第二章 二人の花嫁1

 
 此処は、デュルラー帝国の最大の都であり、帝国中枢の都。

その象徴と言うべき広大な皇城は都の中央に位置する。

皇城の周りには鉄壁を誇る城壁と深い堀を巡らし、

城下と城を繋ぐ道の一つは皇城に併設された大神殿からの入り口。

もう一つは一般の入り口。そして最後の一つは皇族が通る門。

このひと際大きく、見るものを圧倒する豪奢な門が重々しく開き、レギナルト達を迎え入れた。
 入城したレギナルトは先に皇帝への帰城報告をする為に人をやり、

自分はエリクと数名の護衛だけ残し、ヒルデガルト達を伴って自分の宮へと向かったのだった。
 一方、皇子の帰城を今か今かと待ちわびていたティアナは、レギナルト達の帝都入りの

報告を聞いてからは部屋の中で落ち着きなくウロウロしたり、何度も鏡を覗き込んでは

自分の姿を確認したり、見える訳など無いのに窓の外を背伸びして眺めたりしていた。
 その様子が可愛らしくて、ハーロルトもドロテーも苦笑しながら彼女を見ていたのだった。
 そして皇族の門を通ったとの知らせが来た途端、ティアナは一斉に咲き誇る花々のように微笑んだ。

それは誰もが心を奪われるような喜びに満ち溢れた晴れやかな笑顔だった。
 ハーロルトはその輝く笑顔が眩し過ぎて瞳を細めた。

そして、この笑顔を曇らせないようにしようと再び自分に強く誓った。
「さあ、ティアナ様。間も無く皇子は御到着されるでしょう。表で待たれますか?」
「はい!そうします!」
 ハーロルトの問いに、ティアナは瞳を輝かせてそう答えた。
 待ちに待った皇子の帰還。何と言って出迎えようとか色々考えていた。

でも皇子宮の前
で向こうから帰ってくるレギナルトの姿を見たら、

そんな思いは頭から飛んでしまった。
「皇子―――っ!」
 ティアナはそう呼ぶと儀礼や言葉も何もかも忘れて一目散に駆け出し、

馬から降り立ったばかりの皇子に抱きついたのだ。

普段大人しい性格の彼女からは想像も出来ないような大胆な行動だった。よほど嬉しかったのだろう。

そんなティアナからの抱擁など予想もしないレギナルトはさぞかし驚いて喜ぶと思った。

だが直ぐにでもティアナの背中にまわって来ると思ったレギナルトの腕は、

真横に下がったままだった。
「?」
 ティアナは抱きつきレギナルトの胸にうずめていた顔を離し皇子を見上げた。

 冴え冴えとした紫の瞳と目が合った―――
「誰だ、お前は」
 その声は凍りつくように冷たかった。そして嫌悪もあらわにティアナを払いのけたのだ。
 間近にいたエリクもハーロルトもドロテーも驚きに息を呑んだ。

何がおこっているのか信じられなかった。
 ティアナは瞳を大きく見開き、震える声で言った。
「皇子?どうして?何を言っているのですか?」
「話す許しは出していない。しかも!いきなり抱きつくなど無礼であろう!」
「お、皇子――何の冗談ですか?まさか・・・私が、私が分からないのですか?」
「お前こそ何を言っている。お前など知らぬ。

ハーロルト、何をしているこの知れ者をさっさと摘み出せ!」
 レギナルトはそう言い放つと、その紫の瞳は氷のように何も語らない。

ただ冷たくティアナを一瞥しただけだった。

そして、もう用事は済んだとばかりに踵を返すと、後から到着した馬車の扉を開けて、

中に乗っていた黒髪の美しい令嬢を抱きかかえ出した。
「皇子?到着しましたの?」
 その女性は目が不自由のようだった。

皇子は気遣いながら彼女を抱きかかえた状態で馬車から降ろし、ティアナの横を通り過ぎて行った。

呆然と人形のように突っ立ってその様子を見つめるティアナには、

皇子の腕に抱かれるその令嬢の口元が笑ったように見えた。
 ティアナは震えながら去り行く皇子を振り返り、叫んだ。
「皇子―――っ!!」
 だが、レギナルトは振り返ることは無かった。
 ティアナはガクガクと足を震わせ、冷たい雪の上にしゃがみ込んだ。あの皇子の瞳は知っている。

