2002年 1月
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@スピリット・リング
 The Spirit Ring (1993)
L・M・ビジョルド創元推理文庫ファンタジー
530頁980円★★★
 15世紀末。北イタリアの小国モンテフォーリアの公爵が、隣国ロジモ公家との婚約の宴席で謀殺された。その場に居合わせた金細工師プロスペロと娘のフィアメッタは辛くも逃げ延びたものの、やがて追っ手にプロスペロは殺され死体は持ち去られる。ロジモ公フェランテとその腹心で魔術師のヴィテルリは、彼自身高度な能力を持つ魔術師だったプロスペロの霊魂を封じ込めることで、巨大な力を持つ魔法の指輪を作ろうとしているのか。
 兄の紹介で、プレスペロに弟子入りするために故郷の村を出てきたトゥールは、途中でフィアメッタと運命の出会いを果たし、二人は父の友人モンレアレ修道院長の下へ逃げ込む。そしてトゥールはモンレアレの命を受けて、ロジモ兵が駐屯するモントフォーリアへ潜入し、さらにフィアメッタもまた、父の亡骸を取り戻し行方を絶ったトゥールを探すために、今は敵地となったモンテフォーリアへ向かう・・・。

 マイルズシリーズの代わりにこれが訳されたのは、ビジョルドのエージェントにあわせ技で翻訳権を売られたのではなかろうか、などと穿った見方をしてしまうのは、以前模型屋のおばちゃんに、バンダイは新旧製品抱き込みでしか商品を卸さないと愚痴られたことがあるからだが、とにかくビジョルドのファンタジー初上陸ではある。

 どうも魔法といえば魔法の国ザンスのにぎやかなものに慣れてしまっているようで、本書のかなり抑えられた魔法表現は、物足りなくもあり、新鮮でもあった。一応中世のイタリアが舞台ということで、あまり度派手なことはできないのだろう。多少イギリス作品っぽいと言ってもよいのかな。
 紹介文を読むとフィアメッタが単独の主人公のようであるが、本文では意外とトゥールの活躍が目立っていて、二人で主役を分け合っている。

 抑えた感があるとはいえ、著者のストーリーテリングはあいかわらず達者なものだが、やはりマイルズものに比べると華は足りず、かなり見劣りすることは否めない。

(2013年4月7日改訂)
A司馬遼太郎 司馬文学の「場所」
松本健一学研M文庫評論
205頁530円★★
 他界後すでに15年以上経っているが、本邦一の歴史小説家と言えば司馬遼太郎以外に考えにくい。
 しかし一概に司馬遼太郎の歴史小説といっても、「梟の城」「風神の門」を書いて忍者小説作家と呼ばれていた初期の時代から、「竜馬がゆく」「燃えよ剣」など実在の人物を主人公に置いて、彼を人気作家として決定付けた時期――主人公は実在だが、その脇を固める登場人物には架空の人物が多い――を経て、著者の特徴である俯瞰的な目線が確立した疑似ルポルタージュ風というか、複数の人物の考え方や行動から広く時代を捕らえようとした時期と、いろいろと変遷している。そして晩年は、小説から離れて文明批評家といった立場から、日本の今に警鐘を鳴らせ続けた…。

 こういった流れを著者の心情に照らし合わせて、より詳しく解説した伝記的なものを期待していたのだが――サブタイトルから事前に想像できてもいいようなものだが――、文学的な位置付けを論じようという意図があるようで、わたしとしてはどうでもいいようなことを小難しく書いていたという印象だ。

 という訳でかなり流して読んだのだが、上記の3番目の時期の作品である「翔ぶが如く」を失敗作としているのが興味深い。確かに読後の充実感はすごいものの、あまりにカメラ位置がころころ変わって感情移入の拠り所がなく、司馬作品で最初にこれを選んでしまうと読むのは多少つらいかもしれない。わたしにも途中で挫折した知人がいる。
 この作風を踏襲しながらも、メイン・キャラに秋山好古/実之兄弟正岡子規を配し、やや小説風に振り戻したことで、「坂の上の雲」という傑作ができるのか。

