星の詩5![]()

大神殿の一角でとうとう座り込んで話し込み出した二人だったが、その近くをレギナルトと大神官が通りかかった。早朝会議が終わり、今度は月例の大神殿での会議出席の為に二人が足早に向っている途中だった。
その皇子の耳に楽しげに笑う男女の声が入ってきた。
(ティアナ?)
レギナルトはまさか?と思った。ティアナは具合が悪く臥せっている筈だった。
聞き違いだろうと思いつつ声のする方角に視線を流した。
そこで見たものは見知らぬ男と親しげに会話しているティアナの姿だった。
「おや?ルーベルですな。いつの間にティアナと知り合ったのやら?」
急に立ち止まったレギナルトの影から顔を出したゲーゼが言った。
「ルーベル?」
レギナルトには記憶に無い名前だった。
「ほれ、陛下が例の件で推されている若者ですぞ」
ゲーゼが直ぐに答えた。
ルーベルは以前から向学の為に大神殿の写生を希望し通っていた。その時、彼の非凡な才能を見出したゲーゼは何度か言葉を交わしたことがあるのだ。最近見かけないと思っていたらオラールに行っていたらしい。そして再会した時は皇城の技官にと皇帝が連れて来たのだ。
「思ったよりも若いな」
「才能ある・・・いえ、あの者は天才でしょう。皇子が反対される理由が私には分かりかねます。若いのですから実績が無いのは当然でしょうし、そのような理由だけで外すには惜しい才能ですぞ」
レギナルトは意見するゲーゼに冷たい視線を送っただけで何も言わなかった。
大神官は才能のある若者は昔から好きで今回も皇帝と意気投合のようだ。
(言い出したら聞かない年寄りを今相手するよりティアナだ!)
思えば昨日のドロテー・・・と言うよりも新しい侍女カミラの様子がおかしかった。そして今朝も・・・堂々と何食わぬ顔をしているドロテーに比べて、おどおどと落ち着きの無い様子の侍女・・・
(何か隠している?何をだ?)
レギナルトは直感でそう思った。
また楽しげな笑い声が湧き上がった―――
(ティアナが私以外の男に笑いかけている・・・)
ティアナはただ笑っているだけなのに、胸の奥からどす黒いものが染み出て来るようだった。
それはいつものことだった。ティアナは誰に対してもだがとても愛想がいい。
それこそ名も知らない門番から召使いにも分け隔て無く微笑みかける。
微笑まれた男達は判を押したように皆が皆、彼女を見る目が変わるのだ。
それはレギナルトにとって不快でしかなかった。ティアナは悪く無いが勘違いした男が彼女に手を出すのではないかと何時も心配になるのだ。
以前ドロテーからその本心を突かれた事があった。
婚礼を挙げ彼女の身も心も自分のものにしてしまわないとティアナを誰かに盗られてしまうと焦る気持ちと、もしくは幻のように消えてしまうのでは無いかと思う不安。本当はあの神殿跡で彼女は死んでいて自分は長い夢を見ているのではないか?と思うことがあった。ティアナを失った絶望で本当は狂っているのではないかと・・・だから早く彼女が幻では無いのだと実感したかった。
再び楽しげな声が上がる。この大神殿―――ティアナが墓参とは言っても此処に通うのもレギナルトにとって不愉快だった。此処には彼女の元恋人で自分の異母弟イヴァンがいる場所だ。もちろんイヴァンはその身を引いてそれを証明するかのように結婚を禁止されている神官となった。それでも神官など何時でも辞めることが出来る。疑おうと思えば幾らでも疑うことが出来た。
ティアナとイヴァンは皇子の性格が分かるから大神殿で会うことは無い。偶然に出くわしたとしても言葉を交わすことも無かった。二人はそうやって気を遣っていたが逆にレギナルトとしては気に障っていたようだ。そうすること事態がお互い意識し合っているようで気に入らなかったのだ。
ティアナがレギナルトへどんなに愛を示しても未だに消えないイヴァンへの妬心。
レギナルトは考え出したら切り無く暗くなる想いを心の奥に沈めるとティアナのいる場所へと向った。
「ティアナ・・・」
レギナルトが彼女の後から声をかけた。すると何時もなら嬉しそうに振り返る彼女がビクリと肩を揺らし恐る恐る振向いたのだった。やはり何かがおかしいとレギナルトは思った。何かを隠しているのは間違い無いだろう。
「ティアナ、具合は?もう大丈夫なのか?」
レギナルトは一度深呼吸をして心を落ち着かせながら優しく聞いた。
