第二章 二人の花嫁2

 
 ティアナは悪夢を見ていた。

レギナルトがもう自分には用は無いと言って、黒髪の美しい令嬢と去って行く夢だった。

必死に叫んで追いかけようとしたら自分の足元が、ぽっかり開いて吸い込まれるように落ちて行った。

その時、悲鳴をあげたと思うが声は出ずに目が覚めた。

気を失ってから自室の寝台に寝かされていたようだった。
 周りを見ると心配そうな顔をした皆がいる。しかも皇帝や大神官まで。
「わ、わたし、行かないと・・・・皇子のところへ」
 皆、無言で顔を見合わせた。
 ふらつきながら寝台から降りようとするティアナをハーロルトが支えた。
「ティアナ様、まだお休みになられた方が宜しいのでは?」
「駄目よ!寝ている場合じゃないもの。皇子が行ってしまうわ!」
 混乱しているのだろう。無理も無いと、皆思った。
 どういう訳かレギナルトは完全にティアナの事を忘れているようなのだ。それは紛れも無い事実だ。
 ここは一番の年長者である大神官の出番のようだった。
「大丈夫、大丈夫ですよ、ティアナ。心配はいりません。大丈夫ですからね」
 さすが神殿の長のだけあるゲーゼは、信者も有難く跪くような慈愛に満ちた声音で

ティアナの手を優しくしっかりと両手で包み安心させるように言った。

そして帝国一の医師ベッケラートの件を話して一緒に皇子のところへ行く事にしたのだ。
 ベッケラートも既に到着してファネールの娘の診察をしている頃合いだった。

 ティアナと共にベルツ兄弟、大神官に皇帝が連れ立って、先触れも無くその場に割り込んだ。
 その部屋には当然のようにファネール候の娘ヒルデガルトを囲むように一同が揃っていた。

だがその場は異常な程、静まり返っていた。
 いきなり開いた扉を冷やかに見たのはレギナルトだった。

その冷たい視線にふさわしい声音でゲーゼに問いかけてきた。
「ゲーゼ。冥の花嫁 には私と同じ 星の刻印 があるのだったな?」
「はい。さようでございますが?」
「では、この者が私の花嫁か?」
 そう言ったレギナルトの視線はティアナでは無く、ヒルデガルトに注がれていた。

 皆がその皇子の目線に促されて見たものは、ヒルデガルトの胸元に輝く
星の刻印 だった。
 ゲーゼは飛び上がるように驚き、わなわなと震えだした。
「ま、まさか!馬鹿な!」
 ハーロルトもエリクも信じられないと言う表情で首を振り、皇帝は唖然と口を開けた。 
 ティアナは瞳を見開いて自分の左胸を両手で押さえた。
 レギナルトは皆の様子を一瞥して、ティアナに視線をとめた。

 彼女は真っ青になって震えていた。彼の心の奥底で得体の知れないもの騒ぐ気がした。

だが、そんな事はどうでもよかった。今はこの問題が先だった。
「で、ゲーゼ。確かその見知らぬ娘が 冥の花嫁 とか言って無かったか?」
 レギナルトは底冷えのする無感動な瞳でティアナを見た。
 ティアナは皇子が自分を疑っているのだと感じた。涙が出そうだった。

実際泣いて無いのが不思議だった。いつもなら直ぐ泣くだろう。

だけど余りの衝撃に涙が出ないのもある。

だが両親の突然の死の時も、レギナルトへの愛に絶望した時も、

止めどなく涙は流れたと言うのに今回は泣きたいのに泣けなかった。

何故か心の中で泣いたら負けだと絶対に泣かないと強く思ったのだ。

新たに出現したヒルデにレギナルトを取られたくなかった。

以前のイヴァンへの恋心とは全く違うのだ。絶対に失いたく無い存在―――
 血が滲むぐらい唇を噛みしめて、自分を叱咤し震える指で衣服の胸元を緩めた。

華奢な両肩が現れ衣服がそれ以上落ちないように胸元を自分で抱くように押さえた。
 小刻みに震える白い胸元の左胸がふくらみ始める手前にその 星の刻印 があった。
 レギナルトはその刻印よりも、儚げに震えるティアナの様子に魅入っていた。

泣くので
はないかと思い胸に何か圧し掛かるものを感じたが、彼女は泣かなかった。

 そして周りのざわめきに、はっ、と我に返った。
 二人の刻印は全く一緒だった。星の形を模った〈闇の聖剣〉と同じ文様。

レギナルトと全く同じものだ。偽者で刺青をしようにも皇族のしかも最高位である

皇帝と皇位継承者にしか現れず秘事に近いこの刻印を見て真似出来るものなどいないだろう。

まして
冥の花嫁 にも現れるなど秘事中の秘事なのだ。
「で、ゲーゼ。今回の花嫁は二人なのか?それともどちらかを選ぶのか?」
 皇家の婚姻を司るのは神殿であり彼らの最も重要な役目だ。

当然、冥の花嫁
に関する事柄は全て取り仕切っている。

しかもこれは最も神聖なる神事となり冥界神からの啓示により執り行なわれるのだ。

啓示はティアナの存在しか無かった。

だが証拠である刻印があるのを無視する訳にはいかない。

しかし、今まで花嫁が二人いたなど聞いたことも無いのだ。
「皇帝、ならびに皇子。早急に調べますゆえ、その答えは暫くお待ち願いたい。

それまでこの事は内々にお願い致します」
 普段から取り乱す事など無いゲーゼが蒼白になり頭を垂れながら言った。
 内密にするのは当然だろう。冥の花嫁 が二人もいるうえ、

