その夜・・・・バビロンの都の宮殿へ早馬がついた。闇の中をすいすいと明かりもなしに進みゆく・・・一つの影。影が向かった先は・・・・・王妃の間。すなわち女王アイシスの寝所である。
「何者じゃ・・・名を名乗れ。」低い声が突然響く。辺りの空気は気味が悪いほどに冷たく・・・・それが女王の心そのものを表しているかのようであった。
「アイシスさまでございますか?シンにございます・・・。」
「おおシンか。待ちかねておった。私はアリじゃ。ささ、早よう中へ・・・・・。人目につく前に・・・アイシス様がお待ちである。」
アリは二、三度辺りを見回すと素早く戸を開けシンを中に入れた。そしてそのまま無言でアイシスの元へ向かう。


「アイシス様、アイシス様お目覚め下さいませ。」背中を優しくゆするアリの手・・・。もう、夜明けであろうかと重い瞼を開く女王アイシス。しかし辺りは闇・・・黒い世界が続くばかり・・・。
「何事じゃアリ・・。」
「シンにございます。ご報告をもって参上いたしました。」
「何!通せ。今すぐ話を聞きたい。」待ちかねておった。カナン暗殺は成功したのであろうか・・・・。故郷エジプトは今どのように栄えているのか・・・・。


愛しい・・・・メンフィスは・・・・・・無事に・・・生きているのだろうか・・・。



「シン・・・。報告を聞かせよ。」
「恐れながら・・・・。申し訳もありません。カナン暗殺は失敗いたしました。その上・・・・下エジプトの兵士もメンフィス様の手のものによりほぼ全て捕らえられ・・・。」
アイシスは我が耳を疑った。背筋に冷たいものが走り、手足が震え始めた。
「何と・・・・・・何と申す。メ、メンフィスに知られたと申すか!?」
「・・・・・・・・・・・御意」シンは床に額をこすりつけた。



メンフィスに・・・・・・・・・・・・・知られた。メンフィスはどれほどに私を責めるであろうか・・・憎むであろうか・・・・・・。
報われない愛を嘆き、いっそのこと憎しみの炎で焼き尽くされたいと思ったこともあったが・・・。だが、やはりこの愛を諦める事など到底出来ぬ。



呆然とするアイシスの横でアリはただただ涙した。何故にこのお方の愛は報われぬ・・・。何故にこのお方ばかりが傷つき涙する・・・。何故にキャロルばかりが敬われ大切にされ・・・・・・愛される!
「面目もございませんが・・・・書状を預かっておりまする。」
「誰からじゃ・・・・。この私にか・・・・。」
「御意。・・・・・・・・・処刑されたメキド様より預かりましてございまする。」
アイシスは受け取るとすぐに目を通した。そこには計画失敗・情報の漏れの詫びがつづられていた。そして・・・・・・死んでもなお貴女様だけを女王とあがめお守りいたしますという文章で終わられていた。アイシスはきっと獄中で書かれたのであろうその書状を胸元で握り締めた。

「そなたらの忠義はこの命ある限り決して忘れぬ・・・。」新たな計画を立てなければ・・・・・そう決意しようとした矢先、中からもう一通の書状が滑り落ちた。
「何じゃこれは・・・・。」



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・!!!?中に書かれていた名は・・・・・・・・・・・・
カナンの名であった。


カナンはシンの正体を知っていた。・・・・・牢番の兵士は仮の姿。真実はアイシスの間者であることを・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

だがしかし・・・・それを誰にも告げず・・・・牢のメキドの元へ忍びゆき書状を手渡していた。自分の思いの全てを綴った書状・・・・届くかどうかは分からなかったが渡していたのだ。



