最終章 鍵 3

 
 皇子宮では結局思い通りに事が運ばず、逆に皇子を怒らせてしまった事に

ヒルデガルトは苛立ちを覚えていた。

ティアナがあっさりと身を引き、皇子を自分のものにするのは時間の問題だと思ったのに、

その氷の壁は厚く思うようにいかないからだ。

苛つく心を静めようと形の良い親指を噛んでいた。
「ヒルデ様。爪の形が悪くなりますからお止め下さい」
 イルマはヒルデガルトの傍に控え嗜めた。

彼女の他は誰も居ない。多くの女官達は従順だが誰も彼女を主人とは思っていない瞳をしている。

それらを見るのも煩わしく遠ざけているのだ。本当の味方はこのイルマだけだった。
「イルマ!どうしたら良いの?ここまで計画通り順調に運んでいたのに

皇子の心が手
に入らないなんて予想外だったわ。

お前は言ったわよね?わたくしに皇子がなびかない筈など無いと」
「もちろんでございます。私の大事なお譲様は誰よりも美しく

賢くていらっしゃいます。誰よりも次期皇后に相応しいお方でございます」
「でも皇子はあの娘を気にかけているわ!先日の夜会の時に皇子はわたくしに

見せてもくださらなかった素晴らしい簪をあの娘に贈っていたのよ!

あの時見てなくても分かるわ!あの娘が途中から髪に挿していたのは

価値がある物だと一目で分かる品だったのだもの!悔しい!

結局、皇子は記憶を無くしても再びあの娘を選ぶの?悔しいわ、イルマ!」
 夜会の後半で早々に退場して行ったティアナを皆が羨ましげに魅入っていた。

それは何時の間にか彼女が髪に挿していた真珠の見事な簪に誰もが目を奪われていたからだった。

皇子との不仲説もその一件で完全に払拭されたぐらいだ。

そのような代物を誰が贈ったのかは一目瞭然だったからだ。
「ヒルデ様。ひっ!」
 イルマがヒルデを慰めようと近づいた時、

庭園に続く硝子の扉に白い生き物の姿を見止め驚きの声をあげた。
 それは扉を押して室内へ入ってきたのだ。
 ヒルデは振り向いた。イルマが凝視する先には真っ白なヴァイセが

四足で歩いて此方に向かっていた。
「お、お前、どうして――」
 ヒルデは驚きに目を見開いていた。その彼女の頭の中に直接声が響いてくる。
 ――約束。約束忘れたの?どうして?   
 空色の瞳が責めるように彼女を見上げていた。
「や、約束って・・・・そ、そう約束ね。ご、ごめんなさい。忘れていた訳じゃないのよ。

直ぐ帰る筈だったのにこの雪でしょう?帰られなかったのよ」
 ――じゃあ、僕、此処に居てもいい?雪止んだら一緒に帰ろう・・・
「わ、分かったわ」
 ヒルデはそう言うとイルマに合図を送った。

 イルマは頷き彼女に何かを手渡した。

 それからヒルデはティアナがリィンと呼んでいたその生き物を微笑みながら抱き寄せた。
 リィンは嬉しそうに彼女にすり寄ったが、突如背中から鋭い痛みが突き抜けたのだ。

い音と共に口から血の塊を吐き出した。その空色の瞳は信じられないようにヒルデを見上げた。

今まで優しく美しい至高の存在と思っていた彼女が醜く顔を歪めている。

 そして、その手には短剣が握られていた。
「こんな所までやって来るなんて図々しい!お前はあの陰気な森がお似合いよ!

お前の役目はもう終わっているのよ。ああ、汚らわしい!

