「王子様には本当に手が負えぬ。」
「全く・・・。いや、このような場所では慎め。誰が聞き耳立てているかも分からぬゆえな。」
古代オリエントにその国あり、と言われる絢爛たるエジプト王国の、華麗なる宮殿の中・・・。国の要である大臣達が声を潜めて愚痴を零す。吐いても吐ききれぬ溜息が、より一層、事の重大さを物語っているようだ。
その原因は、先代皇后からの嫡出王子、メンフィスただ一人。生まれながらに完全なる王位継承権を持つその王子は、毎日、我侭放題、やりたい放題・・・。昨日は農作物の収穫高の報告に来た、タニスの農地の監督官に回廊で水を浴びせ、その前は王がヌビアへ使わそうとした使者から馬を取り上げ、さらには城外に逃がすという暴挙に出た。
最初は可愛い悪戯よ、と笑っていたネフェルマアト王であったが、この頃は本気で頭を悩ませるようになっていた。無論、これは王だけではなく、王宮中の人間の、頭痛の種にまで発展していたのだが。




「全く、【誰が聞き耳立てているかも】わからぬなぁ。」
ふいに背後から、笑いを含んだ声が。嫌な予感に冷や汗を流しつつ、ゆっくりと振り向く・・・。やはり、と言うべきか、いつから居たのか、と言うべきか。そこにいたのは張本人、メンフィス王子。そして、王子が直々に集めた荒れくれ者の取り巻き達。




(まずい―――!!)




そう思ったときにはもう遅かった。
「やれぃ!!」
メンフィスの一声の後、取り巻き達は持っていた壷の中身を二人にぶちまけた。反射的に腕で身体を庇う大臣達。襲い掛かってきたそれは・・・良く見ると、サソリではないか!?




「ぎゃあっっっ!!何をなさるのです王子!!」
「サ、サ、サソリとは、幾らなんでもおいたが過ぎまするぞ!!」
必死に衣類からサソリを引き剥がそうともがく大臣の様子を見つつ、満足そうにメンフィスは笑った。




「安心せい。全部死んでおるわ!・・・・多分、な。」
多分・・・。多分と言ったか!?今!この王子は!!
もはやこの感情は、怒りとか、驚きとか、失望とか・・・・。そういった言葉では表せない。叱咤の言葉を投げようとしたその時。




衣装の袖が、ガサゴソと動いた。信じたくない、見たくない・・・。もしや。もしや・・・・!!
「なぁっっっ!!い、生きておる!!」
「王子!どうなさるのですかっ!!」
そう叫ぶ大臣からは普段の威張った顔は消えうせ、恐怖と怒りに引きつっている。面白いことこの上ないではないか!
メンフィスは腹を抱えて笑い続けた。




「自分で何とかせい!そのくらいの知識は持ち合わせておろう。」
気が済むまで笑うと、ただ一言を残し、取り巻き達を引きつれ、颯爽と駆けていった。呆然とする大臣らを残して。








「メンフィス様!!今度は何をなさったのですか!!」
「そうやかましく怒るな。頭の固い大臣共にサソリの死骸を投げ付けてやっただけぞ。ま、その中に生きているのも混じっていたようだがな。」
ナフテラにしゃあしゃあと言ってのけたメンフィス。怒られることなど初めから分かっていた様であったが、それを恐れる様子も微塵もなかった。
そして、傍にはお付武官のミヌーエが、脛を赤く腫らし、ニッコリ笑って控えていた。ナフテラよりもこちらの方が相当、お怒りになっているようだ。




「ミヌーエ?そなたも何とか言いなさい。大体お前がしっかりしていなければならないのですよ!!」
「申し訳ありません。母上。予想出来ない事態が起こったからと言って、油断してしまった私の責任に御座います。」
一言一言に棘がある。表面上笑ってはいるが、腸は相当煮えくり返っているのだろう。だがまあ、それを顔に出さないところは彼の優れたる一面だ。

では、何故ミヌーエがご立腹なのだろうか。




理由は実に簡単だ。学問の師の下へメンフィスを送っていこうとした矢先、いきなりメンフィスに脛を蹴られたのである。いかに常日頃から身心を鍛えている彼でも、まさか幼き主君からこんな仕打ちを受けるとは夢にも思わず、驚愕と激痛とで身動きが取れなくなってしまい、まんまと逃げられてしまった・・・・そういうわけだ。




「あ、申し上げるのを忘れておりました。父王がお呼びに御座います。」
「!!ち、父上に言いつけたのか!?」
「さあ、何のことやら私には分かりかねます。お急ぎになったほうが宜しいのでは?」
「なっっ・・・・!!」
今度はメンフィスが泡を食う番であった。この広い世界の中で、彼がたった一人恐れる人物。他ならぬ父王、ネフェルマアトその人であった。
「最悪だっ!!馬鹿者め!!」
憎々しげに捨て台詞を吐き、メンフィスは部屋を駆け出した。ミヌーエがクスリ、と笑いながら後を追ってくるのが見える。