 もっともこの作品にしても、ただの軍記小説じゃないかという批判があるのだが。

(2013年4月7日改訂)
B空想科学映画読本
柳田理科雄扶桑社物理薀蓄
255頁1143円★★★
 最初は着想の面白さもあって大うけした「空想科学読本」だが、「空想科学読本2」「空想非科学大全」と続くとさすがに新鮮味は薄れ、まあ飽きてくるわけだ。そのわたしが懲りずに本書を読んだのは、はっきり言ってあのクソ映画、「アルマゲドン」にどれだけ突っ込んでくれるかに期待があったからだ。

 嘘をつくときには、ポイント以外の部分は極力本当のことを言うべきである。そしてそれは、フィクションを語るときにも該当する。大嘘の設定を読者/観客に少しでも信じさせようとするならば、その周辺はリアルにつくるべきということだ。
 「アルマゲドン」ならば、油田掘削のいかつい無学のおっさんたちが、地球の未曾有の危機を救うために宇宙飛行士をさておいて小惑星爆破に向かうという設定だが、この無理な設定を活かすためには、彼らにとって未知な環境である宇宙空間をリアルに描くことが必須である。
 ところがあの映画ときたら…。

 ミール(?)での途中停車と騒ぎは言うまい。
 月の周回シーンでかかるGは、あきらかにオーバー――水を入れたバケツを力いっぱい振り回したら遠心力で水は落ちないのとごっちゃにしているのだろう――だが、迫り来る巨大隕石との相対速度合わせに、月を周回すること自体は省燃料のために有効のような気もするので問うまい(※1)。
 しかし、巨大隕石に接近する過程での小隕石の間をスラロームするスペース・シャトルといい、隕石上では御都合主義的に無重力だったり1Gだったりとまことに節操がないことといい、天下のNASAが核爆弾の設置深度にマージンを全くとってないことといい(※2)、体内でくすぶる怒りを抑えながら我慢して見ていたが、最後に古典的なかみたいな腐った演出まであっては、一体どこで感動すればいいというのだ!

 誤解ないように書いておくが、これは「アルマゲドン」にはリアルな宇宙の描写が欠かせないからであって、本質的に中世の騎士道物語を宇宙でやってるだけの「スターウォーズ」なんかでは、風切音とともにどんどんスラロームしてくれればよい。
 ともあれこんな映画を無邪気に楽しめる輩が当時多かったのは、残念なことこのうえなかった。

 はっきり言って、根幹に“巨大怪獣”という大嘘を持ちながら、社会の混乱や有事における政府と自衛隊の動きを描こうとした「ガメラ」のほうが、はるかにSFしているのだが、「アルマゲドン」に涙したあほうの多くは、「ガメラ」を餓鬼っぽいと馬鹿にするのである。

 ついでながら、同じなんたら兄弟が作った「パールハーバー」が、これっぽっちも日本を研究しとらん国辱といってもよい映画なことも、わたしは事前に確信していた。
 あまりに本筋から離れてしまったが遅まきながら本書に戻ると、こういった本を書くにはジャンルへの愛がなければいけない。しかし著者はもともと映画への興味は持っていなかったそうで、本書の執筆のために映画を観まくったという。邪道である。
 「ミクロの決死圏」にツッコミを入れるなら、I・アシモフの原作と「ミクロの決死圏2」への言及がなかったことも残念だった。映画に限定しているということだが…。


(※1)本書では映画本編中の言及から隕石の接近スピードを割り出し、月の軌道より内側では到底相対速度を合わせきれないと書いている。なるほど。
(※2)本書ではそれ以前に、テキサス州と同じサイズの隕石を240m程度の爆弾設置深度で吹っ飛ばすことは無理だと論じている。そりゃそーか。

