冥の花嫁6
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ナイジェルは深い溜息をつき眉間を指で押さえた。一睡もしていないのだ。
昨晩もベッセルが呼びにこなければどうなっていた事か・・・・
ツェツィーリアは自分のものなのだから彼女がどう思っていようが関係無いはずなのに・・・そう思わずにはいられない。
「陛下。よろしいでしょうか?」
ベッセルの声にナイジェルは顔をあげた。
それを承知と受け取った彼は話し出した。
「この度の謀略。急ぎ調べるにしても直ぐに判明いたしかねます。今回はさすがに相手もかなり用心している様子。そこで私からの提案でございますが私共もその対策として、冥の花嫁を幽閉したら如何でしょうか?万が一、あの方が奪われた場合、手の打ちようがございません」
それは良い考えだと周りの者も賛同した。
彼らは冥の花嫁に関する皇家秘儀を知らないのだ。ナイジェルが死なない限り冥の花嫁に害が及ぶ事は無いのだからツェツィーリアを幽閉する必要は無かった。
だが一般的には冥の花嫁を手に入れさえすれば良いと考えるのが普通だろう。
皇族以外の簒奪者が現れないとも限らないのだ。
ナイジェルは自分の迂闊さに舌打ちした。皇族だけが皇位を狙ってくるとばかり思っていたからだ。
(確かにツェツィーリアを奪う方が簡単かもしれない・・・)
奪われる≠ニいう点ではナイジェルが死ぬ前でも後でも一緒なのだ。
その事実を認めたナイジェルは見えない相手に憤りを感じた。それを理由にツェツィーリアを誰にも見せず誰にも触れさせず自分だけの世界へ閉じ込めてしまう―――
想像するだけで体の奥が熱く痺れるような気がしてきた。しかし彼女の泣き顔がふとよぎる。
ナイジェルは珍しく迷い、考慮するとだけ答えた。囚人のように閉じ込めてしまうのは簡単だった。
だが窓も無く自由を奪われた世界にツェツィーリアが耐えられるのか?と考えてしまったのだ。
他人の気持ちを考えるなどナイジェルは初めてだった。
自分はどうしてしまったのかと思わずにはいられなかった。彼女を見ても見なくても苛立つのだ。
そしてこの持て余した気持ちを静めるのもツェツィーリアだけだった。
そのツェツィーリアは憂鬱な毎日を送っていた。
あの日からナイジェルはこの部屋には来ていなかった。
月の障りが遅れている。もし始まれば身ごもっていないのだから義務の行使にやってくるに違い無いだろう。無慈悲なその行為を思い出すだけで悲しくなった。
最初の日は痛みに苛まれ、後の三日は意識が朦朧として何も覚えていないから良かったといえば良かったのだが・・・・またそれが行なわれるのだ。
どんなに親密な夜を過ごしてもナイジェルの心は冷たい氷のよう・・・・
でも・・彼を守る為には耐えなくてはならない。
無用な争いを防ぐために早く自分の役目を終わらせないといけないのだ。道具は道具らしく・・・・
(はぁ・・自虐的だな・・・)
「・・ツ・・ツ・・・ツェツィーリアさま?」
くるくるした巻き毛が可愛い幼女がツェツィーリアを見上げていた。
侍女の子供なのだがたまたま遊びに来ていたのをツェツィーリアが気に入って幼い妹のように可愛がっているのだ。ほぼ毎日来るこの小さな友達はツェツィーリアの慰めだった。
「ツェツィーリアさま、どうしたの?なきたいの?」
「ううん。ニナ何でも無いのよ。今日は何をして遊びましょうか?」
ツェツィーリアはにっこりと微笑んだ。それを見たニナも弾けるように笑った。
ニナはツェツィーリアに沢山遊んでもらって上機嫌だった。
仕事が終わって帰る母親に手を引かれながら今日の出来事を一生懸命話していた。
ちょうどその頃近くをナイジェルが通りかかっていた。
後宮で子供の声がするのは珍しく、その方向に耳が傾けた。
(子供?・・・ああ最近ツェツィーリアが気に入っていると言う・・・)
その子の口からツェツィーリアの名も出ていたのでナイジェルは聞き耳を立てた。
「――それでね。なんでなくの?ってきいたらね。だいすきなひとがとおいんだって。とおいんならそこにいったらいいのにっていったらね、かなしいおかおをするの。だいすきだったらいけばいいのにね?へんなの――」
子供のたどたどしい言葉。だがナイジェルには十分だった。
ツェツィーリアが想い出して泣く大好きな人≠フ存在―――
目の前が一瞬真っ白になって何も聞こえなくなった。
自分の脈打つ鼓動だけが聞こえるようだった。そして一気にそれらが逆流する感じがした。
これはどういう感情なのか分からなかったが荒れ狂う怒りだけは分かった。
激昂する感情を制御出来ず身体が震えた。
ツェツィーリアの心に宿る男が許せなかった。それを想うツェツィーリアが許せなかった。
先日の奪われる≠ニいう言葉がどこからか聞こえてくる。
(ツェツィーリア!お前は私のものだ!許さない!その心だろうと何もかもこの皇帝ナイジェルのものだ!誰にも奪わせはしない!)
