ナイルが騒ぐ・・・・・・・・・・・・・・・。太陽神ラーが東の空に偉大なるその姿を現す。眠っていた者たちが静かに目を覚まし、一日の始まりを迎える。それは、当たり前の光景で・・・・・当たり前の日常で・・・・・・・・・




でもここは違う。テーベの都は違う。彼らの心は闇の中。明けない夜の中。ナイルを見つめるその目に浮かぶは・・・不安と絶望の光。




彼らの太陽は姿を消した。金色の髪をもつ、優しい髪の娘はその身を隠した。その目と同じ碧い水の中に。母の元に。




「民はまだキャロルの噂をしているのか・・・・・・・・・。」
政務を終え、自分の寝所へわたる途中のメンフィスは悲痛な民の声を聞き、ふとその足を止めた。雄々しかった瞳には・・・・深い哀しみと、とまどい・・・・そして、苦しみの光が宿っている。護衛の者たちはかける言葉も見つからず、みな自分の足元を見つめては、安否さえもわからぬ自分らの王妃の姿を思い浮かべた。




身分の高い低いにかかわらず、誰にでも平等で優しく、何よりも人の命を大切にしていた王妃・・・・キャロル・・・・・。囚人に清水を与え、王をコブラの毒から救い、数ある難を自らの叡智をもってくぐりぬけてきた賢い王妃。我がエジプトの誇れる王妃様よ、と誰もが称え、尊敬の眼差しで見つめ、絶対の忠誠を誓った。




王妃キャロルがナイルに姿を隠して・・・・・・もう・・・・10日を過ぎ・・・・・・・・・




民はエジプトの守り神がいなくなったと深く怯えていた。母女神がお怒りになって作物に影響を与えられるのでは、と懸念する農民もいれば、活気を失った町を去ってゆく商人もおり、かつて百門の都とうたわれたテーベの活気も今は消えうせてしまって・・・・・・町に残るは人々の深い溜息のみ。時折口を開く者がいるかと思えば、内容はいつも皆同じ。ナイルの姫のことばかり。そして誰もが胸に秘めるのは・・・・。ナイルの姫を失う原因を作ったリビアの王女への憎しみの炎・・・・・・・・・・・・・。




「参るぞ・・・・・・・・・・・。今宵はもう休むゆえ・・・・・・。」
メンフィスは静かに言うと、あとはもう一言も発することなく寝所へ向かった。酒をあおった後は、ナフテラも下がらせて・・・・・・・メンフィスは独りになった。ほんの少し前まではこの隣に暖かい温もりがあった。愛しい娘が居た。ほんの少し前までは・・・・・・。いたのに・・・・・・。今はいない。空っぽの腕の中にあるのは、愛しい娘を抱きしめたときのあの感触だけ・・・・。のばした手が触れる冷たいシーツが、その証拠。酒を飲んで体は火照ってはいるが、心まで温もることはない。彼の心には苦しみ、悲しみ、寂しさ・・・・・・黒い感情が嵐となっては容赦なく吹き付けた。




(いっそのこと・・・・心など壊れてしまえばよいのだ。そうすれば・・・・・・。)




そうすれば・・・・・キャロルを忘れられる?忘れても良いのか?あんなに愛しい娘を、はじめて愛した娘を、あの黄金の髪の柔らかい感触を、碧い目が私を見つめたときの喜びを、輝くような笑顔を、本当に忘れても良いのか?




浮かぶ答えは唯一つ。




否。




だが!どうすればよい!キャロルは私に不信を抱いてナイルへ隠れた。もう帰ってこぬかも知れぬ。あといくつの苦しみの夜ををむかえればいいのか検討もつかない。




傷心のうちに眠り込んだメンフィス・・・・・・・・・・。彼は明日起こることを知りえなかった。そう、知るはずもなかった。




明日・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・起こることを・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

宵闇