1999年 4月
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@草原の記 (1992)
司馬遼太郎新潮文庫エッセイ
222頁400円★★★★

 モンゴル高原とそこに住む民族について、匈奴チンギス・ハンの大帝国の過去から社会主義国家を経る近代まで、周辺諸国であるロシア中国、そして日本との関係史も交えて、著者の博識と敬愛の念でもって綴った1冊だ。

 一時は太平洋岸から東ヨーロッパまでを覆う大帝国を作ったモンゴルの民は、放牧という根っこの生活スタイルから培った、物欲がとても少ないという民族的特徴がゆえに、産業革命以降の積極的な物欲肯定の潮流からは完全に取残されてしまった。そして、ソ連、中国という凶悪な二国に挟まれたこの国は、草原を守りたいというそれだけのために、ソ連に続いて世界で2番目の共産主義国家になってしまった。まことに哀惜の念を禁じ得ない。

 中学・高校の授業に登場するモンゴルと言えば、中国に対する匈奴、ヨーロッパに対するフン族、そして日本には元冦といった風に、侵略者の立場で部分的に登場する役割でしかない。中途半端な一面からの記述でしかないということだ。歴史というものは、視点をどこに置くかで内容がコロリと変ってしまう。そこが面白いわけだが。
 なんにせよ本書を読んで、モンゴルに対して新たな興味を持った。
 著者のモンゴルへ対する溢れんばかりの愛情が、こちらまで感染してしまいそうだ。死ぬまでに一度はモンゴルへ行って、360度地平を見てみたいものではある。

(2014/3/13改訂)

A地衣騒動
Trouble With Lichen (1960)
J・ウィンダムハヤカワ文庫(銀背)歴史SF
258頁★★

 ジョン・カーペンターが再映画化もした「光る眼」を始め、「トリフィドの日」「海竜めざめる」といったように、著者の作品には侵略テーマが多い。
 細胞の代謝速度を抑えることで相対的に寿命を延ばせるという地衣(苔?)の発見で、人類はある日突然寿命が3倍以上になると知らされる。その延命治療の是非の議論の噴出や、優先順位をどのように割り振るのか等々、官民問わず湧き起る騒動を描いたパニックものの本書は、怪物や宇宙人に侵略される訳ではないが、それまでの生活、常識が突然侵されるという広義の意味で、侵略モノとみることも可能だろう。

 社会構造の変化への考察はいいのだが、地衣のどんな成分が、具体的にどのような作用で延命に結びつくのかという説明がないのは少々物足りない。体細胞の代謝速度が遅くなるだけで即寿命が延びるというのは、単純すぎて肯きにくいので、もう少し蘊蓄を並べた大嘘を構築してほしいところだ。ストーリー的にも、美容院の名のもとに有閑マダムから延命措置を行い、まず長寿命化の事実を社会に認めさせるという主人公の行動は、納得しやすいとは言えない。パニックや混乱を可能な限り小さくしたいのは解るが…。
 一方で社会に与える影響については、深刻になるであろう産児制限や環境破壊への言及はさらりと流れるだけだったし。まあ古典だから仕方ないか。
 オチについても予想がついたので今一つだ。

(2014/4/29改訂)

B誰も書けなかった北朝鮮ツアー報告 (1992)
宮塚利雄小学館文庫民族蘊蓄
218頁419円★★★★

 北朝鮮と言えば、金日成金正日主体(チュチェ)思想、そして核施設疑惑、日本人拉致疑惑【注1】、あるいは、周辺部の一般人民は飢えている、といった事柄が頭に浮んでくる。まぁ日本人の常識レベルもおおかたこんなところだろう。
 ソ連中国が崩壊、または大幅な方向修正を余儀なくされた現在、最後に残ったイデオロギー敵対国である北朝鮮。
 とりあえず日本にとっては、最も直接的なやばさを秘めた国【注2】であるから、その中身を多少とも知ろうと読んでみた。

 本書はツアー報告ということで、金日成/正日政権から亡命してきた政府高官や文化人の内部暴露本ではなく、一般参加者として北朝鮮へのツアーに参加した日本人著者の感想を綴ったものだ。
 今現在(1999年)このようなツアーが存在するのかどうかは判らないが、本ツアーは1992年、北朝鮮の経済にかろうじて最後の余力があった時期とのことだ。この時期は北朝鮮が日本と国交改善を図ろうとしていたらしいが、やはり案内人に決められたコースを連れて行かれるだけで、僅かな自由時間もせいぜい平壌のホテルの周りを徒歩で散策といった程度だったらしい。一般の市民とは自由に話せないのが実状だったようだ。もっともハングル語が判らないとどーにもならないが…。

