第三章 愛のかたち2

 一瞬にして周りの空気さえ変わる低い声―――
 ささやかな安らぎの空間を破って、ゆっくりと近づいて来るのはレギナルトだった。

その瞳は先程イヴァンが証したように凍りつくような色を湛え、

嘲るように発したその形の良い口元は薄く冷笑を刻んでいた。
 レギナルトはティアナが毎日欠かさず大神殿に訪れると聞いていた。

誘われるままその場に向かったそこで目撃したのは弟イヴァンとの逢瀬だった。

彼女とイヴァンの関係はハーロルトから聞いていた。


 元恋人同士だと―――
 しかも自分が二人を引き離し、割り込んだようだった。
「お前達、恋人同士だったそうだな。ふっ、だった では無いな。

今でも恋人同士と言う訳か――周りには私を愛している振りをして実は――

と言う事か。お前が
冥の花嫁
の権利に執着しない訳がこれで納得した」
「兄上!違う!違います!僕達は、今はそんな仲じゃない!」

 レギナルトは、その凍てつく紫の瞳を細め二人を見た。
「言い逃れか?そんなに仲睦ましく抱きあっていながら?」
「違う!今はティアナを慰めていて――」
 レギナルトはふいに嗤いだした。嘲るように――
「あっはははは――まあ、良い。真偽はまだと言ってもこの者は一応

冥の花嫁 候補。だが本物ならお前達、国家反逆罪だ!

冥の花嫁
は皇位継承者であるこの私のものなのだからな」
「兄上!」
 イヴァンは怒りで震えていた。

 しかしもっと震えていたのはティアナだった。

その顔は血の気が引き真っ青で、瑠璃色の瞳を大きく見開いていた。
 そして震える声で途切れ、途切れ、まるで血を吐くかのような声を出した。
「皇子・・・私の事を忘れていても構いません・・ですが・・・

私の皇子に対する愛だけは・・疑わないで下さい。

愛しています・・・愛しています・・・私の全てよりも・・・あなただけを・・・・・・」
 そしてティアナの儚げな瑠璃色の瞳からはらはらと涙が落ちた。

残照に照らされた涙はまるで宝石のようだった。
 レギナルトにとってその光景は尊く切なく胸を剣で抉り取られるかの様な衝撃だった。

初めて彼女の涙を見たのだ。女の涙は嫌いだった。しかしこれはそんな類のものでは無い。

胸が詰まり声が出なかった―――
 ティアナはレギナルトの前では泣かないと誓っていた。

しかし、自分の皇子への想いまで否定されるのには耐えられなかったのだ。

早くその場から立ち去りたかった。涙は止まらない。

イヴァンに小さく、ごめんなさいと告げると逃げるように走り去った。
 レギナルトは引き止める事が出来なかった。動けなかったのだ。

そしてイヴァンの声にはっと、我に返った。
「兄上!幾ら覚えていないと言っても酷過ぎます!ティアナの愛は本物です。

僕らが以前恋人同士と言っても、彼女は僕に対しては残念な事にただの憧れでしか無かった。

だが兄上は違う!彼女が僕のせいで死に掛けた時、最後に言ったのは兄上、

あなたへの愛の告白だったのですよ。それまであなた達は心がすれ違っていて、

お互いが誤解しあっていてティアナが死に行く時になってやっと分かりあえたのですよ。

ティアナは言ったそうです想いが通じて幸せだったと両親に感謝してあの瑠璃色の瞳を閉じたと―――

人が死ぬ時に嘘を言いますか?それに兄上はティアナを追ってその場で死ぬつもりだったそうですよ。

そこまで愛し愛された仲だったのに――これは兄上、あなたから聞いた話ですよ」
 ティアナが死に掛けて神の奇跡で助かったとは聞いていたが、

イヴァンほど詳しく言うものはいなかった。

自分が背負う帝国の責任を放棄しようとするほど、あの娘を愛していたなど信じ難い話だった。
 たった一人の女の為にだ―――

 しかも死にかけた?あの娘が・・・そう思うだけで何故か胸が痛むような気がした。
 無言の兄にイヴァンは追い討ちをかけた。
「兄上がその気なら結構です。ティアナが今のように傷つくだけなら彼女が

冥の花嫁
で無かったら僕が貰いうけます。構いませんでしょう?

