2002年 4月
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@沖縄・先島への道  街道をゆく6 (1974.6〜11)
司馬遼太郎朝日文庫歴史薀蓄/紀行
208頁440円★★★

 今回は沖縄。しかし本島ではちょっと糸満に立ち寄るだけで、石垣島竹富島、そして与那国島といった先島諸島を巡るのがメインだ。

 沖縄史については、特に日米戦争での悲劇は、本州人として勉強しなければならないという義務感は持ちながらも、未だ一般常識の域を出ることがない。しかし著者は(あえて)本島を素通りに近くかすめながらも、米国の沖縄上陸戦とその後については、深く言及する事を避けているようだ。

 著者がこの旅で感じ取りたかったのは、日本人の種の故郷としての原風景のようで、いわゆるメジャーな歴史ネタと結びつくことはない。その意味で、このシリーズとしては最も普通の紀行文かもしれない。

 人間の生活と自然の調和に関する著者の苦渋は、本シリーズに限らず何度も繰り返し表明されているが、自然に対する著者の興味は、人間の生活と関連付けされて初めて生まれるもののようだ。すぐ近くにあって、自然環境の宝庫である西表島は全く省みられていないのが興味深い。

(2015/4/8改訂)

A元寇 (1993)
伴野朗講談社文庫歴史薀蓄
707頁990円★★

 NHK大河ドラマの補完として読み始めたはずだが、読了するのにこんなにかかってしまうとは…。
 大体において、北条時宗にヒーロー性を感じることができない。実際のところ、鎌倉幕府の中心にいた面々には当時の世界情勢をさっぱり分析できておらず、ましてやその中心に祀り上げられていただけの世間知らずの若者に、二度の元寇を退けた殊勲者の称号を与えるのは、あまりに過分ではないだろうか。

 そこで、文永の役/弘安の役を日本、中国、朝鮮のそれぞれの立場から描き、なおかつその中に秘剣「波千鳥」を操る主人公や、飛礫打ちの名手の少林寺僧、さらには動物の言葉を解し、自由に彼らを使う暗殺者の少女などが、歴史上実在の人物たちとの入り乱れるとという設定は、風太郎忍法帖を想起させていやでも期待が高まるというものだ。

 ――ところが、これがまったくもってつまらなかったのが残念…。

 せっかくの設定が活きてないというか、キャラクターに魅力がないというか。
 風太郎忍法帖では、ほとんど記号化されたキャラクターがどんどこ景気よく死んでいくというのに、それでも魅力的なんだけど。

 それでもがんばって読み進めたのは、文永/弘安の役の大スペクタクルと裏話を期待したからだが、長々と読ませたわりには肝心の“元寇”部分はあっさりしていた。とりあえずは700頁を読みきった自分を褒めてやりたい。

 中国通の著者だけあって、当時の情勢はしっかりと調べているようだが、小説を書くのは…。とはいうものの、エッセイの「中国歴史散歩」も今ひとつだったが。

(2015/4/9改訂)

Bあの頃ぼくらはアホでした (1995)
東野圭吾集英社文庫エッセイ
303頁552円★★★★

 新本格と言われる作家たちの中には、京大の推理小説研究会出身がやたらいるし、他にも早稲田ミステリ出身だとか、とにかく偏差値の高そうな作家が目立つ。“推理小説”を語らせると、一家言も二家言も持っていそうだ。
 その中でふと本屋で目にとまったこの著者のエッセイは、題名が関西弁であることもあってやたら親しみやすい。
 現時点では、わたしが読んだ著者の本は、パロディ短編集の「名探偵の掟」だけ。ついつい買ってしまった本作が二冊目となる。

 年齢差はあるものの、著者の辿ってきた経緯がわたしと似ていて驚いた。関西圏での少年時代、怪獣好き、覗きの体験、浪人生活、似非理系などなど。
 違うところは、彼がブルース・リーに狂ったのに対して、わたしの世代はジャッキー・チェンリー・リン・チェイだったこと。彼が大学まで体育系でボート部の部長だったのに対し、わたしは大学では文科系に転じて、人形劇団の部長をやったこと。そしてエンジニアになって(社名は伏せているが、はっきり解るぞ)からは、著者が奉職数年で乱歩賞を受賞して作家になったところくらいだ。

 …うーむ、最後の違いがめちゃめちゃでかいが、なんとも親近感が湧いてくるではないか。
 もう何冊か、著者の本を読んでみなくてはなるまい。

(2015/4/12改訂)

C深夜特急1 香港・マカオ
深夜特急2 マレー半島・シンガポール (1986)
沢木耕太郎新潮文庫社会薀蓄
238頁/223頁400円/400円★★★

 勘違いしていて、読み始めるまで小説だと思っていた。それ以後も旅行記の体裁をとったフィクションではないかとどこかで思っていたが、まったくの体験記であったな。
 で“シルクロード”検索をAMAZONでかけて、引っかかった本から安めのものをごそっとまとめ買いしたのだが、その中に「深夜特急4 シルクロード」が混じっていた。その四巻を読まんがためにこの二冊まで別にわざわざ買ったという次第。

 長期の貧乏一人旅を続けるには、先を思い煩わない楽天的感覚や、行きずりの人の助けを当てにするある種の厚かましさが必要である。常に別れが前提にある小さな出会いを重ねていくというのも、わたしには向いていないらしい。