 その中でなかなか不気味なのが、平壌にある居住用アパートのベランダには、洗濯物が全然かかっていないということだ。なんでも街の美観を良くするという理由で政府の統制がかかっておるらしく、外から見えないように、手すりよりも下に干しているらしい。こんな些末なとこにも国家の干渉があるということだけでも、北朝鮮のありかたが臭う。

 それでも平壌に住んでいる人たちは共産党に忠誠的な人々のようで、まだまだ暮し良い状況にあるという話だ。民主主義人民共和国であるはずだが、北朝鮮国内では50程度に分けられる階級差別が厳然と存在し、住む場所なんかも限定されるようだ。ニュースで地方の飢えた子供たちの映像を見たことがあるが、これは下層にランクされた人たち。恐らく彼らに対する生活向上の政策などは、まったくなされていないのだろう…。
 詳述はさけるが、スローガンの木にまつわる話もトンデモなかった。

 金日成が死んだ時は、北朝鮮の歪みをなくす方向に向う良いチャンスだったと思うが、あっさりと(前後に毒々しい権力闘争があったのだろうが)金正日に政権が移ってしまって、まだまだ不気味さは消えそうにない。はたして血が流れることなく、北朝鮮の“人民”が真に啓蒙される日はくるのだろうか。

【注1】北朝鮮が日本人拉致を認めたのは2002年。
【注2】周知のとおり、中国の脅威はむしろ大幅に拡大しているし、ロシアの軍事行動のハードルもあいかわらず低いが…。
(2014/4/29改訂)

Cトンデモ本の世界 (1995)
と学会編宝島社文庫雑学
415頁667円★★★★★

 “トンデモ本”の定義は、とてつもなく常識からずれた内容を作者が大真面目に書いている本ということだ。
 そういった本を紹介して笑ってやろうというのが本書の趣旨で、具体的に言えば、“UFOや宇宙人は太古の昔から地球を訪れていた!”だの“1999年地球は滅亡する!”だの、あるいは“全世界はユダヤ、あるいはフリーメーソンに操られている!”とかいった類の本だ。

 内容はもう爆笑の連続で、久しぶりに400頁ほどの本を1日半で読みきった。
 しかしこれを読んで怖いのは、筆者たちも何度となく書いていることなのだが、これらの本がこうも大量に出回っているのは“売れている”からである。数多くの読者がいるということだ。
 これら読者は信者予備軍であり、中には宗教でいうところの原理主義のように、全面的に信じてしまう輩も一定の割合で存在する。こんな心配は以前なら鼻で笑えただろうが、一連のオウム事件を経験した今では誰も笑えない。
 日本人のように個々の学問レベルが高くても、集団で容易に操縦されうるというのはもっとも恐ろしいことだ。健全な批判精神を養っておかないと、人間というものは容易に周りの環境や、出所の不確かな情報によって影響されることがあるという事実は知っておくべきだ。
 またこういう本を笑うには、読手にも最低限の知識が要求されるので、こちらもしっかりしなければいけない。
 ニュートラルで柔軟な判断バランスを持つために、常にアンテナを張って情報を取捨選択していく癖と技能を培っておかねば。そう簡単ではない。

 わたしも以前にドクター中松フロッピーディスクの発明者だと聞いて、おーそれはえらいものよと思っていたが、どうやら眉唾な話らしい。
 ただし本書の反動で、すべての薀蓄/解説本が胡散臭く感じてしまうような気もして、これまた逆にやばいかも。

(2014/4/30改訂)

Dジャーレンの秘宝 (キャプテン・ケネディ5)
Jewel of Jarhen (1974)
G・カーンハヤカワ文庫SF
211頁★★

 今回はまじないや超自然的な信仰が幅をきかせた中世社会、惑星ジャーレンが舞台。このジャーレンを自分の勢力圏に取込もうと、地球を含むテラ、シャンボディア、インコンの3勢力が交渉に挑む。
 スター・トレック・シリーズならば、その文明社会が自力でワープを開発するまでは接触を図らないというのが、惑星連邦の不文律だったが、「キャプテン・ケネディ」そんなことには頓着しないぞ。

 テラ代表の外交官が自室のベッドの上で溺れ死ぬという不可解な事件が発生し、なんとケネディが代役の全権大使となり、ジャーレンに乗込むという発端である。
 おいおい、諜報員にそんな仕事を安直に任せてよいのかというツッコミが起こるところだが、心配御無用彼は交渉事もエキスパートだ!

