第二章 二人の花嫁4
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「イヴァンもお前を知っているのか?」
その言葉にティアナは落胆したが、顔には出さなかった。
完璧主義な皇子の性格は良く知っている。
周りからあれこれと言い立てられて自分自身、その欠落した部分が許せなくなるだろうと思う。
心に負担はかけたく無かった。
それに泣いてすがったり、自分を忘れたなんて許さないと言って
怒ってみたりしても無駄だと分かっているからだった。
帝国一の医師ベッケラートがハッキリと言ったのだから―――記憶が戻ることは無いと―――
だから無理にでも平静なふりをした。
「イヴァンは友達ですからこの花を貰いました。それにごめんなさい。
昨日は途中で失礼しました。自己紹介させて頂きます。私、ティアナと言います。
ミュラー通りの花屋の娘で両親が急に他界しましたから、こちらにお世話になっていました」
両親の他界はさらりと言ったつもりだったが声は少し辛そうに震えたようだった。
そして昨日から考えていた事を静かに続けた。
「ですけど、今後は自宅に戻っても宜しければそうさせて頂きます」
ティアナのその発言に、一番驚いたのはハーロルトとドロテーだった。
「ティアナ様!そんな!いけません!宮殿を出るなんて!駄目ですよ!」
「ティアナ様!そうです!ドロテーの言う通りです!」
ティアナは心配して反対する二人に、少し悲しげな笑みを向けると頭を振った。
「最初から始めるの。そして私は花屋の娘で憧れるのよ。
朝起きたら皇子様が扉を叩いて迎えに来てくれるのをね。
少女なら誰もが夢見る 冥の花嫁 の物語よ」
「しかし貴女は正真正銘の 冥の花嫁 です!今更そんな事をする必要はありません!
既に迎えいれられて此処にいらっしゃるのです!」
「そうですよ!ティアナ様。馬鹿なことおっしゃらないでください!」
レギナルトは三人の会話を聞きながら内心驚いていた。
今朝は身支度の間中、この少女の事について女官長のバルバラから
問続けられ嘆かれ、挙句の果てに責められた。
―――お忘れになられたのですか?ティアナ様を―――と。
皆が皆、昨日からそんな風に非難めいた事ばかり言うのに、
その本人はレギナルトを責める訳でも無く、嘆き悲しんで同情を引こうとする訳でも無く、
逆に身を引こうとしている。レギナルトはそれが信じられなかった。
真偽は別として 冥の花嫁 と言う立場を利用するのは当たり前だと思った。
現にヒルデガルトがそうだ。早速、自分の要求をしてきたのだから。
だが、このティアナとか言う少女は自らの権利を主張する事は無く、放棄するかの様な態度をとる。
女達がレギナルトの寵を争うのは日常茶飯事で、如何に皇子の気を引くかであの手この手なのだ。
レギナルト自身全く身に覚えが無いが、仮に彼女に情けをかけていたとしたら
それを手放そうとするのが信じられなかった。
あれだけの証人がいるのだから記憶に関係無く押し切る事も出来るだろう。
(本当に皆が言うように私達は愛し合っていたのか?)
と、疑問を感じるぐらいあっさりし過ぎているのだ
(・・・・・馬鹿な。これはこれで計算した手なのだろう。
損得しか考えない女と言う生き物は信用出来ないものだから・・・・)
レギナルトは、すっと瞳を細めた。
「勝手にするがいい」
そう冷たく言い捨ててティアナを見た。
自分が引き止めるだろうという駆け引きで、予想に反する答えをしたから狼狽するかと思った。
しかし彼女は静かに微笑んで承諾のお辞儀をしたのだ。
そして頭を真っ直ぐ上げて言った。
「ありがとうございます。今日にでも帰らせて頂きます。
では、急ぎますからこれで失礼させて頂きます」
再度、軽くお辞儀をして、有り得ない答えに呆然と立ち尽くすレギナルトの横を
通り過ぎて行こうとした。レギナルトは咄嗟に去り行くティアナの手を掴んだ。
振り向く彼女の瞳は吸い込まれそうな瑠璃色。
その瞳に浮かぶのは喜びでも驚きでも無かった。
ただ穏やかな湖水にも似た、優しく包み込むようなものだった。
それはレギナルトが忘れてしまったがティアナの何時も彼を見る時の愛に満ちた瞳なのだ。
レギナルトは何故か胸苦しさを覚え、手を掴んだものの沈黙してしまった。言葉が出ないのだ。
その時、扉が開いた。そこから現れたのは侍女イルマに手を引かれたヒルデガルトだった。
早朝から見事に着飾り、自慢の黒髪も丹念に結い上げられた艶やかな装いだ。
「皇子。遅くなりまして申し訳ございませんでした。?