わたくしはもう光りの中なのよ。お前とは違うの!」
 そう吐き捨てるようにヒルデは言うと、既に血に染まった白い体に再度止めを刺そうと切りつけた。

リィンは咄嗟に羽ばたき、二度目の刃先は浅くかわしたが、最初の一撃が致命傷だった。

最後の力を振り絞り、入ってきた硝子の扉へと引き返して庭園に出た。

羽ばたいているのだが体は浮かず雪の上を這うようにしか飛べない。

たちまち追って来た二人に直ぐ追いつかれてしまった。

 もう駄目だと思った時に白銀の庭園に響き渡る声がした。
「何をしている!」
 息を切らしながら短剣を振り上げたヒルデはその声に振り返った。
 そこはヒルデの部屋専用の庭園で人通りなど無い場所だが、

レギナルトが上階の回廊から偶然に見下ろしていたのだった。

 皇子は長く入り組んだ回廊から回り込むのが煩わしく、その場から庭園へ身軽に飛び降りた。

 それから氷のような眼差しで真っ直ぐヒルデに向かって歩いた。

彼女の傍に息も絶え絶えに血だらけで倒れているのはティアナの家に居たヴァイセだった。

首に下げた玉が血色にぬれているが、それに間違い無い。

ヒルデガルトの部屋から血痕が続いている様子だった。
「あの、皇子、このヴァイセが急に襲ってきて、わたくし驚いてしまって・・・

ああ、恐ろしゅうございました」
 ヒルデはそう震えるように言うとレギナルトの胸にすり寄った。

無言の皇子の様子が気になってヒルデは上目遣いにレギナルトを見たが、

その瞳に宿るのは嫌悪だった。
「ヒルデガルト譲。このヴァイセは大人しく人に危害を与えるものでは無い。

私の後でも付いてきてしまって迷っていたのだろう」
「皇子はこの獣を知っているのですか!」
 ヒルデガルトは内心動揺したが、続く皇子の言葉に安堵したのだった。
「あの娘が飼っているヴァイセだ」
「あの娘?花屋の娘ですね!」
 ヒルデは何処でどうなっているのか分からないが、皇子はあの娘が飼っていた

ヴァイセ
を自分がわざと傷つけたとでも思っているようだった。
「まあ、そうでしたの?知りませんでしたわ。でも本当ですのよ。

急に襲ってきて、わたくし殺されるかと思いましたわ。

誰かに命令でもされたのかしら?賢い獣ですものね」
「何が言いたい?ヒルデガルト譲?」
 レギナルトのその声は更に冷たさを増し、ヒルデは言葉を呑み込んだ。

ティアナを陥れようと思ったが逆効果だったらしかった。

だがヒルデもこのままでは引き下がれず皇子に摺り寄せた肢体を更に押し付けて甘く囁いた。
「皇子、わたくしは怖かったので悪いように考えてしまいました。申し訳ございません。

恐ろしくって・・・・ほら、まだこの胸が高鳴っておりますでしょう?」
 ヒルデは横に垂らしたままだった皇子の手を取り自分の豊満な胸に当てて訴えた。

瞳は黒曜石のように妖しく輝いている。
「ヒルデガルト譲。私にそのような誘いは通じない。

そなたは自分が最も美しく魅惑的だと思っているのだろう?

確かにそれなりに美しいがその皆が褒める自慢の黒髪も魅惑的な肢体も・・・

そなたよりも素晴らしい女性を私は知っている。

しかも心も美しい・・・だからそなたの武器は最上のものを知る私には霞んで見えて通じない」
 乾いた嗤いと共にレギナルトがそう言うと、ヒルデを自分から強く引き剥がした。
 屈辱的な言葉を投げつけられたヒルデは呆然と立ち尽くしてしまった。

しかし血まみれのヴァイセを救い上げて去って行く皇子に向かって叫んだ。
「皇子がわたくしをお嫌いでも構いません!でもわたくしは 冥の花嫁 です!

貴方が誰を好きであろうと貴方はわたくしを選ぶしか無いのですから!」
 レギナルトはその言葉に一瞬立ち止まったが、振り向く事無く去って行った。
 分かっている。 冥の花嫁 との婚姻は好き嫌いなど関係無いのだ。

皇位継承者の義務であって例え嫌悪する相手でも自分の心を殺して契らなければならないのだ。
(自分の心を殺す?)
 レギナルトはその考えに嗤いが出た。陳腐な恋愛小説の主人公にでもなった気分だった。
『お認め下さい!』と言ったドロテーの言葉が浮かんできた。

しかし今はこの獣を助けるのが先決だ。あの娘が悲しむ姿を見たくなかった。
 そして至急との使いに駆けつけたベッケラートは呆れた。
「おい、まさかこの獣を診れ!と言うんじゃ無いだろうな?俺は人間専門だぜ!

