第二章 二人の花嫁3
![]()
![]()
![]()
![]()
一方、そんなやり取りをしている部屋を後にしたティアナ達は、
足音だけが響く皇子宮の長い回廊を黙々と歩いた。
レギナルトの記憶喪失も一大事だったのに、更に 冥の花嫁 の出現。
有り得ない事実に当惑するばかりだった。
そしてそれぞれが無言のまま人払いをした一室に入った。
最初に口を開いたのはベッケラートだった。
「―――で、皇帝。オレに用ってなんだい?」
皇帝に対して不遜な態度の彼を気にすることなく皇帝は答えた。
「ああ。レギナルトの事だったのだがね・・・・」
その内容が説明されるにつれベッケラートの表情は険しくなっていった。
そして搾り出すように唸った。
「こいつは――さっきの急患と全く同じだな。しかも今回の遠征同行者だ」
「なんだって!皇子の他にも記憶喪失者がいるって?」
エリクはベッケラートより新たにもたらされた話に驚愕した。
「まさか!あの森!」
今度はベッケラートが愕然とする番だった。
「森?まさかあの 真実の森 を通ったんじゃないだろうな!」
無言は肯定だった。
「はあ――っ、なんてこった!オレはあんたらよりあの森の事を知っている。
あの森はなあ何よりも代え難いもの、自分の命よりも大切に思う想いを奪うんだ!
だからそんな想いが無い奴は全く無害な訳さ」
「それじゃ・・・・」
「ああそうだ。皇子はお嬢ちゃんを最も大切に思っていたから当然だな」
ベッケラートは今までこれと同様の患者を何人も診ていたのだ。
他領に出かけた前回の往診もこの患者だったのだ。
この不可思議な現象にベッケラート自身興味があり研究をしていた。
自分が心に最も執着しているものを奪うのだから金の亡者が他人に施しをする善人になったり、
女好きの浮気者が真面目になったりと性格が変わるものもいれば、
一番多いのは皇子と同じで大事な人を忘れる事だった。
「治らないのですか?」
「そうだな―――オレの知る限りで今まで治ったものはいない。
医術も原因が分からなければ手の施しようが無い」
「では、私の事を覚えていないだけで他は?身体は大丈夫なのですか?」
ベッケラートは、そうだ、と頷いた。
当代一の医師から絶望的な言葉を聞いてティアナは泣くのではと皆は思った。
だが彼女は泣かなかった。逆に安心したように微かに微笑んだのだ。
「良かった。皇子がどこも悪くなければいいの・・・・例え私の事を覚えていなくても。
皇子が無事に帰って来てくれただけで十分だわ」
ティアナは自分に言い聞かせるかのように明るく言った。
それにこれ以上皆に心配かけたくなかった。
「ティアナ様、お泣きになられても宜しいですよ」
ハーロルトは思わず言ってしまった。
ティアナは軽く瞳を閉じて、首を振った。
「泣かない。泣かないわ。私は 冥の花嫁 なのだから、皇子は嫌でも私と結婚してくれるでしょ?
あっ、それとも逆に皇子にも拒否権があるとか?そんなのってありますか?ゲーゼ様?」
努めて明るく冗談のように言うティアナを痛ましく見ながらゲーゼは答えた。
「いいえ。拒否権があるのは花嫁だけです。皇子に拒否はできませんぞ!」
「ああ良かった!今度は逆ね。でも私の方が楽かしら?承知させなくて良いのだから」
「さようでございます。神殿が出来上がりましたら否応無しで、
私が盛大に婚儀を執り行ないますからご安心を。
ちなみに皇族の結婚は大神官の許可無くして出来ませぬ。さようでございますよね、陛下」
「そうだともティアナ。それにそなたならまた、
あの大馬鹿をまたメロメロにするのは朝飯前であろうよ」
「陛下ったら、メロメロとか朝飯前だなんて何処で覚えた言葉ですか?
