2001年10月
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@手塚治虫の冒険 (1998)
夏目房之介小学館文庫漫画評論
403頁657円★★★

 最近はぼちぼち漫画の評論も出てきたようだが、それらにありがちな、時代的背景や思想を分析するというものではなく、画としての表現方法やコマ割りのテクニックの変遷を中心にしているのが本書の特色。
 手塚治虫はライバルである劇画の台頭にどう苦悩し、影響を受け、模索していったのか、画の変遷から探っていくのは興味深いところだが、講習会の口調はやや鬱陶しい。
 何回かに分かれて行われた講習会がベースなので、若干まとまりの悪さがあるか。

(2014/1/11記載)

A崑崙遊撃隊 (1976)
山田正紀ハルキ文庫冒険/伝奇
334頁820円★★

 日本が泥沼の戦争へと驀進し始めていた昭和8年。上海に居た藤村は、ある人物から崑崙捜索の依頼を受ける。藤村は伝説の国崑崙で生まれたと称していた、李夢蘭という女と以前に関わりがあった。彼の所持していた写真には、この世に存在する筈のない剣歯虎が写っている。彼もまた単独で崑崙を探していたのだった。
 群れることが嫌いな藤村だが、殺し屋B・W、向背常ならない美少年天竜、日本人馬賊の倉田、そして雇い主からの監視役である森田と、いずれも腹に一物持つ連中と組んで、伝説の崑崙を捜す旅を始める…。

 崑崙といっても新疆ウイグル自治区の南の境界である崑崙山脈ではない。
 神話上の生き物が巣食う伝説の崑崙のことである。本文の展開から察すると、長城の北の内蒙古自治区を西に向かっているようだが、よくわからない。敦煌吐魯蕃ラインを横切ってタクラマカンのほうへ抜けたとも思えないが、砂の中を泳ぎまわる鮫や巨大な蛸なんぞが景気良く襲いかかってくる。内蒙古の沙漠は、わたしの知る限りではゴビに代表されるような、素手ではとても穴を掘れない“固い”砂漠がほとんどだと思うが…。(余談だが、中国では砂漠ではなく「沙漠」と表記するが、ゴビはどちらでもなくゴビ灘(たん)と呼ばれているそうだ)
 もちろん海からは1000Km以上離れておるにもかかわらず、鮫や蛸が生息している理由などは全くなしである。

 前半、上海のフランス租界などのきな臭い中国の背景や、その中で友人と李夢蘭を救えず鬱屈しているがゆえに、伝説のまちを追い求める藤村のキャラ立ちなどは、予想以上に読ませるのだが、後半崑崙が舞台となってからは、やたらにロマンチックな御都合主義が表に出てしまってなんとももったいない。
 舞台の特異さに負けて、十分に人物を動かしきれなかったようだ。

(2014/1/11記載)

B歴史の交差点にて
対談
司馬遼太郎/陳舜臣/金達寿
講談社文庫歴史薀蓄
249頁467円★★★

 日本人、中国人、朝鮮人の3人の作家が、東アジアの歴史と文化の交流について語り合う。

 金達寿は、司馬遼太郎と陳舜臣という二人の饒舌な物識りに挟まれて、特に中国ネタでは分が悪く、かなり下手に出ているようだった。内容についてはほとんど何も頭に残っていないのだが、司馬遼太郎が意外と議論好きでよく喋っているのが、他の対談集よりも印象に残った。
 懇意の作家同士の対談ということもあるのかもしれない。

(2014/1/11記載)

C太陽系七つの秘宝 キャプテン・フューチャー5 (1941)
E・ハミルトンハヤカワ文庫SF
276頁340円

 木星から帰還した考古学者ケネス・レスターは、自分が発見した秘宝を前に興奮していた。太陽系の命運をも変え得るこの重大な発見をキャプテン・フューチャーに伝えなくては!
 しかしその思いも束の間、彼は惨たらしい死を迎え、秘宝は奪われてしまう。お忍びで地球に来ていたキャプテン・フューチャー=カーティス・ニュートンは、友人レスターの殺害現場で、彼の遺体の状態から古代火星に伝わる謎の装置が使われたことに気付く。そして先ほど偶然見かけたあの人物との関係にも・・・。

 キャプテン・フューチャーの第一の好敵手であり、カーティスの誕生したその日から深い因縁で結びつくことが運命付けられていた、ウル・クォルン博士の登場巻。端から敵の正体が判っている初めてのパターンである。
 「宇宙帝王事件」でキャプテン・フューチャーに救われたケネス・レスターが、<ネタバレ反転>冒頭であっさり殺されるかと思えば、キャプテン・フューチャーが遊園地で子どものように戯れるという意表をついたプロローグ。この未来世界に見世物小屋が立てられているのはご愛嬌だ。
 しかしたまのオフでジョオンとのデートを楽しむのは良いとして、何故に横におるオットー。
 カーティス君、もしかして君は童貞なのでは!?

