最終章 鍵 2
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レギナルトは呆気にとられた。自分が分からなかったのだろうか?
(私と分かっていたらする訳が無い・・)
レギナルトは自分が後回しにされるなど今まで経験した事が無かった。
彼女は自分が誰だか気付かなかったのだろうと結論付けることにした。
先ほどもそうだったがティアナに対して馴れ馴れしい男客が多く、レギナルトは気分を害していた。
だがその気持ちは後回しにされた憤りに違い無いと自分に言い聞かせるのだった。
そんな皇子が思わず舌打ちしたのを聞いたお節介焼きの老婦人が話しかけてきた。
「あんたもあのお譲さんに惚れている一人かい?駄目だねぇ〜彼女は全くなびかないよ。
早いとこ諦めた方がいいよ。此処だけの話なんだけどねぇ〜もう想い人がいるって話だよ。
初めはあの美形の坊やが相手かと思ったけど、どうも違うようだしね。
分かって無いのは色ボケした馬鹿な男共だけさね。女達は分かっているけどねぇ〜
あれは苦しい恋をしている瞳だってね。身分違いの恋さねきっと、
見たんだよ身分の高そうな人物が密かに出入りするのをさ。
でもあれだけ器量が良いから無事に成就すると睨んでいるけどね」
だがら諦めなね、と再度念を押してお節介な老婦人は
レギナルトの背中をポンポンと叩いて去って行った。
レギナルトは自分が彼女に惚れていると言う勘違いは置いておいて、
出入りした貴族と言うのが気になった。
(イヴァンだろうか?)
苦しい恋をしている と言っていた部分も気になった。
(確かにイヴァン相手なら苦しい恋だろう。いや、イヴァンだけでは無い。
彼女は 冥の花嫁 だから誰が相手でも許されない恋になる・・・)
その宿命の為に―――
「皇子、皇子、お待たせしました。皇子?」
レギナルトは小さく自分を呼ぶ声にはっとして現実に引き戻ってきた。
悩みの原因であるティアナが直ぐ近くいた。自分を 皇子 と呼ぶのを聞いて、
やはり自分の正体を知っていてあの態度だったのだと思うと苛だった。
思い通りにならないもの程、腹が立つものは無いのだ。
いつもいつもそれはこの娘に起因するような気がしてきた。
憤懣をぶつけようと開きかけた口がその言葉を飲み込んでしまった。
ティアナが微笑んで手招きしているのだ。中へ入れと。
誘われるまま店内から居住区の奥へと向かった。中は狭かったが心地よい温かさに溢れていた。
レギナルトは外套を脱いで室内を見渡した。驚いて大きく瞳を見開いている幼い少女がいた。
先日紹介されたハーロルトの許婚のようだった。ハーロルトはいつものように畏まって立っている。
肝心のティアナは彼女の侍女と一緒に隣の部屋に消えて行ったが、
直ぐに湯気のたつ皿を両手に持って現れた。
「さあ、みんな、立ってないで座って下さい。昼食にしましょう」
ティアナはにこやかにそう言うと給仕し始めた。見れば食卓の上には食事の用意が整っていた。
質素だが身体が温まりそうな心のこもった料理が並んでいる。
「どうぞ、皇子。おかけ下さい。お口に合うかどうかは分かりませんが
身体が温まるのは保障します。さあ、どうぞ」
いきなりのこの展開に驚いて突っ立ていたレギナルトは返事もそこそこに、
ぎこちなく質素な椅子に腰掛けた。
ティアナが給仕を終えて皇子の隣に座ると、その横の椅子に白いヴァイセが飛び乗った。
「ヴァイセ?」
レギナルトは驚いて思わず言った。
「行き倒れていたこの子を助けたんです。可愛いでしょ?