エリクでしょう?陛下に教えたのは?」
「エリク!お前!」
「ハーロルト怒るなって。陛下ぁ〜勘弁して下さいよ。オレが悪者ですよ」
「いや〜すまぬ。ついな。庶民の言葉は面白いからのつい。
いずれにしてもティアナ、我々がついておるから安心しなさい」
ティアナを励ますように皆も明るく冗談を言い合って、彼女も笑っていた。
そして笑いながら言った。
「それも、私が本当に 冥の花嫁 だったらですよね」
その言葉で一瞬のうちに周りは静まり返った。
もちろんティアナはもう笑っていない。
「もし・・・花嫁が私じゃ無かったら・・・・私もその森に入りますね。
そして皇子の事を全て忘れます・・・・」
その表情は覚悟を決めた穏やかなものだった。自分の命より大事なものは決まっている。
レギナルト皇子その人なのだ。だからその森はきっと記憶を奪ってくれるだろう―――
「ティアナ。神の啓示は貴女だけでした。それに神の奇跡も貴女自身よく分かっておいででしょう?
もちろん早急に色々調べますが、大丈夫でございます。この大神官ゲーゼが保障いたしますぞ」
「ありがとう。ゲーゼ様」
「さあ、ティアナ様。今日はお疲れになられましたでしょうから一先ずお部屋に帰りましょう。
ドロテーに美味しいお茶を淹れて貰って過ごされたら如何ですか?」
ハーロルトはそう言うと、軽く頷くティアナを伴って退室して行った。
ベッケラートも調べものがあるからと暇を告げて皇子宮を後にした。
皇帝もさすがに時間の余裕が無くなって皇宮へと戻って行った。
残ったのはゲーゼとエリクだった。その二人も神殿内にあるゲーゼの私室へ移動していた。
相談内容はもちろん皇子の記憶よりも 冥の花嫁 の真偽だ。
「エリク、そなたはどう思う?」
「国境を越えた時点から目に見えない糸で操られているような気がしてならないのです。
もちろんあくまでもオレの勘ですが、何かしっくりこないと言うか、すっきりしないと言うか・・・・
偶然過ぎる出来事が多いんです。道が塞がり誘い込むかのようにファネールへの道に繋がり、
そしてあの令嬢との偶然の出会いでしょ?わざとだとしても人でどうこう出来るものでも無いし、
これこそもう一人の 冥の花嫁 との出会いを神が仕組んだ運命なのかと言えば
そうなるのでしょうが、オレはそう思え無いんです」
「偶然が多いか・・・・」
ゲーゼは考え込むようにエリクの一言、一言に頷いて呟いた。
「そう。それに今思えばあの令嬢に違和感を覚える訳が分かりました。
我々がファネール入りした道中は、身分を隠していました。ところがあの令嬢は皇子を助けて、
気を失って次に目覚めた時に、我々は名乗っていないのにすんなり状況が分かっていたんですよ。
話の流れについてきていたんですよね。戸惑いも無く。
あの時は目が見えないとか言って騒いでいたからオレも違和感を覚えながら
何故だか考えなかったのですが・・・・普通なら驚くでしょう?