 一方1/2の地球人、1/4ずつの火星人、金星人の混血で、おまけにムスリム、フューチャーメンの天敵として華々しく(見世物小屋でねずみをぶらさげていたりもするが)登場したウル・クォルン博士も、最初のアドバンテージを除けば、キャプテン・フューチャーとの勝負にはやや分が悪い。個人的にはオットーかグラッグが半壊するくらいの攻撃力を示して欲しかったところだ。
 そういえば、シリーズ全巻を通じてそんなシーンは無かったような・・・。
 TNGのデータ少佐なんかはやたら壊れたりするが。

 しかし本書のキモは、なんと言っても“極微宇宙”である。  特殊な発振器でもってミクロ化し、原子/分子の世界に入り込んでいくと、原子核は太陽、電子は惑星に相当するというトンデモ理論だが、昔初めて本書を読んだときは、その宇宙観――自分たちのの宇宙の星々もまた極大宇宙の電子かもしれない!――に圧倒されたものだ。

 ハミルトンにはこのテーマにより焦点を合わせた、「フェッセンデンの宇宙」という傑作短編がある。藤子・F・不二雄も読んでいたこと間違いなしだ。

 そうそう、ストーリー展開にはなんの関係もないが、オットーのペット、<ものまねモグラ>のオーグが初登場することも付け加えねばなるまい。

(2014/1/11記載)

D日米開戦 勝算なし 太平洋戦争 日本の敗因1 (1992)
NHK取材班角川文庫歴史薀蓄
247頁500円★★★

 これは笑い話かもしれないが、五十数年前、日本とアメリカが戦争していたと聞いて、「えー、(日米が共同で)どこと戦争してたのー?」などという、信じられないほどの物知らずが存在するらしい。
 それはそうと最近は、当時の戦争絡みのことはただ謝っとけばよいという風潮を反省すべしという内容の著作が多くなってきている。これはわたしも賛成で、とりあえず中国、朝鮮には謝ってしまおうという態度はいかん。
 しかし勝ち目のない泥沼の戦争に日本国民や東/東南アジアの国々を追い込んでいった軍部と指導層の責任というのは間違いなくあるわけで、本書から始まる日本の敗因シリーズはその観点からのNHKの取材をまとめたものだ。わたしは見ていないが、1992年に「NHKスペシャル」で放映されたらしい。

 本書のテーマはずばり“補給”。
 戦争の是非は別にして、対外戦争を行うときに資源の確保は最重要項目だ。で、それを日本国内でのみまかなうことが不可能な日本は、開戦早々に東南アジアへ侵攻、まんまと勢力圏に置くことには成功した。繰り返すが事の是非は問わない。
 しかしその後が悪かった。せっかく彼の地で現地人を強制労働させて得た鉄鉱石その他は、日本へ運んで加工されて始めて兵力となるわけだが、それにははるばるシーレーンをタンカー輸送する必要がある。その重要な輸送任務の艦隊を防備する護衛艦隊がいかにもお粗末だった。当時の陸海軍の一般的な空気では、補給物資を担当する輜重部隊の価値を徹底的に軽視してたのである。まったくのところ、二千数百年も昔の孫子が聞いてもあきれてしまうだろう。

 そして日本は相手との国力差を考えずに戦域拡大を図り(当然だが、支配域が広がれば防備に必要な戦力は拡大し、兵站と補給はさらに困難になる)、ミッドウェーで大敗北を喫してしまう。
 この時期には、巨大艦隊が戦闘機群に勝てないことをアメリカは学んでいた。それを教えたのは皮肉なことに真珠湾攻撃を仕掛けた日本である。ところが日本はそれ以後も一向に巨大艦隊主義を変えようとはしなかった。この間抜け具合をどう考えればよいのだろう。

 という訳で、ミッドウェー、ガダルカナルと戦局が進み、日本の支配圏が狭くなるにつれ、あいも変わらず乏しい護衛艦は役に立たず、日本のシーレーンはずたぼろにされる。
 時間とともに日米の国力差はどんどん開く一方だ。
 ここにきても軍指導層は“一億総玉砕するまで徹底抗戦”と叫んでいたのだからひどい話である。
 わたしは正直なところ、敗戦時に日本人捕虜が受けた様々な仕打ちを考えると、対外的な戦争責任はとんとんのような気がしているが、国内(とりわけ沖縄や広島、長崎)に対する軍指導層の戦争責任は大きいと思うぞ。