首に下げている玉がリィンリィンって鳴るからリィンと呼んでいます」
ティアナがそう言いながらお行儀よく座る白い生き物の頭を撫でると、
嬉しそうに喉を鳴らして長い耳をぴくぴくさせた。
すると首に下げている光りによって変わる不思議な色の玉がリィンと鳴った。
レギナルトは目を見張った。
ヴァイセはその愛くるしい見かけと違って獰猛で自分より大きな人間でも
簡単に引き千切る牙と、天空を舞う翼を持ち孤高で人に懐かない種類なのだ。
それがまるで室内で飼う愛玩動物のようなのだから驚くのも無理がない。
そのヴァイセが自分とティアナを交互にじっと見ているのが気になったが、
危険が無さそうなので一先ず安心した。
レギナルトの登場でいささか緊張していた食卓は食事が進むにつれて和やかになっていった。
しかしその間、皇子は一言も喋る事はなかった。それでも食事は残す事なく平らげている。
チラリと横を見ればティアナと目が合い彼女は微笑んだ。
レギナルトは自分が何をしに来たのか分からなかった。何故かこの場所へ向かっていたのだ。
今までに経験した事の無い、心を揺さぶられる強烈な感情を持て余していた。
懐にしまった鍵が重たく感じる。
いっそ攫ってあの部屋に閉じ込め鍵をかけるか?
(馬鹿な!何を考えているんだ!)
自分のものだと定められているのだから攫う必要も無いのに、何故かそう考えてしまう。
しかしその定めさえも構わず彼女を求める男がいるのだ。
確かに次の王となる子を産めばその定めは断ち切れる。
彼女は用済みとなるのだ。だが・・・ 心の奥底で何かが違うと叫んでいる。
駄目だと叫んでいた。
彼女は自分を愛していると言った。しかし何故自ら離れて行くのか理解に苦しむ。
それはやはり言葉だけの偽りなのだろうか?彼女は言った。
『私の皇子に対する愛だけは疑わないで下さい。
愛しています・・・愛しています・・私の全てよりも・・・あなただけを・・・・』
( 疑わないで か・・・女達は皆、そう言うのだ。信じられない)
黙する皇子にティアナが話しかけた。
「ヒルデガルトさん、本当に目が治って良かったですね。皇子も安心されたでしょう?」
レギナルトの紫の瞳が鋭く光った。
「ベッケラートから聞いていないのか?あの女は私を騙していたんだ。
見えないと嘘をついてご丁寧に迫真の演技を続ける為に、わざわざ見えないように薬を使っていた。
愚かで馬鹿な女だ。冥の花嫁 で無ければ斬首にしたい気分だ!」
皇子の淡々とした冷たい物言いはその場を凍りつかせるようだった。
いつものように女性に絶望し蔑んでいるのがはっきりと分かる。
ティアナは皇子が、女は皆同じだ!と言っているように聞こえた。
頑なに心を開かない皇子は本当に昔のままだった。そして塔から見た風景を思い出した。
冷たく閉ざされた白銀の世界に燃える炎―――
激しく燃えるような心を持っているのに冷たい氷の仮面を被る皇子―――
(・・・・・私にもう一度その氷を融かす事が出来るの?)
ティアナは苦悶に満ちた瞳でレギナルトを見つめた。
「皇子の怒りは尤もです。でもそれだけ皇子を引き止めたくて必死なんでしょうね。
ヒルデガルトさんだけでは無く他の人達も・・・」
そう今までも皇子は相手にしていなかったが恋の駆け引きは数多くあり、
ティアナは密かに嫉妬しては心を痛めていたのだ。
レギナルトは彼女の言葉が人ごとのようで腹が立ってきた。
自分はどうなんだ?と問いかけたかった。自分はこの私に興味は無いのか?と聞きたかった。
しかし邪魔な自尊心が言葉を飲み込んだ。
あからさまに避けられ、無視されるのは我慢ならなかった。
反撃しようと言いかけた時、店先でティアナとハーロルトを呼ぶ声がして二人は急いで出て行った。
その後をリーゼが追いかける。残ったのはドロテーだけだった。
何か言いたそうにしている彼女は姪とはいえバルバラに良く似ている。
その今にも苦言を並べたてそうなその表情など特にだ。
レギナルトはふと思い立ち先程老婦人が言っていた事を尋ねてみる事にした。
「先程、此処の常連から聞いたのだが、この店に出入りする身分の高そうな男とは誰だ?」
皇子は何気なく聞いたつもりだったが、勘の良いドロテーは心の中でにやりと笑った。
(皇子ったら気になっているんだ!嫉妬かしら?へぇ〜そうなんだ。良い傾向だわ)
ドロテーは畏まった感じで答えた。
「はい。その方は身分が高く財産も余りある立派な御方でございます。
いつもティアナ様を気にかけて下さいます」
「だから、それは誰だと言っている!」
レギナルトは勿体つけて喋る彼女を一喝した。
イヴァンと答えるかと思ったその口は拍子抜けする名を告げた。
「通ってくださるのは皇帝陛下にございます」
「なっ!父上が!まさか彼女の苦しい恋の相手が父上!そんな馬鹿な!」
「苦しい恋の相手ですって!何を吹き込まれました?