いらっしゃいますよね。どちらでございますか?」
皇子はヒルデガルトと朝食の約束をしていたらしい。
ティアナは分かっていても胸が、ギュッと、締め付けられそうだった。
ヒルデガルトは皇子を求めてイルマの手を離し進み出したが、足元がつまずいて転びそうになった。
レギナルトはティアナの手を放し、よろめくヒルデガルトを抱きとめた。
「皇子? ありがとうございます。本当に遅くなりまして申し訳ございませんでした」
レギナルトはヒルデガルトを支えながらティアナを振り返った。
「どうなさいましたの? 誰かいらっしゃいますの?」
「・・・・・・・・」
レギナルトとティアナは見つめ合った。彼にはティアナの心が分からなかった。
だが何故か無償に知りたくて、ただ見つめた。
先に瞳を伏せたのはティアナだった。
そして深々とお辞儀をすると、今度こそ自分達の横を通り過ぎて去って行った。
ドロテーはあからさまに皇子を睨むと慌ててティアナの後を追い、
ハーロルトも何か言いたそうにしていたが会釈して無言で出て行った。
甘えるヒルデガルトの言葉に耳を貸さず、レギナルトは朝食の間中、無言で思いを巡らせて続けた。
(ドロテーは知っているバルバラの姪だ。バルバラが誰かの為に
呼び寄せたと言ってなかったか?誰の為?)
その誰かが思い出せなかった。
(ハーロルトにあの娘の警護を命じた覚えは無い。
だが、いつもなら妖魔討伐にはハーロルトを同行させるのに今回は何故エリクだったのか?)
その理由が思い出せなかった。
考えれば考える程、些細なことだが記憶が欠けている事が分かる。
理由がつかないものがあるのだ。
だがどんなにその些細な事から繋げようにも全く彼女の事は思い出さない。
自分がおかしいとは思いたく無い。では皆がおかしいのか?
『・・・・・何か変な術でも使って皆を騙しているのではないのでしょうか。
皇子はちょうどお留守だった訳ですしね・・・・』
と、言ったヒルデの言葉が脳裏に浮かんだ。
(いずれにしても色々調べる必要はある――それにあっさり身を引くなど
考えられない。きっと勿体つけて此方の気を引く手に違いない。
放っておけば向こうから泣きついて来るだろう。宮殿に戻りたいと・・・・)
レギナルトは納得のいく結論に達したようだった。
一方、ティアナは自分の部屋で身の回りの物を片付け始めていた。
持って行くものなどほとんど無い。花屋の娘には必要の無いものばかりだからだ。
ティアナは泣いて無かったが勝気なドロテーの方が泣いていた。
「ティアナ様!何故?何故ですか?どうして皇子のもとから去るのですか?私は納得出来ません!」
「ドロテー。それは皇子の為よ。皇子の性格は良く知っているでしょう? ねえ、ハーロルトも?」
ドロテーと同様、納得いかない顔をしているハーロルトにもティアナは話しかけた。
「私がずっと一緒にいると皇子は自分が思いだせない事に苛立ちを覚えるようになると思うわ。
そういう自分自身を責められる。きっとね。だからと言って私が
知らない人のように皇子に接する事が何処まで出来るか自信がないし・・・・・
今日もつい何時もの様にしてしまって不快な思いをさせてしまったもの・・・」
「それは、良いではありませんか!どんどんして思い出させたら良いのですよ!
あんなにわざとらしくしな垂れるファネールの娘なんかに我が物顔させて良いんですか!
何時から起きて支度したんだろうと思うような格好を朝からしてくるなんて!
皇子の気を引きたいのが見え見えですよ!」
ドロテーは涙目で憤慨しながら訴えた。
ティアナは軽く溜め息をついて窓の側に近づき、雪景色の庭園を眺めながら言った。
「それよ。皇子が最も嫌うことをしたくないの」
「えっ?」
ティアナは美しい庭園を名残惜しそうに瞳を細めると振り向いた。
その瞳からは一滴の涙が頬をつたっていた。
「皇子は女性というものを信用されない。まして女同士が争うなど最も嫌悪される。
もう一人の 冥の花嫁 が現れなければ、私は皇子のお側から離れようとは思わなかったけど、
現れてしまったのだから仕方がないわ。私はその気が無くても相手は対抗心を抱くでしょう?