自分が助けた者が皇子だなんて。まるで知っていて助けたとしか考えられないんです。
でも先程から言うようにファネールに入ったのは偶然だからそれも有り得ないんです」
「偶然なのか、故意なのか・・・・いずれにしても身辺を調べる必要がありますね。エリク?」
エリクは近衛隊の副隊長をしているが、本来は諜報活動が主な仕事だった。
帝国の諜報関連をまとめているのも彼なのだ。表の顔がハーロルトなら裏の顔はこのエリクだった。
「はい。承知いたしました。あの娘の件はファネールに行き調べてまいります。
しかしあの地は余所者が出入りするには厳しい状況ですので早急に対処願います」
「それは承知した。早速皇帝に進言しファネールの帝国復帰を大々的に執り行うとしよう。
さすれば領内外の出入りが多くなり活動しやすくなるであろう。
ファネールでの身辺調査はそなたに一任して、私は創世記からの文献を今一度紐解くといたそう」
エリクとゲーゼはお互い頷き合い心で誓った。
心優しきティアナの為にと―――
翌朝、ティアナはいつもの様に夜明け前に起床して身支度をしていた。
ドロテーとバルバラだけには都合上、昨日の件は話されていた。
当然だがドロテーは新たに現れた 冥の花嫁 に敵対心を燃したようだ。
ティアナの支度をそれは念入りにし始めたのだ。
まるで今から皇宮の晩餐会にでも行くかの様に飾りたてようとしていた。
「ドロテー、今日はどこに行くのでも無いのだからそんな宝石なんかいらないわよ」
「と〜んでも無いです! ティアナ様。あの偽者についた女官達から聞いた話によると、
それは見事な宝石や衣装を持参してきているそうなんですよ!負けられません!」
ティアナは困った様に溜め息をついて言った。
「ドロテー、偽者とか言っては駄目よ。彼女は皇子を助けてくれた恩人なんだから。
それに私は宝石なんかよりこの花の方が良いわ。これを飾ってちょうだい。
髪も結い上げないで流したままでいいわ。皇子はその方が好きだと前言われたし・・・」
ティアナは鏡前に活けてある甘い香りがするピンクの薔薇を指差して言うと、物思いに耽った。
ピンクの薔薇は、元恋人でレギナルトの弟でもあるイヴァンとの思い出の花だった。
ティアナはイヴァンに関係無くこの花は好きだが、レギナルトはイヴァンとの関係を思い出す
この花を嫌らっているようだった。いつもこの花を見るだけで不機嫌になっていたのだ。
(皇子はどうせ覚えていないのだからいいわよね?)
ちょっと意地悪したい気分だ。
ブツブツ文句を言いながらドロテーは艶がでるまで念入りに髪を梳き、
耳横に少し髪をまとめその薔薇を飾っていく。
夢見るような淡い色の薔薇に縁取られた顔は、その花に劣らず可憐で誰もが溜め息を漏らすだろう。
鏡に映るその自分の姿を見ながらティアナは思い出していた。
レギナルトが自分の長い絹糸のような金の髪を弄び、サラサラと宙に透かしては、
『きれいだ』
と、呟いては優しく髪に口づけしてくれていた。
それに髪を結い上げていても直ぐ解いてしまうのだ。
ドロテーが怒ってレギナルトに食って掛かったものだった。
『皇子!いい加減にして下さい!夜では無いのですから昼の日中から、
女性の髪を殿方が解くなんて非常識です!』
ティアナはその言葉を聞いて恥ずかしくて真っ赤になってしまい、
皇子は反省してもう二度としないと誓わせたものだった。
ふふふっと、ティアナは笑った。
「? ティアナ様?」
「何でもないわ。さあ、急いで暁の間に行きましょう。日が昇ってしまうわ」
「そうですね。急ぎましょう」
暁の間 は皇子宮の朝食の間の一つだ。
その名の様に朝日が昇る様を一望出来る様に硝子を大きくはめ込んだレギナルトの好む一室だった。
皇子はだいたいそこで朝食をする。
最近では朝の早いレギナルトに合わせてティアナもその時間、一緒に食事をしていたのだ。
いつもの様にレギナルトは 暁の間 の扉を開いた。
それと同時に向かい側の硝子の扉が開いているのだろう、
何故か甘い香りと共に冷たい朝の新鮮な風が吹き抜けた。
(甘い香り?)
