第三章 愛のかたち1


「皇子!宜しいのですか!ティアナを何時までもあのような所に放っておかれて!

情けのうございます。知りませんぞ!好からぬ者達が何時無体をしでかすやもしれませんぞ!

ああぁ・・・ティアナはあのように誰もが魅了される美しい娘だと言うのに・・・・

皇子!聞いていらっしゃるのですか!」
「――もうよい。ゲーゼ、少しは黙れ。あれは自分から望んで出て行ったのだから仕方あるまい。

それよりも例の真偽を調べるのが先決だろう。もう良い、下がれ!」
 早朝より大神官ゲーゼが皇子宮に押しかけてレギナルトへ苦言を呈しに参上していたのだ。

 ゲーゼのしつこい物言いにレギナルトはいい加減不快になってきた。

誰も彼もが同
じような事を言うからだ。

一週間もすればティアナから帰って来たい、と言ってくるかと思ったのに十日過ぎても全く無反応で、

挙句の果てに花屋まで始めたとの報告だった。

何の苦労も無い華やかな宮廷生活を捨てて、朝は夜が明ける前に市場に花を仕入れに行き、

真冬に水仕事をしては店先で花を売る。
(――考えられない。あれは何を考えているんだ!)
 レギナルトは日を重ねる毎に苛立ちを感じるのだった。

そして最後の日に見たティアナの何かを語りかけていた瞳を思い出し、

その度に心の中で舌打ちをした。
 レギナルトが下がれと命じたのにまだ居座るゲーゼを睨み、

足音も荒々しくその場から去ろうとした。
「皇子!どちらに行かれますか!お話はまだ終わっておりませんぞ!」
 レギナルトは立ち止まった。軽く振り向いたその表情は暗く歪んでいる。
「ゲーゼ。いずれにしても直ぐに戻ってくるだろう?

近々、ファネールの復帰の宴がある。それにはあの娘も出席をせねばならないであろう?

一応、公の場ではあの娘が
冥の花嫁 なのだからな。

まさか花屋の格好で来る訳にも行くまい?その装いをしに私を頼って帰ってくる。

まあ、その時は宝石の一つでも贈ってやろう。少々頑張った褒美としてな」
 ゲーゼは目を剥いて、怒りに震えた。
「何と・・・何と言うことを・・・・良く分かりました。もう結構でございます。

それに皇子は主賓であるファネールの娘と同伴されると聞いております。

同伴者のいないティアナを出席させて恥をかかせるおつもりですか?」
「同伴?そう言えばそうだな。支度は此方でするからゲーゼ、お前が同伴すれば良いだろう。

聞いた話によればそなたの遠縁と言う設定であったそうだな。はははっ」
「皇子・・・これだけは申し上げます。支度などする必要はございません。

ティアナは宴には参らないでしょう。そんな考えの皇子の下に、

自分からは決して戻ることはございません。

高価な宝石より野に咲く花を愛でるような娘ですから・・・・」
(また、その話か!)
「ゲーゼ。出席しないのは許されない。帝国紋章付きの招待状だからな。

ゲーゼ、お前が支度をするのは許さぬ。これは命令だ。

もちろんハーロルトや父上にもそう言う。そうそうバルバラにもな。道は絶った――見ものだな」
「皇子・・・・」
 そして皇子は振り向くこと無く退室して行った。
(そうだ、許さない。戻らないのなら戻るように仕向けるだけだ・・・)
 レギナルトは自分でも説明出来ない感情に支配されていた。

それは思い通りにならないもどかしさと胸の奥底から湧き上がってくる名前をつけられないもの・・・・・
 それが何なのかレギナルトはまだ気がついていない。
 これより十日前に遡る。

 ティアナは店の準備を終えて一息入れていた。そして忙しかった日々を思い返していた。

 慌しく帰って来た我が家は昔と変わる事もなく彼女を温かく迎えてくれた。

 多くも無い荷物を整理して花屋を再開するように準備しだしたのだ。
「ティアナ様、花屋をすると言っても資金はどうなさいますか?

宝石とか全部置いてきてしまいましたよ」
 ドロテーは自分の荷物を片付けながら、花屋を再開すると言い出した

ティアナの話に驚いて問いかけた。
「ドロテー。様 は無しよ。資金なら大丈夫。ほら」
 ティアナは敷板の一枚を剥がして帝国金貨がたっぷりと入った革袋を取り出した。
「すごい!こんなに沢山!どうしたのですか?」
 とても普通の花屋が貯えられるとは思えない金額だった。
 ティアナは少し寂しげな表情で答えた。
「これは皇子と最初に会った時の思い出の品よ。前にも話したでしょう?