ナイジェルはそう心で叫びながらツェツィーリアの部屋へ向い荒々しく扉を開けた。その音に驚いた侍女やツェツィーリアを無視してナイジェルは彼女を無理やり抱きかかえると、ある場所へと向かった。
それは後宮の離れにある堅牢な地下室だった。
その昔、気のふれた妃の為に造られたいわくつきの部屋だ。
その床にツェツィーリアは投げ込まれたのだ。転がったそのはずみで打ち付けた肩を庇うように半身起き上がったツェツィーリアは扉が閉まるのを見た。そして重い鍵のかかる音が部屋中に鳴り響くのを呆然として聞いた。その扉の小さな鉄格子にナイジェルの顔があった。
去って行く彼の瞳は紫に燃える炎のようだった。
ツェツィーリアは何がおきたのか分からなかった。
恐る恐る振り向いて部屋の様子を見たが薄暗くて良く分からない。
唯一の灯りが小さな鉄格子の外にある松明だけだからだ。
でもその明るさに慣れてくると室内は広くて調度品は上等だった。
何故ナイジェルがあんなに怒っているのか?何故こんな所に閉じ込められてしまったのか?分からなかった。とても心細くなってきた。世界に自分ひとりが取り残されたような感覚だった。自然と涙が流れてくる。でも此処なら我慢して涙を堪える必要も無いような気がして思いっきり泣いた。
ツェツィーリアは泣き疲れていつの間にか寝てしまっていたようだった。
今が朝なのか昼なのか分からなかったが人の気配を感じ目覚めた。
開錠の音と共に入って来たのは宰相のベッセルだった。
彼は文官らしくない体格でナイジェルとそんなに遜色無い雰囲気で威風堂々としていた。顔立ちは優しげで微笑まれると安心出来る。
そのベッセルが灯りを手に気遣うように微笑んでいた。
「陛下のご命令で貴女様のお世話に参りました」
「世話?ベッセル様!どうして私がこんな所に?出してください!」
ツェツィーリアは立ち上がって必死に訴えた。
「申し訳ございません。貴女様が無事お世継ぎをご出産されるまで此処にいて頂く事になると思います・・・その事だけを考えよとの陛下からの言伝でございます」
(・・・・・本当に道具らしい扱い方ね・・・・)
もう涙も出なかった。わかりましたと小さく答えるだけだった。
「・・・・・此方から外へは出る事だけは出来ませんが、ご不自由が無いようにさせて頂きますから私に何でもお申し付け下さいませ」
「ありがとうございます。ベッセル様・・・」
「どうぞローレンツと及び下さい」
ベッセルは親しみを込めてそう言った。
こんな状況だからツェツィーリアは彼の心遣いが嬉しかった。
「ありがとうございます。ローレンツさん」
ベッセルの深緑の瞳が少し細まった。
「ではまた夕刻にでも参りましょう。陛下はこの数日お忙しいから此方にお越しになれないかと思います。それに・・・・かなりご立腹のご様子で私共も近寄れない状況でして・・・」
「・・・・そうですか・・・」
ベッセルはツェツィーリアをチラリと見て続けた。
「それと・・・私が此方に伺っている事は内密にして下さい」
「どうしてですか?」
ベッセルの笑みが深まった。
「陛下は適当に侍女をやって世話をさせるよう手配しろとのご命令でした。しかし冥の花嫁にそのような適当な事は致しかねますので私の判断で参りました」
「・・・・・そうですか・・分かりました。ローレンツさんもこれが分かったらお立場が大変なのに私の為に本当にありがとうございます」
ツェツィーリアは頭を下げて礼を言った。
