冥の花嫁 5

 
  それから幾日も過ぎたがほぼ毎晩、ナイジェルはツェツィーリアの元に現れ一夜を過ごす。
寝る時も自室に帰らず当然のようにツェツィーリアの隣に入るが触れる事は無かった。
話しもせず、まるでツェツィーリアがその場にいないかのように自分のしたいことをしていた。
ある時は明け方近くまで仕事をしていたり、弦楽器を爪弾いていたり、何か本を読んでいたりなどなど・・・

それでも時折、視線を感じた。振り向くとその視線はどこかに流れていく。

そして今日も静かな夜だった。

体調は戻り監禁されている訳でも無いから、部屋の外へでも気晴らしに出ればいいのだがそんな気持ちにはなれなかった。外へ出ればイレーネに会ってしまうかもしれないと思い怖かった。
彼女の気持ちを思えば自分が恨まれても仕方が無い事なのだが・・・
まだその怨嗟を受けるには心が強くなかったのだ。

それを思い出して硝子扉の外を見ながら溜息をひとつついた。

長らく外を眺めているツェツィーリアにナイジェルはそっと視線を送っていた。
本当は片時も側を離れたく無かった。
脅迫して承知させたとは言っても又、同じような事をするのでは無いかと気が気では無いのだ。
気が気では無い=H何故?

(ツェツィーリアは盟約に記された契約を果たす為の大事な物だからだろう?)
自問自答を繰り返す。でも何かが違うような気もしていた。
その感情が自分では分からないのだ。誰も教えてはくれなかった。
嫌、知る必要など無かった。あらゆる感情は全て邪魔でしか無かったのだ。
幼くしてこの大帝国を治めていくには必要な事だった。その結果、どんなものでも手に入らないものは無かった。人の心でさえその地位で手に入り思うように動かしていた。
実際、先日も食事を嫌がる彼女の心を従わせたばかりだ。それなのにこのツェツィーリアを手に入れた気がしないのだ。彼女の身体も自由もその未来さえ手に入っているのに・・・何故か自分の心が渇いているような気がしてならない。

ツェツィーリアの眺める外を見た。

(・・・・今日の月は美しいのだろうか?)

以前静かに過ごした夜、彼女が夜空を見上げて月が美しいと言っていたのを思い出した。
その時初めてナイジェルは月をそういう目で見たのだった。

「今日の月は美しいのか?」
ツェツィーリアは、はっとした。

いつの間にかナイジェルが真後ろに立っていた。
そして硝子扉を押した。そこは外へと繋がる扉だった。夜のひんやりとした風がツェツィーリアの髪を揺らした。外へ踏み出すナイジェルにツェツィーリアは誘われるように思わず付いて行った。
二人は会話する事無く夜の城を散歩した。
ナイジェルはツェツィーリアの歩調に合わせて立ち止まったり、ゆっくり歩いたりしていた。
久し振りの外の空気と夜の風景にツェツィーリアは心が癒される思いがした。
そして立ち止まって月を見上げた。涙が出そうだったからだ。
ナイジェルの背中を見ると胸が切なく苦しくなった。
こんなに手に届くぐらい近くにいるのに彼の心は夜空に浮かぶ月より遠かった。
手を伸ばしても届かない月のように―――

やっぱりこの人が好きなんだとツェツィーリアは思った。
初めて出逢った時から自分の心は囚われていたのだろう。
見つけた紫色の宝石に―――

ツェツィーリアが名づけた夜の花園≠フ石畳にさしかかった。

ツェツィーリアは涙を拭きながらその道にしゃがみ込んだ。
ナイジェルはその気配に立ち止まると肩越しに彼女を見守った。
ツェツィーリアはいつもの様に宝石を見ているようだった。
彼女はいつもそうやって何かを探していた。

(確か・・・紫色が無いとか言っていたな・・・)
ナイジェルは未だにこれの何が楽しいのか理解出来ないが、彼女が久し振りに嬉しそうにしている様子に魅入っていた。

その時だった。数人の地を蹴る音がした。ナイジェルはその音よりも早く反応し、剣を抜いていた。
黒装束の男達が剣を手に襲い掛かってきたのだ。彼らはナイジェルのみを狙っているようだった。
しかしナイジェルは難なく一人目を切り捨てていた。
そしていつの間にか護衛兵達が凶漢らを取り囲んでいたのだった。
ツェツィーリアは二人だけで歩いていたと思っていたが護衛の者が近くにいたのだ。