(2014/1/29記載)

E華氏451度 (1953)
R・ブラッドベリハヤカワ文庫SF
276頁600円★★★

 その世界では書を読むことが禁止されていた。禁令の書を所持していることが密告されると、焚書官たちが出動し家ごと焼却されるのだ。焚書官のモンターグはそれまで何の疑念もなく書を燃やし続けてきたが、ある日隣に越してきたクラリスという少女に会ったことから、自分の生活に疑念を持つようになる。小さな疑念の芽は日々膨らみ、ついには決定的な破局が・・・。

 前半は、クラリス(その世界では危険思想の持ち主)と、ミルドレッド(日常生活から遊離してしまったモンターグの妻)の対比でディストピア性を強調している。ブラッドベリは50年代にこの作品を書いたわけだが、TVや車のとめどない発達によほど脅威を見出していたのか。

 「あんたも見たことがあると思うけど、この都市の郊外に、二百フィートの長さのある広告板があるわ。あれだって、最初は二十フィートしかなかったのよ。でも、あんまり車が早く走るんで、あの長さにしなければならなくなったんですって。」

 交通手段のスピードアップで生活速度は速くなり、造られた映像で娯楽を賄うわたしたちの生活は、はたして豊かになったのだろうか。甚だ疑問ではある。

(2014/2/1改訂)

F遠きに目ありて (1981)
天藤真創元推理文庫推理
396頁720円★★★★

 岩井信一少年は重度の脳性マヒで体の自由が効かない。移動するには車椅子が必要だし、話をするにも難儀するという大きな障害を抱えている。だがふとしたことからこの少年と知り合った真名部警部は、彼の頭のよさに驚いた。彼に今抱えている難事件のことを話して聞かせたのは、ちょっとしたサービスのつもりだったが、まさか事件の謎を解き明かすとは・・・。

(1)「多すぎる証言」
 とある団地のベランダで、男が叫んで死んだ。目撃者は中庭でバレーボールの練習をしていたママさんたち。その中には被害者の妻も混じっていた。メンバーたち8人は不信な人影を目撃していたが、証言内容はばらばらで…。

(2)「宙を飛ぶ死」
 ホテルでのクラス会に参加していた男が謎の失踪をとげる。消えた男には2人の女性と、過去につながりのあった過激派の影。数日後、失踪現場から200キロ離れた諏訪湖で死体が見つかったが、死亡推定時刻は失踪直後だった…。

(3)「出口のない街」
 赤沢巡査は以前汚名をかぶるきっかけになった男を発見した。コンビの婦警にサポートをさせながら、勇躍追跡を開始したが、次に男を部屋で見つけたとき、その男は死体になっていた。しかし男が居た部屋からのいくつかの出入口には絶えず刑事か住人の目があり、犯人の逃走は不可能と思われるのだが…。

(4)見えない白い手
 美貌の未亡人が、真名部警部の勤務する成城署へ身の危険を訴えにやってきた。甥に命を狙われているという。はたして未亡人は殺されるが、彼女が言っていたように甥が犯人なのか…。

(5)「完全なる不在」
 真名部警部は俳優の大宮元から“正しい殺人がありうるか”と問われる。その後彼の屋敷で暴力団員の男が殺され、大宮は失踪。マスコミは俄然色めきたつが、彼は三日後に姿をあらわし、暴力団員殺しを否定する。旅先で知り合った第三者がアリバイを証明してくれると言うのだが…。

 連作短編で小粒な作品揃いではあるが、本格謎解き小説の冬の時代に、こんな真っ当な本があったというのはとっても嬉しい。信一の造形も魅力的なので、もう一、二冊シリーズ化されていても良かった。

 身障者の少年が主人公ということで、各話の終わりには社会的な整備が不足していることが挿入されている。この作品が世に出てからは三十年以上経っている。多少はインフラも整備されとると思うがどうだろう…。

 春が近づく頃、信一がやや塞ぎ加減な理由が判らないとは、真名部警部の洞察力は皆無だと言っておこう。

(2014/2/2改訂)