「お待ち!ミヌーエ!・・・・・・・・・・・・・・・・。」
「何です?母上。・・・・・・・・・・・・・。」




メンフィスは立ち止まってそんな親子のやり取りに見入っていた。少し離れすぎていたせいか、話しの内容が良く聞こえない。でも、彼はじっと見続けていた。羨ましかったのだ。ミヌーエの父は、何年か前の戦で戦死していたが、その分ナフテラとの絆はどこの母子よりも強かった。ナフテラも口では厳しく叱咤激励を咬ましているものの、ミヌーエに眉を吊り上げたところなど一度も見たことがない。深い愛情の元で育っているミヌーエがたまらなく羨ましかった。
自分の母王妃は出生と同時に死んだと聞かされた。顔も分からない。ただ噂に聴くばかりのその人は、少し小柄で、控えめで奥ゆかしく、風になびく黒髪がひときわ美しいと評判だったらしい。もっとも、会いたいなどという無駄な夢は持たないが。
それに、父王は政務、政務で忙しい。父王の手を煩わせてはいけないとアイシスからいつもきつく言われ続けている。




なのに、私はまた・・・。父王を失望させてしまったのだ。凛々しい父王のあの顔が悲しそうに歪むのを見るのは嫌だ。あの目に己はどう映っているのだろう。いつも気になってたまらない。でも、怖くて聞けない。
もし、お前に期待などしていないと言われたら・・・・?
もし、お前などいらぬと言われたら・・・・・?
そしたら私はどうせればよいのだ?




「メンフィス・・・。そなたまた悪さをしたのだな。」
「・・・・・・・・・・・・。はい父上。」
足を引きずるようにして着いた父王の休息室。すでに人払いは済ませてあるようで、そこには父王と、自分とミヌーエしか居なかった。静けさが不安をあおる。だが、父王はそんな自分の心情を知ってか知らずか。片手を振り、唯一の頼みの綱、ミヌーエをも下がらせてしまう。
これでとうとう、二人きりになってしまった。




「まあ、座れ。腹はすいておらぬか?ナフテラは昼餉はまだ取っておらぬと申しておったが。」
確かに、言われてみれば少し腹がすいたような気もする。メンフィスは黙って座ると、食べますとか細い声で呟いた。
ネフェルマアトは目を細めて笑いつつ、傍にあったパンや果物などの軽食をメンフィスに手渡す。ゆっくりと、だが豪快に食べ物を平らげていく我が子。暫く見ぬ間にまた大きくなったことよ。自然に手がメンフィスの頭を撫でている。目を見開いて驚くメンフィス。彼は手に持っていたオレンジを落としてしまった。




「メンフィスよ。そなたは何故悪さばかりするのだ?」
「別に・・・。面白いからです。」
ぶっきらぼうに言ってのけると、プイとそっぽを向いてしまったわが子。だが、ネフェルマアトはメンフィスの肩に手を置くとじっと目を合わせ、語り始めた。
「よいか、メンフィスよ。そなたがいつか手に入れるこの玉座は血の海の上に浮かんでおる。いかに、そなたとて一度や二度の失態は犯すであろう。その時、誰がお前を助けるのだ?・・・・そうだ。臣下の者達だ。いかに王とて、臣下の心が離れれば何事も為すことは出来ぬ。しかし今のお前はどうだ?傍若無人に振る舞い皆を困らせているだけではないか。臣下の心がこれ以上離れぬうちに、やめるのだ。そなたなら、父の申すことの意味、ようく分かるであろう?」

「はい。父上。」

「そなたは勇気がある。だが、それだけでは王にはなれぬ。知と勇。この二つを兼ねそろえて初めて、立派な王になれるのだ。武術だけではならぬ。学問もしっかり積んで、賢くならなくては・・・。」

「はい・・・。父上。」

「それでよい。メンフィス・・・・。父はお前を誇りに思っておるのだぞ。そなたには人を見る力がある。そなたの取り巻き達は・・・・皆罪人として捕らわれておった者達だったそうだな。だが、調べなおしてみたところ皆濡れ衣を着せられていたjことが分かったのだ。一人残らず、な。お前は父にも見抜けなかった真実を見抜いた。立派だ。」

「父上・・・・。」

「大切なことは、心で見よ。目に見えるものだけが真の物とは限らぬ。いや、目に見えるものこそ嘘偽りが多く混じっておる。大切なことは、己の心中で決めるのだ。分かったな。」

「はい!父上!」
ずっと、孤独だった。慣れていたはずなのに、苦しくて歯がゆかった。でも、父の言葉で、父の愛で心が浄化されるような気がした。ああ、きっとこれが私が求めていた温かさなのだと、メンフィスは思っていた。



その後、メンフィスの悪戯は少しずつ治まる傾向にあった。この少年の孤独な胸の内を察し、深く罪悪感を覚え、自らを責め、一番苦しんだのはネフェルマアト王であったことを知るものは少ない。そう、少年メンフィスさえも知らない事実。
孤独な少年の心は、父の深い愛によって癒され、彼の心に王者としての品格を育て始めていた。




本音