凶漢達は瞬く間に捕らえられて石畳に押さえつけられていた。

ツェツィーリアは怪我をしていないかとナイジェルを見たがその姿に戦慄を覚えた。

彼は冷たく酷薄に嗤っていたのだ。
「まだ私を狙う愚かな皇族がいたのか?これは傑作だ・・・どうせそやつらは誰から依頼されたなど喋るまい。殺せ!」
ツェツィーリアは殺すと聞いて悲鳴を上げた。
もう目の前で人が一人死んでいるのだ。その血が石畳を赤黒く染めていた。

ナイジェルはツェツィーリアの悲鳴で、はっとして彼女を見た。
ツェツィーリアは石畳の上に座り込んで両手を下についていた。
その手と衣の裾が殺した男の血で染まっている。彼女の好きな石畳が血塗られていた。これ以上この場で血を流せばどうなるか一目瞭然だった。
ツェツィーリアは恐怖で震えている。

「・・・・・・・・・」
ナイジェルは手を下そうとする兵達を止めた。ツェツィーリアが好むこの場所をそれらの血で穢したく無いと思う不可解な気持ちがよぎったせいだった。

ナイジェルは小さく震えるツェツィーリアを抱き上げた。
ツェツィーリアは突然の事で身体を強張らせた。
その緊張は当然ナイジェルにも感じられた。
彼女には極力触れまいと思っていた。今まで散々酷いことをしたと自覚していたし、自分に触れられるのを彼女は嫌悪するだろうと思っていたからだ。
しかもツェツィーリアに触れてしまえば自分を止められないと思った。
再び己の理解不能な激情を彼女にぶつけてしまいそうになるだろう。
何も恐れない自分がツェツィーリアを怖がらせたく無いと思うこれも不可解な感情だった。

腕の中のツェツィーリアの怯えが先程の惨事で震えているのか?抱かれているせいなのか?
ナイジェルは分からなかったが、自分の不可解な心に葛藤しながら彼女を部屋まで運んだのだった。

ツェツィーリアが身体を清めて部屋に戻って来ると其処にはナイジェルがまだいた。
皇帝を狙った大事件の後なのだからその処理で何処かに行っているとばかり思っていた。
しかしナイジェルは着替えているが、まるで何も無かったように佇んでいた。

彼はツェツィーリアの気配を感じると彼女に視線を合わせる事なく言った。

「あの道は元通りにするように言い付けておいた」
(言い付けた?何を?)
ツェツィーリアは、あっと思った。
(あの場で処罰を止めたのは石畳が血で穢れるから?その場で切り殺されても仕方が無い状況だったのに、まさか怖がる私のため?)
表情の無いナイジェルからは何も読めない。

「あの・・・あの人達は何故あなたを?」
話しかけられるとは思っていなかったナイジェルはツェツィーリアを見た。
しかし彼女は居心地悪そうに視線を彷徨わせている。

「・・・・・皇位を狙う痴れ者が放った刺客だろう」
「皇位を狙う?」
皇位と言ってもこの国の特殊な継承は子供でも知っている。
第一子にのみ受け継がれるだけで他に皇位継承権は無いのだ。もし不幸にも継承者が時代の継承前に死んだとしても他が皇位を継ぐ事が出来ない。

(ちょっと待って?継げなかったらどうなるのだったかしら?)
その答えは冷たく嗤うナイジェルから告げられた。

「継承者がいない場合、他の皇族と冥の花嫁と間にできる子が継承者となる。皇位を狙う者にとってお前が現れた今、最も邪魔な存在は私という訳だ。だからその前に徹底的に根絶やししたつもりだったが・・・まだ足りなかったとはな・・・」
ツェツィーリアはぞっとして後ずさった。
現皇帝は確かに皇族殺しで有名だった。少しでも疑いがあれば近い親族でも容赦無く処刑していた。

(彼は私の事を十七年待っていたと言っていたと言わなかった?)
確かにそう言っていた。その間こうなる事を予想して政敵を葬り続けていた?