ああ〜ご近所のご婦人方の噂話を真に受けられたのですか?」
「――彼女が苦しい恋をしている瞳だと言っていた。身分違いの恋だと・・」
ドロテーは大きく溜め息をついた。
「皇子、それは当たらずも遠からずですね。
ティアナ様は確かに苦しい恋をなさっています。それも方恋の・・・」
レギナルトはその答えに再び胸の痛みを覚えた。それと同時に怒りが込み上げてきた。
「恋をしているだと!やはり女は皆同じなんだ!平気で嘘を付く!」
私を愛している と言っていたのに、という言葉は呑み込んだ。
「何を言っていますか皇子!ティアナ様が恋しているのは貴方様です!
それは苦しい恋でしょうとも振り向かない貴方様を恋慕うのですから片想いですよ。
見ている此方が切なくなるほどです!先日も夜会の時皇子が気まぐれに・・・あっ、失礼。
えっと贈られた簪を大事そうに見つめながら ほらね、新しい思い出よ とおっしゃって、
それから毎日夜になると簪を眺めては、回想されているのでしょう時折微笑んでいらっしゃいます。
でも、最後には悲しそうに簪をしまわれるのです。皇子!本当にティアナ様を
お忘れになられたのですか?でも、皇子のその感情は再現されているようですね。
気になられるのでしょう?ティアナ様のこと?その感情は恋でございますよ!
お認め下さい!ティアナ様と出会われた頃の皇子はそうでした。
その感情に支配されてティアナ様の心が掴めず嫉妬深くて・・・あっ、失礼。
独占欲が強くて・・・あっ、ええと・・・・とにかく大変でしたもの。
記憶が無くてもまた好きになられたのでしょう?」
レギナルトは冷水でも頭から浴びたようだった。
思考は止まり、いや、そうでは無い。混乱してしまった。
(私が恋をしているだと!)
馬鹿な、と思う。この最も軽蔑する愚かな感情を認めたくなかった。
しかし不可解な感情はそれを認めれば全てにおいて納得がいくのだ。
彼女を思えば、浮き立つ気持ちとは裏腹に苛立ちを感じ感情を抑える事が出来ない。
瑠璃色の瞳が脳裏にチラついて離れなかった。
夜会では彼女の輝く姿に目が離せず、近づく男達に苛立ちを感じていた。
そして、その場から外へと一人離れる彼女を思わず追いかけてしまった。
それから音楽にのって華奢な肢体に触れ細い指を絡ませた時は今までには無い強い欲情を覚えた。
力を込めれば折れそうな身体をそのまま強くかき抱き、微笑みを刻む可憐な唇を塞ぎたかった。
しかしその想いは真珠の簪に代わっていた。
(あの簪は愛の証に作らせた?)
愛する気持ちを形に表したものだろう。今の自分ならそう考える。しかし認めたく無いのだ。
自分に記憶が無く、その為なのか彼女の気持ちを信じることが出来ない
厄介な感情が胸中に渦巻いていた。
(まだ認める訳にはいかない)
レギナルトはある決心を胸に秘め立ち上がった。
急に立ち上がった皇子に驚いたドロテーは恐る恐る顔を見上げた。
勘気に触れたと思ったからだ。
だが皇子は怒っていなかった。
レギナルトは勝手口に向かって歩きだしたが振り返って、ニヤリ、と微笑んで言った。
「ドロテー。そなた本当にバルバラに似ているな」
それを聞くなり変な顔をしたドロテーの返事も待たず、
レギナルトは笑いながら出て行ったのだった。
その後を白い影が付いて出たのに二人とも気付かなかった。