2000年 4月
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@漫画博士読本 (2000)
瀬戸龍哉/山本敦司宝島社文庫歴史薀蓄/紀行
279頁571円★★★

 いわゆる“空想科学冒険まんが”に出てくる博士連中の、トンデモなさをネタにして笑おうという本だ。
 天馬博士お茶の水博士兜博士などが出てくる前半はぼちぼち面白いのだが、最近のマンガに話を広げた後半はさっぱりだ。あまりフォローしていないので、残念ながらわからない。

 マンガという括りからは外れてしまうのだが、早乙女博士(←これ、原作あるよね)や南原博士も取り上げてほしかった。南原博士なんておとなしそうだが、孫のちずるにすんごいミニを穿かせる、かなりヤバイじーさんだ。

 マーケティング戦略としても絞り込んだほうが良かったのでは。

(2015/11/2改訂)

A樹海戦線 (1984)
J・C・ポロックハヤカワ文庫冒険
364頁680円★★★

 犬の訓練センターを営むスレイターは、ベトナム時代の上官に誘われ、森の中のキャンプに向かった。しかし何か重大な用件をスレイターと話し合おうとしていた上官は、突如出現した男たちに射殺されてしまう。スレイターは過去に身に付けた能力で辛くも反撃、その場からの脱出に成功するが、彼もまた命を狙われる身に・・・。
 どうやらベトナム時代の“何かを見た”ことが原因だと気づいたスレイターは、同じく身の危険に晒されたグリーン・ベレーの同僚パーキンスに接触を図り、彼とともにカナダの原生林で敵を迎え撃つ作戦をとる。
 しかし、そこに送り込まれた刺客は、ソ連の誇る特殊部隊ヴイソートニキ・チームだった・・・。

 本書の“売り”は、後半のプロ対プロによる苛烈なサバイバル戦で、それはそれで面白いのだが、この手の謀略絡みの本はなかなかスカッとする終り方にならないのが、個人的にはつらい。
 本書では、スレイターの行動と並列して、彼と過去にしがらみのあるかつての上司ヴェナブルによるCIAの内部調査が進められる。比較的早い段階で“何か”、ずばり<ネタバレ反転>CIA上層部に潜むソ連のもぐらの正体が解明されるので、この時点でスレイターたちの抹殺は不要になる筈。しかし国家間のドロドロした思惑が絡んで、CIA工作担当副長官の判断はそう簡単にはいかない…。

 もちろんそういった展開も含めて、この手の小説の醍醐味であることは判っている。  しかしわたしはやっぱりハッピーなほうが好きだ。コン・ゲームみたいなどんでん返しがあれば…。

(2015/11/2改訂)

B中国の歴史(三) (1980〜1983)
陳舜臣講談社文庫歴史蘊蓄
573頁718円★★★★

 一、二巻を飛ばして三巻から。
 通史を読むのはつらいので、まずは三国志の時代からというココロである。
 本巻では、魏・呉・蜀の時代を真中に挟んで、後漢の始まりから五胡十六国の終りまで、ちょうど西暦の最初の550年を扱っている。
 王莽を倒して漢の再建に成功した劉秀は、もちろん劉一族であるが、前漢高祖劉邦に始まる宗家からはかなり遠く、また兄弟の中でもそう目立った存在ではなかったようだ。なんでも、若い頃は、“都に登って美人の嫁さんを貰い、警視総監になりたいなあ”などと夢見る青年だったらしい。
 劉秀が赤眉を倒して後漢の皇帝となったのは、劉秀自身の攻撃的な性格ではなく、時代のうねりに担がれた面が大きいと言える。彼は行政を整理して冗費の節約を図り、徴兵制を廃止して地方に軍閥が興り難くし、組織形態を小さく造り、その分自分の専制を高めたという訳だ。

 このようにして後漢はスタートするが、人間の欲というのは抑えられないもので、世代を重ねる毎に外戚や宦官が幅を利かし、互いに勢力闘争に明け暮れた。
 たしか西暦180年頃だったか、大規模な農民反乱である黄巾の乱が発生し、いよいよ三国志の時代へと突入していくことになる。

 三国志の時代を制するのは、結局中原と皇帝を押さえ、人材の豊富であった魏に軍配が上がるが、しかし王朝の運営というのは難しいものである。
例えば、曹操一族の王朝である魏は、皇族の力を殺いで地方で担ぎ上げられないようにした。その結果は、司馬氏にあっさりと禅譲することになり王朝へと取って変わられた。
 その晋は皇族が力を持っていたので、早々と八王の乱が勃発。この乱が収まったときには王朝の力はへたっており、次の王朝が興る、といった具合だ。

