第四章 届かぬ想い5

 
 
 ティアナはゲーゼの元から帰って来た後、レギナルトと会っていなかった。

 皇子が宮に戻った様子はあったが何かあったようだった。

ハーロルトも様子を見る程度に少し顔をだしただけで皇子の部屋に行った様子だ。

 今日はもう会う事は無いと思っていたところへ、レギナルトからの呼び出しがきたのだ。

 それも私室へ来いと言うのは初めてだった。何の呼び出しだろうか?
 気不味い別れ方をした後だっただけにティアナは不安を抱えながら部屋に向かった。

 皇子の部屋の外扉には珍しく宿直だろうか?ハーロルトとエリクが難しい顔をして立っている。
「こんばんは。どうしたのですか?夜まで此処にいるなんて珍しいですね」

 ベルツ兄弟は、ティアナの姿を見ると厳しい顔を一転させて微笑んだ。
「エリクと警備の件で打ち合わせしていましたが、もうすぐ帰らせて頂きます。

ティアナ様こそ如何なさいましたか?」
「レギナルト皇子に呼ばれました。あの・・・・皇子の機嫌はどうですか?」
 ハーロルトとエリクは瞳を交わした。

 刺客に襲われて機嫌が悪いと言えば当たり前なのだがティアナに言う訳にはいかない。

不安そうに見上げる彼女にどう言ったらいいものかと悩んでいると内側から扉が開いた。
ゆったりとした優雅な室内着を素肌に着て、ゆるく前をかき合わせた状態のレギナルトが

不機嫌そうに三人を一瞥した。
「お前達はもう下がってよい。ティアナ入れ」
 ティアナは皇子に、グイッと腕を掴まれて強引に内側に引き入れられた。

 室内は何時も煩いぐらいいる女官達が一人もいなかった。

静まり返った広い室内は、今まで以上に冷たく広く感じた。

 ティアナは乱暴な扱いに驚いて皇子を見上げた。

 その大きく見開く瑠璃色の瞳をレギナルトは一瞬見つめたが、すっと横を向き彼女の腕を放した。

そしてレギナルトは彼女を放した手を握り締めると

中央に
(しつら)えた見事な細工を施した円卓に向かいその椅子に座った。

それから円卓に方肘をつくと長い脚を組んだ。

その間、今度はティアナの瞳から視線を外す事は無く、じっと見つめていた。
「立ってないで、座ったらどうだ」
 レギナルトは顎をしゃくって促した。

 その声と表情は今にも爆発しそうな怒気が見え隠れしているようだった。

 ティアナは言われるまま大人しく座った。そして膝に組んだ手をぎゅっと握り締めた。
 
 自分達の脈打つ鼓動が聞こえるような沈黙が二人の間に漂っていた―――

 そして、その静寂を破ったのはレギナルトだった。
「・・・・・返答がまだだったが、もう一度聞く。ティアナ。あの時、何と言った?」
 ティアナは、はっとした。

 皇子は先刻のゲーゼとの会話の件を蒸し返してきたのだった。

 問う、皇子は今にも牙を剥く獣の様だった。

その見えない鋭い爪でまるで身体は押さえつけられている気分だ。

 大神官には誤解したままで良いとは言ったが、皇子はやはりその件で怒っているのだ。

所有権を主張し独占欲の強い皇子にとって、あの言葉は自分に対する反逆でしかないだろう。

 でも、本当の気持ちを言ったとしても無駄なのだから・・・・・
 ティアナは覚悟を決めて声が震えないように答えた。
「・・・・・宿命は変えられないのか?私は皇子とこの気持ちのまま結婚したくない と言いました・・・」
 レギナルトは冷たい紫の瞳を暗く光らせながら自分は馬鹿かと思った。
(聞けば腹立つ言葉をもう一度言わせるなど・・・本当に狂っている・・・・)
 持って行きようの無い怒りが身体中を駆け巡った。

 頭の中で大神殿の祝福の鐘が鳴り響いている。幸せな笑顔で見つめ合う二人・・・・あの幻が瞳にチラつく・・・・
レギナルトは大きな音をたてて椅子を蹴り倒して立ち上がると、反対側に座るティアナに近づいた。

 そして彼女の顎に手をかけ、グイッと仰向かせて烈しい言葉を浴びせかけた。
「否は言わせない!お前が結婚したくなくても従ってもらう!何が不満だ?

