著者が学生時分からモンゴルに深い愛着を持っていたのは有名な話だ。ところでモンゴル騎馬民族や、日本の幕末から日露戦争を語るためには、ロシアの理解が必須である。本書は「菜の花の沖」、「坂の上の雲」を書くにあたってロシアのことを考え続けてきた著者が、彼の国への思いをエッセイ風に綴ったものだ。
私たちの世代には、ロシアといえば共産主義の超大国ソ連としての印象が大きい訳だが、その革命前の帝国ロシアから考えても、その歴史は意外と浅い。ロマノフ王朝が興ったのは、チンギス・ハーンに始ったモンゴル帝国が内部分裂により自己崩壊していく時期であり、その後も長い間、西から見れば東ヨーロッパのさらに奥にある田舎国家だった。当然その時代にもシベリアに原住民はいたのだが、彼らに国家という概念はなく、当然ロシアの支配下にあったわけではなかった。ロシアが国土の膨張を本能のようにしながら増殖していくのは、最期のハーン国が倒れることにより、ウラル山脈を越えることができるようになってからだ。そのことによって、ロシアは広大なシベリアを落し物を拾うように、ただで手に入れてしまった。そしてロシアが18世紀以降、事ある毎に日本や中国に南下しようとしたのは、広大なシベリアを経営するための食料補給基地としたい考えがあっただという。なるほど。
また一概にロシア人といっても、幕末に千島列島のほうからちょっかいをかけていたコザックの頭領たちと、本国の上流階級(例えば、結果的に日本に対する開国要求レースにおいて、ペリーに敗れたプチャーチンなどだ)では物腰に非常に違いがあったらしい。
一般的に日本人はペリーに対して好意的なのだが、著者はペリーがかなり嫌いのようだ。確かに、アジア人に言うこときかせるのは恫喝が一番だと考えていたペリーより、対等な国として長崎で外交しようとしたプチャーチンのほうが好人物だろう。 |