 この辺りが西暦300年過ぎだが、こんな繰り返しで、以降250年、北は五胡十六国に南は六朝というように、短命王朝の割拠の時代が続く。
 わたしの記憶にある教科書内容では、それこそ3行程度で王朝の登場となるが、なんといっても時間にすると250年。本書では200頁ほどもこの時代に割かれていて興味深い。王朝や人物が入り乱れて、さっぱり覚えられないが…。

 しかし小説でも漫画でも、三国志の英雄曹操や劉備たちは、勢力の拡大と安定政権の基盤確立に苦慮するが、彼らの後にも戦乱はまったく絶えない。同じことの繰り返しである。諸行無常の響きありといったところだ。

(2015/11/5改訂)

C国家・宗教・日本人 (1996)
司馬遼太郎/井上ひさし
対談
講談社文庫歴史薀蓄
168頁467円★★★

 日本人の民族性を作ってきたのは、宗教であり、国家である。
 そしてそれらをひっくるめて、影響を与えるのは、使用する言語である。
 といったわけで、有名な作家と劇作家の対談ということで、近代日本語の成立についての話題が面白かった。

 現代日本語の文章語を意識して作り上げたのは、夏目漱石であって、それ以前には、自由に意思を伝えられる文語は十分に熟していなかったという。いわゆる「候で候で候」のような文章だが、漱石が口文一致の文章語を作り確立していくことで、口語での表現法もまた発展してきたといった内容だったか。【注1】
 あまり覚えていない…。

 一般的に日本人はスピーチが下手だと言わている。
 特に政治家はもっと日本語の表現力をつけるべきだという話があったような。
 関係ないが、アメリカではジョークも知性の裡で、政治家はお抱え作家を使っていたりするらしい。【注2】

 それにしても、明治までの日本を肯定しながらも、現代に関しては、隣国へ配慮しすぎの司馬遼太郎と、左でアナーキーな井上ひさしの対談だから、かなりレッドな台詞が飛び出していたのではと思うが、なにひとつ覚えていない…。
 あるいは初対談?で抑えていたとか。

【注1】このあたりの内容は、後に街道をゆくシリーズなどでも繰り返し読んだが、本書で初めて読んだ…かな?

【注2】本人がする必要はないが、英訳も含めてトータルの表現力が大事である。当然そういった事に長けたスタッフを抱える必要があるが、当時のわたしは感心しているな。

(2015/11/5改訂)

D網走発遙かなり (1987)
島田荘司講談社文庫推理
330頁571円★★★

 互いに関係のない不思議な出来事。
 日々自宅の熊笹の葉を刈りながら、高台のマンションを見上げつづける老人/庭に出没しては、「ねえ、教えてくださいよ、旦那。」と囁くピエロ/そして江戸川乱歩の犯した殺人の疑惑。

 それぞれが独立した短編として結末を持ちながら、すべてが50年前の北海道で起きた事件に繋がっていく。かなりの野心作ではある。

 しかし探偵役がいないので、いわゆる、「名探偵/皆を集めて/さてと言い」で始まる謎解きでのカタルシスの面が不十分に思えてしまって残念だ。詭弁でもいいから探偵の有無を言わせぬトークで納得させてもらいたい。
 とは、登場人物たちの動きにちょっと無理がありすぎに感じたので。

(2015/11/5改訂)

Eミクロの決死圏2 ―目的地は脳― 上下
 Fantastic Voyage U (1987)
I・アシモフ創元推理文庫SF
333頁/333頁640円/640円★★★

 前作は有名な映画の脚本が先にあったわけで、アイザック・アシモフ自身にとっては、どうも納得しづらい点が多々あったらしい。というわけで、同じテーマを扱った、完全に自己の作品を書いたのがこれだ。  従って、「2」ではあるが、前作との繋がりはまったくない。別物だ。
 だから前作について全く知識がなくても、何ら問題なし。しかし二作を読み較べることで、アシモフがどこに不満を持っていたのかがよく解る。

 物体の構成原子をそのままにして大きさを縮めれば、とんでもない密度になってまうし、質量を減らすように原子を間引くとすれば、例えば人間ならパープリンになってしまう。ミクロ化を真面目にSF小説のテーマになどできないと思うが、本書での説明は、局所的なフィールド内での原子のサイズそのものをミクロ化するとしている。
 微細なサイズの下限の足枷となっているプランク定数をも小さくすることで、ミクロ化が可能なそうだ。正直言うと、亜空間からの投影像という前作での説明よりも理に適っているのかどうかも判らない…。

