「メ・メンフィス様のお越しでございます。」
ナフテラはどぎまぎした。ここ数日、自分がこう告げた後の会話は全てこうだ。




「だからっ!来るなら来るって一言言ってよっ!」
「何だと!?私は王だ!誰の指図も受けぬわ!何処で何をしようと私の勝手だろう!?」
「そうね、でも私は嫌なの。他の人がどうだか知らないけどね。」
「無礼者っ!」
「何よッ!!」




そして、止めようもないほどの勢いで口喧嘩が続く・・・。初日にはクッションが、次の日には壷が・・・・・・・・部屋中を飛び交った。今日は何を投げあうのだろう。
ナフテラの頭が痛んだ。
しかし、以外にも今日はキャロルが文句を言わない。そう、と一言だけ言って、持っている書物から一時も目を離さない。あの・・・とナフテラが言いかけるとそのままの格好で低く言った。
「ナフテラ、大丈夫よ。あなたも休んでいて頂戴。」
「は、はい・・・・失礼します。」
ナフテラの心配は尽きなかったが、取り合えずその場を離れてみることにした。




「キャロルっ!キャロルは何処だ!!」
「・・・・・・・・・・・・御前に。メンフィス王。」
キャロルが他人行儀に言った。ピクリ、とメンフィスの眉が吊上がる。
「何故、私が来たのに出迎えぬ・・・・。」
「忙しくて、手が離せなかったもので。大変申し訳ありません。」
一つ、一つの単語にとげがある。メンフィスの眉がさらに吊上がる。
「私を差し置いてまで読まねばならない書類はそれか!?」
怒鳴ると同時に、キャロルの手からパピルスをひったくった。キャロルは相も変わらず無表情だ。
「これは・・・・・・・・・・・・・。」
メンフィスはそのパピルスに目を通してはっとした。信じられないといった表情でキャロルに目を移す。
「そうよ。私がここからいなくなる前に書いていた日記よ。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・。どういうつもりだ。」
「どうもこうもないわ。思い出す努力をしているのよ。思い出さなかったら不便だもの。それに、あなたと喧嘩するのもごめんだわ。」
凛とした声、毅然としたその表情。・・・・・メンフィスはしばし見とれた。初めてキャロルを捕えてきたときに戻ったようだ。




ゴセン村から捕えてきたとき、この娘は王である自分を打った。戯れだったはずなのに、いつしか心を奪われてしまった。何度求愛しても中々なびかないその姿に舌打ちをしたこともあった。そして・・・・・・長いときを得てやっと妃にできた。




「どうかしたの?何故黙るの?」
メンフィスは、はっと我に返った。
「何でもない・・・・・。」
変な人、とキャロルは思った。我侭で、暴君で、自分勝手で、気性が荒いメンフィス・・・・・彼が、本当に自分の夫なのか、彼女は何度となく自分自身に問うた。答えはいつも一つ。
『そう。本当。』
証拠があるのだから。皆がそうだというのだから・・・・。でも、認めたくない。あんな人と私は・・・・絶対に愛し合ってなんかいなかった!




「何故だ?私を拒否していたのではないのか?何故、急にこんなことをするのだ?」
口では冷たく言いつつも、内心メンフィスは嬉しかった。避けられ続けてはいたが、やっと自分を受け入れてくれる決意をしたのかと・・・・。どうしようもなく嬉しかった。
なのに・・・・・・・なのに・・・・・・・・・・・・・。
「それが王妃としての義務だから。例えあなたを愛していなくてもその義務からは逃れられない。そうでしょう?」
その言葉にメンフィスの中の何かがプツリ、と切れた。




後は感情のままに、キャロルを椅子へ押し倒す・・・・・。キャロルが悲鳴をあげた。
「何するの!?離してっ!!」
「義務だと・・・・・!?私のことを愛していないだと!?許さぬ・・・・・・。そのようなこと決して許さぬっ!!」
逃げようともがくキャロルの手を、さらに力を込めて押し付ける。
・・・・・・許せなかった。こんなにも愛しているというのに。愛し合っていたはずなのに!それを・・・義務など・・・。乱暴に振舞う中で彼の心は深く傷ついていた。