(2013年4月8日改訂)
C完全無欠の名探偵
西澤保彦講談社文庫推理
474頁714円★★★★
 白鹿毛グループ総帥の娘白鹿毛りんは四国の大学に通っていたが、親族の不満をよそに卒業後も地元へ帰ろうとせず、安芸女学院短期大学の事務職に就職を決めていた。
 高知に残る理由を言おうとしないりんに手を焼いた総帥の源衛門は、次善策として、山吹みはるという実直そうな大男を、孫娘のお目付け役として同じ職場に送り込むことにした。彼の能力で、りんの意図を探ろうというのだが・・・。

 山吹みはるの能力とは、話をした相手が訊かれもせずについつい話し出し、自分すら忘れていたような心の奥底に引っかかった疑念の理由に気付くいうトンデモな能力である。
 この能力の是非はさておき、みはるには何の自覚もないというのがミソだ。彼は日々をのほほんと送っているだけなのである。まぁもちろん、彼が目的意識をもって動き出せば、ストーリーは即終了になってしまい兼ねないわけで、なかなか面白い設定である。

 ――頁を追ううちに卑劣な犯罪事件が浮かび上がってくるが、山吹は捜査どころか事件が起きていたことにも気がつかず、 ただ々々彼と会話した関係者が、それまでもやもやしていた些末な事の真相に気づくことで、ストーリーが動き出す。事件自体の謎として目立ったものはないものの、主人公はまったく捜査しないというこの奇抜なアイディアでもって、徐々に事件の全貌を浮かび上がらせて読み手に違和感を感じさせないのだから、作者のストーリー展開の妙には感心だ。

 考えてみれば、事件関係者の背後関係が徐々に明らかになるというのは、ハードボイルドのフォーマットだ。
 しかし一応アクロバティックな総仕上げに絡んで必要とは言うものの、本編の合間に挿入される“fragment”は省いたほうが良かったのでは・・・。

(2013年4月8日改訂)
D浮世絵探検
高橋克彦角川文庫浮世絵対談
235頁619円★★
 高橋克彦の浮世絵対談集。
 歴史ネタの場合は作家と学者の対談であることが多いのだが、本書に浮世絵の専門家たちは出てこず、対談相手は作家や漫画家、イラストレーターといった人たちであるところが特徴か。(心理学者と歴史学者は出てくる)

 わたしたち素人への案内本なのでその人選は間違っていないが、いかんせんマニアの内輪トークの域を出ていないようだ。著者自身は、好きな浮世絵について喋り捲ってとても満足そうだが…。
 対談は話が体系立っていないので、記憶に残りにくいということもある。

 「写楽殺人事件」「北斎殺人事件」「広重殺人事件」で明らかにされた“史実”に、どの程度著者の脚色が混じっているのかを知りたかったのだが。

(2013年4月8日改訂)
Eジャガーになった男
佐藤賢一集英社文庫時代ロマン
352頁648円★★★★
 17世紀初期の徳川政権が固まろうとしている中、奥州伊達藩によって、支倉常長を団長とする遣欧使節が出帆した。この使節団の一人、斉藤小平太寅吉はイスパニヤのイダルゴ、ベニトと意気投合し、彼の妹エレナと認められた仲になるなど、イスパニヤ社会で居場所を作っていく。そして、そもそもの支倉使節団の試みが失敗し、失意の使節団が帰郷する日、寅吉はイスパニヤに残る決意をするのだった…。

 冒険小説と呼ぶにはあまりに寅吉にしがらみが多く、彼の数奇な半生を追った時代ロマン小説といったところか。
 日本とイスパニヤにおける武士とイダルゴの類似性、イダルゴたち戦闘集団の生え抜きともいうテルシオや異国社会で武士としての感性で物を見ている寅吉の心情などはとてもいい感じだ。エレナとの関係もとても一筋縄ではいかず、意外に剣戟描写が少ない分、闘いの一種のようにも思えるくらいだ。これが著者の第一作とはまったく驚きである。

