「お帰りなさいませ、ライアンさん。」
ばあやが門まで出てきて出迎えてくれる。いつもと変わらない毎日。いつもと変わらない見慣れた光景。キャロルが傍にいないということを除けば。
「ああ、ばあや。ただいま。疲れたから少し部屋で休むよ。」
「お食事は?お風呂はどうなさいます?」
「後にしてくれないか。」
「かしこまりました。ゆっくりお休みくださいね。」
「ありがとう、ばあや。」




そのまま、階段をゆっくりと登る。タン、タンと一歩進むたびに規則的に発せられる自分の足音が今日はやけに気になる。以前は、キャロルがよく言っていた。
『兄さんの足音ってね私、すぐわかるのよ。堂々としていてね、規則的なの。兄さん気付いてる?』
軽く聞き流していたその言葉・・・・。もちろん、キャロルが言っていたことは本当なのだろう。その証拠に自分が階段を登ってくるといつも部屋から駆けてきた。
『お帰り!兄さん!』
甘えん坊で、世間知らずで、人を疑わない優しい心の持ち主で、考古学を愛していた妹・・・。僕が守ってやらなければならない、たった一人の可愛い妹。扱い方を間違えてしまえば壊れてしまう・・・・繊細なガラス細工のようで、それを他人に壊されるのが嫌でたまらなかった僕は何度となく心配した。真綿で包むように優しく、愛して守り抜いてきた。なのに・・・・・・。なのに・・・・・・・・。




あの日・・・・・・・・・・アフマドと行かせたばっかりに・・・・・・・。僕はまたお前を守れなかった。
『私・・・・・兄さん達に迷惑をかけるような人を愛してはいないと思うの・・・・。』
ああ、僕だってお前を信じてるさ。お前が嘘をつけない奴だって分かってる。でも、僕はそいつが憎らしい。きっとお前は僕の手の届かないところにいるんだろう?




ドサッとベッドに身を投げ出した。そして、ペンダントに目をやった。あの日・・・・・・地中海でアフマドと商談をまとめていたとき・・・・・。キャロルは突然僕の前に現れた。古代の姫君姿で・・・・。
僕は嬉しかった。何でこんなところでとか、どうしてそんな格好でとか・・・・。そんなことよりも、最愛の妹に会えたことが単純に嬉しかったんだ。
今思えば、ありえないことだ。周りは海。辺りには船影すらなくて・・・。そんなところにキャロルが現れるなんて・・・・幻としか思えない。
でも違うんだ!!あの時僕は確かにキャロルを抱きしめた!キャロルの温もりを確かにこの腕に感じた!!幻なんかじゃなかった・・・・・・。




矛盾している・・・・・・・・・・そんなこと分かってる・・・・・・・




ライアンは寝付けず、机の引き出しを開けた。そして中から小箱を取り出し、慎重に蓋を開けた。中身は・・・・・・とても不思議な古代の遺物の写真。先月末に、ブラウン教授から貰った・・・・・。キャロルの面影がある女人の胸像。・・・・とある村の漁師が持ってきた石版・・・・・。・・・・・・キャロルが発見されたときの衣装・・・・。そしてこのペンダントの・・・髪飾り。全て、古代の遺物だと、高名な学者達は口をそろえていった。一言一句違わずに。
何度考えても、答えには行き着かない。しかし、それを認めるわけにはいかない。何故なら彼には妹を救うという義務があるから。違う、義務とか使命感とかそんなかっこいい言葉ではない。取り返したい、一時でも僕から妹を奪った奴に・・・・僕の妹を不幸にさせた奴に・・・・報復してやりたい。そんな燃えるような感情が今の彼を動かすのであった。




(ああ・・・・・・・・・いけない・・・・・もう寝なくては。明日は・・・・・・アフマドと・・・・・石版の鑑定結果を聞きに・・・・・行く・・・の・・・だ・・から・・・。)




待ち構えていたかのように襲ってきた睡魔。倒れこむような格好でベッドに伏したライアンは薄れてゆく意識の中に・・・・・溺愛する妹の声を聞いた。




『ライアン兄さん・・・・・・・・私は・・・・・・。』




どうしたんだ?キャロル。何処にいるんだ?待ってろ・・・・・。僕が必ずお前を助けてやるからな・・・・。お前を・・見つけてやるからな・・・・。待ってろ・・・。もう少しだけ・・・。








