はじまりの日
![]()
![]()
![]()
![]()
![]()
湯浴みを済ませ夜着に着替えて窓の外を眺めていたツェツィーリアは、ふぅーと息を吐いた。
今日は手を通すのが怖いような真っ白なドレスに身を包み、壮麗な大神殿で婚礼を挙げた。
大神官の声が遠くに聞こえるぐらい緊張してしまった。
時折心配そうにナイジェルが視線を送ってくるので、大丈夫だと、微笑みを返すのがやっとだった。
しかしその横に立つナイジェルの姿を見る度、ツェツィーリアは頬を赤らめてしまった。
何度見ても慣れないその姿は見るたびに胸が高鳴るのだ。
宵闇のような濃藍色の長い髪に、宝石のような紫の瞳。夜に浮かぶ月のような人―――
ツェツィーリアは幸せで胸がいっぱいだった。
だから式の間中、まるで夢に見ているようで現実味が無かった。
そして一日はあっという間に終わって、外には月が昇っている。
まだ招待客は皇宮で宴を楽しんでいるようだったが、後宮までその喧騒は聞こえない。
本当に静かな夜だ―――
カタリと音がして奥の扉が開く音がした。
ツェツィーリアの運命が変わった時と同じその音は、皇帝と皇后の寝室を繋ぐ扉だ。
あの時、ナイジェルは血濡れた剣を握り、ツェツィーリアを運命の渦中へと投げ込んだのだった―――
ツェツィーリアは懐かしく思いながら微笑んで振向くと、入室して来たナイジェルは一輪の白い薔薇を持っていた。その花は開いたばかりのようで甘い芳香を放っている。それは皇城の一番奥にある白い花だけを集めた庭園に咲くものだろう。白い花はそこにしか植えられていないのだ。
そしてそれは手折ったばかりのようで夜露を含んでいた。
(陛下が摘んで来られたのかしら?)
ツェツィーリアはふとそう思った。
ナイジェルは無言でその薔薇をツェツィーリアに差し出した。
それを受け取る時に触れた彼の指先は冷たかった。遠くの庭園まで自ら足を運んでいた証拠だ。
(今日は大変だったのに・・・)
自分は綺麗なドレスを着て微笑んでいればいいだけだったが、ナイジェルはそうはいかなかった。
ツェツィーリアが慣れないから国内外の多くの来賓客を一人で、相手にしなければならなかったのだ。
今日は気を遣う事が多かったのに自分にこんな心遣いをしてくれたのが嬉しかった。
婚礼の祝いに積み上げられたどんな贈物よりも嬉しい。
薔薇を受け取ったツェツィーリアは鼻にそれに寄せ香りを吸い込んだ。
それは夜の匂いがして甘くて夢を見るような香りだった。
大好きな夜を思わせる香り―――
まだ何も知らなかった頃、二人で過ごしたあの短い夜を思い出す。
夜の花園の石畳を歩いたことや、池に浮かぶ月を眺めたこと、ただ何も言わず星空を見上げて座っていたことなどなど・・・ひとつ、ひとつが大切な思い出だ。
そしてこの白い薔薇のむせ返るような香りの中で眠っていた。
悲しみに押しつぶされ全てを捨ててそこに眠っていた筈だった。
しかし目覚めた時、彼の愛を知りその悲しみを包みこむ幸せがはじまったのだ。
そしてどんな宝石よりも美しいと思うナイジェルの紫の瞳から流れた一筋の涙は一生忘れないだろう。それはまるで紫の宝石の輝きが零れたように綺麗だった。
ツェツィーリアの嬉しそうなその様子をナイジェルは見つめていたが、薔薇に嫉妬したくなった。
「ツェツィーリア、花にばかり口づけばかりしているが、私を忘れていないか?」
