
ティアナは、ちらりと野原に視線を流し、また皇子を見た。

「・・・この野原大好きなの。イヴァンとも良く来たわ。思い出もいっぱい・・・」
「・・・そうか・・」
「ふふふっ、でも一番の思い出は、皇子と初めて会った時かしら?今までの思い出なんか全部吹き飛んだぐらい印象的だったもの・・・」
「それを言われるとつらい。あれはすまなかった」

「そうよ。私のこと性悪女に決め付けて・・・もう本当に怒ったのだから。皇子のこと憎らしくって、恐くって・・・・変ね、私。今日はとっても強気だわ・・・最後だからかな・・・」
レギナルトが、ビクリと肩を揺らした。
ティアナは呟くように話を続けている。

「そう、皇子。皇子が私のこと宿命の〈冥の花嫁〉だとしか思っていないのは分かっていますけど・・・最後だから言わせて下さいね。憎らしくて、恐くて、だけど無視出来なかった。どんどん惹かれて行く自分にも戸惑ったりもしました。でも・・・イヴァンとは違う 好き を自覚してしまったから・・・愛していました・・・・」
レギナルトは自分の耳を疑った。自分の都合の良い幻聴なのかと―――

(今、彼女は何と言った?私を愛していたと言わなかったか?)
「ティアナ。今、何と?まさか私を愛していると?」
「ごめんなさい・・・ずっと言わないつもりだったけど一度言いたくて。忘れて下さい」
「何を謝る?忘れろだと?何を言っている!こんなにお前を愛しているのに!」
「えっ?私を愛している?」
「そうだ!分からなかったのか?冥の花嫁なんか関係ない!そんなものになっているから逆に私は落ち着けなかったぐらいだ。何時お前を奪われやしないかと嫉妬に狂っていたのだから――初めて此処で眠るお前を見た時から私の心は掻き乱され続けていた。自分でも狂っているとしか思えないくらいお前を求め続けた。愛している・・・・誰よりも何よりも我が命よりも・・・お前を愛している・・・」
ティアナは思ってもみなかったレギナルトの告白を聞き、胸がいっぱいになって涙が溢れだした。視
界が涙で霞む。皇子をもっと、もっと見たいのに霞んで見えない。
ティアナは皇子の何を見ていたのだろうかと思った。自分を見つめるその紫の瞳は紛れも無く愛を語っていた。その瞳を何度も見ていた筈なのに・・・・・

「ああぁ。嬉しい・・・ありがとうございます。父さん、母さん、そして本当のとうさま、かあさま、私幸せです。幸せでした・・・・」
二人は見つめ合った。
レギナルドは涙の残るティアナの瞳に優しく口づけをして、頬に、額にと彷徨うように口づけを繰り返した。そして歓喜で小さく震える彼女の唇に辿り着くと、今までの想いを伝えるかの様に深く深く口づけた。
ティアナも初めてたどたどしく皇子に応えていたが、次第に意識が遠のき始めた。
脈打つ鼓動も次第に弱くなっていく。
レギナルトが彼女を揺さぶるが、その瞼は瑠璃色の瞳を隠したままだった。
彼はティアナを強く抱きしめて慟哭のように叫んだ。

「神よ!冥の神よ。貴方の娘をそちらに呼ばないでくれ!代わりの命がいるのなら私の命を捧げよう!神よ―――っ」
返事などある筈もなかった。只、花の音色が風にのって優しく鳴っているだけだった。
レギナルトは闇の聖剣を抜くと、自分の首元に当ててティアナに微笑みかけた。