「ライアンさん、ライアンさん、朝ですよ!!!起きて下さいませ!!」
シャーッと勢いよくばあやがカーテンを開けた。急に射し込んでくる強い太陽の光にライアンは唸った。
「・・・・・・・・・・・・ん・・・・。おはよう・・・・ばあや・・・。」
「『おはよう』じゃありません!!全く!夕食も食べずに寝てしまってっ!」
「分かった、分かった。今日はちゃんと食べるよ。そんなに怒るなって。」
仮眠を取るだけ、と言っていた分、そのまま寝てしまったライアンは罰が悪そうに頭をかいた。ばあやは、仕方ないですねぇ本当に、と言った後、着替えを置いて部屋を出て行った。静けさが部屋の空気を支配する。




「本当に・・・・・・・。キャロルがいないと・・・・静かだな・・・。」




スーツに身を包んだライアンは、一言ポツリ、と漏らすと部屋を出て行った。








「おはようございます。ミスター・ライアン。」
「やあ、アフマド。おはよう。ブラウン教授は?」
「すでに研究室に来ているそうです。我々も行きましょう。」
「ああ・・・・。そうだな。」
二人は足早に研究室へと向かった。様々な古代の遺物の中には不思議なものが数多く存在した。まず、アイシスが粉々に割ってしまった粘土板・・・・。一時は解読不能と思われたそれは・・・・・・ブラウン教授の不屈の精神により、修復されたのだ。そして、書かれていたヒエログリフを解読してみると、古代の高名な神官の手によって作られた呪術版であることが判明した。
『大いなる我が神に願う 我が道に不穏な光を与えし者に 汝の偉大なる力持て
その者の力を奪い 苦渋の路へと 導きたまえ』
呪術版にはこう記されていた。
次に、キャロルの面影がある女人の像。調べてみると、胸像の髪の部分にはうっすらと・・・・金箔が貼り付けられていた。調査当初は古代の王の権力を示すため、エジプトの豊かさを世に知らしめるために金箔が使用されたのだろうと考えられていたが、そうでないことが分かった。根拠は瞳の色だ。この胸像の瞳の色は青色であった。長い時代を得て微量しか残ってはいなかった色彩・・・・・。しかし、何度調べなおしても、瞳に使われていた色は青だったのだ。つまり、この胸像のモデルとなった人物は金髪碧眼の女人であったということ・・・・。
そして、キャロルが発見されたときの衣装、及び装飾品。これらは全てエジプトのものだった。【古代エジプト】の・・・。現代では考えられない作りの繊維、染料、そして織り方。また、本物の【古代】の黄金作りの装飾品。しかし、解せぬ点が一つだけ。それはどれもこれも全て【時を得ていない】古代の遺物だというのだ。どんなに密封された墓でも時の流れによる色彩の薄れや、布の傷みなどは避けられない。なのに、キャロルが身につけていたものは全て新品同様だったのだ。そう、全てが『古代から抜け出してきた』かのようなものばかり・・・・。




(あと一つ・・・・。まだ、キャロルを助けられないと決まったわけじゃない。まだ、決定的な証拠がない。全ては・・・・あの石版に・・・。)




「おお!ライアン君に・・・・アフマドじゃないか!久しぶりじゃなぁ。」
ライアンの顔を見ていたのか、見ていなかったのか・・・・。陽気な口調で話しかけてきたブラウン教授・・・。彼にとってはライアンもアフマドも孫のような存在であった。
「ご無沙汰しています。ブラウン教授。今日は・・・・。」
「石版の鑑定結果・・・・じゃな・・・。」
陽気に笑っていた教授の顔が突然曇った。その表情の余りにも急激な変化に、アフマドもライアンも一瞬たじろいだ。




これは・・・・・何か・・・・何かある。




「全て・・・・真実じゃ。わしとて信じたくはない。何度も鑑定しなおしたが・・・。結果は全て同じだったんじゃ。」
しんみりと、どこか悲しげな口調のブラウン教授の目からは、暖かい雫が流れていた。ライアンとアフマドは唾を飲んだ。
「教えてください。覚悟はしています。」
「・・・・・・・・・。あの石版の文面は・・・・こうじゃった。」




