満天の星が夜空を支配している。サー・ラーが守護するこの国にも、当たり前だが夜は来るのだ。エジプトの夜は、これが中々寒い。日中は太陽が容赦なくギラギラと照り付け、うだるように暑いため、到底、想像は出来ない寒さなのだ。
「キャロル、どうした?」
「ううん、何でもないの。」
ブルッと震え、くちゅんと可愛いくしゃみをしているその姿を見ていると、例え意地を張ったところで、どうしても分かってしまうのだが。メンフィスはクスクスと笑い、キャロルを胸に引き寄せた。




キャロルが旅をしてみたい、と言ったのは2日前。事の発端はたまたま商売に来ていたハサンの一言であった。




『いやあ、此処へ来る途中めずらしい場所を見つけたんでさ。それがねぇ、もう、たまげるくらい綺麗な場所でさ、お姫様にも見せてあげたかったよ。』
好奇心だけは人一倍旺盛なキャロルが、この話に飛びつかないわけがなく・・・・。めずらしくメンフィスにねだって来たのだ。見に行こう、と。周知の通り、キャロルには弱い彼のこと。無下に断れば、愛妃の泣き顔を見る羽目になることは火を見るよりも明らかで。城外に出て二人だけで行動するという危険は重々承知だったのだが・・・・。
結局、メンフィスが折れることになった。だって仕方がない。キャロルの泣き顔と旅に出るリスク、二つを天秤にかけてみたところ、天秤は、やはりキャロルの泣き顔のほうに傾いたのだから。




「ねえ、メンフィス。ハサンが言っていた場所まで、あとどのくらいあるのかしら?」
「半時もすれば着くであろう。」
そう、とキャロルは笑った。メンフィスもつられて、僅かに口もとをほころばせる。全く、キャロルめ。王と王妃、二人だけで旅をするということがどれだけ大変なことなのか分かっておらぬな。私がどれだけ苦労して政務を片付けてきたのかも、絶対に分かって居らぬのであろうな。
「なあに、メンフィス?」
「ん・・・いや、何でもない。」
苦笑する夫に向かって、きょとんとした瞳を見せるキャロル。くしゃり、と髪に指を絡ませた。手触りの良いキャロルの金髪を撫でている内に彼はキャロルと初めて出会った時のことを思い出していた。




(最初は・・・・この金髪と、碧い瞳に興味を惹かれただけだったのにな。)
戴冠式の後、スフィンクスの上にたたずんでいた乙女。朝日に輝く金髪と、ナイルのように碧い瞳に、一瞬で心奪われた。何処から来たのかも分からぬ奴隷娘。普段の己なら切り捨てるか、捨て置くかの選択肢しか浮かばなかっただろうが、そのときに限ってどうしても手に入れたくなった。動機は分からない。こうして、愛し合うようになった今でも。いや、最早理由などどうでも良いのだ。私はキャロルを愛し、キャロルに愛される。それは、古から定まっていた運命であっただけなのだ。




「ふふっ。」
「?如何いたした。」
胸元でクスクスと笑い始めたキャロル。メンフィスは、首をかしげた。
「あ、ごめんなさい。あなたと初めて会った時のことを思い出していたのよ。」
「何・・・?」
同じことを考えていたのか。嬉々としたメンフィスが、そう口を挟む前に、キャロルが間をおかずに再び話し出した。
「私ね、初めてメンフィスに会った時、怖くてたまらなかった。傍若無人、冷酷無双、それに我侭で、傲慢で、強引で、思いやりの欠片も・・・。」
「それくらいにしておかぬと許さぬぞ。」
余りの言い様に、さすがに我慢できなくなった。メンフィスの眉がピクリと吊上がるが、キャロルは特に気にしていない。
「だって、ぜ〜んぶ本当のことでしょう?」
特に悪びれた様子もなく、けろっと本音を言ってのけた。本当に、キャロルは分かっていない。彼女だからこそ許されるが、他の者なら、その台詞の半分も言い終わらない内に、あの世行き決定だ。断言できる。
だが、ここまで身も蓋もない言い方をされておいて、何もしないと言うのはどうにも気分が悪いので白い頬をつねりあげてやった。




「ひ、ひひゃいっ。ひゃにふるの!」
「ふん!!」
二・三度グイグイと引っ張りあげた後、ぺいっと放してやった。薄らと指の後が残っている。
「馬鹿っ!メンフィスの大馬鹿っっ!!痛いじゃない!」
涙目で抗議の声を上げるキャロル。
「ほう。まだ言うか?仕置きが足りぬかのう。」
ずいっと顔を近づけて顎を持ち上げると、うっとキャロルが言葉を詰まらせた。メンフィスは力加減をしたつもりなのだろうが、あんなの全然意味がない。もともとの力が強すぎるのだ。此処で意地を張って痛い思いをするのはもう懲り懲り。キャロルはそれ以上言葉が続けられず、悔しくて口を尖らせ、そっぽを向いてしまった。メンフィスがまた笑う。




暫く、かぽかぽと蹄の音だけが、辺りに吸い込まれていき、やがてピタリと止まった。そっぽを向いたままウトウトしていたキャロルは、ぼうっとしつつも、重い瞼を持ち上げる。
「・・・・・・・・着いたようだ。」
「え・・・・っ?」
実に簡潔なメンフィスの声に、ごしごしと目を擦り、とろんとした視界を拭う。ゆっくりと露になる世界。




それは、一面の星空。隙間なんてほとんどなく、鏤められているようで。見ているだけで、身をちぎられるような砂漠の寒さも忘却のかなたに追いやってしまうくらいに、それは幻想的で美しかった。
「う・・・・・わ・・・。綺・・麗。」
感動に声を上ずらせ、感嘆の溜息を漏らす。その碧い瞳は、夜空に輝く黄金の星達を鮮やかに映し出していた。
「ああ、真に美しいな。・・・・満足か?」
答えは、返ってこなかった。どうも、放心状態になって見入っているらしい。メンフィスは苦笑するしかなかった。夢中になった彼女の耳には何も聞こえない、それはいつものことだったので。




「満足か?」
時を置いて、彼女の瞳が空から外されるのを見、メンフィスが尋ねた。彼女の瞳はまだ、歓喜の色を浮かべている。
「ええ!ええ!素晴らしいわ・・・。とても満足よ!」
「ならば重畳。」
愛妃の望みは何でもかなえてやりたい。それは、富と、権力とを併せ持つ諸国の王なら、誰もが思うことである。だが、世にこのようなことを望む妃がいるだろうか?その身を飾る絹や宝石ではなく、夜空を飾る黄金を見たいと望む妃が。こんなにも無欲で、愛らしい妃が。
「メンフィス、有難う。・・・・・とっても、綺麗な星空だった。」
「そなたがそんなに気に入ったのならば、また来よう。・・・二人でな。」
ぱあっと愛らしい笑顔を輝かせて、ぎゅっと力を込めて、胸に顔を埋めてくるキャロル・・・。その金髪を、しなやかな指先でかき混ぜながら彼は思う。




私は・・・私が望むものはそなた。夜空を彩る、黄金の星よりもそなたのこの黄金の髪こそ我が目の保養。我が耳に心地よく響くは、鈴が鳴るようなそなたの声。我が心を休めるは温かく、華奢なそなたのこの身。
そなたこそ我が命。




我が愛するは・・・・・未来永劫そなた一人・・・。





                                   FIN

輝

―― おまけ♪ ――