お前は臆病で、すぐ泣いてしまうから心配だ・・・共に行ってやろう。いつまでも一緒だ。誰も私からお前を奪うことは出来ない。死で別つことさえも・・・・・」
レギナルトはそう言うと、軽くティアナに口づけして剣に力を込めた。
その時、冷たく光っていただけの聖剣が白銀に輝き、瞬く間に周囲が闇に染まった。
驚くレギナルトの真上には満天の星空が広がっている。朽ちた神殿は傷一つない支柱が建ち並び壮麗に白く輝き〈星の夢語り〉の音色だけが現実感を与えていた。
ふと気が付けば目の前に、言葉では表すことが難しい形容しがたい美しい男女が立っていた。
女性の方は何処かティアナに雰囲気が似ていて、瞳の色は同じだった。その二人がティアナに手をかざすと光りが弾けたようだった。
強い光りに目が眩んで、再び目を開いた時は何も変わったことは無かった。
一瞬の出来事でいったい何が起きたのかと周囲を見渡しても怪異を見つける事は出来なかった。

しかし、レギナルトは、はっと息を呑んだ。
胸に抱いたティアナの鼓動が力強く脈打っているのだ。青ざめた頬に朱がさしている。

「ティアナ!ティアナ!」
レギナルトは狂ったように呼びかけた。
再び見ることが叶わないと思っていた瑠璃色の瞳が開かれたのだ。その瞳は生命力に溢れていた。
神の奇跡が起きたのだ。

この土地は遥かなる古の時代、まだ各界を行き来していた頃。冥界の人々が自界の聖域に模したところだった。そこに冥界に咲くと言う〈星の夢語り〉と〈闇の聖剣〉が揃い、
魂魄(こんぱく)にならない限りこちらから開くことの無い扉が開き、神が彼女を救ったのだった。
そして夢うつつのティアナに冥界の両親は
これからも幸せに と囁いてくれていた。

  

「ティアナさま〜お待ちください。そんなに急がれてはお靴が汚れます!」

「ティアナ様!お待ちを!」
ティアナは馬車から飛び降りると駆けだした。
ハーロルトは馬を御者に預ける間もなくドロテーと一緒に追いかけた。
ティアナは振り向いて叫んだ。

「早く、早く。靴なんか気にしないから!」
走り出そうとするティアナが、ふわりと抱き上げられた。

「きゃっ!」
「そんなに急いで何処に行くんだ?」
「皇子!もちろん皇子のところに急いでいたのよ」
「はははっ、お前を急いで連れてきてくれるなら靴ぐらい何百だって贈ってあげよう」
息せき切って追いついたドロテーは、呆れて二人を見た。
最近では見慣れてきたものの何時も眉を吊り上げるか、眉間にしわを寄せるかしなかったレギナルト皇子がティアナの前では、目のやり場が困るくらい甘々なのだから驚きだ。

(靴を何百?きっと近々届けられるに違いないわ。有言実行の皇子のことだから必ずされるから恐ろしい)
ドロテーは、ぞっとしながら靴用の部屋も用意して貰おうと思うのだった。

ティアナは今、日課が増えてこの神殿跡地に来ている。神殿を新しく造営している最中なのだ。
ティアナを救ってくれた冥神に奉納する為にレギナルトが始めたことだった。
そして完成した神殿で二人の婚礼を挙げる予定となっている。
ティアナはそれまでに神殿の周りを〈星の夢語り〉でいっぱいにしようと計画中だった。
現場にはレギナルトも進行状況の監督のため、度々やってくるのだ。

夢で見たそのままのように壮麗に建ち始めた神殿を二人で見上げた。

「皇子?なんだか以前見せてもらった完成図と違いませんか??」
「ああ。ゲーゼの奴が調子にのって予算をつぎ込んでいつの間にかああなってしまった。仕舞いにあの爺、自分は此処に移るとかぬかして! また調子にのった父上までもそれなら皇城を此処に移そうとか馬鹿げた事を言い始めて!まったく」
「ふふっ、それは大変ですね。あの二人が組むと恐いもの無しみたいですものね?」
「笑いごとじゃない!ああ、そうだ。ティアナ、お前を二人の担当にしてやろう。あの二人もお前の言うことは何時も素直に聞くようだからな」
「酷い!そんな係りになったら私、皇子の側に少ししか居られませんよ。だって!」
「話が長いもの」 「話が長いからな!」
二人は同時に言って笑いだした。

ティアナは白く輝く神殿を見ながら、冥の国を想い呟いた。

私は幸せです と―――



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