「やぁ――――!久しぶりだなぁテティ!」
「ハサンじゃないの!今度はここに商売に来ているの?」
「ああ、そうだよ。何たって俺の一番の得意客がいるからな。」
へへっとハサンはウィンクして見せた。
「わかった!姫様ね!」
「ああ、黄金のお姫様だよ。ま、商売はカレブを連れて来るための口実だがな・・・。で、その後どうだい?お姫様は。」
陽気な雰囲気が一転して、真剣な面持ちに変わる。テティも場の雰囲気を感じ取った。
「お体の回復は順調よ。もうお庭の散歩をしても大丈夫なの。」
ハサンの口から安堵の溜息が漏れ出た。
それは、ほんの数ヶ月前のこと。王妃キャロルは、敵国ヒッタイト帝国の世継ぎであるイズミル王子の手の者から誘拐された。そして、何がどう働いたのか、奴隷として商人バザルに買い取られていたのである。高熱と刀傷に苦しみ、死を覚悟して、エジプトへ帰ろうとしてキャロル。ハサンはバザルの屋敷周辺にあるある、農夫の家から衰弱しきったキャロルを見つけ助けた。以前から身につけてきた薬草の知識をフルに使い、王妃の容態を気にしつつエジプトへ連れ帰ろうとしたのだ。
だが―――――――――しかし
思わぬところで女王アイシスに見つかってしまった。動けないキャロルに、大勢のバビロニア兵。腕の立つハサンとはいえ、切り抜けられない。死を覚悟した。しかし、天の助けか、逃げおおせた。
ところが、イズミル王子に見つかり・・・・その上、ジダンタシュにも捕まり、もう、全ての望みは絶たれたかと思った。王メンフィスが鬼神のごとく現れるまでは。
様々な困難と恐怖の長い、長いどえらく大変な旅だった。
しかし――――――――それら全てを乗り越え、王妃キャロルは帰還した。
「本当に私達はみんな、あなたに感謝しているわ。ハサン。」
「よせやい!俺が助けるのはお姫様だけさ。俺は俺の信念を貫いたまで。褒められるようなことなんてしてねえよ。」
口では軽く言いつつも顔は真っ赤。しかもにやけている。やはり照れているのだろう。テティもクスクスと笑った。
「ところでさ、何で王子はあんなにお姫様に執着するんだい?」
「そうよね。いくら姫様を妃にしたからって・・・。あれは卑怯よ!」
(ん・・・・・・・?【姫様を妃にした】。姫様を妃にした・・・・。ええええええっ!?)
「おいっ!!!テティ!!どういうことだ!?お姫様が王子の妃だって!?一体いつだ?どこでだ?何でだ?」
「あわわわわわっ!声が大きいわよハサン!」
口を滑らしてしまったテティは真っ青になった。誰にも話していなかったのに。一生秘めておくつもりだったのに!!これが王に知れたら・・・私は打ち首よ!
「分かった。いい?でもこの事は他言しないでね。私もあなたも打ち首よ!」
「そんなこと覚悟の上さ。さあ!話せよ!」
「うん・・・・。あのね、姫様がイズミル王子にさらわれてトロイまで行ったのは知っているでしょ?王子はその、トロイの神殿で姫様を無理矢理妃にしたの!」
「お姫様は何で抵抗しなかったんだ?神への誓いとかあるだろう?」
「姫様は妖しにかけられていたの。キルケーっていう魔女に。姫様は意識がいつもはっきりしていなくって・・・。記憶も無くしてらっしゃたの。姫様の意思じゃないのよ!信じて!」
あまりにも、簡単すぎる、そして信じられない言葉。ハサンは暫くの間、一人考えを巡らせていた。
そういえば・・・・・・・・トロイで・・・・・・・
彼自身、テティの言葉通りだとすれば繋がるのだ。トロイでのイズミル王子の噂の真偽に・・・。あの時は王子がアマゾネスに拉致されていたから・・・。うやむやにしてしまっていたが・・・。まさか・・・。まさかお姫様が・・・?