「あ・・・は、はい・・・だ、大丈夫です」
短い返答―――ティアナは嘘が得意では無い。言葉に詰まるし瞳がどことなく落ち着き無く彷徨うのだ。今もまさにそうだった。
「・・・・ティアナ・・・私に何か隠していないか?」
「い、いえ・・・何も・・・」
ティアナは皇子の視線から逃れるように瞳を逸らした。
「・・・何もないことはないだろう?さあ、話してごらん」
レギナルトは辛抱強く言った。しかしティアナは首を振って俯いてしまったのだ。
「ティアナ!」
堪りかねた皇子の叩きつけるような声にティアナは弾かれたように顔を上げた。
その彼女に触れようと皇子が手を差し出した途端、大きく見開いていた瑠璃色の瞳に恐怖の色が浮んだ。レギナルトはそれを見逃さなかった。
「ティアナ?何故・・・」
ティアナは、はっと我に返って首を振った。
「ち、違います!わ、私!」
「何が違うんだ?ティアナ?」
そう言いながら再び差し伸べられたレギナルトの手にまたティアナはビクリと肩を震わせてしまった。気持ちとは裏腹に身体が拒否反応を示していた。皇子が何故?と顔色を変えながら近づけば近づく程、ティアナは真っ青に血の気を失い震えだした。
「わ、私・・・どうして・・・」
ティアナは自分自身どうしてなのか分からなかった。皇子の姿を見るだけで身体が恐怖で震えるのだ。
「ティアナ?」
レギナルトの手がとうとうティアナに触れようとした。
しかし信じられない事にティアナは皇子の手を払いのけてしまったのだった。
レギナルトは呆然と払われた自分の手を見たまま固まって言葉を失くしてしまった。
傍にいたゲーゼはティアナらしくない態度に驚きの声を上げた。ティアナは大神官の仰天したような声に、はっとした。また心と裏腹に身体が勝手に動いてしまったのだ。
(アマーリアには皇子を信じている、愛が足りない私が悪い・・・だからもっと好きになると言ったばかりなのに・・・どうして?)
ティアナは驚いて紫の瞳を見開いている皇子を直視出来なかった。ただ首を振った。
「ち、違います!私、私は・・・」
「ティアナ・・・何が気に入らない?何を考えている?何を隠しているんだ!ティアナ!」
初めは憤りを抑えて問いかけていたレギナルトだったが、とうとう最後は大きな声を出してしまった。
ティアナは何か言って誤魔化そうと思った。例の件は絶対に知られたくない。それを知った皇子が自分以上に悩むのが目に見えているからだ。だから咄嗟に目の前に居たルーベルを例にあげてしまった。
「ど、どうして皇子はルーベルさんの事を・・・は、反対するのですか?」
「何?」
いきなりそんな話になるとは誰も思わず、ルーベルは話しが自分の事になったから仰天してしまった。大神官と現れた高貴な人物が話しの内容でレギナルト皇子だと言うのは分かった。何やら揉めていたと思ったらティアナの発言で帝国を事実上動かしていると言う皇子の鋭い視線が自分に注がれたのだ。
年齢的にはルーベルと変わらないが、その圧倒的な存在から睨まれて生きた心地がしない。
「ティアナ、お前が口を出す問題ではない」
レギナルトの絶対的な言い方にティアナはまた≠セと思った。
先日も皇城の移転問題があって婚礼が延期されるかもしれないと言う大事な話を教えてくれなかった。その時も関係無いと言われたのだ。ティアナは自分の気持ちを言うのが下手だがレギナルトも自分の気持ちを言うのが苦手だ。だからそれがこじれると大変だった。さっきまでの追求がその話題で逸れたから良かったもののティアナは納得出来なかった。
「皇子はいつもそう言うのですね!私は関係無いって!どうしてですか!」
「・・・・・・・・・・」
レギナルトは答えなかった。どうして?本心を言えばそれこそティアナは自分を恐れるだろう。
ティアナが自分以外に関心を示すのが気に入らなかった。
愛し過ぎてそれが許せないのだ。この想いは心が通じ合う前と少しも変わらない。ティアナを何処かに閉じ込めてしまいたい。そして自分だけを見て欲しいと言うこの焦がれる想い―――
ティアナはまた前世の記憶を思い出していた。好きなのに愛しているのに自分を物のようにしか見てくれなかった紫の瞳の愛しい人。皇子は違うと思いたい。そして自分が運命を変えたいと思うのに心と身体がバラバラだ。だから口から出る言葉も滅茶苦茶だ!