冥の花嫁
だったとしても後継者を産んで義務を果たしたら

兄上にとっては用無しでしょうから僕が頂きます。

僕なら彼女を真綿で包むように優しくして一生かかったとしても彼女の傷を癒してあげ――」
「煩い!黙れ!あれは私のだ!お前には権利は無い!今後一切関わるな、これは命令だ!」
 レギナルトは押さえようの無い怒りでイヴァンを恫喝して踵を返した。自分でも分からなかった。

聖墓地の片隅で抱きあっていた二人を目撃してから、

この胸の奥がまるで煮え
たぎる鉄の塊のようなのだ。それにあの涙が脳裏から離れない。

愛しています
と言った、途切れ途切れの言葉が木霊して消えない。
 憤って去り行く兄を見送りながら、イヴァンの口元は、満足そうに微笑んでいた。
  
 ティアナは昨日、ハーロルトを待たずに逃げ帰り部屋に閉じこもってしまった。

ドロテーは心配して事情を聞こうとしたが、ティアナはとても語れるような

気分では無かったのだった。しかも心に比例するかのように吐いていた。

胃から出るものなど何も無いのに苦しい嘔吐を繰り返していたのだ。

ハーロルトも至急の用件と言って皇城に足止めされて結局帰ってこなかった。
 翌朝、ティアナを心配したドロテーは主治医でもあるベッケラートへ、往診を頼みに使いを出した。

ベッケラートは連絡より間を置かず直ぐにやってきた。

彼の優先順位の筆頭に位置するものの一人であるティアナに関しては、

診察で忙しかろうと駆けつけるのだった。
 こぢんまりとした温かみのある彼女の部屋に通されたベッケラートは、

沈んだ表情のティアナを見ながら、脈をとる。
「お譲ちゃん、どうした?具合が悪そうだな?」
 ティアナは無理にでも微笑もうとしていた。
「何でもありません。先生にはご迷惑かけました。私は大丈夫です」
 ベッケラートはやれやれと言った感じで溜め息まじりに応答した。
「大丈夫か――強がりはいかんな。ここに秘めたら駄目だ!」
 彼は自分の胸に、おや指を立てて指さした。
「何があった?喋った方がすっきりするぞ」
 ベッケラートはひと目で見抜いたのだ。精神の圧迫による変調だと。
 ティアナが喋りかけようとした時、顔色を変えたハーロルトが皇城より帰ってきた。

彼は一目散にティアナの元へ現れたのだった。
 ハーロルトは昼前なのに寝台で半身だけ起き上がっているティアナを気遣う余裕すら無い様子だ。

 彼女の目の前で跪き、手にした封書を渡した。その手は震えているようだった。
 ティアナは差し出された封書を手に取った。

 それは帝国紋章の透かしの入った上質な封筒で、その中身は帝国の象徴である白銀の
鍍金(めっき)を施した

少し重みのある招待状が入ってい
た。

内容は今晩、皇宮で行われる正式な宴の招待状だった。

ファネールの帝国への復帰を披露する宴らしいのだ。
 ティアナは丁寧にその招待状を元へ戻しながら言った。
「今の私には関係ないわ」
 ハーロルトは悲痛な表情でティアナを見返した。
「それはなりません。帝国紋章入りの招待状を拒否する事は絶対に出来ません。

逆らう事、即ち反逆罪になります――」
 ティアナは目を見開いた。
「拒否出来ない?」
「はい。如何なる理由であろうともです」
「では参りましょうよ!久しぶりに私の腕が揮えるわ!ティアナ様を帝国一に仕上げてみせますよ!」
 ドロテーは久しぶりの夜会に腕がなるようだった。
「早速、伯母様に相談しなくっちゃ!」
「駄目だ!駄目なんだドロテー。バルバラもゲーゼ様も皇帝も、

そして私もティアナ様の支度を手伝う事は禁止された。勅命で――」
「なんですって!じゃあどうすればいいのよ!皇宮の夜会よ!普通の格好で行ける訳無いじゃない!

あっ、まさか・・・・」
 憤慨するドロテーは、はっとしてティアナを見た。
 彼女は瞳を閉じていたが、その瞼は微かに震えているようだった。

そして聞き取れ無いような声を発した。
「――私に帰れと言うのね」
「なんっ!勝手にするがいい と言ったのは皇子ですよ。理解出来ないわ!

戻ってきて欲しいのならこんな回りくどい事しないで一言いえば済むことじゃない!」
「ドロテー、皇子は絶対に戻って欲しいなど言わないわ。

しかも私が自分の思っている女性達のように振舞うのを待っているのよ。

宝石やドレスに靴・・・・それらを私が欲して皇子に求めるのをね」
 ドロテーは意味が分からないと首を振った。
「別に欲しがったっていいじゃ有りませんか。女性に贈り物をするなんて

殿方の楽しみの一つでしょう?皇子なんか今まで山のように贈ってきていたでしょう?

私、いつも収
納する場所に困っていたぐらいなんですから」
 ティアナは懐かしそうに微笑んだ。
「それは昔の話よ。ずっと前の皇子はそんなことしなかった筈よ?