「・・・・・・・・・もう口を滑らせちゃ駄目だぜ。・・・・・まずすぎる。」
「・・・・・・分かってる。」
両者ともに、普段は達者な口が止まってしまった。
「しかし・・・・・イズミル王子にも困ったもんだな。お姫様に対して固執しすぎやしないかい?お姫様をトロイで無理矢理妃にしたのだって用はメンフィス王からお姫様を奪うための正当な理由を作るためだろ?」
ハサンは突然口を開き一気にまくし立てた。
「何で正当な理由になるのよ。」
テティが腕組みして尋ねる。そこから二人のイズミル王子に対しての議論が始まった。
「いつまでも一国の王子が、それも世継ぎが他国の王のお妃に執着してるのだって世間から見てれば見苦しいし、変だろ?」
「うん。民だったらなおさらよね。そんな王子には不安を抱くだけだわ。私だってメンフィス様がそんな王だったら不安だわ。」
「だろ?でも王子はお姫様に心底べた惚れしてんだろーな。だから何としてでも手に入れたい。例えお姫様が妖しにかかっていたとしても、神への宣誓が済んじまえば婚儀は成り立つんだからな。万が一、お姫様の妖しがとけちまっても大丈夫ってわけさ。」
「まって。何で大丈夫なの?」
「・・・・・・・それくらい分かれよ。今度再びお姫様を拉致しようと行動を起こしてもだ。それは【他国の王の妃】を【盗み】に行くんじゃない。あくまで【ヒッタイト帝国の王子妃】を【奪還】しにいくことになるんだ。・・・・・・・王子の行動に不安を持つ民にたいしての名目・・・言い訳かな?」
「すごい、ハサン。良くそこまで分かるわね。」
「・・・・・ちっと考えれば誰にでも分かることさ。」
「でも、何で王子は姫様を諦めないの?姫様は確かにお優しいし、お美しいし、賢い方だわ。だけれど、あまりにもおかしいわ!」
「確かにな・・・。皆忘れてるかもしれねえが、最初に王子がお姫様を奪った理由はミタムン王女殺害に関してお姫様にはかせる為だろ?」
「うん・・・・。でも私達も知らないのよ?本当にミタムン王女は急に挨拶もなしでご帰国なさったの。」
「・・・・・・・・・・・・それを見た人はいるのかい?」
ハサンの顔が少し青白く変化した。
「え?見たって何を?」
「ミタムン王女の一行が城外に出るのを、さ。ヒッタイト帝国の王女となれば率いる一行の数もそりゃ半端じゃないだろ。しかも、正式に自国の使者として来訪してるんだろ?城門からしか出入りはしないはずじゃないか!」
「そういえば・・・・私見ていない。他の侍女達もよ!」
「じゃあ、何故皆王女の帰国を知っているんだ?誰から聞いたんだ?」
「誰って・・・・・あれは確か・・・・。ア、アイシス様の宮殿の召使が言っていたんだわ!『王女は国から帰国せよ、との書簡が来ていたため、ご帰国なされました』って!!!」
「・・・・・・恐らく王女は・・・・アイシス女王が殺したんだろう。女王の王への執心は計り知れねえ。熱愛してるって噂は異国にいても聞こえてたしな。」
テティは反論できなかった。バビロニアにアイシスが嫁いだのはキャロルを殺すという条件と引き換えにだった。しかし、敵国の女王となりつつも王への愛着は薄れることなく、いやより一層強くなり・・・・。
(アイシス様なら・・・・・。)
「俺達でもわかるだろ?王子が気付かないわけはねえさ。だが、確かな証拠も無いのに戦を起こすことは出来ない。・・・・・お姫様に吐かせようともくろんだに違いねぇ。」
「うん、そうね。でも、分かっていたなら尚更姫様への憎しみは強まるんじゃなあい?だって、王女の【恋敵】になるんでしょ?」
「最初はそうだったに違いねぇさ。でもな、お姫様みたいな女ってそうはいねえだろう?一国の王にでも物怖じ一つしない。対等な一人の人間として扱うじゃねえか。奴隷だろうが、王族だろうが・・・・な?だんだん惹かれちまったんだろ。メンフィス様みたいにさ。何処を探したってあんな人、いないぜ。」