 それにしても、旅先で知り合った本来の著者よりもあきらかに貧しげな人に飯を奢ってもらったり、場所の案内をしてもらったり、気が引けるくらいに旅先で世話になっている。これは香港マカオマレー半島の人の気持ちが優しいのか、著者が助けてくれ光線を全身から発射しているのか、はたまた編集の過程でマイナス・エピソードは刈り込んでいるのだろうか。

 いずれにしても、わたしには到底無理な行動力である。

(2015/4/12改訂)

D図解雑学 前田利家 (2001)
小和田哲男監修ナツメ社歴史薀蓄
227頁1300円★★★

 前田利家のことはほどほど知ってるつもりだが、その一族についてはあまり知らない。知ってるのは「一夢庵風流記」前田慶次郎くらいか。
 NHK大河ドラマで弟の佐脇良之が結構スポットをあてられているのを見て、こいつはまさか創作ではないよね?と邪推して本書を読んで確かめてみようと。

 結果、三方ヶ原で死んだことも含めて実在していたことは間違いなさそうだが、一冊まるごと前田利家とまつや三代利常までの事跡をカバーしている割には、親類縁者には軽く触れてるだけで、堪能とまではいかなかった。良之が佐脇家に養子に行った経緯も解らないままだ。

 しかしドラマの正義感に満ち溢れた利家とは異なり、越前の一揆鎮圧戦で千人の首を刎ねたり、磔、釜茹で、いろいろ極悪なこともしているようだ。
 発掘品からも、恨みをかっていたことも十分に判るんだな。

(2015/4/14改訂)

E生ける屍の死 (1989)sikabane.jpg
山口雅也創元推理文庫推理
646頁980円★★★

 全国で奇妙な死体甦り現象が頻発する中、ニューイングランドの霊園経営者バーリイコーン一族の周りで殺人事件が連続する。一族の末端に連なるパンク少年のグリンは、自ら先頭をきって殺されるが、ゾンビとして甦り真相を探ろうとする。死んでも甦るという異常現象の中で、殺人という行為に一体どんな必然性が・・・。

 北村薫…著者は<死>を考察しつつ、本格推理を新しい器に盛り、高らかにその<不死>を宣言したのである。
 法月綸太郎…アヴァン・ポップな実験的諧謔精神にもとづいて、偉大な先人たちですらなしえなかった超ウルトラCの妙技を披露してくれた。

 というすごい賛辞が贈られた本書だが、うーむ、そんなにすごいのか?

 死体が甦る世界という大上段の舞台設定で、その必然性云々と前振りされ期待した割には、大きなカタルシスを味わうことができなかった。
 人間が書けていないと言って、謎解き重視のミステリを馬鹿にする気は、わたしには毛頭ないが、それでも徐々に肉体が滅びていくという悲惨な運命を背負いながらのあの軽さ――昔から自分の死に興味を持っていたという設定はあるにせよ――には、ちょっと作品世界に浸れない。
 それに死体が甦る環境での殺人劇への必然性云々と言うが、甦っても肉体が崩れて第二の終わりがあるのなら、(殺すときに顔を見られないように気をつける必要はあるが)十分殺人のリスクを背負う意味はあるのでは?

 それにしても法月綸太郎のごたごた飾り立てた解説はなんだろう。あんなものは、パズルミステリ=低俗を標榜する論者への対抗の為の理論武装には役立つのかもしれないが、一部のマニア以外にはまるで無意味だろう。謎解き重視だろうが人間心理重視だろうが、はたまた社会問題の提起が重要だろうとか、小説として面白いこととは別の二義的なものだから。

(2015/4/19改訂)

F夏、19歳の肖像 (1985)
島田荘司文春文庫サスペンス
237頁420円★★★

 単車事故で長期入院を余儀なくされた“私”は、窓から下に見える基礎工事の進捗風景を漫然と眺めてありあまる時間をつぶしていた。“私”は、工事現場の向うのビルに挟まれた、谷間の家に住んでいる若い女性を、日に一、二度見かけるのを楽しみに待つようになり、やがて遠くに見える彼女を恋をする。そしてある雨の深夜、家の中で父親に刃物を持って忍び寄る彼女と、そして次の夜、重いバッグを引きずって工事現場に埋めにくる彼女を目撃。
 “私”はやがて退院し、忘れられない彼女に接近してしまうが・・・。

 吉敷竹史シリーズでもあるように、謎を持つ女に心惹かれて危険に飛び込む男というのは、著者の好きなシチュエーションのようだ。そういえばヤクザにからまれぼこぼこにされてしまうのも、「北の夕鶴2/3の殺人」と共通だ。メカに対する嗜好が前面に出ているのも初期作品には多い。
 しかし何よりも、「異邦の騎士」と同系列の作品であり、日本バッシングと薀蓄でトンデモトリックをコーティングして膨れ上がる前の、著者の得意な作風である。

 同じ作風としては、本書より先に書かれた「異邦の騎士」のほうがお薦めかな。
 本書は落ち着いた大人になった“私”が、一夏の経験として振り返る構成になっているが、謎を打ち明けない女に恋するやるせなさや、都会の中の寂寥感なんかをより強調してくれれば、アイリッシュっぽくなって、もっと良かったかも。

(2015/4/19改訂)

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