キャロルは一通り石版に目を通すことにした。・・・メンフィスと共に生きたいと願ってこの世界に生きることを決意はしたが家族のことを一度たりとも忘れたことはなかった。とりわけ、母には心配をかけているだろうと、母は自分の安否すら掴めず苦しんでいるのではないかとずっと気になっていた。それだけが歯がゆくてたまらなかった。妊娠したままナイルに消えた私をどれほどに母は案じているだろう・・・。あんなに皆に心配をかけたのに・・・お腹の子は流産してしまった。・・・つらい記憶も蘇ってきた。それでも彼女は家族からのメッセージを読み進めた。
・・・・・キャロル、ママです。あなたは生きているのですってね。カナンに聞きましたよ。あなたが身籠ったままナイル川で行方不明になったとき・・・ママはあなたを行かせるのではなかったと・・・自分を責めたのよ。あなたがまた・・・不幸になるかもしれないと思ったの・・・。あなたが失踪してからこちらではもう、17年もたったわ。ライアンもロディも結婚してママはおばあちゃんになったのよ。かわいい孫もできて・・・とっても幸せよ。でもね忘れないで。どこにいてもあなたはリード家の・・・パパとママの娘よ。あなたの幸せを心から願っています。無事でいてくれて有難うキャロル。元気でね。メンフィスさんと仲良く・・・。愛してるわキャロル。
・・・・・キャロル元気か?ロディ兄さんだよ。お前結婚したんだってな!古代のファラオと!兄さんはまだ信じられないよ。あのお転婆だったお前が王妃様だもんな・・・。お前は今幸せか?17年間皆一度たりともお前のことを忘れた日は無かったよ。カナンに、お前の無事を聞いたときは正直言って驚いたが嬉しかった。・・・今兄さんは結婚してな子供もいるんだぞ。お前の姪っ子や甥っ子だ。見せられなくて残念だ。かわいいんだぞ。お前の子も見てみたかったな。お前似か?メンフィスさん似か?きっと可愛い子だろうな。・・・それじゃあ元気に暮らせよ!お前の幸せをいつも祈っているよ。愛してるぞキャロル。
・・・・キャロル、ライアン兄さんだ。お前が王妃様になっているんだってな。メンフィス王とかいうやつの妃だって?僕は一度そいつを捕まえてやりたいよ。可愛い妹を僕から奪ったんだそれくらい当然だろう?・・・僕も結婚したよ。お前も知っての通り娘が・・カナンが生まれたんだ。妻はカナンの出生と同時に天国へ召されたがな・・・・。それから・・・カナンを宜しく頼む。あいつはもう僕の世界には帰ってこないそうだ。まさかカナンまで結婚していたとはな・・・。ウナスってお前付きの武官だそうだな。そいつも一度捕まえてやりたいな・・。全く・・・僕はいつもついてないな。笑えるよな?それからお前にカナンのことで伝えておきたいことがあるんだ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「・・・・・・えっ!!嘘!そ・・・・ん・・・な。」そこには信じがたい事実が記されていた。思わず声が出る。続きを必死に目で追いかけた。
・・・・・・・・これは確かな事実だ。カナンを頼む。父親として・・・カナンを見守ってやれないのが正直腹ただしいんだ。お前にならカナンを任せられる。それじゃあな。僕はいつもお前のことを思ってるよ。見守っている。信じているんだぞ。・・・・元気でな。・・・・・愛してるよ
そこで石版に書かれた文章は終わった。幸せな気持ちであることに変わりはなかったが今のキャロルはその感動に浸っている場合ではなかった。どうしたんですか、と引き止めるカナンを振り切って表宮殿へと戻っていった。後に残されたカナンはウロウロと手首を動かしてキャロルが戻ってくるのを待つしかなかった。