 しかし冒頭の献辞はないほうが良いし、前後の寅吉の独白はご愛嬌。

(2013年4月8日改訂)
F受城異聞記
池宮彰一郎文春文庫歴史/時代
275頁448円★★★
(1)「受城異聞記」
 美濃郡上八幡金森家の改易に伴い、その受取りの任が隣接の大聖寺藩前田家に下った。隣接とは名ばかりで、金森家と前田家の間には標高二千七百米の真冬の白山とその連なりがある。この幕閣の嫌がらせに、命がけで臨む生駒弥八郎たちの苦闘を描いている。

(2)「絶塵の将」
 母親が秀吉の母のなかと多少の知り合いだったことで取り立てられ、後に大大名となった“いち”こと福島正則の悲劇を描いている。とかく徳川家康石田光成の器量の差で語られる関ケ原の一戦だが、腹芸のできない彼を小山会議でうまく丸め込んだことが、大きな岐点だとするのは興味深い。その彼が戦後の本多正信/正純との確執から没落を迎えるのがなんとも…。

(3)「おれも、おまえも」
 家康と茶屋四郎二郎の交流を描いている。家康を人一倍臆病な凡人としているのが面白い。おそらくはこの線に乗って、長編の「遁げろ、家康」が書かれているのだろう。

(4)「割を食う」
 三大敵討ちの一つ、伊賀上野鍵屋の辻の決闘をその発端からルポルタージュ風に追っている。個人的な敵討ちの構図が、徳川政権下における地方大名VS江戸旗本の一触即発の危機にまで発展したこの有名な事件は、題名の通り全ての関係者が“割を食った”ものになっているのが興味深い。

(5)「けだもの」
 いびつな官僚制の壁に阻まれながら、執念で罪人を追いかける――と言うか陥れる――同心を描いている。
 オリジナル時代劇だ。

 どれも平均以上に面白くはあるが、やはり常々司馬史観からの脱出を標榜する著者のことだから、メジャーな人物を切り口を変えて描写した間の三編がお薦めか。

(2013年3月23日改訂)
G方丈記殺人事件
斎藤栄徳間文庫推理
421頁629円★★★
 雑誌編集者一色の先輩で歴史学者の宇賀神が行方不明となった。つい先日新幹線の車内でばったり会った宇賀神は、大学内での派閥争いと、最近送りつけられたという脅迫状めいた手紙でかなり憔悴しているようだった。一色は宇賀神の妻純子と相談し、宇賀神が最近新解釈を発見したと言う「方丈記」の謎を探ることで、彼の行方を探そうとする。一方池袋の超高層ビルを登坂しようとしていた外人の青年が墜落死し、その遺体からは「方丈記」の一節が発見されるが、はたしてこの二つの事件につながりはあるのか。さらに宇賀神夫妻と顔見知りの金融業者菊川容子が、関西にある常楽寺の三重塔で死体となって発見されて…。

 ストーリーは、「方丈記」を“解読”して宇賀神の行方を探そうとする一色と、菊川夫人殺しを捜査する大阪府警の加納警部の二面から進む。わたしとしては、高橋/井沢作品の歴史ミステリに近いものを期待していたのだが、本作品では、方丈記の謎:現在の殺人事件=3:7くらいの比率だろうか。もう少し歴史寄りの内容のほうが良かった。

 その分現在の殺人事件としてのヒネリはがんばっていると言えるかもしれないが、高層ビル登坂に失敗して転落死した外人青年という大風呂敷を広げたにしては、やや尻すぼみの感は否めないところ。三重塔のほうの事件も、なかなか珍しい方向へ話が進んで驚いたのだが、せっかくの展開が少々消化不良のようだ。まあこれは評価の分かれるところかもしれないが。

(2013年4月8日改訂)
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