第一章 花嫁1
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我々は盟約に従って、
天界は盟約の
冥界は盟約の証に、デュルラー帝国へ〈闇の聖剣〉の無限と、その礎なる〈冥の花嫁〉を与えよう・・・・・
これらはデュルラー帝国、オラール王国の建国当時から伝承される盟約の抜粋である。
遥かなる古の時代。人が天冥の神々より創造されて、終わることの無い永久の平穏を信じていた頃、
世界を無に変えてしまう邪悪な存在が現れたのだった。
そして天界・冥界ともにその〈虚無の王〉に脅かされる事となった。
その力は強く、永く続いた平穏に慣れ衰退した世界は、終焉をただ待つしかないと諦めかけていた。
しかし、お互い干渉する事が無かった各界は、同一の巨大な敵に対抗する為に、
力を合わせる盟約を結んだのだ。
天界と冥界はそれぞれの力を凝縮した聖剣を創り、生命力に溢れ、
何よりも各界に無い強靭な心と活力を持つ人間にそれらを与えた。
しかし、力なき人間は異界の巨大な力を使いこなす事が出来なかったのだった。
だが人間達は、その貪欲なまでの意志の強さで諦める事は無かった。
その聖剣に相応しい者を創り出す為に、天界と冥界より花嫁を迎えて婚姻を結び、
力に見合う胎児を誕生させたのだ。
後にこの二人は成長し〈虚無の王〉を滅ぼすまでには至らなかったが
人界の土地に封印し世界を救ったのだった。
そして光の聖剣を擁する者はオラール王国を建国。闇の聖剣を擁する者はデュルラー帝国を建国し、
〈虚無の王〉を封印した土地を〈沈黙の地〉と呼び、両国はこの土地を盟約に従って守っている。
天界と冥界はこの〈虚無の王〉を封印する力を与える血脈の維持の為に、人間界へ同胞の花嫁を送り出す。
これにより盟約に記された花嫁は歴史の中に度々現れる事となる――――
デュルラー帝国の城下町。整備された石畳の広い道が四方に伸び、
道の両端には様々な物を売る店が建ち並んでいる。
街の中でも一番の繁華街だろう。その繁華街から一本横道にそれた所にも、商店がぽつりぽつりと並んでいた。
その中に店内から路上にまではみ出して色とりどりの花を並べている花屋があった。
質素な格好をしているが、身に纏う外套にしても靴も一目で見て上質と思える服装の若者が店に立ち止まり、
路上に並べていたピンクの薔薇を一輪抜いた。そして薔薇の香りを軽く嗅ぐと、店内に呼びかけた。
「ティアナ!いる?」
店の奥から出てきたのは、目的のティアナでは無くて彼女の母親だった。
「まあ、これはイヴァンさん。今日は暇ですしお天気も良いから、ティアナはいつもの野原に行っていますよ」
「そうなんだ。ありがとう。行ってみるよ。そうそう、この薔薇代ね」
「いつもありがとうございます」
母親は代金を受け取り、軽い足取りで去って行く青年を見送りながら
不安な声音で奥から出てきた夫に話しかけた。
「三日と置かずにやって来るけど・・・どう見てもあの青年は貴族よね。心配だわ・・・」
夫も危惧していた。友達ならいいが最近では娘の様子も違って、恋する少女特有のものを感じていたからだ。
「ティアナは今度、17歳にやっとなるぐらいのまだ何も知らない娘なんだ!
貴族でも遊びだったら許さないぞ!」
「でもイヴァンさんは良い方だと思うわ。今から心配しても仕方が無いわよね。
別に結婚したいとか言っている訳でもないのだから」
「結婚!とんでもない!早過ぎる。反対だ!絶対駄目だ」
妻は禁句を言ってしまったと後悔したが、激怒する夫をなだめながら一人娘のいる野原に続く道を
溜息と共に見つめるのだった。
ティアナは古代の神殿跡のような遺跡と、四季折々の花々が咲き乱れるこの野原が大好きだ。
建物がひしめく街並みから、いきなり時を忘れたかの様な広々とした風景がぽっかりと現れるのだから驚きだ。
宅地が無いと大人達は不平を言っていて、この野原を狙っているようだったが、
噂によれば皇家直轄地のようで誰も手は出せないらしい。
そんな噂があるから誰もここに入って来ないが、ティアナは平気だった。
小さな頃から来ていたが誰からも咎められた事は無かったのだ。
時間があれば何時もここに来て、遺跡の壁に背もたれながら本を読んだり、
花を眺めたり空想したりして楽しんでいた。
今日もぼんやりと風景を眺めていると目の前にピンクの薔薇が急に差し出された。
犯人は良く知っている。必ずこの花を持ってくるのだから・・・・・
ティアナが嬉しさに瑠璃色の瞳を輝かせて振り向くと、先程花屋で彼女を訪ねていた青年が後ろに立っていた。
彼は背も高く育ちの良さそうな優しげな顔立ちで、とても整っている。女性なら誰でも好感を抱くに違いない。
それに春を思わせる菫色の柔らかそうな手入れの行き届いた長い髪に、珍しい紫色の瞳。
彼を見るだけで少女が恋をするのは十分過ぎた。
両親は身分とか気にしているがティアナは関係なく彼に夢中だった。
イヴァンは薔薇を短く手折るとティアナの輝く金糸の様な長い髪に挿し、
彼女に小鳥がついばむような口づけをした。
「珍しいね、君が髪をほどいているなんて。綺麗だよ」
ティアナは少し恥ずかしそうに髪を手ですきながら頬を赤らめた。
「綺麗だなんて、そんな事無いわよ。今日は、お店の手伝いしなくて良かったから何もしないでいただけよ」