「叔母様はどこへ行ったのかしら?何をあんなにあわてていたの?」一人取り残されたカナンはボーッとそんなことを考えていた。いくらなんでもおかしすぎる。あんなに取り乱すなんて・・・・・もしかしてパパが何か私のことでも書いたのかしら?・・・もしかしてアーチェリーとかしてたのばれてたりして・・・・いや、もしかしたらもう二度とさせないようにとか書いてたんじゃ・・・・。いやな予感は次々と溢れ出てくる。不安の渦の中にたった一人ぼっちで放り込まれたみたいだった。どうしましょ・・・と考えに浸っている時、廊下を走る足音が耳に響いてきた。・・・・一つじゃない・・・三つ・・・あるいは・・四つ。まさか刺客が!?カナンはウナスの目を盗んで足元に忍ばせていた守り刀をさぐり取り、応戦体制をとった。目が見えなくても捕らえられないようにしなくては・・・。そんな思いが動くこともまだままならない体に力を入れさせる。・・・・・・・足音がだんだん近づいてきた。そして・・・・・部屋の中に入ってきた。
「カナン!?いったい何をしているの?」足音は刺客のものではなかった。声の主はキャロルであった。キャロルは刀を己に向け応戦体制に入っているカナンに度胆を抜かれていた。つい先日まで見せていた安堵の表情はそこにはなく、硬く結ばれ噛み締められた唇からは兵士のような雰囲気さえ漂っていたから・・・・。
「お、お、お、叔母様っ!?」・・・・・一方のカナンは焦っていた。完璧に刺客だと思っていたのに、まさか叔母様だったなんて!じゃ、じゃあ叔母様がここにいると言うことはこ、この気配は・・・・・!!叔父様だ!!!ご名答!メンフィスも駆けつけてきていたのである。あの一件以来刀はおろか弓、馬さえも触れることを硬く禁じられていた。この守り刀は予備にこっそり持っていたもの・・・。この状況は不味い。仮にも王と王妃に刀を向けているのである。叔父からの一括が・・・・そろそろ来る!
「何をしておるのだ?何だその刀は?そなたの武器は全て没収したはずだったのだが・・何故ここにあるのだ。説明しろ・・・。」ああ、その口調といったら!怒気をめいいっぱい含んでいるのが誰にでも分かる恐ろしい口調!肌に突き刺さるような視線!目が見えなくてよかったかもしれない。とカナンは思った。目が見えていたならばきっと耐え切れなかったであろう。
「え・・・・・・っと。もし・・もの時のために一応持っていようと思いまして・・・。」
「馬鹿者ぉ〜!!!何のための護衛兵だっ!いい加減にしろっ!」頭から石を落とされているような怒号に思わず首を引っ込めたカナンだった・・・・。その後・・・暫くの間メンフィスとキャロルからのお説教を受ける羽目になったカナンは守り刀も没収されることとなった。
「叔母様・・・。本題はどうなされたのですか?」説教に耐え切れなくなったカナンは話題を変えるために切り出した。その瞬間キャロルの声が微かにもれ出たのをカナンは聞き逃さなかった。優しい心の持ち主であるキャロルは、感情がすぐに表に出てしまう。周囲の誰もが知ることであった。
「私のことですね?」カナンの言葉にキャロルの肩がビクッと小さく動いた。
「隠さないで下さい。いずれ・・・知ることになるのでしょう?だったら今教えてください。」メンフィスが代わりに答えた。
「そうだな。まずは知りたくばネゼグの診察を受けよ。話はそれからだ。」カナンはわけが分からなかった。診察なら今日は当の昔に済んでいるし、これ以上苦い薬を出されるのも我慢できなかった。己の体の異常は刺し傷以外ないというのに・・・。文句はたくさんあったがそれをメンフィスに言えるわけも無くただされるがままに診察を受けた。その後キャロルとメンフィス、ネゼグのみで暫く会話が続けられた。
1時間後、信じられない現実をカナンは突きつけられた。それは・・・・・・・
「カナン様は妊娠しておられます。」ネゼグの一言であった。
おお・・・ハピよ。和子の命は・・・・・・はたして・・・・・・・
「えっ・・・あか・・ちゃん?う・・嘘っ!」突然過ぎて思考が停止した。今、ネゼグが言ったことの意味がよく分からない。聞き間違いだろうか?でも、今確かに「妊娠」といったような・・・!?