「皇子は・・・皇子は私のこと人形か何かだとでも思っているのですか!大人しくただ座っている飾り人形だとでも?気が向いた時にだけ話しかけて貰えるだけで誰にも話しかけられない人形?」
ティアナは違うと言って欲しかった。
しかしレギナルトは本心を突かれて表情が変わった。感情をまだ抑えている感じだった皇子が一気に怒気をあらわにしたのだ。
「人形?そうだ・・・人形の方がまだいいだろう。煩い口も無ければ誰彼と微笑んで回らないだろうからな。私だけを相手にしていればいい!」
レギナルトは言い放つとティアナを無理やり抱き上げた。
「きゃ――っ!何をするんですか!」
「煩い!黙れ!お前は今から人形だ!人形は人形らしく大人しくしろ!勝手に出歩くことも話すことも見ることも許さない!私の部屋で私が帰るのだけを待つがいい!」
「い、いや――っ!放して!」
「皇子!ご無体はお止め下さい!」
ゲーゼが驚き、皇子を止めようとした。しかしそれを無視したレギナルトは抵抗するティアナを横脇に抱えたまま歩き出したのだ。
ティアナは涙で霞む瞳に、柱の影でこちらを見ているアマーリアが映った。
やはり運命は変わらないのだろうか?皇子を愛しているから彼の態度が嫌だった。
今もどうでもいいと流していればこんな事にはならなかっただろう。
(でも・・・皇子が好き・・・でも、こんなのは嫌!)
「皇子!放して下さい、お願いします!皇子!」
レギナルトの腕から逃れようにもびくともしない。
まるで無理やり皇城へ連れ去られたあの日のようだった。
両親が妖魔の無残に殺された誕生日・・・忘れられないあの日。
あの時と同じく馬に跨った皇子は自分の宮に馬首を向けている。
そして雨―――
やっと春になったばかりの雨は優しく降ってもあの日の夕立より冷たかった。
ティアナは抵抗し続けた。前はそんな気力も無く気を失ってしまったが今は違う。こんな扱いは嫌だった。でもどんなに抵抗してもレギナルトの腕の力は緩まない。ティアナの身体を痛いぐらい締め付けていた。そして皇子宮に着いてもレギナルトはティアナを開放しなかった。
ずぶ濡れのままティアナを乱暴に抱えあげた状態の皇子にドロテーやバルバラは驚いた。
「皇子!嫌っ――放して下さい!嫌っ!」
ティアナは皇子の肩の上で手足をバタつかせて叫んでいる。
「な、何ごとでございます!」
「お前達に用は無い!下がれ!誰も部屋に来るな!」
叩きつけるように怒鳴ったレギナルトは自室へと消えて行った。
「お、伯母さま、いったい皇子はどうしてしまったの?ティアナ様をどうするつもり?」
ドロテーは珍しく気弱に伯母であるバルバラに聞いた。何時もなら皇子に食って掛かる彼女だったが、レギナルトの尋常ではない様子に怯んでしまったようだった。
バルバラもティアナが初めてこの宮へ連れて来られた日を思い出していた。まるであの日の再現のようだった。バルバラは嫌な予感がしてならなかった。
「ドロテー、参りましょう。ティアナ様を助けに」
「は、はい!」
助ける・・・まさにそんな言葉が適当だと思う状況だろう。
二人は決死の覚悟で皇子の部屋へと向ったのだった。