「いいえ、本当にお気の毒でございます。このような場所にまるで囚人のように幽閉して・・・陛下のなさりように私も驚いております。ですから私は貴女の味方ですよ。私はイレーネ様のお側で貴女を二、三度お見かけした時のような笑顔を取り戻して頂きたいと思っております」
同情してくれるベッセルには申し訳無いがツェツィーリアはもう自分の境遇に希望は無かった。
でもほんの少し前の楽しかった日々を思い出すと胸が痛んだ。
「・・・・イレーネ様はお元気ですか?」
「ええ。いつもとお変わりなくお過ごしかと・・・何か?」
「・・・ずっとお会いしていないからどうされているかと思って・・・」
自分のこの状態を知ればイレーネの気持ちも少しは晴れるのではないかとツェツィーリアは思った。
偽装の花嫁と道具のような花嫁・・・どちらがより不幸なのだろうか?と思わなくも無いが・・・・
ベッセルはその後、細々と気を使ってくれて出て行った。その後、扉から来る者は誰一人いなかった。
食事は奥の壁の下に出し入れ口があってそこから出されていた。
その音以外は何もしないこの空間はまるで自分は死んでしまったかのような感覚になってくる。
恐ろしく冷酷な人だと思うのにナイジェルが恋しくてたまらなかった。
一方、ナイジェルはツェツィーリアを幽閉した後、抑えきれない感情を持て余していた。
周りにいる者達は皇帝のその激昂した様子に近づく事が出来なかった。
その皇帝にベッセルは声をかけた。
「陛下。先程の件、手配して参りました」
「誰も近づけるなと言っておいただろうな?特定の侍女だけだと!」
ナイジェルはベッセルを睨んだ。
「はい。外の出入り口の番兵にも部屋へ下る階段にさえ立ち入りを禁じております」
「・・・・・どのような様子だ?」
ナイジェルはツェツィーリアの様子を深呼吸して、ぽつりと聞いた。
「私は行っておりませんので後ほど侍女に聞いて参ります」
ベッセルはさらりと嘘を言った。
「・・・・・わかった。ではもう一つの件は直ぐに出かける」
「かしこまりました」
ベッセルの深々と下げた口元は笑っていた。
もう一つの件とは帝都から少し離れた所に強力な妖魔が出て近隣を荒らしているとの報告だったのだ。警備隊の手に負えず聖剣での討伐と決定したようだった。往復数日はかかる位置でこの不安な情勢の中、皇城を空けるのは気が進まなかったが妖魔とあれば仕方が無かった。今はこのたぎるようなものを妖魔の討伐で晴らしたい気分もあった。ナイジェルは急ぎ城を後にしたのだった。
それから四、五日は経っただろうか?ベッセルが連れて来た侍女と彼しかツェツィーリアは会っていなかった。侍女は話しかけても一言も喋らず自分の与えられた仕事だけをしていた。
相手をするなと言われているのだろう。だからベッセルだけが話し相手だった。彼の教養豊かな話はとても興味深く楽しかった。
でもどんなに怒っていても辛く当たられたとしてもナイジェルが恋しかった。
「ローレンツさん、陛下は何処かにお出かけなのですか?」
「ええ。今は少しご遠方に出ております」
「・・・・・そうですか・・・」
ツェツィーリアが沈んだ顔をしたのでベッセルは慰めるように彼女の頬に触れた。
「何故そのように悲しい顔をされますか?私では貴女をお慰め出来ませんか?」
「ローレンツさん?」
「お可哀想に・・・私なら貴女を大切に致します・・・」
ベッセルはそう囁くと頬に触れた指でツェツィーリアの唇の端をそっとなぞった。
ツェツィーリアは今までとは違うベッセルの様子に何か恐ろしさを感じた。
彼の深緑の瞳が暗く光っている。優しげだった雰囲気が獲物を狙う獣を思わせた。
そして唇をなぞっていた指がツェツィーリアの顎をとらえ、彼の顔が近づいて来たと思ったら唇を塞がれてしまった。