 代理でジャーレンに乗込んだケネディは、明晰な頭脳を持っている割にあっさり罠に落ち、どことも知れない異空間の大海原に素っ裸で放り出されてしまう。物語はケネディのサバイバルと、彼の救出に取組むルーデン教授にサラトフ、ケミルという2面構成。1巻と似ている。
 異世界に体ごと(裸ではあるが)運ばれているにもかかわらず、元の世界にも意識を失ったケネディの体は残っている。このあたりの科学的つじつまが滅法いい加減でつらいところだ。

 別に本作はシリーズ最終巻ではないのだが、日本での翻訳はこれが最後。何ら困りはしないとはいえ、本国で一体何冊出ているのか、ちょっと気になるところではある。

(2014/4/30改訂)

E「古事記」の謎 (1990)
邦光史郎祥伝社ノン・ポシェット歴史薀蓄
279頁533円★★★

 このあたりの書籍には興味はあるが、原典に手を出すのはなかなかハードルが高い。そういった向きには本書のような本はありがたい。
 本書は前半が「古事記」の簡訳、後半が「古事記」にまつわる“謎”を含んだあれこれの紹介のパートに分かれている。

 いわゆる記紀【注1】はだいたい藤原京から平城京へ遷都する時期に編纂されていたわけだが、天武系政権の官選の書籍であることが確実視されている「日本書紀」に対し、その直前あるいは同時期に編纂された(といわれている)「古事記」の成立ちは謎に包まれている。
 聖徳太子時代の書物「帝記」「本辞」大化の改新当時に焼失したらしいが、それを記憶していた稗田阿礼の暗誦を、太安麻呂が選述し、712年に天皇に献上したと序文には書いているらしい。

 が、実は「古事記」が世に出たのは平安時代である。太安麻呂の子孫である多人長(おおのひとなが)が、倉の中から発見したというが、いかにも怪しい初出である。「古事記」献上の8年後に完成した「日本書紀」にも、「古事記」のことは全く触れられていないという点も不審な点だ。なので「古事記」が偽書ではないかという議論も、江戸時代から頻繁にあったとのこと。この先解明される日が来るとも思えないが、真相は果たしてどうなのだろう。

 「死海文書」のように、どこかから「帝記」や「本辞」が発見されれば途轍もなく面白いのだが、高温多湿の日本ではちょっと無理かな…。

【注1】古事記と日本書紀のこと。
(2014/4/30改訂)

Fミミズは切られて痛がるか (1997)
奥井一満光文社文庫生物蘊蓄
239頁495円★★

 ミミズは真中で切断されるとのた打ち回る(ように見える)が、通常それは単なる反射作用で、痛覚のない下等動物のミミズには痛みなどない。
 はたして本当にそうだろうか、下等動物だから痛みがないというのは単に人間の傲慢ではないか、DNA塩基構造は生命の地図であるというが、一体我々は生命についてどれだけのことがわかっているのか。というのが本書のテーマだ。

 という訳で、わたしが本書に期待したのは、蜂やらゴキブリやらの小生物の生態の面白い薀蓄であったが、これはおもいっきり外されてしまい、最後まで上記の疑問がしつこく繰返されるだけの展開だった。「トンデモ本の世界」の直後に読んだ影響も混じっているかもしれないが、本書からはトンデモの薫りがした…。著者の考えは少々極端というか、おセンチな感じがする。

 とはいえ、「学問の世界は客観性が大事といわれるが、もう少し考えてみると、その客観性もまた人間の傲慢の上に成立ったものではないか」という主張には、一理あるとは思う。

(2014/4/30改訂)

G死国 (1993)
坂東眞砂子角川文庫ホラー
344頁540円★★★

 「リング」ブームの波及なのか、本書まで画化されたようだ。という訳で優先順位を上げて、積んでいた在庫の中から取り出してみた。

 仕事に恋人に疲れた比奈子は、残していた実家の処理もあって、小学生時代に住んでいた四国の山奥にある矢狗村へ帰ってきた。村にはコンビニなどができてはいたが、そう変ることもなく、旧友なども昔のままだ。ただ一人、親友だった莎代里が20年近く前に事故死していたこと以外は・・・。
 そして比奈子は、大人になるまえに死んだ莎代里を想いながらも、やはり幼なじみで、3人で遊んだこともある文也と再会、恋に落ちる。この村に住むことも考え始める比奈子だが、彼女の前には不気味な気配が立ち込め…。