ツェツィーリアは、ぱっと頬を染めた。忘れていたのではなくて彼を想っていた。
「陛下・・・そんな・・私・・」
ナイジェルはその言い方が気に入らなかった。彼女が何時まで経っても名前を呼ばず、陛下と呼ぶのが不満だった。それが自分と彼女を遠く隔たらせている感じさえしてしまう。
「ツェツィーリア。二人だけの時は私を名前で呼びなさい」
「あの・・でも・・」
ツェツィーリアは呼び慣れないので恥ずかしかった。
「さあ呼んで・・・もう私の名を呼ぶ者は誰もいない。だからお前にはそう呼んで欲しい」
皇帝の名を呼べる両親はいない。心許せる親族もいなかったナイジェルには名を呼ぶ身内は居なかった。周りは敵ばかりだった孤独な皇帝ナイジェル―――
頬を更に赤らめるツェツィーリアをナイジェルは優しくすくい上げて囁いた。宙に浮いた足が何だか恥ずかしかった。薄い夜着の裾がめくれているせいかもしれない。
「さあ呼んで・・・」
優しい命令が耳元で囁かれる。その声を聞くだけで舞い上がってしまいそうだ。
「ナ、ナイ、ジェルさま・・」
囁きよりも小さな声で言った。
「聞こえない。もう一度・・」
「意地悪しないで下さい・・恥ずかしくて・・・」
ツェツィーリアは抱き上げられていて伝わってくるナイジェルの温もりに、鼓動が乱れて止まらない。彼の腕と胸が自分に密着してその力強さを感じてしまう。しかし言うまで許してくれそうにないその瞳を見れば更にどうにかなりそうだった。
「ナ、ナイジェル様」
真っ赤になって少し大きめの声で言うツェツィーリアに様≠烽「らないとまではナイジェルも言えなかった。だから満足そうに微笑むと彼女に口づけを落とした。
「・・・・・・んっ」
優しく触れる唇からそっと舌が忍び込んでくる。
唇の裏を舐められてツェツィーリアはぞくりと身体を震わせた。
口づけは深さを増しそうだったが、ナイジェルの足は寝台へと進んでいた。
ツェツィーリアは口づけに酔ってはいても次の段階への緊張は隠せなかった。
鼓動は既に早鐘のように鳴っている。
ナイジェルは腕の中で緊張するツェツィーリアを感じた。
彼女を無理やりに自分のものにしたあの嵐のような数日以来、ツェツィーリアには触れていない。
運命を呪い後悔し、彼女を想い引き裂かれるような激情に翻弄された末に見つけた幸せ―――
口づけを解き、柔らかな寝台にツェツィーリアをそっと沈めた。
薔薇が彼女の手から落ち、身体は羽のような寝具が包み込んだ。そして金糸の髪がふわりと広がり少し震えていた。見るからに彼女は怯えているようだった。
(思い出したのだろうか?彼女にしたあの愚かな仕打ちを・・・)
時が戻せるのならそうしたい・・・・ナイジェルの心に鉛色の雲が広がった。
自分の気持ちに気付かず、ただ泣き叫ぶ彼女を無理やりに犯しただけのあの過ち―――
あれから後悔≠ニいう感情を知った。人は色々な感情を知ると弱くなる。
だから感情は無用のものだと思っていたナイジェルだったがそれこそ後悔はしていない。
(急ぐことは無い・・・彼女の傷が癒えるのを待てばいい・・・)
見つけた幸せはここにあるのだから―――
「ツェツィーリア、疲れただろう。今日はゆっくり休みなさい・・・」
ナイジェルはそう言うと立ち去ろうとした。
ツェツィーリアは驚いた。
今日は婚礼の初日、そして今はその最後の儀式のようなものだ。
それを今日はしないというのだろうか?
