「ヌウー!お散歩に行きましょうよ。」陽気にカナンがさそう。それも、また午睡の時間を抜け出して。大きなお腹を抱えて廊下の向こうから歩いてくる。一歩歩くたびにお腹が揺れて今にも落ちてしまいそうだ。
「いけませんっ!どうかお部屋にお戻りくださいませ!」もし万が一のことがあっては大変だ。ヌウは走って駆けつけ、カナンの手を取ると部屋へカナンを送っていこうとした。
「何をそんなに心配するの?大丈夫よ。今度の子はのんびりやさんなんだから。まだ生まれないわよ。」ねぇ、と言ってカナンはお腹をなぜた。
「しかし・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
「わかったわ。じゃあ少しだけ。ね?帰ってきたらちゃんと休むから。お願いよ。」
ここ数日カナンはウナスに見張られて部屋の外に一歩も出してもらえなかった。最初こそ我慢していたものの、やはり外の景色が恋しくなってきた。だから、ウナスが勤務中であるこの時間帯を狙って抜け出してきたのである。
ヌウも『ウナス隊長はカナン様を一歩もお部屋から出さないらしい』という噂を耳にしていたものだから不憫になり、戻ったらちゃんと休む、ということを固く約束した上で散歩に同伴することにした。



「う〜ん。やっぱり外の空気はいいわね。胸がすっきりするわ。」久しぶりにすった外の空気。すがすがしい気分にカナンは浸っていた。
陽に照らされる葉も、池で泳ぐ魚も、青空を飛ぶホルスの姿も何もかもが新鮮に思えた。
「カナン様、お体は大丈夫でございますか?」カナンのベールを丁寧に掛けなおしながら、ヌウはお腹に視線をやった。カナンはそれに気付き微笑んだ。
「平気よ。赤ちゃんも嬉しいっていってるわ。有難うねヌウ。」にこやかに答えるカナンを見て、ヌウはやっと一安心した。
「それにしても・・・・・この子一体いつになったら生まれるのかしらねぇ。もう予定日を20日も過ぎたわ。」ふーっと溜息をつきながら言ったカナンの横顔に心配そうな表情がほんの一瞬浮かんだ。
「大丈夫でございますわ。ネフティも予定日より12日遅れで生まれましたもの。」
「そうだったわねぇ・・・・。アンディが一番最初で、次がリュイ、そしてジュリアン、最後がネフティの順だったわね。」二人は懐かしい話にはなをさかせた。4人がほぼ同時に身籠り、王宮中を驚かせたあの頃の話に・・・・・・・。






「おい・・・・・・・・・・・・また抜け出してきたのか?」ふいに、背後から声が襲ってきた。あまりにも突然で二人は縮み上がり、キャッと悲鳴をあげた。恐る恐る振り向くと・・・・・・・メンフィスとウナスがいた。彼らはカナンの部屋へ見舞いに行ったのだが、当然のごとくベッドはもぬけの殻。仕方なく近くにいた侍女を捕まえ居所を確かめここまでやってきたのだ。
「あの・・・・・・・・・ごめんなさい。」可哀相なほどにカナンは小さくなってしまった。空気を抜かれた風船のように・・・・・。それもそのはず。今、目の前にいるのは彼女が最も苦手とする叔父と、鬼のような形相で仁王立ちしている彼女の夫。言い訳しようにもすることができない。というより、この状況をどうやって切り抜けるべきかもわからない。リード・コンツェルンの跡継ぎとして様々な人間と付き合い、その企みを見抜き、臨機応変に対応することに長けていたカナンでも、だ。それくらい今のこの状況は切羽詰ったものだったのである。
「カナン・・・・・・・。よくも抜け出したな。散歩は楽しかったか。」ああ、その声!怒気をめいいっぱい含んでいるその声!一声聞いただけで相手の怒りの大きさが手に取るようにわかる!
「ご、ごめんなさい。」
「馬鹿っ!!いくら赤ん坊がのんびりやで生まれる気配がないからといっても絶対安静の体だろうが!」妻にまんまと出し抜かれたウナスは怒り心頭。さらに言葉を続けようとしたところをメンフィスが制した。
「まあ、落ち着けウナス。カナンの気持ちもわからんではない。」
珍しくメンフィスがカナンを庇った。きょとん、としたカナンの瞳がメンフィスに向く。てっきりメンフィスにも説教をうけるのだろうと覚悟していたのだから、まあ驚くのも無理はないだろう。
「だが、カナンそなたにも非はあるのだぞ。わかっておるな。」キッ、と急に厳しくなったメンフィスの瞳がカナンの瞳に矢のように刺さる。はい、と素直にカナンは認めた。仕方ない。自分もちょっとやりすぎたかな、と。
「ならばすぐに部屋へ戻れ。よいな。我らも参るゆえ。」