『ライアン兄さん・・・・・・ママ・・・・・・・私は・・・・・古代エジプトの王の妃になって・・・・幸せに暮らしています。どうか・・・・・もう私を探さないで下さい。私は愛されています。とても幸せだから・・・。心配しないで・・・・。     キャロル』




「・・・・・・・・・・っ!?」
アフマドは仰天し、言葉を失った。古代エジプトの王妃だと!?では・・・・あの時キャロルの身籠っていた子供の父親は・・・・古代エジプトの王の子だというのか!?でもキャロルは現代の人間だ!古代に・・・・存在するはずがない!!
でも・・・・・・・それなら繋がるのだ。あの時・・・・・地中海でキャロルを助けたときのあの不思議な服装のわけが・・・・。古代の王妃というのならば黄金作りの王冠を被っていても当然だ。古代にいたというのなら、あの薄絹も着ていて・・・そう当然だ。では・・ではキャロルは・・・・・・キャロルは・・・・!!
「キャロルは・・・・・・・古代の人間になってしまったのですね。」
ライアンの言葉が重く室内に響いた。まるで、ここに来る前からわかっていたかのような様子の彼・・・・。強張った表情は変わることなく・・・・しかし取り乱すわけでもなく彼はそこに立っていた。
「どういうことですっ!!ライアンさん!!何故!?非科学的です!!」
アフマドが声高らかに叫んだ。
「僕だって信じたくないさ。信じれるわけないだろう!?でも・・・・それが真実なんだよ。アフマド・・・。」




恐らく・・・・・アイシスはあの呪術版によって古代へ戻されたのだろう。そしてきっと・・彼女の探していた王とは・・・・僕らが出資して発見された王墓の主・・・。消えた少年王なのだろう。だから、僕らを呪い、僕ら家族の中心であるキャロルを・・・古代へ連れ去ったのだ。僕等の愛する妹を殺すために・・・。
でも、アイシスの思惑通りには行かず・・・結論から言えばキャロルは王の妃になった。そして・・・・王の隣で生きる決心をした・・・・。




胸像が作られたのは・・・・きっとキャロルと、王が民達からの信頼を得る王妃であったからなのだろう。あんなに精巧で美しく作られていたのだから・・・。




「・・・・・・・・・・れが・・・。それが真実だというのですか!?では何故キャロルは何度も傷ついて帰って来たのですか!?獣に肩を傷つけられた事だってあったのでしょう?僕が見つけたときには意識不明の中で止めどなく・・・・涙を流していたのですよ!?」
「でもキャロルは・・・・・。いつも何かに引き付けられていた!!風の中に自分を呼ぶ声がするといっていた!!それは・・・キャロルがそこへ行きたいと・・・・。そこに愛する人がいると思っていったからじゃないのか!?」
感情を抑えて話していたライアンがこらえ切れず怒鳴った。溢れ出てくる感情はとどまることを知らない。制御できないのだ。どうしても。苦しくて、悲しくて。
「もう・・・・!!どうしようもないんだよ!僕はあいつを助けてやれない。僕があいつをこの世界に連れ戻すということは・・・・あいつの幸せを奪うことなんだよ!!」




地中海の船上で・・・・抱きしめたキャロルは微笑んでいた。幸せいっぱいと言った表情で。暗い影など一つも見せないで。
だとしたら、それを・・・・僕は奪えない。抜け殻のキャロルなんて見たくない。そう、人知を超える業を使って例えキャロルを取り戻せたとしても、きっとキャロルの本当の心は・・・・古代に置いてきてしまうのだろうから。




研究室には泣き声が暫くの間響いた。それは・・・キャロルを愛した人々の悲しい涙。言葉に出来ない感情を込めた・・・涙。ナイルの水よりも碧くて・・・碧い涙。




それから数年後・・・。新たな王墓が見つかったという。その王墓の中には王と王妃の棺が寄り添うようにして眠っていたそうだ。このことは世間には公表されなかった。








そこにライアン・リードとアフマド・ル・ラフマーンを初めとする人々の力があったことを知るものは数少ないという。








王と王妃は今日も安らかに眠る。








彼らを愛し、彼らが愛した人々に護られて・・・・・・。








今日も・・・・・・・・・・眠る。













                                         FIN

哀