エジプトは砂漠の国。照りつける太陽で、日中は暑いことこの上ない。だが今日は朝から、珍しく涼しかった。
そうだ!せっかくだし、久しぶりに読書をしよう!
そう思いついたキャロルは、書物庫から大量の書物を引っ張り出してきて、いつものごとく、どっぷりと浸かりこんだ。
今、彼女の手にあるのは、テティに頼み込んで買って来てもらった【シヌヘ】(サアエンヘト)という物語。何でも市井で少し流行っているらしい。
「う〜ん。難しいわね・・・。駆け落ちた部分がないから、現代の遺物より遥かに読みやすいけれど・・・文章はやっぱり難しい!」
忘れられているかもしれないが、キャロルは、現代では考古学をこよなく愛し、その研究に誰よりも熱心な学生であった。かのブラウン教授も一番弟子と豪語していたほどである。・・・・・・・覚えているだろうか?
まぁ、そんなことはこの際どうでもよくて。
「えっと・・・・うん・・・うん。あ、あれ・・!?あ、そうか!!」
1人で読書をしながら百面相を見せるキャロル。そんな女人が、果たしてこの広い世界にあと何人いるのだろう・・・。キャロル1人かもしれないとは・・・・・言うまい。





・・・・・・・キャロル王妃が読書に熱中して、早数時間。いつのまにか、あたりは夕焼けに包まれていて、ほんのりとオレンジ色に染まっている。もう間もなくラーが完全に顔を隠すだろう。
「キャロル〜!」
キャロルの部屋を訪れる、メンフィスの声。いつもならここで扉が開き、【メンフィス!もう政務は終わったの?】と、愛妃がちょこんと顔を出して出迎えて、政務で疲れた体を労わってくれるのだが、今日はそれがない。
どういうことだ?・・・・・まさかキャロルに何かあったのか!?
嫌な予感を抑えきれず、扉を勢い良く蹴り開け、長剣の柄に手を伸ばし、キャロルを探す。・・・・見つけるのに大して時間はかからなかった。
それもそのはず、彼の愛妃は、扉の真前で大量のパピルスに埋もれるようにして、ブツブツと何かを呟いていたのだから。




・・・・・・・・いた。ちゃんといた。




安堵感と、脱力感が一気に押し寄せる。それと、少し遅れて怒りも。
キャロルめ・・・いたのならば・・・・何故返事をせぬのだ!?この私が来たというのに!そのような書物などに夢中になって私に眼もくれぬとは!!




「キャロル―――!!!」
「うっきゃあぁぁ!!あ、メメンフィスじゃないの!」
全然気付かなかったわ!というその態度。
「何をしていたのだ!?私が来たのに返事もせぬとは何事ぞっ。」
その言い様に、キャロルも少しムッとした。
・・・・・・・何よ!亭主関白みたいに!私が何をしていようと私の勝手じゃないの!
「書物を読んでいたのよ!何でそれだけで怒るの!」
メンフィスはちらり、とキャロルの手の中のパピルスに目をやった。
こんな紙切れ一枚の為に・・・・私が!!この私が!!
えもいえぬ感情がこみ上げ、メンフィスの中の何かが、プチンと音を立てて切れた。
キャロルからひったくるようにパピルスを奪い取ると、近くにあった灯火の中に放り込む。
「きゃあ―――!!何するのよ!」
「うるさいっ。そなたが悪いのだぞ!」
真っ黒焦げに燃えつき、もはや解読不能となった【シヌヘ】(サアエンヘト)・・。手に入れるのに、テティにどれだけの苦労をさせたことか。それに、まだ半分も読んでいなかったのにっ。・・・・キャロルは激しく憤慨した。
「メンフィスなんか大っっっ嫌い!!もう顔も見たくない!」
「何だと!?」
「出て行ってよ!馬鹿馬鹿馬鹿!!!」
キャロルはそこらにあったクッションやら、花瓶やらを次々とメンフィスに投げ付け始めた。クッションはいつしか裂け、中の詰め物が床中に散らばり、花瓶は割れて粉々になり・・・・・高価な調度品は全てただのがらくたと化した。




・・・・・・・・・・・・もうこうなったら手のつけようがない。




ナフテラを始めとする女官ら、そして王妃の自室を護衛する兵士らは、共に苦い溜息を着いた。
今でさえ、猫の手も借りたいほどに人手が足りないのだ。これ以上仕事を増やされては困る。以上の理由から、被害は最小限に止めたいところなのだが、割ってはいる勇気のあるものはいなかった。
・・・・・下手をすれば、数秒の間に首と胴が泣き別れ。嫁入り前の娘等としては、結婚もせぬうちにオシリスの御許に送られるなどゴメンである。兵士達だとて、それは同じだ。ましてやここは戦場でもないのに。誰だって命は惜しい・・・・。
その間にも喧嘩は徐々にエスカレートして、もはや部屋は目も当てられぬ惨状へ。両者の暴言の内容もギリギリのところまで上り詰め・・・。
これは止めなければ、危ない・・・。
またナイルの母女神の元へ帰られてはいけない・・・・。
という囁きが漏れ始めた。
だが一体、国王夫妻を止めるというその役を誰が努めるのか・・・。
その一点が中々決まらない難題であった。
そこへ・・・・・