だから私は皇子にとって一番煩わしい存在になりたくないの。それにやっぱり辛いのよ・・・・
皇子のあの瞳が・・・・凍てつく冬の夜のようなあの瞳で見られるが辛いの・・・・」
ドロテーもハーロルトも彼女の本心を聞いてそれ以上何も言えなかった。
レギナルトの別名を誰が言い出したのか 氷壁の皇子 と―――
ティアナの瞳にはもう涙は無かった。黙して聞く二人に続けた。
「でも私は 冥の花嫁 なのだから時がくれば結ばれると思うの。
だから真実が分かるまで待つわ・・・・」
ティアナはそう自分に言い聞かせているようだった。
両手を祈るように胸元で、ギュッと合わせていた。
「分かりました。ティアナ様。私も一緒に参ります!」
「ドロテー!」
「何処までもついて行きますよ。私はティアナ様の侍女でもありますが友達でしょう?違いますか?」
「・・・ドロテー・・・ありがとう・・ありがとう。あなたは私の大切な友達よ!」
ティアナとドロテーは感極まって抱き合った。
ハーロルトはその二人を微笑ましく見つめていたが、ふと真顔に戻り、
そっとその場から立ち去った。向かうところは皇子の所だった。
ハーロルトの来訪を告げられたレギナルトは、皇宮に行く前に目通りを許した。
ハーロルトとは年が近く幼い頃からの付き合いだった。友と呼んでもおかしくない間柄だ。
もちろん主従関係にある彼らがそう呼び合う事は無いが、レギナルトが最も信頼している一人なのだ。
その彼が畏まってレギナルトの前に跪いた。
「ハーロルト。改まって何の用だ」
「はい。ティアナ様の件でお願いがございまして・・・」
ハーロルトの話の途中でレギナルトが口を挟んだ。
「ちょうど私も彼女の件でお前に用があった。
あれは此処を出て行くと言うがそのまま放っておく訳にいかない。
仮にでも 冥の花嫁 候補なのだから」
「皇子!それでは」
「ああ。お前に警護を命じる」
「皇子!有難き幸せ。命に代えましても御守り申し上げます!」
ハーロルトは正しくその事を願いに来たのだった。
以前の命令を当然覚えていない皇子に、今一度許しを得たかったのだ。
喜びに震える彼の胸に、次に出た皇子の言葉が突き刺さった。
「そして行動を全て監視し報告せよ。どうせ私から何か言ってくるのを
待つつもりだろうがそうはいかない。そういう手管だと分かっている。
泣いて戻りたいと言ったなら直ぐ報告するように・・・・その時が見ものだな」
(何と言うことだ!)
「皇子、それは違います!ティアナ様はそのような方ではございません!あの方は・・・・」
「黙れ!皆が皆そう言ってあれを庇う。女など皆同じだ!
例え 冥の花嫁 であろうとな!それこそ何もしなくても女なら誰もが羨む
第一皇后で次代皇帝の母となる。だが今回は二人。馬鹿馬鹿しいのにも程がある!
私はどちらでも構わない!決まった方を抱いて子を産ませれば良いだけの話だ!」
いつもより激しく傲慢に吐き捨てるように言う皇子を、
ハーロルトは憤りを通り越して哀れに思った。
『・・・・行動を全て監視し報告せよ・・・・』
と、皇子は以前も彼に命じた。だがその言葉の裏には燃え盛る炎を感じたものだったが、
今回はそんな炎を感じる事は無かった。
(やはり覚えていらっしゃらない・・・・)
ハーロルトはティアナを愛している。
だが皇子と共に陽だまりのように幸せそうなティアナがもっと好きだった。
皇子の満ち足りた様子が何よりも喜びだった。この二人に仕えることを誇りに思っていた。
ハーロルトは心を押し殺して言った。
「ご命令、確かに拝命致しました。ですが一言だけ――ティアナ様は決して自ら
お戻りになる事はございません。皇子の嫌う事をされる方ではございませんので・・・・」
「私が嫌う?」
「はい。それでは失礼致します」
ハーロルトが退室して行ってもレギナルトは彼の最後の言葉の意味を考えていた。
(私が嫌うもの?醜い女達の争いの事なら、自分から権利を放棄したと言う事なのか?
そんな馬鹿な!見せ掛けに決まっている。絶対に!)
第二章「二人の花嫁」の終了です。記憶喪失に強力ライバルの出現・・・・お決まりパターンで・・・再び二人のモヤモヤのじえじれパターンを踏みたかったのでこうなってしまいました。また皇子には嫉妬深くなってもらいたいものですが、この二人の関係の発展具合でしょうか・・・・今後も、またまた私の好きなパターン化していますので、またか!と思われるかもしれませんが宜しくお付き合い下さいませ。
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