(私が生まれたばかりに?)
ツェツィーリアは自分の為に散っていった命を思うと怖くなって震えだした。

その怯えをナイジェルは誤解した。

「心配は無い。すぐに今度の黒幕は調べ処罰する。だが嗤える話だがお前が既に身ごもっていたら叛徒は無駄なことをしでかしたまでだ。だが・・・まだ身ごもっていないのであれば奴らはそれこそ活発に動くだろう。しかしそうはさせない。まだお前を狙う者がいるのなら皇族の男全てを葬ってやる・・・お前を誰にも渡しはしない」
ツェツィーリアは思わず自分で自分を抱いた。震えが止まらない。
多くの命がこれからも流れる予感―――
そしてナイジェルがあんなに性急に自分を求め、己を強引に刻み付けた理由―――
それだけの犠牲のうえに勝ち得たもの。

(私は皇位争いの戦利品・・・)
見知らぬ男達がツェツィーリアの意思に関係なく奪い合い、組み敷かれる幻を見るようだった。
やはり誰が勝利してもあの夜のように叫んでも泣いても誰も助けに来て貰えず、犯されて子を産む道具なのだと思うと更に悲しく辛かった。

(誰でも?)
誰かがツェツィーリアに触れる時はナイジェルが負けた時・・・・
ナイジェルが負ける?それは死を意味する。ツェツィーリアの震えが一層強くなった。

(この人が死ぬ・・・・)
幼くして庇護者であった父を亡くし、冥の花嫁の出現で生と死の狭間を渡り歩かなければならなかったナイジェル。ツェツィーリアは自分の存在をこれほど呪った事は無かった。
ナイジェルが今まで自分に対する扱いも納得出来た。
自分の人生を狂わした忌まわしい花嫁だったのだから―――

そう思うと涙が頬を伝った。

ナイジェルは泣くツェツィーリアに苛立った。紫の瞳が憤りに揺れている。

「何故泣く?お前が嫌でもこの運命から逃れる事は出来ない。私から逃れようとも思うな。絶対にそれだけは許しはしない」
ナイジェルの手が伸びツェツィーリアの両腕をつかんだ。あの日と同じだ。
ツェツィーリアを奪われそうな焦燥感と自分の劣情を抑えきれない。
駄目だと思いながらもツェツィーリアを抱きすくめようとした時、ナイジェルを呼ぶ声を聞いた。

宰相のローレンツ・ベッセルだ。
彼は中流階級の貴族だったが優秀な政治手腕を認められ若くしてその座についていた。
皇帝の許可無く話す事を許された数少ない重臣であり今やナイジェルの片腕というべき存在だ。

「失礼致します陛下。主だった者は集まってございます。お出ましを願います」
宰相とはいっても皇后の寝所まで来るほど重要な事柄とは当然先刻の件だ。

ナイジェルはツェツィーリアから手を離すとベッセルの方を向いた。
そして無言で歩き出し頭を下げる彼の隣を過ぎて行った。

ベッセルは頭を上げ、ツェツィーリアにチラリと視線を流したが目礼してナイジェルの後を追い去って行った。

ツェツィーリアは足の力が抜けてその場にへたり込んでしまった。
ナイジェルにつかまれた腕が熱く感じた。涙が床にぽつりと落ちる―――

昨晩はとうとうナイジェルは戻って来なかった。ツェツィーリアは昨日の話を思い出し怖くなった。
自分がナイジェルの子を身ごもっていれば問題が無いが、そうで無い場合、彼の命が狙われるという事実。恐ろしい謀略が待っているのだ。

(また私を廻って血が流れるの?)
それでもツェツィーリアはナイジェルの勝利を祈らずにはいられなかった。死んで欲しく無いのだ。
ナイジェルが屍の山を築きその血塗れた手で自分を抱こうとも祈らずにはいられない。
自分は酷い女だとツェツィーリアは思わずにはいられなかった。



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