その日も至って普通の日だった。キャロルがいない、ということをのぞけばだが・・・・。協議中であっても僅かな音がすれば思わず扉に目が行く。過ぎし日のように・・・・愛しい妃が、恥ずかしそうな顔で会いに来てくれるのではと、淡い期待を未だに捨てきれない。キャロルが私に会いに来てくれるはずがない、と頭の中では分かっていても、でもどうしても割り切れない。・・・・・・・・・・苦しい。




午睡の時間・・・・・・・。政務に追われる王の唯一の安らぎの時間。誰も邪魔することを許されないその時間帯に、扉を叩くものがいた。けたたましく・・・何度も何度も繰り返し・・・・繰り返し。




「うるさいわ!一体何用だ!」
バンっと乱暴に扉を蹴り開け、平伏す兵士に怒鳴り散らす。眠っている間だけはキャロルの姿を夢に見ることが出来る。満面のあの笑みを我が腕の中で見ることが出来る・・・数少ない限られた時であると言うのに!何たる無礼者!メンフィスはそっと腰の長剣に手をのばした。




「お、お待ちを!王。たった今早馬がつきまして・・・・。」
「ええいっ!黙れいっ!書状なら午後からでも目を通せばよい話であろうが!そんなこともわからぬ、たわけ者なぞいらぬっ!」
鞘から抜いた剣を振り下ろそうとしたその瞬間・・・・・・兵士が声の限りに叫んだ。




「王妃様が・・・ご帰還されました!」




傍で事の成り行きを見ていた侍女等が、臣下が、言葉を無くす。そして間一髪で剣を止めたメンフィス自身も息を呑む。待ち焦がれていたはずの報告。そうだ、焦がれて焦がれて焦がれて・・・・・・・。会いたくて、一目でいいからその姿を見たくて、ほんの少しでいいからその声が聞きたかった人・・・・。その人がやっと・・・・帰って来た!?




「それは真の話か?申せっ!」
頭より先に体が動いていた。兵士を力の限りに激しく揺さぶり、矢継ぎ早に迫った。真実だと信じたい。焦がれたあの人がやっと帰って来たのだ。もう、身を裂かれるような辛い夜は過ごしたくない。二度と・・・・・もう二度と!




「真でございます。王。昨夕、ギザの小さな村の民が金髪碧眼の女人をナイル河畔で発見、保護したと、報告が入っております!」
揺さぶられている兵士も、王妃の帰還を心から喜んでいた。我々の王妃様がやっと王の下にお帰りになる。エジプトはまた栄えるだろう。あの方がテーベにいらっしゃれば恐れるものなど何一つないのだ。また、活気溢れるテーベに戻ることが出来るんだ、と・・・・・・・。
一方のメンフィスは心ここにあらず。兵士から手を離すが早いか一声。




「馬ひけ―――――――――――――っっ!」
召使があわてて用意したそれに飛乗るとさっそうと駆けていった。側近の者たちは一瞬棒立ちになったが、あわてて王を追いかけて行った。しかし、王は側近の者たちなど今は見えない。馬上の景色さえも何も見えない。何も聞こえない。目指すのは愛しい娘のもと。他のものなどどうでもよかったのだ。一刻も早く娘のたおやかな体を抱きしめ、甘い言葉を囁いて・・・・・・己の愛を伝えたかった。誤解を招いた過ぎし日の己の言動を詫び、許しを得たかった。




早く――――――――――――――――――そう早く
愛しい娘の下へ。ただその一心でメンフィスは馬を進めるのだった。












ギザはまだ遠い・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・












エジプト王宮では、その頃2番目の伝令が着いていた。息せき切って馬から崩れ落ちた兵士の目には・・・・・・・・・・困惑の色がうかび・・・・・。1人目の伝令は顔をくしゃくしゃにして喜びを表していたというのに・・・・・・。
宰相イムホテップはまさかの事態を想定し兵士に詰問した。




「王妃様がさらわれたのか!?それともまた身を隠されたか!?」




「いいえ・・・・・・・・・・・・・・・。王妃様はお健やかにギザに・・・・。」




まさかの事態は避けられたが・・・・・・・歯切れの悪い兵士の言葉。イムホテップのいやな予感は的中した。次の兵士の言葉が全てを・・・・・・明らかにした。





「王妃様は・・・・王のことを忘れておいでなのです!」





エジプト王宮の宵闇に・・・・・光は戻らなかった。

―― 2 ――