 いわゆる伝奇小説では、“奇”なるものを伝えるために、それ以外の日常や登場人物の心情などをしっかりと描写する必要がある。そうすることによって、本来ならまるで信じられないような内容でも、ひょっとしたらという気にもなるわけだ。本書でも、平凡な日常が比奈子の心情の描写とともにかなりしっかりと積重ねられていくが、それにしても溜めに溜めて最後にドッカンとくる騒動はあまりにも…。

 四国が“死国”に通じ、四国の中央部にある石鎚山が神話にある黄泉津国への入口だとするのは、土俗宗教が色濃く残ったイメージの強い、四国に似つかわしくていい感じだ。莎代里の母の“逆打ち”により結界が破れ、亡霊が湧いてくるのもまあ良しとしても構わない。しかし亡霊がべらべら喋りだして、生きている人間とどんどん接触するとなると、さすがに鼻白んでしまう。妙な雲の流れや<ネタバレ反転>下流から上流に流れる川など、かなり大規模におかしな現象が発生する。これらへの合理的な解釈もまるでなし。これはいけない。

 莎代里の家系が口寄せ巫女の一族であり、莎代里も生前、依童(よりわら)として儀式に参加していたことを比奈子が思い出し不安感にかられるあたりは、抑えた感じのいいホラーであっただけに、ラストの暴走と自己満足のような結末にはつくづく残念だ。
 在庫の「狗神」には当分かかれないな…。(←4年かかった)

(2014/4/30改訂)

Hウッドストック行き最終バス
Last Bus to Woodstock (1975)
C・デクスターハヤカワ文庫ホラー
352頁583円★★★

 夕刻、2人の女がヒッチハイクの車に乗った。そしてその晩1人は死体で発見される。警察は広く目撃証言を集めるが、もう1人の女からは連絡がない。テムズ・バレイ警察の主任警部モースは、殺された女の職場の交友関係から洗い始めるが…。

 デクスターの作風は、次から次へと論理的な可能性を積上げては修正・否定、という推理の過程を味わう作品だという触れ込だが、売込み文句ほどの強い印象は受けなかった。いや正直なところ。
 決してつまらんわけではないが、えらくこじんまりした印象だ。モースが殺された女の同居人スウに惚れていき、スウのほうでも、婚約者があるというのにえらく簡単にフラフラしてしまうシチュエーションもどうかと思う。
 別に推理小説にロマンスが混じっても構わないのだが、年令差二十歳以上という厳しい条件を越えるだけの、こちらが納得できるほどの書込みがないわけだ。この辺りに言及した評論は見たことがないのだが、そう感じるのはわたしだけなのか…。

 主任警部ということで、漠然と四十歳以上だと思っていたが、実は三十歳そこそこという可能性もあるか。
 「キドリントンから消えた娘」はどないしようかなぁ。(←12年後に読んだ)

(2014/4/30改訂)

I白髪鬼 (1931)
江戸川乱歩春陽文庫ホラー
190頁408円★★★

 九州の旧華族の当主大牟田敏清は、瑠璃子という輝かんばかりに美しい妻を娶り、学生時分からの親友川村らとともに何不自由ない幸せな生活を送っていた。しかしお坊ちゃま育ちで寛容な敏清の裏で、瑠璃子と川村は姦計を施し、敏清を先祖の柩とともに玄室に閉じ込めてしまう。狂気の数日間の後、その玄室内に海賊の宝とその海賊が密かに掘っていた抜穴を見つけ、脱出に成功した敏清だったが、彼を蝕んだ狂気はわずか数日で彼の髪を真白にし、容貌を老人のように変えてしまっていた。そして心は復讐の鬼に…。

 乱歩は海外作品の翻案をいくつか手がけているが、本作は「モンテ・クリスト伯」(日本では「岩窟王」といったほうが馴染みあるかな)が元本と見受けられる。とはいうものの、作中で敏清が、「まるで岩窟王だ」などとほざく台詞があるし、第一あの長大な原作を190頁にしているのだから、ベースのアイディアのみ踏襲して、あとは乱歩の好きなように書いているようだ。(それが翻案か…)

 因みに言うと、“乱歩の好きなように”というのは、グロが混じることだが。

(2014/4/30改訂)