時折見せた女性というものを信じない、一切を拒絶し侮蔑しているあの瞳だった。

それでもあんなに冷たい瞳で見られた事は無かった。

最初に出会った最悪な場合でさえ、その瞳は怒りに燃え感情があらわだったのだ。それが―――
 今はまさしくティアナと出会う前の 氷壁の皇子 と言われていた頃の皇子だった。

 ティアナはあまりの驚きに涙さえ出なかった。

 まるで底なしの沼にでも沈んだかのように息が出来ず、

目の前が真っ暗になって意識を手放してしまった。
「ティアナさま!」
 鋭く名を呼び、倒れるティアナを抱きとめたのはハーロルトだった。
 その声にレギナルトは歩みを止めて振り返った。

ハーロルトの取り乱したような叫び声にも似た声など初めて聞いたからだ。

無礼にも親しげに抱きついてきた見知らぬ娘は、この国では珍しい金色の髪だった。

その長い髪がふわりと広がりハーロルトの腕に倒れこむ所だった。

頼りなげで華奢な肢体がぐったりと力なく、ハーロルトに支えられていた。
 ハーロルトは不敬だと十分承知しているが、言わずにはいられなかった。

皇子の視線を見返すように激しく言い放ったのだ。
「皇子!ティアナ様に何と言う事を!毎日、毎日、貴方様を想い

待ちわびておられたのに、いったいどういうお積りなのですか!」
 レギナルトは目を見張った。ハーロルトが自分の許しも無いうえ、

あのように憤りもあらわに発言するなど初めてだったからだ。

それに追い討ちをかけるようにエリクまで訳のわからない事を言い出した。
「皇子、どうしたのですか?まさか本当にティアナ様を忘れたなんて事無いでしょうね?」
 レギナルトは抗議する二人とハーロルトの腕に抱かれる娘を交互に見た。

二人はまるで自分がその娘を見知っているかのように言うが全く記憶に無い。

こんな馬鹿な冗談を二人
がする訳でも無いと思うのだが・・・・
 そこへ、皇帝の馬車が乗り込んできた。いち早く帰城の知らせを受けた皇帝と、

ちょうど伺候していた大神官ゲーゼを伴って皇子宮へ出向いて来たのだ。

政務を抜け出す良い機会だとばかりに相変わらず息の合った行動だった。

しかもこんな時はかなり迅速らしい。
 のほほんとやって来た二人は、馬車から降り立つと、その場の緊迫した空気に驚いた。

ティアナは気を失ってハーロルトが抱きかかえているし、

エリクと一緒になってレギナルトを睨み付けている。

レギナルトはと云うと見知らぬ令嬢を抱きかかえていた。

その娘は事前に報告のあったレギナルトを助けたファネールの娘だと察知出来るが・・・・
 いったいこれは?
 だが、いち早くゲーゼはティアナの元へ駆け寄った。
「いったいこれはどうしたのですか?」
 ただならぬ様子のベルツ兄弟と皇子を見て取った大神官は問いただした。
 また面倒な二人が来たとレギナルトは思い無視を決め込むと、さっさと宮の中へ足を運び始めた。

そしてベッケラートを呼ぶように命じたのだ。
 ベルツ兄弟から掻い摘んだ事情を聞いたゲーゼと皇帝は驚いた。

 二人は慌てて皇子の後を追って皇子宮へ入り、

ヒルデガルトを侍従に預けたレギナルトに追いついた。

息せき切って自分を呼びながら追って来た二人に、レギナルトは半ば呆れながら

大げさに溜め息をついて立ち止まって振り返った。
「父上、ゲーゼはともかくこのような時間にここにおいでになる暇など

無いと思いますが?どうして此処に?」
 レギナルトは有無を言わせないような淡々とした口調で嫌味たっぷりに言った。
「いや、おまえそれよりも」
「皇子!どういうもりですか!し、知らないなど!冗談じゃ済まされませんぞ!」
 喋りだした皇帝を押しのけてゲーゼが興奮したように問いただした。
(まさか?ゲーゼや父上までもあの娘を見知っているのか?)
「ゲーゼや父上までも、あの娘を知っているとか?」
 ゲーゼも皇帝も目を大きく見開いて息を呑んだ。皇子は冗談など言っている様子では無かったのだ。

本当に忘れてしまったのか?
 ゲーゼは信じられないと言うように顔を左右に振りながら一言、一言、

確かめるようにゆっくりと言った。
「皇子、ティアナは貴方の花嫁になられる方ですぞ。しかも 冥の花嫁 ですぞ。

誠にお忘れですか? あんなに愛された方を?」
「あの 冥の花嫁 ? 誠に?本当なら素晴らしい吉兆だ。それに何だって?