「本当なの!?ねえ!赤ちゃんは!ねえ!生きてるの!?ねえってば!!」ほとんど掴みかかるようにしてネゼグに迫った。・・・カナンは怖かった。自分は腹部を刺されている。もしかしたら・・・赤ちゃんは・・死んでしまったかもしれない。無防備な母のせいで光を見ることなく旅立ってしまったかもしれない!・・・・・・心臓は早鐘のように鼓動し、手には汗がにじんでいる。怖くて怖くて・・・コワクテ・・・・。アカチャンハ・・・・・。
「落ち着きなされ!和子は生きておるのですぞ!まだあなた様の中に宿っておるのです!そのように激されては今度こそ取り返しが付きませぬぞっ!」取り乱しむせび泣くカナンの腕を掴みネゼグは大声で言った。
「い・・きてる・・の?ほ・・んと?」途端にだらり、と腕の力が抜けた。へなへなとその場にへたりこむ。安堵したことはしたが、まだ現実が受け止められない。突きつけられた事実はあまりにも・・・不安なもので・・心が壊れてしまいそうだった。黙り込んだままぴくり、とも動かないカナンにネゼグが諭す様に言葉を続けた。
「奇跡ですぞ・・・。あなた様は賊の刃から和子のいる場所を・・・とっさに守っておられたのです。紙一重の差ではございましたが・・・和子は無事でございます。危険な状態にあることには変わりはありませんが・・・しっかりと生きておるのですぞ!褒めてやらねば!」
・・カナンは無意識のうちに腹部に手をあてていた。・・・・まだ塞がっていない傷口から滲む赤いもの・・。こんな母を選んで宿った赤ちゃんは・・生きていてくれた。
「ごめんなさい。怖かったわよね・・。ごめんな・・っ」キャロルがそっと手を重ねた。
「・・あなたが守ったのよ。体が母であることを無意識に教えてくれたのね。・・兄さんが教えてくれたのよ。『カナンは二人目の天使を授かっている。2ヶ月の小さな天使だ。無事に産ませてやってくれ』ってね。」
「パパが・・・?」
「そう・・兄さんがね。だからあわててメンフィスとネゼグをよんできたのよ。」
「王妃様が息せき切って訪れられたときにはもう驚きましたぞ!何事かと!」ネゼグは軽く微笑むようにしていった。
「全くだ。私なぞ協議の真っ最中であったのだぞ。」同意する、というよりはからかいを含んだ笑い声でメンフィスがこたえた。
「さあ、カナン様。泣いてばかりおられますな。まずは何か食していただかなければ・・・。和子が腹を減らしておりますぞ。」そう言うが早いかスープが届けられてきた。しかし、それに付け加えて運ばれてきたものをカナンは見逃さなかった。
「え〜っ!!またお薬ぃ〜???」
「残さないで下さいませよ。残したら倍に量を増やしますからそのおつもりで。」
・・・・・・・部屋中に4人の笑い声が響いていた。
ナイルに夕日が沈んでゆく頃、勤務を終えたウナスはカナンの部屋に呼ばれた。・・ジュリアンと共に来い、との王直々の命令であった。
(カナンの容態が悪いのだろうか?目が・・・二度と見えなくなると言われたら・・・。)心配と不安で押しつぶされそうになりながらも、ウナスは幼いジュリアンの手を握り、足早に廊下を進んでゆく・・・。一方のジュリアンはただ黙って父に手を引かれていた。
・・・・・あの日、木の上から一部始終を幼子は見ていた。泣くこともなく叫ぶことも無く・・・怯えることも無く・・ただじっと見ていた。ふと、自分の手を握る力が強くなった。自分を守るため、母を守るために父は戦った。この手で剣を握って・・・。・・この手は・・父の手であり、武人の手であるということを初めて思い知らされたような気がした。父のようになりたいと思った。愛する人を守れるようになりたいと、そのために強くなりたいと思った。