既に繋がったことのある自分達に、それはもう必要無いと言えばそれまでだが・・・・
(ううん、そうじゃない。陛下は私が怖がっていると思ったに違い無いわ)
確かに良い思い出では無かった。でも今は怖いと思わなかった。
去ろうとするナイジェルの袖をツェツィーリアは起き上がって引っ張った。
「あの・・・ナイジェル様。私・・・怖いのではなくて・・き、緊張してしまって・・・だから・・あの・・・・行かないで・・行かないで下さい。ナイジェル様・・」
ツェツィーリアはそう言いながら恥ずかしくて真っ赤になり俯いていてしまった。はしたなくも自分で催促してしまったからだ。もちろん前の恐怖は身体に刻み付けられている。
でもそれ以上に心も体も全てがナイジェルを求めているのだ。
ナイジェルは一瞬、驚き瞳を見開いたが、すぐに微笑んだ。
そして震えながら袖を掴むツェツィーリアの手に自分の手を重ねると、寝台に腰掛けたて囁いた。
「最初から始めよう。愛している、ツェツィーリア・・・」
夜の路で見つけた紫の瞳にはツェツィーリアが映っている。冷たく冴えたその色は彼女にだけ見せる柔らかな光りを宿していた。
「はい。私も・・ナイジェル様・・・愛しています」
そう語るツェツィーリアの唇を、愛おしく見つめていたナイジェルは優しく塞いだ。
そして慣れない彼女を促すように、そっと舌を差し込んできた。ざらりとしたそれが口腔を探って、ツェツィーリアの知らない感覚を呼び覚ますようだった。
「んうっ・・・・・んっん」
深く合わされた口から思わず声が零れ落ちる。口づけがこんなに気持ちが良いものだとは思わなかった。まるでお互いの愛おしいという心が注がれているみたいだ。
(あ・・・夜着が・・・)
口づけを交わしながら、ナイジェルの手がツェツィーリアの夜着の胸元にかかっていた。簡単の解ける紐を解くと、その手が夜着の中にもぐり込み両肩を撫でるように脱がしていった。半分脱げた夜着は腰で渦を巻いていた。いきなり晒された肌が外気の冷たさを感じたのは一瞬だった。
唇を解いたナイジェルは首筋を通り熱い息と共に、あらわになった胸へと降りて来たのだ。
ツェツィーリアの肩がぴくんと跳ねた。
「まっ・・・あっ・・・・」
待って、とツェツィーリアは言いたかったが言葉にならなかった。
胸の感じる部分を舌と指で同時に両方攻められて体がどうしようにもなく熱くなっていく。
「・・・あっ・・っあ・・ん」
胸の先が硬く尖ってきているのが自分でもわかる。それに触られる度に快感が突き抜け、体の芯がじんわりと疼く。もう怖かった前の記憶など飛んでしまいそうだった。
突然襲われた庭師の兄弟達にそこを乱暴に扱われた事もあった。その後ナイジェルに無理やり犯された時は、こんなことはしなかったから何もかも初めての体験だ。
もちろん今日のナイジェルは少しでも忌まわしい記憶を塗り替えたいと思っているから、愛撫は念入りだし前戯の時間は十分かけていくつもりのようだ。
そして夜着が全て抜き取られた時には、座っていた筈のツェツィーリアは柔らかな寝台の上に寝かされていた。
「綺麗だ・・・ツェツィーリア・・・」
ナイジェルは溜息をつくようにそう囁くと、枕元に落ちた白い薔薇に気付きそれをツェツィーリアの髪に挿した。
甘い芳香が鼻をくすぐり、ぼうーとしていたツェツィーリアは、はっと我に返った。
そして直ぐに真っ赤になってしまった。
自分に覆いかぶさるように真上からナイジェルが見つめていたからだ。しかも自分は裸で彼も裸だった。ナイジェルは自分の体重をかけないように少し体をずらしていると言っても、広い寝台の真ん中で二人とも裸で重なり合っているのだ。肌の温もりを直接感じてしまう。
「やっ、恥ずかしい」
ツェツィーリアは何が何だか分からなくなって、恥ずかしさのあまり両手で顔を覆った。
その両手首をやんわりとナイジェルが握って左右に開くと、ツェツィーリアの隠した顔を覗きこんできた。間近に迫るナイジェルの整った顔にツェツィーリアは尚更、頬を染めてしまった。
両手は離して貰えず顔の横に優しく押さえ込まれたままだ。何も隠すことも出来ず、寝所にしては明るすぎる灯りに照らされた自分の全てが彼の瞳に映っている。
ツェツィーリアは恥ずかしくて死にそうだった。
「ナ、ナイジェル様・・・そ、そんなに見ないで下さい・・・」
消え入るような声で懇願してみた。もう顔どころか身体中が赤く染まっているだろう。
ナイジェルが微笑んだ。
「ツェツィーリア。もう今からそんな言葉が出る余裕など無いと思うがいい」
「え?えっ―――んっ・・・・・うっ・・んん」
再び唇を塞がれたツェツィーリアは、その後ナイジェルの言った意味が分かってしまった。彼の宣言通りツェツィーリアの発する声は、抑えようのない甘い声だけでもう言葉にならなかった。
はじまりの日の夜は白い薔薇の甘い香りに包まれ、また忘れられない思い出となっていくようだ。
―終―
感想はこちらまで
ゲストブックへ
(URLは必須ではありません。お気軽にコメントください)