我が妃となれば帝国一の女になれる。その身を飾る宝石でも宮殿でも、

お前が望むものは全て与えよう。私の手に入らぬも
のは無いのだから。否は許さない!」
 ティアナは烈火ように怒るレギナルトに早く はい と、

結婚を承知すると答えないといけないと思うのだが、喉が締め付けられたように声が出ない。
(愛してくれなくても良いと思っていても・・・やっぱり悲しい・・・・全て与えると言うのに

絶対貰えないものがあるのだから・・・)
目頭が熱くなってくる。 

(泣いたら駄目!)
「―――はい。言う通りにします・・・・」
 ティアナはそう言うと、驚きに見開くレギナルトの紫の瞳を、これ以上見ていられ無くてきつく瞼を閉じた。

堪えていた涙が頬をつたい彼女の顎を掴むレギナルトの手を濡らした。
「―――結婚を承知すると言うのか?」
 レギナルトは信じられなかった。歓喜などしない。

 まだ一日も経ってないのに同じ口で拒否から承諾になるなど考えられないからだ。

どうしようにも無い怒りと焦りで、強引に迫ったが承知するとは思っていなかった。

ティアナは見た目はか弱く物事に流されそうな感じだが、

そうでは無く自分をしっかりと持っている。それなのに?

 
「何故だ!理由を言え!」
「それは・・・(本当のことは言えない・・・)私が、私が承諾しないといけないのでしょ?

それに妖魔を抑える為にも・・・・」

 レギナルトの整った顔が怒りで歪んだ。
「ゲーゼか!ゲーゼだな?よけいな事をベラベラと喋ったのは!あの爺!

やはり早く口を封じるべきだった!そうか?それでお前は世界の為に、

その清らかな犠牲心で神の生贄のように嫌いな私に身を捧げると言う訳か!最悪だ!

まだ他の馬鹿な女共のように栄耀栄華に目が眩んだとでも言って貰ったほうがマシだ!」
 耐えるように唇を震わせ瞳を閉じたまま涙を落すティアナを、

レギナルトはいきなり抱き上げて隣室の寝所へ運びこんだ。

 そして整えられた大きな寝台に放り投げ、覆いかぶさるようにティアナの動きを封じた。

 今度、驚きで瞳を見開くのはティアナの方だった。
「冥の花嫁の承諾で成立するとか言う伝承は、口から出任せの言葉でも成立すると思うか?お前はどう思う?

今から証明してみようじゃないか・・・果たして心から承諾していなくても子が出来るのかどうか――」
 レギナルトの手がティアナの頬をなで顔が近づいてきた。

 下半身は皇子の膝で押さえつけられ、両手は頭の上に片手でまとめあげられていて身動きは出来なかった。

レギナルトはティアナの脈打つ首筋に口づけをし、空いた手で彼女の胸元の留め紐を解き始めた。

ひやりとした空気に肌がさらされ、それを追うように皇子のいつもは冷たい指が熱く這ってくる。

 そして刻印の場所に触れた―――

一瞬、その手は止まったが柔らかな頂へと更に進んでいく。

皇子の乱暴な愛撫にティアナの身体がビクリと反応しこわばる・・・怖い・・・

 ティアナは皇子が言うように口から出任せで言った訳ではない。
世界の存亡という避けがたい宿命もあるが、何よりも皇子と共にある事を彼女は望んでいた。

こんな尊厳も無い扱いを受けたとしても構わなかった。

(・・・少し怖いけれど皇子の気がこれで済むのならそれでも構わない・・・)

・・・でも掴まれた手首が・・・構わないと思う半面にある心の痛みを映すかの様に痛かった・・・・
 レギナルトは首から耳朶へと唇を伝わせ、彼女の唇を無理やり(ふさ)ごうとした時、