一人は曰く付きのファネールの者なのだから国中が混乱するのは明らかだ。
「分かった。全てそなたに任せる」
 ゲーゼの言葉に普段なら真っ先に返答するのはレギナルトだが、

今回はその彼よりも先に答えたのは皇帝だった。

優柔不断な彼には極めて珍しい事だ。それに滅多に見る事の無い厳しい表情をしている。

 レギナルトはこの様な皇帝を見るのは初めてで、

その意見に反論するのをためらって黙してしまった。
「さあ、ティアナ参ろう。ベッケラート、そなたにも用がある。ついて参れ」
 皇帝はそう言うと、泣かないように必死に大きく瞳を見開いているティアナの肩に手を回した。

そして彼女を促しながら踵を返し、一度肩越しに振り返ってレギナルトを見たが

そのまま無言で出て行った。
 続いて皆も出て行き、残ったのはヒルデとイルマだけだった。

ヒルデは何やらレギナルトに話かけていたが彼は何も聞いていなかった。

彼はただ、皆が出て行った扉。皆が・・・と言うよりティアナが出て行った扉を見つめていた。

去り行く彼女が父の腕に守られながらチラリと自分を見たのだ。その表情が、その瞳が忘れられない。

思わず引き止めたくなった。何故こんなにあの娘の事が気になるのか不思議だった。
(皆が知っていて自分が全く覚えていないと言うのも真実のようだ・・・・)
 この異様な事態を真剣に追求しなければ、とレギナルトは思った。
 上の空の皇子にヒルデは甘えるように話しかけていた。
「皇子、わたくしが 冥の花嫁 なのですか?本当ですの?嬉しいですわ!

何か予感がございましたのよ。わたくし達の出逢いは運命でしたのね。

わたくしが皇子の花嫁になるのでしょう?でも、あの娘も同じ刻印があるのでしょう。

どうしてかしら?皇帝陛下や皆様、あの娘の味方のようでしたし、

でも皇子は覚えていらっしゃらないのでしょう?おかしいですわね。

何か変な術でも使って皆を騙しているのではないのでしょうか。

皇子はちょうどお留守だった訳ですしね。本当におかしいですわ。

あんなに大人しそうに見えるのに実は魔性だとか?」
 ヒルデはレギナルトが無言なのは自分の意見を真剣に聞いてくれていると思って、

調子よく喋っていた。
 だがレギナルトはティアナを非難するようなヒルデの言葉を耳にすると、

自分の思いから我に返った。彼にとって女同士の相手を追い落とすような

醜い言い争いは最も嫌悪するものだった。自分の母親がそうだったのだ。

相手を妬み罵るその姿は妖魔よりも醜く感じたものだった。
(女は皆同じだ!美しい姿に醜い心を隠している)
 ヒルデは皇子の顔が見えないから分からない。

なお、言い続けようとする彼女を止めたのはイルマだった。

喋るのをやめるように彼女の腕にそっと合図したのだ。

そのイルマの顔は青ざめていた。皇子の勘気に触れたのが分かったからだった。
 無言のレギナルトの表情は氷のように冷たく、その紫の瞳は蔑みの色を湛えていたのだ。
 まさしく 氷壁の皇子 だ。
「ヒルデガルト嬢。この件は皇帝より大神官ゲーゼに一任された。

事が明白になるまでその話をする事は禁ずる。今は目の養生を最優先に考えるように」
 その声音も冷たくいつもの有無言わせないような口調だった。
 ヒルデはイルマの合図とその皇子の声を察して一瞬黙ったが尚、言い募った。
「皇子!もちろん、わたくしは目が見えるようになりたいですわ。

でも、全く知らないこの地で頼れるのは皇子だけなのです。

ファネールの忌まわしき者よと、蔑むものも多いでしょう。心細いのがお分かりになりませんか?

まして目も悪く治る見込みも乏しいようなわたくしが
冥の花嫁 と聞いて、

どんなに嬉しかった事か・・・・皇子だけは、わたくしの味方でいてくださいませ」
 そう言って弱々しく涙した。
 レギナルトは二番目に女の涙は嫌いだった。その涙の下に醜い心を隠して騙そうとしているからだ。

目が不自由で心細いのは哀れに思う。まして自分を庇ったせいなのだ。

見知らずの、まして皇子などと知らずに自分の身を挺して人助けをする心根は尊敬に値する。

この涙に偽りが無い事を信じたいと思った。

確かに彼女の言う通り、ファネールと言うだけでも風あたりは辛いだろうと思う。

脳裏に瑠璃色の瞳が浮かんだがそれを振り切るように首を振り、今度は口調も穏やかに言った。
「そなたは私の恩人だ。誰にも侮らせぬと約束しよう」
 ヒルデは、さっと顔をあげて妖艶に微笑んだ。自分の魅力を十分知っている微笑方だった。

普通の男なら虜になるだろう。
「ありがとうございます。絶対にわたくしを守ってくださいませね」
「―――ああ」
 心に引っかかるものを感じながらもレギナルトは約束をした。






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