「んん・・・・・うううっ・・・」
驚き逃れようとする間も与えず、ベッセルはツェツィーリアに片腕を回し身体の自由を奪っていた。
もう片方の手はいつの間にか後ろ頭に固定され動く事が出来なかった。
強要された口づけは激しく欲望に満ちていた。
「うっ・・・・・・ううっ・・・ん」
抵抗出来ないツェツィーリアの瞳から涙がこぼれた。ベッセルが顔を上げた。
「泣かないで下さい。私が陛下から助けてさしあげます」
力が緩んだ隙にツェツィーリアはベッセルの胸を押して離れた。
こんな事をするベッセルが信じられなかった。
「な、何故こんなことを?」
かろうじて呟くように言った。激しく奪われた唇が熱をもっているかのようだった。
ベッセルがニタリと笑ったような気がした時に、此方に向かう足音が聞こえた。
すると彼は、すっと背筋を伸ばして姿勢を正した。
扉から現れたのはナイジェルだった。ナイジェルはその場に足を踏み込むとベッセルを睨みつけた。
「ベッセル。お前は此処で何をしている?此処にはお前はもちろん、侍女以外は立ち入り禁止を言い渡しておいた筈であろう?」
「陛下。早々のご帰還お疲れ様でございました。まだ日数がかかるものと思っておりましたが流石でございます」
「何をしていたと聞いている。答えよ!」
ツェツィーリアはさっきの事は別として、自分の為に親切にしてくれた彼が糾弾されるのを見て見ぬふりが出来なかった。
「私が、私がローレンツさんに来て欲しいと頼みました!」
「ローレンツだと?」
ナイジェルはツェツィーリアがベッセルを名前で呼ぶほど親しかったのか?と憤った。
ふと彼女を見れば頬が薔薇色に上気し唇が紅く腫れていた。
まるで今の今まで口づけを交わしていたような・・・・
(まさか・・・ツェツィーリアの恋の相手がベッセル?)
ナイジェルはやっと抑え込んだ感情が一気に爆発してしまった。もう止める事は出来ない。
こうなったら自分の目に届かない所に彼女を置くなど考えられなかった。
閉じ込めるだけなど甘すぎたのだ。一切の自由など許さない。
ナイジェルはツェツィーリア手首を掴んだ。
「来い!」
ナイジェルは彼女を無理やり引きずるようにその部屋から連れ出した。
地上へと向かう階段を上って行く。
今度はナイジェル自身が鎖となる新たなる牢獄に向って―――
ツェツィーリアは恐ろしく感じながらも胸が高鳴っていた。愛しい人の背中を見つめたが上から注ぐ光が眩しくて下を振り返った時、ベッセルの残忍に歪んだ顔を見た。
その手には鋭い短剣が握られ光っている。ツェツィーリアは恐怖した。
その束の間ベッセルが背を向けているナイジェルに突進するのを見た。
同時にツェツィーリアの身体が動いてナイジェルを力いっぱい押しその間に入り込んだのだ。
ナイジェルが振り向いた時にはツェツィーリアとベッセルがもつれて階段を転がり落ちているところだった。硬い金属音に続けて鈍い音が鳴った。
「ツェツィーリア――っ」
駆け下りようとするナイジェルの背後から剣が降ってきた。入り口の番兵達だった。
ベッセルは無事なようで頭を軽く振りながら上がって来た。
狭い階段でナイジェルは前後から挟まれる形となった。
「ベッセル、お前――」
「お早いお帰りで少々段取りが狂いましたが・・・陛下、此処で死んで頂きます。此処は貴方のご命令で人払いしておりますから。それと手懐けた冥の花嫁は私が貴方の代わりに頂ますからどうぞご安心なさって冥の世へ行かれてください」
優しげな仮面を脱ぎ捨てたベッセルは卑しく微笑みながら言ったのだった。