皇子は私がイヴァンをたぶらかす性悪女と決め付けていて、

手切れ金と言ってこれを放り投げて去ったのよ。

その後、誤解も解けて返そうとしたのだけど皇子は決まりが悪かったみたいで受け取らなかったの。

もう忘れたとか言って、うろたえるのよ。おかしいでしょう」
「皇子がですか?うろたえる?信じられない!あの皇子が?」
 二人は皇子のその様子を想像して吹き出してしまった。
 あの傲慢で世界は自分の為に回っていると思っている

あの皇子が・・・まあ実際にそういえる立場なのだが・・・

うろたえる姿はそう見られるものでは無いだろう。
 ふいに戸口を軽く叩く音がした。
「お二人共、まだでしょうか? もう入っても宜しいでしょうか?」
 ハーロルトは女性の持ち物の整理だから、と言って部屋から閉め出されていたのだ。

幾ら待っても出てこないうえに、何やら楽しそうに話し込んでいるのだから気になってしょうがない。
 戸が少し開いてドロテーが顔だけだした。
「駄目です!まだですよ。ハーロルト様はご自分の部屋は整理出来たのですか?

私、手伝いませんよ!」
「ドロテー。また を付けているわよ」
 部屋の中からティアナの楽しげな声が聞こえてきた。
「あら、いけない!気をつけなくちゃね。じゃぁ、ハーロルト宜しく!」
 ハーロルトの鼻先で戸が、ピシャリと、閉まった。
「ちょっと待って!ドロテー。ティアナ様」
 再び戸が開いてドロテーが顔を出した。
「ティアナ様じゃありませんよ!様 無し!ですからねっ!」
 と、言ってまたバタンと閉めた。
 ハーロルトはドロテーの言葉に動揺した。そう呼べるか自信が無い。

名を呼び捨てにするなど面映い感じがする。実直な彼にとって慣れないことが山積なのだ。
 ティアナの家にドロテーはもちろん、ハーロルトも一緒に住むことになったのだ。

皇子宮と違い警護が行き届かないのが実情で一番確実なのが住み込みだった。

傍から見れば奇妙な組み合わせだろう。

両親が他界して急に姿を消していた娘が久しぶりに帰って来たかと思ったら、

どう見ても良家の子女のような美男美女が一緒に住み始めたのだ。

どういう関係なのだろうかと噂好きのご婦人達の間では今一番の話題らしい。
 帝国中に〈冥の花嫁〉が現れたとの告知はされたが一般の者は、

その人物が誰なのかは公表されていなかった。

 その問題はさておき、花屋を再開する為の問題は両親の死が街の人々から

忌み嫌われる妖魔によるものだったからだ。普通なら忌地として焼かれても仕方がない事だった。

しかし驚いた事にその事自体が完全に揉み消されていたのだ。

ティアナを取り巻く社会的事情はレギナルトの命令で処理されていた。

物質的な物はハーロルトが、情報操作関係はエリクがそれぞれ完璧に行っていたのだった。

両親は植物採集の折、崖から足を踏み外して急死。

その不幸な死を悼み、一人娘は弔いの為に神殿へ奉公にあがっていた。と言う設定のようだった。
 程なく花屋は開店し、人気も上々。

それもその筈、男性陣は清楚で可憐なティアナ派と勝気な美女のドロテー派に分かれ、

女性陣は貴公子風のハーロルトに首っ丈なのだ。

皆それぞれ気を引く事に余念がない。あまりの繁盛ぶりに昼過ぎには完売するのも度々だった。

もともとその頃には店を閉める予定だったから丁度良かった。

 その時間にはドロテーは夕
食の準備に取り掛かり、ティアナとハーロルトは大神殿へ向かうのだ。

 ティアナは今までと同様、両親の墓参と冥界神への祈りを捧げ、

その間ハーロルトは安全な大神殿に彼女を預けて本来の職務を行っていた。

それがだいたいの日課だったが、その日も同じく二人は大神殿で別れて、

それぞれの目的地へ向かっていた。
 ティアナの両親は大神殿の聖墓地に永眠している。

この聖墓地は主に皇家の人々や聖人達の為にあるのだが、

レギナルトの配慮でティアナの両親は大神官ゲーゼの手によって此処に葬られたのだった。
 ティアナは何時ものように花を活け替えていた。

今日も相変わらず寒い日中だったが雪は無く遠く晴れ渡った空だった。

だが冬の夕暮れは早い。澄んだ空色はほんのりと茜色に染まり始めていた。

 ティアナはその空を見上げた。夕暮れ時の空は好きだった。

悲しいような寂しいような切ない気分にもなるが、何か懐かしく心がほんのりと温かくなるからだ。
 感傷に浸っていたその時、人の気配を感じて振り向いた。現れたのはゲーゼかと思っていた。