「やめてってば!!離して!!あなたなんか嫌いよ!大嫌い!!」
メンフィスの瞳に炎が見えた。青い、悲しみの炎が。
メンフィスは無言でキャロルに口付けた。キャロルと再会してから、初めて。それまでは自分を抑えていた。キャロルが私を思い出すまでは・・・と。しかし、理性が吹っ飛んだ彼は自らの立てた誓いを破った。





口付けはさらに深くなる・・・・。キャロルの体に衝撃が走った。




「な・・・・・・に・・・?なん・・・な・・の?」
「キャロル?」
突然、キャロルの抵抗がなくなった。メンフィスは力を入れすぎて怪我でもさせたのかと取り乱した。
「どうしたのだ!!申せっ!!」
肩を揺さぶる。白い顔がだんだん真っ青になってゆく・・・・。




「いや・・・・・だれ・・・・こえが・・・・・・こえ・・・が。」
キャロルの目の前が真っ白になった。様々な映像が、声が、走馬灯のように流れてゆく。一つ、一つが見えるたびに、心が揺れる・・・。




『キャロル、お前を私の妃にするぞ!』
『おお、キャロル!!もう一生離さぬ。』
『キャロル、私の愛は未来永劫そなたのものだ。』




キャロル、キャロル、キャロル・・・・・・・・・・・。私を呼ぶのは・・・そういつもあの人。私を抱きしめるのは・・・・・・・そうあの人。私の髪をなでるのも、私に口づけするのも・・・・・・・・・・・・・・・・あの人!!!




懐かしさが、愛しさが、幸福感が、蘇ってくる。涙が・・・こみ上げる。
あの人・・・・あの人を私は愛した。あの人を・・・・。




そう、メンフィスを・・・・・・・。




しかし、その幸福感を打ち砕くような映像が流れた。




『ナイルの王妃よ・・・。メンフィス王はコプトスの宮殿でカーフラ王女を第二の妃に召されておりまする。』
『なんと王の胸は逞しく・・・・・あたたかだったことか・・・。』
『私は王だ!私の行動に誰も否やは言わせぬ!』




あ・・・・・あ・・・・・・・・ああ・・・・・・・。メンフィスは私を裏切った。私の愛を裏切ってカーフラ王女と・・・・・・・。




思い出したくなかったのに・・・・・忘れようと決めたのに・・・・。思い出して傷ついて・・・・馬鹿なキャロル。そうよ!あなたは馬鹿よ・・・。大馬鹿よ!何で思い出しちゃったのよ!




「どうしたのだ?申せ、キャロル!申さねば分からぬ。」
「離してっ!!!!」
キャロルは叫び、椅子から転がり落ちた。寸でのところでメンフィスが支える・・・。しかしキャロルはそのメンフィスの手さえをも振り払った。泣きじゃくる彼女の様子を不審に思ったメンフィスは問いただした。
「申せっ!いかがいたしたのだ?申せっ!!!」
「離して!卑怯者!」
キャロルが声高く叫び、メンフィスを罵倒した。
「あなたは私を裏切った!カーフラ王女を妃にした!卑怯者よ!触らないで!」
「違う!そのようなこと嘘だ!私はカーフラ王女など妃にしてはおらぬ!私が愛するのはそなただけだ!後にも先にもそなた1人だ!!」




あの日・・・・・言いたくても言えなかった真実。やっと言えた。やっと誤解を解ける時が来た。何としてでも、この誤解をとく!!




メンフィスの瞳に宿った青い炎は・・・・・・その色を変え・・・・・赤い炎へと変化した。





炎は燃える。それそれの思いを秘めて。




炎は燃える。揺らがずに。




燃える・・・・・燃える・・・・・・・。赤く・・・・・・・赤く・・・・・・・・。






―― 5 ――