愛した?私がか?あっはははは・・・・馬鹿らしいのにも程がある。なんだ?

帰って来るのが遅くなった懲らしめか?父上まで一緒になって私を謀るなど・・・

もういいでしょう
これくらいで」
 レギナルトはそう切り捨てるように言うと自室へ向かって歩きだした。
「レギナルト。冗談では無いぞ!」
 去り行く息子の背中に向かって皇帝は真剣な声音で言ったが、

レギナルトは肩越しに二人を一瞥しただけだった。
(私が愛した娘?愛ほど愚かなものなど無いと言うのに?

彼らの言うように本当に忘れたのならばそれは神に感謝だ!しかし、冥の花嫁
だと?)
 レギナルトはあの娘がどのような娘であろうと関係は無いが

冥の花嫁 であるならば自分に関係無いとは言えない。

それでも、正妃が現在許婚であるアウラー家のエリノアでなくなっただけの事で、

第一皇妃にあの娘をもってくるだけなのだ。
(なんと言ったか?ティアナか・・・)
レギナルトは先程の無礼な少女を思い返してみた。

洗練された美しい貴婦人達を見慣れている彼の目にもティアナの初々しさと可憐さには一瞬、

心を奪われそうだった。それにあの笑顔―――

思わず魅入ってしまって、その少女が自分に抱きつくのを避けることが出来なかったのだ。

その後は、はっと我に返ったが―――
冥の花嫁 か・・・)
 レギナルトは再び、振り返った。
「ゲーゼ。冥の花嫁 だと言う証拠は?」
「――前も同様の質問を皇子はなさいましだぞ!」
「繰言はよい。問に答えよ」
「御身と同じ場所に同じ刻印がございます。星の刻印 が―――しかしながら皇子。

誠にお忘れでございますか!前回も」
「承知した。この件は後で確かめる」
 ゲーゼの長い話を聞くつもりの無いレギナルトは彼の話を途中で切り、

今度は立ち止まる事無く自室へ入って行ったのだった。
 残された二人は呆然と顔を見合わせた。皇子の身に何が起きたのか?
「そうだ!ヘルマン・ベッケラートだ!ファネールの娘どころでは無い。

皇子を奴に診せよう!皇子はきっとどこか悪くなられているのに違い無い。

道中、頭でも打ったかも知れませんぞ。陛下、きっとそうでございますよ」
「そ、そうだな。うん、うん、ゲーゼ良い考えだ」
 皇帝と大神官は共にお互いの意見が合ったと喜んで肩を叩き合った。
 その時、閉まった筈のレギナルトの部屋の扉が、大きな音と共に開いた。
「父上。皇宮へ即、お戻りを。ゲーゼもな!」
 レギナルトは扉から顔を出し、そう有無を言わせない口調で言い放つと、

