第一章 名の無き地3

 
 ベッケラートは帝国一の腕を持つ医師だ。それゆえ筆頭の御殿医なのだが変わりものだった。

殿医とは皇帝や皇族のためにあり皇城に居住を許され何かあれば瞬時に駆けつけるのが仕事なのだが、

この医師は城下で暮らし平民、貴族関係なく診療する人物だった。当然、抱えている患者は多い。

しかもその腕だから助かっていると言っても過言でない重病人が多いのだ。
 レギナルトは考えた。自分を庇ったせいで、いや、自分の命を救ったせいだ

という事を認めなくてはならない。

それが愚か者の末裔であろうと無かろうと関係無く、面目にかけて彼女を元通り治す義務がある。

だがベッケラートを此方に連れて来る訳にはいかない。

既に閉ざされた路も多い中、行きは良いものの帰りが春までこの地に足止めでもされたら

帝都の患者を見捨てる事にもなりかねない。

そんな状況では偏屈のベッケラートのこと、死んでも帝都から動かないのは目に見えている。
(連れて行くしか無いのか・・・・)
 それも非常に不味い。そういう事を自分が行えば、ファネールに恩赦を与えたのも

同然になってしまう。名無しの地が再びファネールと呼ばれるようになるのだ。

それに先王の下した罰に異を唱えることになる―――
(・・・・仕方がない・・・・)
 レギナルトは涙するヒルデに歩みより、その手を優雅に取った。
「ヒルデガルト嬢。私を救った貴女の勇気に感謝する。

貴女の目が見えるように最善を尽そう。その為にも共に帝都へまいろう」
 ヒルデは全く見えていないのでは無い。なんとなく影は見えるようだった。

真摯な声のする方向に顔を向けて震える声で答えた。
「本当ですの?治してくださいますの?もし、治らなかったら?」
 一番痛いところを突かれてしまった。そう、治らない場合も十分考えられるのだ。
「―――最後まで責任は持つ。望むものは叶えよう、私の名誉にかけて」
 ヒルデはその皇子の言葉に頷きながら安堵して少し落ち着いて来たようだった。
 それから城内は引っくり返したような大騒ぎとなった。ヒルデの帝都行きが決定したからだ。

その準備で死んでいたような人々は活気に満ち溢れていた。
 エリクは胸を上下させて大きな溜め息をついた。
 それを見て取ったレギナルトが不機嫌そうに口を開いた。
「なんだ? エリク。何が言いたい」
「僭越ながら宜しかったのですか?いくら恩人とは言えやり過ぎでは?」
「恩赦のことか?」
「いえ、帝都へ同行するうえ、更に治らなかった場合の約束ですよ。自分はその恩赦だけでも

十分お釣りがでるくらいだと思いますが?
望むものを叶えるなど皇子は気前良すぎます!」
 エリクは令嬢と皇子との会話に何か違和感を覚え、嫌な気持ちが拭えない。
「あの者によって私の命が助かったのだ。それくらい当然だ」
「しかし、皇子!宜しいのですか? 妙齢の令嬢を伴われてお帰りになるなど、

それにあのようなお約束。誤解を招きますよ」
「誤解?」
 エリクは呆れた。幸せ呆けもここまでくればただ呆れるしかない。

以前の皇子なら鉄壁の氷で弾き飛ばすものを・・・・
「女性が皇子に望むものは唯一つでございましょう?

妃の座―――女性の最大の栄誉でございますよ」
 レギナルトの方こそ驚いて、嘲るように笑った。
「何を言うかと思ったら、それこそ飛躍しすぎだ。女がそればかり思うものでは無い。

身近な例がティアナだ。あれはそれこそ全く望んでもいなかったのだからな」
「ティアナ様は特別です。それまで皇子の周りにはどういう女性ばかりでしたか?

思い出してください。あのように目が不自由になるなど強みですよ!