J戦略戦術兵器事典E 日本城郭編 (1997)
学研歴史薀蓄
223頁1900円★★★

 現在残っている城(天守)は、レプリカも含めて白漆喰の層塔型がほとんどだが、これは徳川の世になってからの流行である(というか半強制かもしれないが)。意外と知らない人もいるが、現在の大阪城三代家光の時代に造られた徳川の城のレプリカである。秀吉の大阪城天守は大阪の陣で焼失し、その石垣は土の下。それから天守は層塔型ではなく望楼型と呼ばれるもので、入母屋造りの上に櫓が乗っかった形状をしていたらしい。また白漆喰などは用いられておらず、黒い偉容を誇っていた。

 読物としては面白くもなく読み進めにくい箇所も多かったが、いわゆるわたしたちが城と言われてイメージする天守閣付の城だけでなくて、戦国初期や南北朝時代の砦に近いものも含めた歴史、あるいは城作りの流れ(地選地割縄張普請作事)など、なかなか興味深い内容も多かった。
 戦国時代の最後の50年を見ても、その間に技術力の大幅な向上があったのである。

(2014/4/30改訂)

K歴史の零れもの (1994)
日本ペンクラブ編光文社文庫歴史薀蓄
364頁590円★★★

 10人の作家による歴史短編集。うち2編は西洋史を扱っている。
 かなり古い作家の作品も含んでおり、文調というか、思想的に古く感じる短編もある。まあ全体的には今一つの内容だったが、イスラム教の一形体である暗殺教団の“山の老人”の話は、西村寿行「花に三春の約あり」を思い出して懐かしかった。「花に三春の約あり」では、なんと現代に残る暗殺教団と主人公側アルゴノーツ(暗殺部隊)が戦うというトンデモない内容だった。続編「妖しの花乱れにぞ」では、すっかり主人公サイドに納まっていたはずだ…。
 あれっ、話がころっとずれてしまった。

(2014/4/30改訂)

LすべてがFになる
 THE PERFECT INSIDER (1996)
森博嗣講談社文庫推理
508頁714円★★★

 このシリーズは、ミステリ系のサイトでは京極堂シリーズと同じくらい話題になっているようだ。なんや“理系ミステリ”という謳い文句がついてまわっているが、タイミング良く文庫落ちしていたので早速読んでみた。

 犀川助教授とその研究室の面々は、ゼミ旅行として妃真加島にキャンプにやってきた。その島には若き天才真賀田博士を中核とする真賀田研究所がある。真賀田博士は十数年前、14歳の時に両親を殺したと噂のある疑惑の女性で、それ以来研究所の一室から外にでることなく、研究活動のみを行っているらしい。
 そしてキャンプの初日、犀川と彼の恩師の娘萌絵は研究所を訪れていたが、人物の出入はもちろん、物資の搬出入まで24時間モニタリングされている彼女の部屋で異変が起る。開所以来中からは開いたことのなかった扉がスライドし、そこから出てきたのは、所内で物の運搬に使われているロボットと、そしてそこに乗せられた、ウェディング・ドレスを着た真賀田博士の胴体と首だった…。

 なかなか魅力的な死体の出し方だ。
 所員たちはほとんどのコミュニケートをチャットで行い、会議も電子会議である。
 わたしも2014年現在は、ほぼ毎日アメリカか中国とテレコン(電話会議)またはチャットをしているが、18年前にはまるで想像できなかった仕事ぶりだ。本書ではさらに極端に、炊事を含め公私ともに自室から出ることがほとんどないという不健康な研究所になっている。同じ建屋内だったら顔を突き合わせるほうがいいぞとツッコミたくもなるが、アシモフ「はだかの太陽」を思い出させる舞台演出も、“本格”推理小説でいうところのクローズド・サークルを上手く構築している。

 そこまでは良い。しかし理系、理系と連発するほどのものか、という気もする。  この当時、チャットや電子会議で仕事を進める環境はそら最先端だろうが、SFに分野を広げればなにほどのことでもない。やたら“理系の人間が書けている”と絶賛する輩の周りには、単に理系の人間がいないだけという気がする。

 本書の犯罪の成立には、真賀田博士という普通の人間とは感性がまるで違う“パーフェクト・インサイダー”の存在が必須だったが、それにしたところで、彼女はすごい天才なので、動機もわたしたち凡人には解らないとあっさり認める気にはなれない。
 内容に触れられないのでなかなか説明できないが、個室での十数年というものの重みが描写されていないことを、まさに逆説的に、不思議な天才の思考というもので誤魔化しているだけに感じるが…。
 インパクトはあるが、あまり好きになれない一冊。

(2014/4/30改訂)

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