再び大きな音をたてて扉を閉めた。
 二人はやれやれと目配せしてその場からこっそり離れると、

この提案を持ってティアナの元へ行くことにしたのだった。
 一方、話題のベッケラートは急患を診ていたがレギナルトの

ほぼ強制的な呼び出しを受け一人の助手を供に皇子宮へと向かっていた。

迎えの馬車の中で、ベッケラートはふて腐れていた。

彼は身なりを気にする暇も無いのか、それともどうでもいいと思う性格なのだろう。

着ている物は上質そうだがよれよれで、後ろの髪は短いが前髪は長く

ほぼ両目を隠して、無精ヒゲも伸び放題。若いのか年寄りなのか定かでない。

 命に別状は無いと言っても急患を残して登城するなど絶対にしない。

だが、彼は皇子に対して負い目があるのだ。
 以前、ティアナが妖魔から皇子を庇って瀕死の状態になった時、自分が診られなかったのだ。

丁度その時、皇城に住まないが城下から出ないと言う約束を違えて、

他領に往診に出かけていたからだった。

神の手とも言われる彼が治療すれば早く助かったかもしれなかった。

神の奇跡で助かったとは言っても、その間、ティアナはもちろん

皇子の心に耐え難い苦しみを与えてしまった結果となったのだ。

その出来事はレギナルトにとってティアナが死にゆくなど耐えられず

自らも共に死を選んだくらいだったのだから・・・・
 筆頭御殿医としての大失態だった。

 彼は民草の中で自由気ままに過ごしていても、この国に無くてはならない皇家の命を預かる責務に

誇りを持っているのだ。だから、今後のレギナルトの呼び出しは即受けようと自分で決めていた。

 だが、やはり有無を言わさない呼び出しには腹が立つのが心情と言うものだ。
 皇子宮に到着したベッケラートと同行の見習い医師ヤンは早速患者のもとへ通された。

その部屋の奥には天蓋付きの豪華な寝台に半ば起きた状態の黒髪が美しい令嬢がいた。

その側には気難しそうな侍女と皇子、それと先日の遠征に同行した医師ロットナーがいる。
 ロットナーが真っ先に入室して来たベッケラートを笑顔で迎えた。
「ベッケラート殿、お待ち申し上げておりました」
 ロットナーもそれなりの医師で、いかにも御殿医らしく品格もある。

たぶんベッケラートよりも年配だが彼の医術の腕前に心酔している一人でもあった。
 レギナルトも難しい顔をしていたが信頼するベッケラートの姿を見て、少し表情を和ませた感じだ。

そして、ヒルデガルトの紹介と経緯を話し、ロットナーは

自分の初診の報告を手短に話すと退室して行った。
 ベッケラートはファネールの名に驚きを覚えたが頷きながらそれらを聞き、

助手のヤンはそれを書きとめている。
「だいたい分かった。それで皇子、このお嬢さんはどんな風に倒れていた?

うつ伏せか?横向きか?上向き?」
「うつ伏せだった」
「うつ伏せか・・・」
 ベッケラートはそう呟くと、ヒルデガルトの側に行き診察を開始した。

主に神経系を確かめている様子だ。そして室内を暗くするように命じて、

自分はロウソクを一本点けて彼女の目の前にかざしては確かめていた。
 彼は診察を続けるにつれておかしいと思った。

ロットナーの最初の診立てでは目に異常が無かったと言う話だったが、

今は目に見えて異常があるのだ。ロットナーが素人のようにこんな事を見落とすなどありえない。

神経に異常は見られないし、頭を打った形跡も無く倒れたぐらいで

このような症状が出るなどありえないからだ。

だが、実際は見えていないのは確かだった。真っ暗でなく全部が光って見えるのだと思う。

明る過ぎる光りの中で目を開いている感じだろう。識別出来なくても物や人物の形が分かる程度だ。
(詳しく調べてみる必要があるな・・・)
 ベッケラートはファネールと言うのも気に入らないが、

きな臭い予感がして今は明らかになるまで自分の胸にしまっておく事にした。
 それから室内の明るさを元に戻すと、ヒルデガルトの目を持参した液体で洗い流し、

その液を受けた容器はヤンに渡した。そして二言、三言、耳打ちした。
 一言も喋らないベッケラートに痺れをきらしたレギナルトは強い口調で問いただした。
「ベッケラート!どうなんだ。治るのか!むろん、治せるだろうな」
「・・・・・・・」
「ベッケラート!」
 ベッケラートは、忙しくボサボサの髪をかきながら歯切れ悪く答えた。
「まあ〜暫くは様子を見てみないとだな・・・原因が分からないと処方もできない。

症状は分かったから詳しく調べてからだから今のところ何とも言えん」
「そんな!治らないのですか?」
 悲鳴のように真っ先に叫んだのはヒルデガルトだった。
「皇子!帝都へ行けば治るとおっしゃったではありませんか?そんなぁぁ――」
 彼女はとうとう取り乱して哀れな様子で泣き出してしまった。
 女の涙が嫌いなレギナルトはギロリとベッケラートを見たが、

彼は飄々と肩をすくませただけだった。
 取り乱して泣き叫ぶヒルデガルトを落ち着かせようと、

ファネールから同行して来た侍女のイルマが彼女の肩に触れると、

その指に緩やかに留めていた左の肩紐が引っかかり解けてしまった。

肩からはらりと落ちる夜着は大きくはだけ、胸元をあらわにしてしまった。
「きゃ―――っ」
ヒルデは慌てて押さえたが、レギナルトは見てしまった。そこにあるものを―――



  

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