レギナルトは、ふと前方を見た。
硝子の向こうは雪が積もる踊り場があり庭園へ下りる階段だ。
その踊り場で昨日の少女がこちらに気付かず、昇る朝日を浴びながら小鳥達に餌をあげていた。
可愛らしい小鳥のさえずりと一緒に歌うかの様に軽やかに笑う少女。
柔らかな朝日に輝く金糸の髪は見るものを魅了せずにはいられない。
「ティアナ様!もういい加減に中へお入り下さい!寒くて凍えます」
「待ってよ、ドロテー。小鳥達がまだ欲しがっているんだから」
「もう十分ですって!毎日、毎日あげていますから、ほら、あんなに丸々と太って!
ここの鳥達は幸せ者です!皇子がお見えになる前に席に着かないと。あっ!」
硝子の扉の近くに立っていたハーロルトが、いち早く皇子の来室に気が付き会釈すると
ドロテーも口をつぐんで深くお辞儀をした。
ティアナも振り向き、微笑んでレギナルトの直ぐ近くまで駆け寄った。
「おはようございます。皇子。ごゆっくりお休みになられましたか?」
ティアナは極上の笑みを添えて、輝く瑠璃色の瞳でレギナルトを見上げて言った。
レギナルトは戸惑った。何故この娘が此処にいるのか?
それよりも昨日で自分が覚えていない(本当に知らないのだ!)
と言う事は分かっている筈なのに何故こんなに親しげな態度をとるのか?
「先に話す許しは出していないが?それに何故此処にいる?」
皇子の瞳は先程まで驚いたように見開き感嘆の色さえ浮かべていたのに、
今は昨日のように冷めた眼差しでティアナを射抜いた。
「ご、ごめんなさい。前に皇子から許し無く話す事を許されていたので・・・不快なら止めます
・・・ごめんなさい。それに、いつも一緒に朝食を摂っていて・・・・ごめんなさい」
ティアナは輝くような笑顔から一転して沈んだ表情となって俯き、
最後は聞き取れないような小さな声になってしまった。
俯きあの鮮やかな瑠璃色の瞳も隠れてしまいレギナルトは無意識に、
その瞳をもう一度見たいと咄嗟に思った。
そしてティアナの顔をこちらに向かせようと手を伸ばした。
だが甘い香りの元であったピンクの薔薇が目に入り、ピクリと、手を止めた。
(この季節に薔薇?しかもピンク・・・・)
レギナルトはその花に嫌な感じを覚えた。何故だか分からないが無償に腹が立ってくるのだ。
(イヴァンが好きな花だ。しかもこの季節ならイヴァンの温室にしか咲かない
品種のようだが・・・そこから贈られたものなのか?)
レギナルトの洞察力は正解だった。確かにこの薔薇はイヴァンからの贈り物だった。
あの恐ろしい妖魔の事件に巻き込まれたイヴァン親子は妖魔絡みの為、
レギナルト皇子暗殺未遂の罪は問われず無罪放免となった。
しかし亡くなった多くの人命を弔おうと親子揃って神殿に仕える身となっていた。
その事件はティアナの存在を除いた部分でレギナルトの記憶に支障は無いようだ。
だが当然ティアナとイヴァンの関係は覚えていない。
彼らは今では友人同士だった。イヴァンはもちろんティアナを今でも愛しているが彼女の幸せを思い、
自分は身を引いて兄との仲を祝福していた。
神職を選んだもう一つの理由として、ティアナとは結ばれない神官になるという兄への配慮もあった。
彼にとって彼女の幸せを見守り続けることが愛の証だった。
その薔薇は間違いなくイヴァンが育てたもので、
レギナルトの不在で彼女の寂しさを見舞う品だったのだ。
レギナルトは覚えて無くても心の奥底では何か感じるものがあるのだろう。
そんな自分に苛立ちを覚える。
急に黙ってしまった彼の様子が気になって、ティアナは顔を上げた。
皇子の視線は髪に飾ったピンクの薔薇にそそがれているようだった。
「―――イヴァンの薔薇」
「!」
ティアナは息をのんだ。もしかして思い出したの?