ティアナは助けを呼ぶのでもなく
放して と叫ぶのでもなく辛そうに呟いた。
「手が・・手が痛い・・・・」
 苦痛に歪むティアナを見てレギナルトは思わず顔を上げ、彼女の両手首を掴んでいた手を離した。

力を入れれば折れそうな細い手首は強い縛めで、真っ赤にうっ血していた。

 ティアナは手を解かれても着衣を乱されたまま直そうともせず、

ただ震えながら涙で濡れた瞳をきつく閉じていた。まるで今の行為を許すかのように・・・・

 抵抗する様子が無い彼女にレギナルトは反対に逆上した。

抵抗すれば
ほら見た事か! と思って止めようと思っていた。

しかし予想に反して信心の強い彼女が、こんな状態で身を任せようとすること事態が献身的で許せなかった。
「どうした?助けを呼ばないのか?良いのかこのままで。叫んだらどうだ。

お前を守るハーロルトもまだ近くにいるだろう。バルバラか?ドロテーか?

例えゲーゼや父上であっても私を止める事は出来ない。誰もだ!

私に逆らえる者などいない。立派なものだな?お前の献身的な態度は・・・・」
 ティアナの態度に腹を立てていたレギナルトは、寝室の扉口に立つ気配に視線を向けた。

 女官が入り口で二人の様子に驚いて立ち往生していたのだった。
「何をしている!今日はもう入ってくるなと言っていただろう!」
「も、申し訳ございません。夜間の交替で只今参りましたので聞いておりませんでした。

何時もの夜酒をお持ちいたしまして・・・」
「下がれ!」
「は、はい。申し訳ございません。夜酒はこちらに置いておきます」
 女官はトレーに載せた硝子の酒瓶と酒盃を、寝室の入り口にある卓上に置いた。

そして深々とお辞儀をして去って行こうとする女官を、レギナルトは呼び止めた。
「待て。こちらに来て酒を注いでいけ」
 少し落ち着いた感じの女官は、硝子の酒盃に琥珀色の酒を注ぎ、寝台から起き上がったレギナルトに運んだ。

皇子は一度それを受け取ったが、女官の顔に突きつけた。
「酒の相手をして貰おうか?さあ、飲め」
「お、お許し下さいませ。お酒は飲めません。お、お許しを」
「私の言う事が聞けないと言うのか」
 レギナルトは酒盃を女官の口元に突きつける。
「ひいっ―――お、お許しを」
 ティアナは皇子の勘気に触れた女官を助けようと、レギナルトが持つ酒盃に手をかけた。
「皇子!私がお酒のお相手をしますから、この人を許してあげて下さい!」
「馬鹿!離せ。お前には言ってない!さあ、飲め」
 ティアナの手を払い、酒盃をグイッと傾ける。

 琥珀の液体が女官の顔にかかりそうになると、女官は皇子の手を払って酒盃を床に叩き落とした。

 甲高い硝子の砕ける音が響く。
「無礼者が。さあ、もう一度注いで来い・・・今度こそ相手してもらおう」
 レギナルトは腰掛けていた寝台からゆらりと立ち上がりながら、空気も凍るような声で命令した。

絶対的な逆らえない響きが漂う。

 女官は震える手で酒を注ぎ、酒盃を持ったまま立ちすくんでいた。
「さあ、飲め」
 女官は震えながら口元近くまで持っていくが、それ以上手が動かない。
「――飲めないのか?飲めない筈だな。毒入りなのだろう?」
 女官は持っていた酒盃を皇子に向かって投げつけて走り出したが、レギナルトはそれをかわし短剣を放った。