・・・・顔を上げてみると父の背中が視界一面に広がった。ああ、大きい背中だ。広い背中だ・・・。ジュリアンは幼いながらに父の偉大さを学び、尊敬していた。だが、それを口に出してはいけないと思った。自分の胸に秘めておこうと・・・。
「ウナス!まあジュリアンなの?その足音は!」部屋に着くと嬉しそうな声でカナンが迎えてくれた。どうやら容態は悪くないようだな・・・ウナスは安堵した。しかしカナンは夫には構わず、久々の息子との再会に心を奪われている様子であった。
「おいで!ジュリアンっ!」
「かあたまっ!」ジュリアンはウナスの手を振りほどいて駆け出した。あっ!と気が付いたときにはもう遅かった。カナンの傷口はまだ完全に塞がっていない。跳びつかれたら完全に開いてしまう!ところがこのジュリアンとカナンの抱擁をすんでのところでメンフィスが防いだ。片手でジュリアンをつまみあげている。幼子は何が何だか分からず、母ではないその人物をきょとんとした瞳で見上げていた。・・・・・同じくカナンも突然息子が空中に浮かんだことに驚いていた。抱きしめようとした腕はからっぽ。
(し、しまったわ!ま、ま、またやっちゃった!)
ぎろり、とメンフィスのにらみが走る。
「そなた・・真に反省しておるのか?ん?」片手にジュリアンをつまみあげたままメンフィスが言った。すでに幼子は手足をばたつかせ始めている。
「はい・・。もう二度としませんわ。」その言葉を待っていたかのようにメンフィスはジュリアンをおろした。幼子は母の無謀な行動の責任を取らされていたのだった。くるり、と向き直るとメンフィスは出て行った。・・・鳩が豆鉄砲をくらったような顔をしているウナスを残して・・。
「カ・・カナン?どうして俺を呼んだんだ?」
「えっとね。どうしても話さなきゃいけないことがあって・・・。聞いてくれる?」
「何だ一体?」
「実は・・・ね。ここに・・・。」カナンは腹部にそっと手を乗せた。鈍感なウナスでも分かるように。
「もしかして・・・赤ん坊か!?二人目がいるのかっ!?」
「ええ、そうみたいなの。強い子よ。あの戦いの中でも生き残ってくれたの。ほら、お父様が来て下さったのよ?」腹部に顔を向け愛おしそうにカナンは話しかけた。小さな命に向かって・・・。
「かあたま、あかたんできたの?ここにいるの?」ジュリアンも小さな手を重ねた。興味津々と言った様子でカナンに問いかける。
「そうなのよ。無事に生まれてきてくれたらジュリアンの弟か妹になるの。ジュリアンはお兄ちゃんよ?」クスクスと笑いながらカナンはジュリアンの頭をなぜてやった。ウナスも大きな手でなぜてやった。ジュリアンには心なしか父が涙ぐんでいるように見えた。そんな父に気付いてか、母はさらに言葉を重ねた。
「もうひとつ嬉しいお知らせよ?」そういうが早いかシュルっと包帯をはずしゆっくりと瞼を開いた。碧い目がしっかりとこちらを見ている!見えている!
「カナン、目っ見えるのか!」
「そう!さっきヌウに包帯を取り替えてもらったときね、急に眩しくなって・・・。見えるようになったのよ!」ニコニコとカナンが答えた。
幸せに微笑む一家に・・・・・・・忍び寄るものがあろうとは・・・・・誰も気が付かなかった・・・おお・・・・・・・・・・・ハピよ・・・・・・・・・