自分が大神殿に来たら欠かさず現れるからだった。

しかし、今日は中々現れないので逆に心配していたところだった。

だが、予想に反してその場に立っていたのはイヴァンだった。

淡いすみれ色の髪を今は短く切り、白と銀の刺繍を施した神官服を身に纏った彼は、

愛しい皇子と同じ紫の瞳で優しく微笑んでいた。
「イヴァン・・・・」
「ティアナ。ゲーゼから聞いたよ。大変だったね。大丈夫?」
「・・・・イヴァン」
 二人が会うのは久しぶりだった。先日の薔薇は届けられただけで会ってはいない。

二人の間はお互いに整理がついているが、口さがない者達の噂の種になることを

避けたかったので会うのは自粛していた。
 イヴァンはゲーゼからレギナルトの記憶喪失の件と 冥の花嫁 の件を聞き驚愕した。

ティアナの悲しい顔を見たく無かった。彼女は何時も幸せに微笑んでいて欲しいのだ。

 彼はゲーゼの要請で
冥の花嫁 について皇家の秘事関係を調べるのを担当していた。

 息抜きで外の風に当たっていたらティアナを見かけ、

その寂しげな表情に堪らなく姿を現したのだった。
 ティアナがレギナルトの愚痴を言うことは無い。

しかし悩みを相談するなら皇子を良く知っていて彼と並べる者に話すしか無い。

そうなればイヴァンか、その父である皇帝しかいないのだ。

幾ら気さくな皇帝と言っても悩み事を打ち明ける真似は出来ないし、

ゲーゼ
は結局臣下であるから言えない事もある。

だからイヴァンは最適なのだ。皇子を良く知り、性格は違っていても同じ人種特有の考え方は一緒。

もしくは理解しているだろう。

 ティアナは相談したかった。自分の行動が正しいのか心配になってきていたのだ。
「イヴァン。皇子が・・・皇子が・・・・・」
 ティアナは泣きたいのを我慢した。でも声が詰まってそれ以上言えなかった。
「うん。分かっている。辛いだろう?でも大丈夫だよ。

兄上とティアナは切っても切れない深い絆で結ばれているからさ」
「私、私どうしたら良いか分からなくなってきて・・・

皇子から離れて待つと決めたのだけど、寂しくて、寂しくて

皇子の下へ直ぐにでも走って帰りたくなるの。だけどそうしたら皇子の大嫌いな

醜い心が押さえても、押さえても出てくると思うの。皇子の愛を感じていた頃は、

周りにどんな女性がいても心は痛むけど大丈夫だったわ。だけど今は・・・・・」
 ティアナはそれ以上続けられなかった。両手で自分自身を抱くようにうずくまった。
 何時もなら泣いてもおかしくない彼女が、震えていても涙をこらえている様子が

イヴァンには堪らなく愛おしかった。しかし自分の最初で最後の本当の恋は終わりを告げているのだ。


冥の花嫁 でなければ兄と争ってでも彼女を欲しただろう。
 ―――冥の花嫁―――    
 そう ・・・・冥の花嫁 の宿命を背負った彼女を奪って帝国崩壊を選ぶなど、

自分には出来る勇気も無ければ覚悟も無かった。

しかし、兄なら自分と同じ立場でも迷わずティアナをとるだろうと思う。
(そういう人だ。あの人は・・・・)
 氷の心の奥に秘めているのは誰よりも激しい激情―――
 イヴァンは大きく息を吐き、思いを断ち切ると、再びティアナの名を優しく呼びながら

彼女を立ち上がらせ、子供をあやすように抱擁した。
 イヴァンの胸の中は神殿で焚く香の匂いがする。安らぎを感じる香りだ。
「ティアナ。君に会う前の兄上はああだったんだよ。

氷壁の皇子
とか言われていてね。知っていた?凄い名前だよね。

とても僕と同じ色と思えないあの紫の瞳で一睨みされたら凍りつくようだからね。

しかもこれが鉄壁さ。だけどこの壁を溶かした人物がいるんだよね。

ぶっ壊したかな?そうだよ。ティアナ、君だよ。

兄上の性格まで変わった訳じゃないんだから大丈夫。また君にメロメロさ!」
「――くすっ、もう!イヴァンたら陛下と全く同じこと言うのね。本当に親子ね」
 ティアナは、クスクス笑って俯いていた顔を上げた。
 イヴァンは彼女に回していた腕を解くと、その顔を両手で包み込んで言った。
「そうだよ、ティアナ。その調子。君は笑っている方がずっといいよ」
 ティアナは少し心が晴れた感じがした。
 その時、月の無い真冬の夜に響くような声が、彼女の希望を打ち砕いた。
「楽しそうだな。此処に毎日通っていると聞いていたがそう言う訳か?」





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