冗談にも程があるだろが。それともこないだの仕返しかい?」
「冗談でも、仕返しでも無い。あの娘が可愛がっているものだ」
 悲しむ姿を見たくないと言う言葉は呑み込んだ。
「あの娘?お譲ちゃんのか?そりゃいかんな。しかし、なんでまた――」
 ベッケラートが言いかけた途中にリィンの体が眩しく光り始めた。

二人が驚いて見守る中に小さなヴァイセの体は幼い少年の姿へと変貌していったのだった。

白いヴァイセがそのまま人間に変化したかのように白い肌と乳白色の髪。
「・・・・・こいつは・・・妖人か?」
 妖人 それは極めて珍しい例だが妖魔と人間との間に生まれた半人半妖なのだ。

妖魔は虚無の王の力から生み出されるもので妖魔同士での繁殖は無い。

だが能力の高い妖魔は人型をとることが出来るので、まれにこのような子供が出来る場合があるのだ。

それでも所詮違う種族のため拒否反応が出て生まれても直ぐ死ぬ確立が高い。
 レギナルトは闇の聖剣を鞘から抜き払った。
「ちょっ、ちょっと待てよ、皇子!早まるなって!お譲ちゃんのだろう?」
「妖魔なら関係ない!滅ぼすのみ!」
「ちょっと、待てってば!妖人は妖魔寄りと人間寄りとに分かれるだろうが。

とにかくこれだけ人間に似ているんだ!様子を見ろって」
 レギナルトは聖剣をリィンの首元に突きつけたまま答えた。
「素人は黙っていろ!妖魔は能力の高いもの程、人型に近いんだ!

しかもヴァイセなどに変化も出来る。恐ろしい力だ!」
「待てって!ティアナが悲しむだろうが!」
 レギナルトの剣の柄に力を込めた時、リィンが身動きをして人型になっても

首に下げていた玉が鳴った。

ティアナが優しくヴァイセを見つめながら、
『リィン、リィンと鳴るからリィンと呼んでいます』
と言った顔が浮かんだ。それを消すように首を一度振って柄を握り直した時、

その彼女がハーロルトを伴って飛び込んで来たのだ。
 レギナルトがヴァイセの窮状をティアナに知らせていたからだった。
「リィン!大丈夫! えっ?」
 ティアナは驚いて立ち止まった。皇子が見知らぬ少年に聖剣を突きたてようとしていたからだった。

しかもその少年はもう既に刺された後だろうか?血まみれだったのだ。
「皇子・・・・何をしているのですか?そんな子供に!」
 ハーロルトの制止を振り払ってティアナは駆け込むと、その少年と

レギナルトとの間に庇うように座った。勢いよく聖剣の前に出てきたティアナを

刃から守るためレギナルトは聖剣を引かない訳にはいかなかった。
「馬鹿!離れろ!危険だ!それは人間じゃない、妖人なんだ!」
「えっ?」 
 ティアナが反射的にその少年を振り向いて見た時、その子の瞳が開いたかと思うと

勢い良く起き上がって彼女の首に抱きついた。
「しまった!」
 レギナルトはその瞬間、心臓の鼓動が止まったかと思った。

冷たい血液が身体を一瞬のうちに巡ったかのようだった。ティアナが殺されると思ったからだ。
 しかしその妖人は人間の子供のように泣きじゃくっていた。
「ティアナ、ティアナ。僕ね、約束守ったんだよ。

それなのにヒルデは約束守ってくれないんだ。痛いことするんだ!