GNHK人間講座 天才の栄光と挫折 数学者列伝 (2001)
藤原正彦日本放送出版協会歴史/数学薀蓄
159頁560円★★★★

 このようなNHK講座にまで手を出してしまったのは、言うまでもなく著者の文庫、「心は孤独な数学者」に感激したからだ。今回のこのTV講座では、前掲書で取り上げられていたI・ニュートンW・ハミルトンS・ラマヌジャンの3人以外に、日本から和算の大家関孝和、十代で大きな仕事をしながら、20歳のときになんと決闘で命を落したE・ガロワ、紅一点(という言い方はよろしくないかもしれないが)で文理双方に飛びぬけた才能を持っていたS・コワレフスカヤ、第二次大戦時の暗号解読に大きく貢献したA・チューリング、そして難攻不落、証明不可能とまで言われ、この350年間というもの数学者の前に立ちふさがってきたフェルマー予想を証明したA・ワイルズを取り上げて、都合8人の功績を2ヶ月で放映した。

 「心は孤独な数学者」よりも一人あたりの頁数は少ないので、その分駆け足の紹介であるが、やはり天才の孤独を感じるとともに、普通の凡人以上に不幸せな生涯であったのには驚いた。もっとも著者のスポットライトの当て方が恣意的にすぎるのかもしれないが・・・。
 ところでA・ワイルズばかりは、ばりばり存命だ。

 参考までに、“フェルマー予想”とは、

「nを3以上の整数とするとき、Xのn乗+Yのn乗=Zのn乗を満たす正の整数X、Y、Zは存在しない。」

というものだ。
 17世紀前半の人フェルマーが、3世紀の数学者ディオファントスに書かれた「算術」の余白に書いた謎めいた言葉、

「余はこの命題の真に驚くべき証明を発見したが、この余白はそれを書くには狭すぎる。」

 数多くの優秀な数学者が取り組んでは敗退し続けていたという難問だ。
 もっとも、フェルマーが本当に解いていたのかというと、それはなさそうらしい…。

(2014/2/8改訂)

H図南の翼 (1996)
小野不由美講談社文庫ファンタジー
389頁695円★★★★

 先王崩御から27年、恭国では内陸部まで蔓延りだした妖魔の被害が広がり、荒廃の観を呈していた。
 豪商の娘として不自由なく育てられた少女珠昌は、十二の齢ながらもこの世の矛盾に深く憤り、ついには家を出、蓬山へと昇山の旅に出る。
 家から持ち出した騎獣はすぐに盗まれ、出会う大人は無茶だと窘めるが、珠昌に同行することになった利広と雇われた猟尸師の頑丘は、付き合ううちに、彼女にはただの勝気ではないなにかを感じるようになっていく。

 毎度切り口の違う箇所から十二国の世界観を構築していくこのシリーズ。今回は十二国中央にある黄海(陸地だが…)が舞台だ。
 今回はまたなじみ無い国の話だし、実際順番どおりに読んでいれば恭王が誰なのかはすでに知っている訳で、それにもかかわらずラストはきっちり感動させてくれる作者の手腕は大したものだ。

 他の話と緩やかにつながりを持たせているのもシリーズとしての魅力だが、「東の海神、西の滄海」の彼まで出てくるのはちょっとやりすぎか。
 それとも今後のシリーズの布石の一つなのかな。

 十二の餓鬼んちょがあんなにしっかりしてるのもどうかと思うが…。

(2014/2/8改訂)

I刺客 柳生十兵衛 (1994)
鳥羽亮廣済堂文庫時代
294頁552円★★★

 三代将軍家光の実弟、駿河大納言忠長が改易され、御家は取り潰された。家康次男結城秀康の跡を継ぐ松平忠直家もまた取り潰されている。徳川親藩と言えども幕府の容赦はないことが喧伝され、御三家筆頭、尾州徳川家にも動揺が走り、付家老成瀬隼人正は藩主義直と善後策を練る。取り潰される前に家光謀殺の手を打つべきか。
 一方駿府の残党と尾州が結び、幕府に叛旗を翻すという可能性を憂慮した幕閣は、柳生宗矩に調査を命じる。家光上洛という暗殺に絶好の機会が迫る中、裏柳生を率いる十兵衛光厳は駿府、尾張の城下で探索を進める。だがその十兵衛の前に立ちふさがるのは、尾州家兵法指南柳生兵庫介であった・・・。

 柳生ものの王道、江戸柳生VS尾張柳生ネタだ。
 著者の作風は、多くのちゃんちゃんばらばら時代劇のようではなく、やや津本陽のカラーが感じられる剣理に拘ったものだ。
 娯楽としての剣戟小説と、剣の道を追い求める求道小説?の融合を図る意味で、わたしとしては大いに期待したいところだが、今ひとつ突き抜けたエンターテインメントになっていないところが惜しい。

(2014/2/8改訂)

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