 ただし、本書のハッタリのほうが魅力的ではある。
 プランク定数の桁をいくつか下げるために、膨大なエネルギーが消費されるが、相補的に量子論と並ぶ現代科学の巨峰、相対論における情報伝達の上限の足枷、光速度を相補的に桁上げすれば、エネルギー消費は素晴らしく小さくなる!
 なんとも凄い話だ。
 ニュートン物理の性質のままで通常の光速度を超えられるという訳である。

 ミクロ化技術の論理的発見者で、そのキーマンであるシャピーロフが昏睡状態に陥ったがために、学会からつまはじきにされている神経物理学者のモリスンが、アメリカからソ連!に半誘拐されるというのが本書の発端である。

 しかしこのモリスン博士、冒険家ではなくて学者であることを強調せんがためか、嫌になるくらいミクロ化潜航には消極的で後ろ向き。話が前に進まないのでこちらのイライラも募る。モリソンたちのチームがシャピーロフの体内に潜るのは、上巻もほとんど終盤になってからだ。

 チームメンバーも性格に問題あるやつばかり。電磁気学者カリーニナと神経物理学者コーネフの愛憎のもつれにモリスンが関わるプロットも、ストーリーのふりかけなのだが、どうもスカッとしないし。
 実はこの辺りはラストへの重要な伏線、大どんでん返しになっている。特に最後の2頁は、呆気にとられるほどだ。中途のダラダラやイライラも実にこのために昨日していると言える。
 ただ、わたしが好きなのは前作のほうかな…。

 話が前後するが、新旧で体内での描写における最大の違いは電磁波への言及だろうか。異物として白血球その他から攻撃を受けないために、艇の外殻に親和的な電磁パターンを与えるだとか。しかし電磁波はミクロ化フィールドの内外で縮小拡大されるために、外の光景を艇の内部のミクロ化された人間が見ることができる。うーん、今回はかなり分子に近いサイズまで縮小されたはずだが、まだ不確定性のゆらぎとかは大丈夫なのかな。

 15年経った分、多少読解力もあがったかもしれないが、再読する根性は出ない…。

(2015/11/8改訂)

F聖母の日 上下
 Virgin (1996)
F・P・ウィルスン扶桑社ミステリー伝奇
346頁/245頁686円/648円★★

 ウィルスンと言えばナイトワールドサイクル。昨今ではアドヴァーサリ・サイクルなんて言ってるようだ。
 あっちでも、善と悪の対決という、一種の宗教テーマが扱われるが、本作はずばり聖母復活がテーマ

 貧困にホームレスにエイズ。社会不安が蔓延しているミレニアムのニューヨークで、無料給食所を運営しているシスター・キャリーは、何かに執りつかれたかのようにイスラエルへ渡る。そしてその荒野に隠された洞窟で、聖母マリアの遺体を発見したキャリーと相方の神父ダンは、遺体をニューヨークへと持ち帰ることに成功、以後シスター・キャリーの無料給食所の周辺では、様々の奇跡が発現し、噂を聞き及んだエイズの息子を持つ上院議員クレンショーや聖母を取り戻そうとするイスラエル総保安局のケセフの暗躍が始まって…。

 なんじゃあこりゃ!
 ここまでストレートな聖母復活とは思わなかった。
 われわれ日本人からすると、聖母復活自体がトンデモなファンタジーネタに感じるが、ウィルスンからすれば、そのトンデモは何等トンデモではなかった…。
 キリスト教、しかもかなり原理主義者に近い人たち以外には、かなりつらいのではないか。

 ここでは聖母復活はまず事実としてあるので、キャリーの邁進は正義として評価されるのだろうが、周りを考えない自己中心的な行動は、狂信者以外の何者でもない。
 おまけにミレニアムに復活した聖母マリアは、何をするでもなく、キャリーとともにシュポーっと昇天してしまう…。  そこで話は終わるが、神の実在をしった人々は目から鱗が落ちたかのように生まれ変わって、より良い世界を造るとでも作者は言いたいのか。一体何を考えてるのだろうか。

 どうも未だに「ナイト・ワールド」を温存しているのが心配になってきた。(←三年後に読んだ)

(2015/11/8改訂)

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