物品で代償の利くものではないのですから」
 エリクの言うことにも一理ある。ティアナと出会ってからは、

今まで否定し続けていた女達の見方が少し変わって来ていたのだが・・・・
 真剣な表情になってきたレギナルトに、追い討ちをかけるようにエリクは続けた。

「ティアナ様とて不安になられます。ご令嬢はとても美しいですから・・・」
 ヒルデガルトは、瞳が霞んで良く見えないとは言っても、その瞳は黒曜石のように輝き

涙でいっそう艶かしく、その容貌を引き立てていた。

皇宮に集う麗しき貴婦人達の中でもその見事な黒髪と黒曜石の瞳は一際目を引く美しさだろう。

甘美で艶麗な肢体はさぞかし男共を虜にするであろう―――
「まさかティアナが嫉妬でもすると? 私の心が揺れることなど無いのだからそれこそ無用の心配だ。

逆にこの地に見捨ててしまう方が怒られるだろう。あれは何時も弱き者の擁護者だからな。

だが忠告は心に留めておこう。ティアナ以外に妃を持つなど

全く考えていないのだから心配はいらない。望みはそれ以外で叶えよう」
 エリクは心の中で溜め息をついた。

女性の心理は皇子が思っている程、甘く無いのだと言いたかった。

侯爵令嬢の思惑はさておき、今まででもティアナの心中は穏やかでは無かったのだから・・・・
(皇子は全く分かっていない!)
 ティアナが〈冥の花嫁〉だと帝国内に告知されて正妃の座は皆、

あきらめても第二、第三と続く妃の座を狙っているのだ。

ティアナ以外眼中に無いレギナルトは全く無視しているが、女同士の戦いは水面下で継続中だった。

皇子の愛を疑っているのでは無いが、ティアナはいつも心を痛めていた。

貴族の・・・・まして皇族の結婚など別に愛が無くとも出来る。

レギナルト自身、それが当たり前の世界で育っているからティアナと違って

唯一の伴侶と言う観念が無いと思う。彼らの結婚とは需要と供給の世界のようなもので、

皇子としての勤めや義務のようなものだからレギナルトは何とも思わないだろう。

実際、ティアナも最初はそんな扱いを受けていた。冥の花嫁
と言う義務の為の道具のように。

だから彼女は良く分かっているのだ。
 しかし、そう簡単に割り切れるものでは無い。
 彼女も嫉妬する。独占欲が強いのはレギナルトだけでは無いのだ。

控え目な性格のティアナはそう悟らせないだけだった。

儀礼や義務とはいえ美しい姫君達を相手するレギナルトを見るのはとても辛いのだ。

まして最近の皇子はティアナ効果で、雰囲気がやわらかくなっているから

寄って来る御婦人方は後を絶たない。
(ティアナ様は苦労されるな・・・・)
 エリクは跡取りである長男のハーロルトと違い名門貴族なのに、

その貴族的な因習や観念に囚われず自由奔放に育ち、

多少なりとこのズレは分かっているつもりなのだ。

 もう一度、心の中で溜め息をついて深々と頭を垂れた。
「差し出た事ばかり申し上げましたこと、お詫び致します。

余計な詮索でございました。自分も皇子のお心に添えるよう配慮いたします」
 配慮 そうそう 配慮 とは優しきティアナに対してだ!
(こんなのに疎いハーロルトは頼りにはならないから、ドロテーが頼りだな・・・)
 ドロテーを拝む気持ちでエリクは皇子の部屋から退室した。
  
 翌朝、一行はファネール城を後にした。
 ヒルデガルトの供は乳母でもある侍女一人だけだった。

侍女らを大人数連れて行く事も、荷も必要最小限でとレギナルトが言ったのだ。

全て何もかも自分で用意するとの事だった。とは言っても何を持参しているのか分からないが、

かなりの数の荷を運び込んでいるようだった。とかく女性の荷物は何かと多くなるものらしい。
 エリクは下男が運び込む衣装箱に苦笑いを浮かべながらも、不審な物が無いか気を配っていた。