それは女官の足の付け根に命中し逃走を止めた。
 レギナルトは女官の夜酒を置く手がかすかに震えていたのを見逃さなかったのだ。

 部屋は人払いをしていたから、何時もの係りが近づかないのを良い事に狙ったのだろう。

 室内の騒動にハーロルトとエリクが駆けつけた。
「皇子!何事でございますか!」
 足に短剣が突き刺さってうずくまっている女官に、レギナルトが長剣を突きつけていた。

 女官は髪を振り乱しながら
(うめ)き声をあげている。
「刺客だ。毒酒を持ってきた
 ティアナはその言葉で背筋が凍るようだった。

あのまま皇子が飲んでいたらどうなっていたかと思うと怖くなった。
 女官の総取締役でもあるバルバラも駆けつけた。

 暗殺を企てた女官は皇子宮で一週間前から正式に雇っている者だった。

そうなれば身元の書類も怪しいものだが、厳しい採用審査を通り抜けるぐらいだから、

かなり上の人物が動いたと思われる。

他も至急調べる必要があるだろうが、とりあえずレギナルトは剣を女官の顔に突きつけ尋問を始めた。
「誰に頼まれた?私が優しく言っているうちに喋った方が良いぞ。さあ誰だ?」
 だが女官は黙秘を続けるようだった。

 レギナルトは彼女の肩を掴み、剣を耳に当てた。皮膚が裂け、血が滴り落ちる。
「さあ吐け。早く言った方が良いと警告しただろう?口さえあれば喋れるのだから、

最初は耳を落とし、指を一本ずつ折り、鼻を削ぎ、仕上げは目をくりぬこう。

女でも容赦はしない。皇族を
(しい)する行為はそれを持ってしても償えるものでは無い・・・・

さあ、早く知っている事を全て言え!そうすれば、私が先程言った事をする前に楽に殺してやる」
「ひいぃぃ―――お許しを。お許しを。お、お金が欲しかったのです。

病気の子供を治療するお金が!どうか、どうかお助け下さい」
 レギナルトの顔は何の感情も見る事は無く氷のように、泣き叫ぶ女官を見下ろしている。

 ティアナは思った。皇子の言葉は本気なのだと。本当に眉一つ動かす事無くこの女官を切り刻むだろう。

こんなに
恐ろしい皇子を初めて見る。足がすくむが、もっと怯えて許しを請う彼女を放っておけなかった。

レギナルトが突きつけている剣の刃が、自分の顔に迫るのにも関わらず女官を庇う様に近寄った。
「皇子!どうか、どうかお許しください」
「庇い立てするのか!どけ!私を殺そうとした刺客の言葉に同情するなど、いい加減にしろ!

それとも、お前は私が死んだ方が良かったのか?そうか?

そうだろう私さえいなければお前は自由なのだからな!そうなればお前はイヴァ――」
 その時レギナルトの頬が鳴った。

 ティアナが彼を平手打ちしたのだ。その勢いでティアナの顔には刃をかすめた傷が赤い線をかいている。

 その場にいた者達も、レギナルトも唖然と彼女を見つめた。

 怒りで見開いた大きな瑠璃色の瞳からは涙が溢れて、瞬きもせずレギナルトを見上げていた。
「誰が死んだ方が良いなんて思うの!そ、そんな事・・・そんな事言う方が可笑しい!

簡単に殺すとか死ぬとか言わないで下さい!」
「・・・・ほう。私を叩いた挙句に意見するのか?この私に?良い度胸だ・・・」
 レギナルトは女官に突きつけていた剣を一旦外し、ティアナを睨みつけた。

 さすがのバルバラもベルツ兄弟も顔色を無くしていた。

皇族に手をあげて意見するなど、有っては成らない事なのだ。

 しかし、ハーロルトがティアナを止めに入った。
「ティアナ様。皇族に(やいば)を向けるものは極刑なのです。

それも皇統を継がれるお方なら尚更でございます。今後の憂いを無くす為にも

見せしめとしますから、普通の処刑などありえません。その場で殺される方が温情で軽いのです。

皇子に逆らってはなりません。どうぞ皇子にお詫びを申し上げて下さい」
「謝らない!必要以上に酷い事をする皇子になんて嫌い!絶対に謝らない!」
 レギナルトもハーロルトもティアナに構っていて女官から目を離していた。

 注意がそれた事を幸いに女が動いた。

女は自分の足に刺さった短剣を抜き取り、ティアナの首に突きつけて人質に取ったのだ。






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