「ティアナって本当に自覚が無いんだね。君は本当に綺麗だよ。まあ〜そこが良いんだけどね。
自分が美しいと思っている自意識過剰なご令嬢達には辟易 するからさ」
イヴァンは肩を大きくすくませながらティアナの横に座った。
「今日はゆっくり出来ないんだ。兄の命令で至急行かないといけない事があって・・・
何日か此処に来られない事を言いに来たんだ」
「そうなの・・・寂しいわね」
イヴァンの兄の事は少し彼から聞いていた。とても優秀で誰も彼には逆らえないらしい。
歳が一つしか違わないから周りから何かと比較されて育ったが、
兄に敵うもの等一つも無いと彼自信自覚しているのに騒ぐ周りが煩わしいようだ。
普通なら卑屈に成りそうなものなのに生来の彼の性格で諦めが早く、
物事を穏便に済ませたがる気質が多いに幸いしているようだった。
それでもイヴァンは兄の事を尊敬している様子なのは言葉の端々で感じられた。
ティアナは別れを告げて去って行く恋人を見送ると、お気に入りの場所に腰を落ち着かせた。
付き合いだして間もない彼女にとっては一秒でも長くイヴァンと過ごしたかったのに、
ちょっとの別れと言っても悲しくて仕方が無かった。
軽く口づけされた唇をそっと指でなぞってみる。何回目だろうか?と考えると、ほんのりと頬が染まってきた。
再び、ぼんやりと景色を眺めながら彼と出逢った事を思い出していた。
それは、三ヶ月前の事だった。母親の用事で出かけていた時、通りで子供が酔っ払いの男に絡まれていた。
子供がぶつかって男の持っていた酒瓶が落ちて割れたらしい。仕事か何か上手くいかなかったのだろうか?
昼間から飲んだくれた男は、腹いせに子供に当たり散らかしていたのだ。
体が大きく腕力も強そうな男を恐れてか、通る人達は皆、下を向いて足早に横を通り過ぎている有様だった。
ティアナは思わず子供の前に飛び出し、男を見上げた。
「なんだ!お前?そこを退きやがれ!」
ティアナは男の怒号に震えながらも子供を庇った。
彼女は困っている人を放っておけない性格で、自分の事より他人を優先させる心優しい少女だった。
男がイラつき彼女を殴ろうとしたその手を掴んだ者がいた。
「まあまあ、おにいさん。お酒は弁償しますから此処はこれで宜しく」
急に現れた青年はにっこりと微笑むと、掴んだ男の手に金貨を一枚握らせたのだ。
男は手に輝く帝国金貨を見て酔いが一変に醒めたようだった。
上等の酒を何十本って飲める金額なのだから当然だろう。
それから男はもちろん上機嫌で、ティアナや子供に一瞥もなく去って行ったのは言うまでもない。
ティアナは殴られると覚悟したが、夢に描くような貴公子が現れ
男の手を掴んだ時は、心がときめいた。しかし後が悪かった。
暴力は嫌いだがこの暴漢を懲らしめてくれるかと思ったのに、お金で済ませるなんて期待外れだった。
助けて貰ったけれどお礼を言いたく無い心境だったが、助かったのは事実なので、
にこにこ微笑む青年を嫌々ながら見た。
「ありがとうございました」
そう簡単に言うと彼から視線を外し、うずくまって泣いている子供に声をかけると手足の泥をはたいてあげた。
ティアナに無視されているのに青年は気にする事もなく、陽気に話かけてきた。
「しかし、無茶するね。あんな大男の前に飛び出るなんて。君の弟?」
「・・・・・・・・」
お金持ちの道楽息子に構ってやるものかと無視を決め込む。
彼女は容姿が美しいので何時も、この手の男共が纏わりつくのだ。
だから経験上無視をする事に決めていた。
青年は彼女を一目見た瞬間、気に入ってしまった。
諦めの早い彼には珍しく彼女の気を引きたくてたまらなかった。
「弟じゃないとしたら、もしかして君の子供?」
「ば、馬鹿な事言わないで!私はまだ16よ!こんな大きな子供いる訳ないじゃない!」
馬鹿な問いにティアナは思わず振り向いて返答してしまった。
青年は少女なら誰でも憧れる魅力的な微笑みを浮かべていた。
「他人なのに危ない目にあっていたの?」
「かわいそうだったから・・・・」
ティアナは人懐っこい彼に観念してぽつりと答える。
「優しいんだね。そう思ってもなかなか出来ないものだし感心するよ。
さあ、いつまでも此処に立っていても仕方が無いから、家まで送って行くよ」
「いいです。一人で帰れます」
「遠慮しなくていいから。さあ家はどこ?」
「遠慮なんかしていません!あっ、じゃあ、この子を送って行ってあげて下さい」
それは無いだろう?とぼやかれて結局二人で子供を送って行き、
ティアナの自宅兼花屋まで青年はついて来てしまった。
これがイヴァンとの最初の出逢いだった。
ティアナは耳元に挿された薔薇の香りにふと、もう一つの思い出が浮かんできた。
イヴァンが次に現れた時、腕にいっぱいのピンクの薔薇を抱えて来たのだ。
女性の贈り物は花だと思ったらしいが、ティアナの家が花屋だった事は失念していたらしい。
花屋の店先で花を持って誘いに来た滑稽な出来事は、今でも笑いが込み上げてくる。
良家の子息のようだが、飾らない性格と、この間抜けぶりが彼女に気に入られて今日に至っている。
今でも彼は逢う時に必ずピンクの薔薇を贈ってくれる。もちろんティアナの店で買うのだが・・・・・
イヴァンとの楽しい思い出が浮かんでは消え、
いつの間にか春の陽気に誘われてティアナは、うとうとと眠ってしまった。