アイシスは目を通し始めた。




初めまして。アイシス様。私の名はカナンと申します。・・・・・・あなたもご存知ライアンの娘です。この度の私の暗殺事件の首謀者は・・・あなたでしょう。
全て・・・・分かっております。
あなたが叔母様を恨んでいることも
あなたが叔父様を愛してらっしゃることも
あなたが私を・・・・・・・消してしまいたいとお思いになっていらっしゃることも
全て・・・・知っております。
もうご報告が行ったと思いますが私はこの通り生きています。
私の中には命が宿っております。
この度無礼を承知で書状差し上げたのには訳がございます。私の命を奪うのはいつでもお好きに。しかし、叔母様の命を奪おうとなさるのは・・・・私の夫、子供に危害を加えることだけはおやめ下さい。
私のこの身はどんな業火にさらされようと、獣に引き裂かれようと、剣に刺されようとかまいません。
貴女様は誇り高いお方であり聡明なお方だと聞き及んでおります。どうかこの願い聞き入れてくださいますよう。
私は死など恐れません。殺すなら私一人で充分でございます。次に狙うなら私だけを標的としてくださいませ。




「なんと・・・・・。」アイシスの手から力が抜け口元に不敵な笑みがこぼれた。


中々・・・骨のある女子よ。だが、カナン私は、必ずやキャロルを殺めメンフィスの愛を受ける。忘れてはならぬ。私は女王アイシス。いつの日か必ずやエジプトに帰りふたたび女王となる。


「アイシス様いかがいたしました?カナンなら次こそ必ずや・・・!私めが」
「よい・・・・・アリ。カナンとやらは私と似たところがあるようじゃ。生かしておいても私の仇にはなるまい。」
「アイシス様!?」
「よいか!アリ!次なる計画を綿密に立てよ!次こそキャロルを殺めよ!命令じゃ!よいな!」
「はっ!確かに!」



バビロンの都に・・・・・エジプトに・・・・・・星が流れた。
・・・・・・・・・おお・・・ハピよ・・・・哀の女王の心中やいかに・・・・・・・・・・・・・





カナンは流れる星を眺めていた。書状は・・・・・・・アイシスの元へ届いたのだろうか・・・・・・・・・・・。こんな夜は久しぶりだ。ウナスは夜勤、ジュリアンは暫くアンディと過ごすことになった。たった一人の夜。



「絶対安静」耳にたこが出来るほどネゼグに言われたが、少しくらいなら・・・と体を起こし窓辺へ腰掛けた。冷たい砂漠の風邪が火照った体に心地よい。お腹を冷やしてはまたウナスに怒られちゃうわねと、カナンは肩にかけていた布をそっと腹部にかけ直した。その時、ピクッとかすかに下腹部が痙攣した。

「?・・・・・・・・え?」信じられず今度は少し力を入れてみる。



ピクッ・・・・・・・・・・・ピクピク・・・・・・・・・・・・



カナンの中の小さな命が己の存在を母に知らせるべく一生懸命に動き回っているのがわかった。安定期に入るのはもう少し先だろうとネゼグに言われていた分驚きも大きかった。
「あなた・・・・・一人じゃないって私に言いたかったの?ねえ、そうなの?」動きを止めた赤ちゃんに向かいカナンは問いかけた。答えが返ってくるはずもないのに。


「ごめっ・・・・・・・・・・ごめんね。お母さん・・・・・弱いね。そうよね・・・・駄目よね。お母さんが泣いたりしちゃ・・・・・・。あなたがいつも一緒にいるんだからね。」


カナンはぼやける視界をグイッと上に向けた。


ママ・・・・・・見てますか?ここにママの二人目の孫がいるの・・・・・私・・・・・無茶ばっかりしちゃうから・・・・・・この子を守れるように・・・・支えてください・・・・・






これで泣くのは本当に最後よ。この子を産むまではもう泣かないわ。





強い眼差しが夜空を見つめる。彼女は知らず知らずのうちに【大人】へ【母】へと着実に歩みを進めているのだった。




ハピよ・・・・・・・・・全ての命を育む流れよ・・・・・・・・・・・・・・・・御身は偉大なり・・・・・・・願わくば・・・・・・この小さき母を・・・・・和子を守りたまえ・・・・・・・・・

―― 7 ――