ねえ、ハーロルト。そうでしょう?」
「はい。そうでございます。女性に対して自らされることなどございません」
「――皇子は自分で女性はこうなんだ、と決め付けている面があるみたいなのよ。

例外はバルバラぐらいだったみたい。私がそれに当てはまらないから

きっと腹を立てているんだわ。そして安心したいのよ。やっぱり女は一緒ってね。

でも私は帰らない。出席しないといけないのならこのままでも行くわ。

豪華な衣装を着なくても私は私だもの。そして胸を張って皇子の隣に立つわ」
 ハーロルトがティアナのその言葉を聞き、

再び深く頭を垂れて言い難そうに言葉を選びながら言った。
「ティアナ様。皇子はファネールの令嬢と御一緒いたします。主賓ですので・・・」
「そう・・・そうよね。当然だわ。じゃあ、ハーロルト、こんな格好の私とでは

恥ずかしいかもしれないけれど一緒に行って貰えるかしら?」
 ティアナは悲しげな表情でそう言ったが、ハーロルトは即答しなかった。

間を置いて彼は口を開いたが、その声は沈痛な色を帯びていた。
「ティアナ様。申し訳ございません。御一緒出来かねます。

帝国紋章入りの招待状は、皇宮で最も格のある夜会でございます。

ですから規定も細かく決められております。男女一対の出席は当然の事ですが、

妻帯者のいる者は正妻を、独身者で婚約者のいるものはその相手を、

と決まっております。私には婚約者がおりますので御一緒出来ないのです」
「ハーロルト、あなた婚約者がいたの?知らなかったわ」
「はい。まだ幼く宮廷でのお披露目を済ませておりませんので

お目に掛かる機会はございませんでした」
「幼い?お幾つなの?」
「今年でたぶん十になるかと・・・」
「十歳!随分歳が離れているのね。やっぱりお家の事情?」
「そうですね。家にとっては良い縁談だとは思います――」
 貴族の結婚とはそういうものだ。跡取りとなれば当然だった。愛など関係は無い―――
 ティアナはその点では幸せだったのだ。以前はだが―――
 ティアナは気遣うように微笑んで言った。
「ハーロルト。そのお嬢さんを大切にしてあげてね。出来れば誰よりも」
「ティアナ様」
 ハーロルトは あなた以上に大切な者などいない と、言いたかったが、

その言葉をグッと飲み込んだ。
「あっ!ハーロルト様、婚約者の方はお披露目がまだなら大丈夫ではないのですか?」
 ドロテーが名案とばかりに手を打って言った。
「それが、正式な夜会は滅多に無い為この機会に少し早いがお披露目をしたいと

先方から打診が数日前からありまして・・・」
「そんなぁ〜だいたいこんな急に、しかも今晩だなんて!

衣装におまけに相手探しなんて絶対無理だわ!皇子は本当に陰険よ!」
「ドロテー!皇子に対してその暴言、本来なら罰せられる」
「ど・う・ぞ!投獄でもなんでもすればいいわ! もうっ! 本当に頭にくる」
 ドロテーは頬を紅潮させて憤慨していたが、はっと、閃いた。
「そうだ!イヴァン皇子!皇子に頼みましょうよ。今は神殿に仕えているのだから

皇家の行事には関係ないでしょう?だからレギナルト皇子も手を回していないかも」
「確かに。皇子の口からイヴァン皇子の名前は出てなかったな」
「でしょう?名案でしょう?ねえ、ティアナ様!」
 ドロテーは琥珀色の瞳を輝かせてティアナを見たが、彼女の顔は苦悶に満ちていた。
「それは駄目。駄目よ・・・昨日、大神殿でイヴァンが私を慰めてくれていた所に

皇子が急に現れて・・・私達が恋人同士だと疑ったの」
 ティアナは一度言葉を切ると震える唇を噛んで、大きく深呼吸をして続けた。
「周りに自分の事を愛している振りをして、実はイヴァンが恋人だろうと言ったの。

国家反逆罪だとも言われたわ。だからこれ以上関係を持って話を難しくしたくないの」
「そんな酷い」
 ドロテーもハーロルトも何と言って慰めて良いのか言葉に詰まった。
 その時、大仰な溜め息が聞こえてきた。

三人のやり取りを傍らで黙して聞いていたベッケラートだった。
「ほんと、あの皇子はややこしい性格だ。全く素直じゃないんだよな。

記憶無くしていても気になって仕方がないんだろうよ、お譲ちゃんの事がな。

権力を振りかざして、そっち
の彼女が言う通り、ほ〜んと陰険な手を使いやがって」
「ベッケラート殿!いくら貴公でも言い過ぎです!」
「目くじらたてるなってベルツの坊や。ここはオレの出番だな。

お譲ちゃんの主治医であるこのヘルマン・ベッケラートにお任せあれ!

気鬱の病気を治してあげよう。そして傲慢な皇子の鼻を明かしてやろう!」
「先生?」
「大丈夫、大丈夫。早速、用意しに行こう!」
 ベッケラートはそう言うなりティアナを寝台から抱き上げて、足早に部屋を出て行った。
 ドロテーは驚いて、黙って立っているハーロルトの腕を引いた。
「ちょっと、ハーロルト様!止めて下さいよ!

いくら御殿医だからって、たかが医者。簡単に準備出来るものではないでしょう!」
 ハーロルトは首を振った。
「いや。君は知らないのは当然だろうけど、確かに彼は適任だよ。

誰もが思いつかないだろうな。まさか――」
 ドロテーは彼の謎めいた言い回しを聞く時間は無かった。

今にもティアナが戸外に連れ去られようとしているのだから走って後を追った。

そして一緒の馬車に飛び乗ったのだ。





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