「失礼します。カナンです・・・・一体何があったんですか?」
言葉通り、救世主が現れた。
今の国王夫妻を止められるのは、この方しか居られない。
暗黙の内に、一同は頷きあった。ナフテラが傍らのテティに目で合図する。
カナンには悪いが・・・・・。
「王と王妃様をお止めして下さいませ!!」
渾身の力を込めて、カナンを押し出した。
「えええぇぇっっっっ!?」
テティの見事なコントロールで、カナンは丁度、メンフィスとキャロルの間で止まる羽目になってしまった。




「そこをどけっっ!!」
「そこどいてっ!!」
国王夫妻の声がピッタリ重なる。
いや、自分だって好き好んでここに居るわけではない。
というか、今すぐに引っ込みたいのだが・・・。ちらと後ろを振り返ると、皆が悲痛な瞳でこちらを見ているのが見えた。・・・・・引くに引けないじゃないのよこれじゃ・・・何とか止めなきゃ。
どこまでもお人好しなのはリード家の血筋だ。
「申し訳ありませんが、どきませぬ。それより、何故こうなったのか理由をお聞きかせ下さいませ。」
双方、うっとつまった。元はといえば、とるに足らぬ下らぬ理由。一同の前で言うなど馬鹿げているし、話したところで笑いもの。
沈黙が漂い、お互いにどうしたら良いか分からなくなってしまった。




「理由が言えないのなら、喧嘩はそれまでに願いまする。」
一同の安堵の溜息が部屋中に満ちた。これで、一件落着。・・・・かと思えたが、夫妻はまだ互いにばつが悪いらしい。一番近くにいたカナンだけは少なくともそう思った。
パンパンッ!!
手を叩く。
「皆、下がってください。」
ナフテラに視線をやると、やはり同じことを思っていたらしくコクリと頷いてくれた。
「さぁさぁ、お邪魔になってはいけませぬ。夕餉の仕度に取り掛かりなさい!」
「は――い!ナフテラ様!」
そして侍女らはゾロゾロと部屋を後にした。さすがナフテラ。頼りになる。




「さて、叔父様、叔母様。私は成り行きが分かりませぬが、言いたいことがまだおありになるなら、今の内に。」
その言葉を待っていたかのように、キャロル。

「メンフィスが悪いのよ!テティが何日もかけて、せっかく探してくれた書物だったのに!」

「何だと!?そのようなもの私に頼めば百でも二百でも用意してくれるわ!私に頼まぬそなたが悪い!」

「だからって何も燃やさなくったっていいじゃない!!」

「目障りなものは何だろうと打ち壊してくれるわ!」

「何ですって!?貴方のような暴君がいるから、未来の考古学者が苦労するのよっ。人類の歴史をぼうとくする行為よ!!」

「訳が分からぬことを申すなっ!!」

「正論よ!少なくとも貴方よりはね!!」




どっちもどっちじゃないか。
カナンは呆れ顔。王妃のことばを借りて言えば、長いエジプト王家の歴史の中に、こんな子供のような理由で喧嘩した夫婦は、多分目の前の2人を除いたら、居ないだろう。
せっかく、喧嘩の熱が冷めたと思ったが・・・・。
「メンフィスなんか嫌いよ!!」
「うるさい!この愚か者めが!!」
再び言い合いが始まろうとしたその時・・・・。




「いい加減にして下さい・・・・・・・。」
カナンの静かな、殺気に満ちた声が。おそるおそるカナンを見やると浮かべている笑みの下に、怒りの炎が揺らめいているのが分かった。
「喧嘩なさるのは結構。ですが、貴方様方の喧嘩は王宮中を巻き込むと分かっていらっしゃいますよね?」
返す言葉も無い。メンフィスも、ただならぬ雰囲気のカナンに冷や汗をかいていた。
「まだ喧嘩を続けますか・・・?」
メンフィスとキャロルは互いを見、そして数秒黙りこくった。




「メンフィス・・・・・あの・・ごめんなさい・・・。」
元はといえば、自分が書物に夢中になりすぎていたのが悪かったのだし、部屋をめちゃくちゃにしたのも自分だし、先に謝るべきだろう。
「・・・・・ふん。・・・・・・私も・・・侘びを申す・・・・。」
まあ確かに、書物を燃やしたのはやりすぎた。キャロルにしてみれば悪気は無かったのだろうし、自分が勝手に怒っただけのこと。
そして・・・・・・。
「カナンも・・・・ごめんなさい。」
「・・・・・・悪かった。・・・・・許せ。」




「仲直りしたようで良かったですわ。」
一言零し、さらにニコッと微笑んで、さっさと帰ってしまった。・・・あの様子じゃ多分、まだ少し怒っているだろう。




「ねえ、明日もう一回謝ったほうがいいかしら?」
「ああ、あやつは中々怒らぬからな。それが賢明だろう。」
夫妻はクスクス笑い合った。




それを影からこっそり見ているものが・・・・。
カナンである。実は彼女は少しも怒っていなかった。
だがこのままでは喧嘩が再び勃発するだろうと懸念し、あのような荒療治に出たのだ。
ふぅ、取り合えず成功したみたいで良かった良かった(^^)。




国王夫妻の大喧嘩、これにて一件落着!!




これも君との物語