「そりゃあ、そうよ。姫様が王妃様になってからはメンフィス様のご気性も治まりつつあるし、宮殿は、ううん、エジプトはすごく明るくなったの。民も一つになって、これ以上のことは無いわ。」
「そう!お姫様は【身分】とか【地位】とか関係なく、人を惹きつけられるんだ。容姿もそうだろうが、何より性格・・・人間としての情でな。テティ、お前もそうだろう?」
「うん。そうよ。姫様は私を【侍女】ではなくて【友達】として扱ってくれるの。とても光栄だし、嬉しいことだわ。」
「だったら一国の王になるものとして、王子はお姫様の器量を見抜いたんじゃないかな。ヒッタイトは結構無茶な侵略を繰り返してるから、民の心を統一させるために。」
「でも、計算は狂ったのね。」
「ああ。完璧に狂ったんだ。お姫様を【奪う】どころか、お姫様に【奪われ】ちまったんだからな。・・・・・・自分の心を。」
ハサンもまたそうだった。最初、彼にとってキャロルは、アルゴン王に売るための【商品】であった。
(金持ちの女はろくな奴がいねえ。どうせ、この女もそうなんだろ。俺達民が寵姫のわがままにどれほど苦しんできたことか!せいぜい自分の身で経験してみればいいんだ。俺達にゃ金も入るしな。)
だが、違った。追っ手を前にしてキャロルはハサンらを助けるため、自分が犠牲になろうとしたのだ。
(何でだ?姫の身分なら大人しく守られてりゃいいんだろ?俺達の命なんて塵ほどにも思ってないんだろ?違うのか?このお姫様は・・。)
そうして、彼もキャロルに心を奪われた身だから、イズミル王子の気持ちは分かった。
「確かに、王子はすごい人物だと思うぜ。聡明で誇り高く、いつも冷静だ。戦の仕方に関しちゃ、メンフィス王にさえ引けをとらねえ達人だ。文武両道ってやつかな?でも、恋に関しちゃど素人もいいとこだぜ。」
「ちょっと待ってよ!ど素人なわけないでしょ!!一国の王子だもの!」
「・・・・ま、俺の言い方が悪かったか?言い直すよ。【本気の恋】に関しちゃ、だ。メンフィス王だってそうだろう?女遊び・・・・い、いやそっち方面は結構な経験があっただろ。でも、お姫様に対する態度を見てみなよ。な?」
「う〜ん。それに関しては認めざるを得ないわね。」
「そうだろう。でもな、王子は本当にお姫様を愛しているんだったら、そろそろ諦めなきゃならねえんだ。」
「何でよ!そりゃあ諦めてもらわないと困るけど・・・。」
「人を愛するってことは・・・・・・・・・・その人の幸せを一番に考えて、その幸せを守ってやらなきゃならないんだ。そりゃな、自分のものにしたいと思うのも当然のことさ。だがな、いつまでもそれに固執して、その人を束縛しちゃいけない。・・・・・・・自分の手で愛する人の幸せを奪っちゃいけねぇんだよ。」
「ハサン・・・・・・・・・・・。」
「その点に関しては王子はまだ未熟なような気がするな。今回の王子の行動はお姫様をただ苦しませ、傷つけただけだ。絶対に許されることじゃねぇ!」
「うん・・・・・・。うん、そうね。そうだわ!」
「王子にも・・・・・。お姫様以外の誰かが・・・いりゃあいいんだがな。そうすりゃ皆が平和だ。」
二人は無意識の内に同じ方向を見つめていた。
それは、アナトリアの大地を支配するヒッタイト帝国の方角。
英明で、見目麗しき世継ぎ イズミル王子が存在するであろう方角。
どうか どうか
私達が大切に思う姫様を もう苦しめないで
どうか どうか
一日も早く 両国に平和を・・・・・・・
姫様が安心して 幸せにお過ごしになれるよう・・・・・・
二人は己の胸中で切に願うのだった。
FIN.