ティアナ、どうして?どうして、教えて!僕、何か悪い事したのかな?ねえ、ティアナ?」
 見知らぬ子供なのに何故、自分の名前を知っているのだろうかと

不思議に思うティアナにレギナルトが説明をした。


「この子がりィン?まさか・・・本当にリィンなの?」
 りィンは空色の瞳でティアナを見つめてコクリと頷いた。

 リィンはさすがに半妖なだけあり大きな固体に変化したせいで力が増し

妖魔独特の脅威の治癒ですっかり傷は塞がっていた。

ベッケラートは呆れ顔半分興味半分でその身体を調べていた。

その間もリィンはティアナの服の端を握って放さなかったが大人しくされるがままだった。
 それでもレギナルトは聖剣を抜いたまま様子を伺った。

 たどたどしい言葉の端々にヒルデガルトとの関係が浮き彫りにされてきたのだ。

聞きたい事は色々ある。
「約束とは何だ」
 リィンは皇子の低く尊大な声に怯えてティアナの後ろに隠れるような素振りをした。
「皇子の言い方はこの子を怖がらせています。優しく言ってあげて下さい」
「・・・・・・・・」
 ベッケラートがニヤニヤと愉快そうに様子を伺っているのが気に入らない。
「約束とは何だ?」
 レギナルトは優しく言ったつもりだったが、リィンは怯えて更に小さく震えてしまった。
 ティアナは小さく溜め息をついてリィンに話かけた。
「ねえ、リィン。約束ってなあに?」
「あのね、ヒルデはね。僕と友達になる約束をしたんだ。

毎日遊んでくれるって・・・・僕は約束守ったのにヒルデは

その約束守ってくれなかったから探しにきたの」
「お前が守った約束とは何だ!」
「皇子!そんなに大きな声出さないで下さい。リィンが怖がります」
「・・・・・・・・」
 ベッケラートが愉快そうに口笛を吹いたので、レギナルトは彼を睨んだ。

 ベッケラートはその視線を受けて肩をすくませた。
「んで、チビちゃんがした約束は何だい?」
「道を塞いだんだ」
「へぇ〜一人でかい?」
「ううん。大きな人形に命令するんだ」
「人形?へぇ〜どんなのかな?おじさん見たいな」
 リィンの瞳が輝いた。
「見たいの?でも駄目みたい・・・・この辺は人形が居ないから」
 しょんぼりする彼に聞こえないようにベッケラートがレギナルトに耳打ちした。
「おい、人形ってなんだと思う?」
「能力の強い妖魔は他の知能が低い妖魔を自由に使役する事が出来る・・・・」
「まさか・・・・」
 ベッケラートは慎重に聞いた。
「その人形達に道を塞がせて、この皇子と遊ぶように言った?」
「うん。その時、楽しかったなぁ〜ヒルデも一緒にいたし。

だけど・・・その人形、壊されちゃって・・・」
 恨めしそうにリィンはレギナルトを見た。
 レギナルトとベッケラートは顔を見合わせた。

 間違いなくヒルデガルトがこの妖人を使ってレギナルトを罠にかけたのだ。

偶然過ぎる立ち往生に偶然なる出会い。それも命を救った恩人としての立場を手に入れ、

目が見えなくなったと言う嘘をつき、まんまと帝都までやってきたのだ。

しかもファネールの復興という恩賞まで手に入れた。

たぶん親に捨てられて一人寂しく過ごす純粋そうなこの妖人を上手く操って計画したのだろう。

狡猾な策
士だ。冥の花嫁 だと云うのも非常に怪しいものだが、

こればかりは事が事だけに慎重に慎重を重ねて真実を追究しなければならない。

ここでもし間違いでもおこしたら国の存亡に関わる問題だからだ。
 どうしたものかと考えを巡らせている所へ、エリク来訪の知らせが届いた。

レギナルトとハーロルトは頷き合うと、エリクの待つ部屋へと向かった。
 その部屋にはエリクの他にもう一組の人物達が待っていた。

その二人を見たレギナルトは驚き目を見張った。

この場にいる筈のない人物だったからだった。
 エリクはどのような証拠を掴んで来たのだろうか?

ハーロルトがカチリと音をたてて扉の鍵を閉めた。

彼のもたらした報告を聞く準備は整った―――




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