「ちょっと待って下さい・・・・・・・・・。」顔を曇らせたカナンは言った。彼女は立ち上がろうとしない。
「いや、駄目だ。すぐに部屋に戻る。」まだ、不服を言うというのか、この女子は。今日は気が向いたゆえ見舞いにも来てやったというに、空のベッドで迎えてくれるとは思いもしなかった。その上ウナスからも庇ってやったというに・・・・・これ以上は許さぬわ!
「ヌウ・・・・・・・・・・・・・ナフテラ呼んで来て。」
「は?ナフテラ様でございますか?また何故に?」ヌウもカナンの言動に疑問を抱くばかりだった。普段のカナンならメンフィスに一睨みされただけで縮こまりすごすごと引いてしまう。今日のように引かなかったことなどないし、大体こんなことぐらいでメンフィスの怒りを買おうとするほどカナンが馬鹿ではないこともよく知っている。





「早く・・・・・・・・・・・・・・・ウナスもネゼグ呼んで来て。赤ちゃん産まれそう。」
「ああ、産まれ・・・・・・・・・・・ってえええっ!?」ウナスは度胆を抜かれた。ヌウはその言葉を聞くや否や一目散に走っていった。だが、ウナスは二度目の出産だというのにあたふたするばかりでちっとも役に立たない。それはメンフィスも同じだったが。
「早く・・・・・・・。」油汗を額に滲ませながらも、冷静さを欠かないようにしていたカナンが催促をした。それでも、ウナスはえっと、とか、どうしよう、とか・・・・・・・・。痛みもだんだん強くなって波のように押し寄せてくる。ついにカナンが叫んだ。
「何してるのよ―――――っ!早くネゼグを呼んで来なさいっていってるでしょ―――――ぉぉっっっ!」
悲鳴に近いカナンの怒鳴り声にやっと我に返ったウナスは全速力でネゼグの元に向かった。残されたメンフィスとカナン・・・・・。



「お、おい。大丈夫か?」
「多分・・・・・・・・・・・・・・。これを乗り越えなきゃ・・・・・・お母さんには・・・・・・・・・なれませんからね。それに・・・・・・・・・・・・・・赤ちゃんだって・・・・頑張ってる・・・・・から。」押し寄せては引き、引いてはまた押し寄せる痛みでカナンの声は途切れ途切れだ。それでも、彼女は必死に痛みをこらえ表情を変えないように、と全霊をあげている。そんな彼女を見てメンフィスは、女の強さを身にしみて知った。このような時に自分たち男は何の役にも立たない。が、女たちは冷静さを欠くことなくその試練に挑む。いつだったか・・・・・ナフテラが言っていたな。
『出産は女の戦にございます。』
今、まさにその戦の光景を目の当たりにしているメンフィスはそんなことを思い出していたのだった。





「痛みの感覚はどれほどにございますか?」駆けつけたネゼグは開口一番そういった。彼もカナンの出産はまだ先だと気楽に構えていたためか驚きを隠せない。しかし、やはり彼は医者だ。取り乱すことなくあくまで、冷静にかまえ妊婦であるカナンに不安を与えまいとしている。
「感覚が・・・・・・・・・・短いように思うの。・・・・・・・この子・・・・・・・私達が・・・・・・あんまり・・・・のんびりやさん・・なんて・・・からかうから・・・・・・・怒っちゃったのかも・・・・・しれないわ・・・。」途切れ途切れではあるが、はっきりとカナンは答えた。このような時こそ自分がしっかりしなければいけない。へこたれちゃいけない。痛みに負けては駄目。意識を奪われそうになる中でも、その考えは変わることはない。母になるからこそ、その瞬間は誰よりも、世界中の誰よりも強くならなくてはいけないのだ。少なくともカナンはそう思っていた。



「ナフテラ殿、すぐに場所を移します。」
「はい。手配いたしておりまするゆえ、こちらへ!」さすがはナフテラだ。ヌウの報告を聞くと、出産の場をすばやく整え、産湯などの手配を短時間で済ませていたのだった。そんな頼もしい彼女はカナンに微笑みかけた。
「さあ、カナン様。少しおつらいでしょうが私がお傍におりまするゆえ、ご安心して下さいませね。」カナンの手を握り、ナフテラは優しく、強くカナンを励ますのだった。先輩として、そしてカナンの母代わりとして。
「ええ・・・・・・・・・ナフテラ。頑張る・・・・・・・・わ。」カナンは治まることを知らない陣痛にたえ、しっかりと決意した。






そして、輿に乗せられたカナンは産室へと運ばれていった。










おお・・・・・・・・・ハピよ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
和子の・・・・・・・・・・小さき母の・・・・・・・・・・運命は・・・・・・・・・・

―― 9 ――