 逆にレギナルトは帝都への逸る想いで彼女らを気にも留めていない様子だった。
 ところがファネール領を順調に進んでいた一行は再び立ち往生を余儀なくされてしまった。

領を抜ける唯一の渓谷にかかる橋が崩れていたのだ。

ここまでくればこの道中、呪われているとしか思えなかった。

ことごとく行く手を遮られ続けるのだから・・・・
 当然、レギナルトの怒りは頂点に達した。

持って行きようの無い憤りは凍りついた大地を更に凍らせるかのようだった。

 さすがのエリクも正直、皇子の眼前から消えたい気分になったぐらいだ。

 皇子は渓谷の端に立ち怒鳴る訳でも無く無言で辺りを見渡し、手に持つ地図を見ていた。

エリクから言わせれば、その無言が恐ろしいのだ。
 レギナルトは地図から顔をあげエリクを一瞥すると、淡々と命令した。
「あの森を抜ける」
! それは・・・・皇子それは無謀では? あの森はいわく付きですよ」
「ああ、たいそうないわく付きだ。だが以前、中に入った事があるが何も無かった」
「確かに自分も皇子とは別に一度、訪れた事がありますが

特に変わった事など無かったのですが・・・・たまたま運が良かったのかもしれません」
「同じ事だ!運悪く妖魔でも出て来たのなら退治するまでだ!

無駄口たたく暇など無い。暗くなる前に抜けるぞ」
 レギナルトはそう言い放つと号令をかけて騎乗した。
 エリクも慌てて追いかけたが、不安は残る。
 ファネール領に隣接するいわく付きの森―――
 近隣の人々は〈真実の森〉と呼んでいる。この森に入ると人は真実に目覚めると言うのだ。

ここ数年謎めいた話が人々の間で流れていた。

例えば、極悪非道の悪人が善良になったり、結婚間近な恋人が別れたり、

家族の元から蒸発したりなどなど、そうなった者達は決まってその森へ入っている。

彼らは真実の心に目覚めて本来の姿に戻るらしいと言うのだ。だが皆が皆そうなるのでは無いらしい。
 怪奇現象は妖魔の類が考えられたので調査済みだった。だがその調査も歯切れが悪く難航した。

当事者達は森でこれといった不可解な記憶は無いのだ。

 レギナルトも直接森へ出向き確かめたが、妖魔の気配も何も無く自分に変化も見られなかった。

しかし、臣民の不安要素は排除するのが仕事であるレギナルトは、

この森を立ち入り禁止区域としていた。もともとファネールが近いせいもあって

人が通るのもまれであったこの森は禁断の地となってこの数年、

真冬でも葉をつける木々がいっそう険しく生い茂っていた。

そのお陰で大きな枝が雪を遮り久しぶりに土を踏みながら進むことが出来た。
 だが、同時に日光も遮るのでまるで夜のようだった。

しかも世界から切り離されたかのように静寂な世界。鳥や獣も住まない森―――
 松明を掲げレギナルト達は進んで行く。その時、何処からともなく湿った風が吹いてきた。

 すると松明の灯りが揺らめき、愛しい者の姿をかたどったのだ。
 

それは優しく微笑むティアナだった。
 レギナルトは一瞬息を呑んで目を見張った。

 その幻は彼の胸に吸い込まれたかと思うと、輝く光の玉となって身体を通り抜け空中に消えたのだ。
 レギナルトはその時、何か叫んだような気がした。周りの何人かは、

辺りを見渡している者がいたが何事も無かったように道を進んでいた。
 様子のおかしい皇子に気付きエリクが馬を寄せて来た。
 レギナルトはこの寒さの中にも関わらず、どっと汗をかいていたのだ。

彼は額の汗を拭い、自分の言葉を待つエリクに声をかけた。
「今、何か見なかったか?」
「? 何かと言いますと」
「―――いや、何でもない。気のせいだろう。さあ、急ごう」
 間も無くすると暗かった森を抜け、帝都までの道は確保出来た。

実はこの森を通過するのが最短距離でもあり、帝都まで早くてあと一週間もすれば辿り着くのだ。
 そして、ようやく帝都へ戻って来たのだった。






あとがき
 第1章「名の無き地」終了です。予告→ラブラブの、レギ&ティの続編では私的に趣味では無かったので、次の章から二人を引き裂いてしまいます(ゴメンナサイ)此処までは前置きと言うことでした。ラブラブの展開を期待されていた方には申し訳ございません。 しかし、レギは冷静沈着な皇子という設定でしたが・・・やはり前作の途中から壊れてきたように今回も結構、短気?(笑)皇子の名誉挽回に努めたいと思います。







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