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宮 本 史 明 学 校長 昭和48年卒、高校25回 熊本高校時代、「空手部」と、「応援団同好会」に所属。その名残で、 現在も在校生の前でエールを披露することも度々。 熱血漢振りが生徒たちに愛されている由縁か。 |
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桜が満開のころとは打って変わって寒い朝でしたが、本校体育館で入学式が厳粛な中に本日挙行されました。私も、43年前の昭和45年に入学し、大変緊張していたことを思い出します。でもすぐに、1年5室の仲間と仲良くなって空手道部と応援団同好会に入って毎日暗くなってからしか家に帰りませんでした。まだ子どもだった自分が、卒業するころには今の人格のほとんどが形成されていました。新入生の皆さんには、大切な高校生活を健やかに楽しく過ごしてほしいと思います。 1 本校の校歌は、創立10周年を記念して1910(明治43)年10月に作られ、100年以上にわたって歌われてきた伝統ある校歌です。ちなみに、一幹両枝の関係にある済々黌の黌歌は、創立30周年を記念して1912(明治45)年に作られています。 2 作詞は、京都帝国大学講師でのちに皇室の御歌所寄人を務めた国学者池邊義象氏、作曲は、東京音楽学校助教授(声楽、のち教授)で「春の小川」「朧月夜」「紅葉」などの文部省唱歌を手掛けたとされる作曲家岡野貞一氏です。岡野氏は、長野県立松本深志高校や大阪府立北野高校など多くの高校の校歌を作曲しています。 3 歌は歌詞がいのちです。表現するものがあるから言葉になり、その意味を感じながら歌ったり聞いたりするから心に響くのです。校歌は校訓と同じく、生徒のあるべき姿や心構え、目標や真理などを表現しています。4番まで歌ってはじめて一つの意味をなすのであり、途中で省略するのは校訓を省略するようなものです。他校で校歌を省略して歌う例はありません。歌詞の一部には現在の考え方と異なると思われる部分もありますが、創立当時の時代を歴史として受け止め、校歌の中に3回も使われている「友」と「学び」をキーワードとして、不易の部分を受け継いでいくのが伝統を守ることだと思います。 4 本校生は、「士君子」に象徴される校訓と同様に校歌をきちんと理解し、その実現に向けて努力することが求められます。そして校歌は、校章と同じく熊生のまとまりの象徴であり、卒業後も熊生としての自覚を維持し生きる活力となるものです。済々黌の『黌歌百年』という冊子に、「百年の黌歌は力強く生命の脈動を伝えてくれる。黌歌は一つの生命体に違いない。このように考えると黌歌はそれを歌う人の心と同化し、その人格を『正善』の高みに導く師であり、苦楽を共有する友である」(竹原崇雄氏)とあり、校歌の意義が的確に表現されています。 5 校歌の1番は、西に金峰山、東に阿蘇山がよく見えるここ大江原頭(江原)の校舎に集まった友と、よく学び道徳心を高め、「清廉」すなわち「心が清らかで私欲がないこと」を校風とし、強い信頼関係を結ぶと謳っています。以下4番まで、畑の真ん中にできた新校舎で学ぶ、フロンティア精神にあふれた先輩たち(創立当時約600名)の姿を想像しながら歌ってください。 6 校歌の2番は、白川や立田といった熊本の地から日本に思いを馳せ、一生懸命努力し合う清き心を持った友と、「士君子たるの修養を全うし国家の忠良たることを期すべし」という校訓の実現を目指し、日本の発展に寄与することを謳っています。 7 校歌の3番は、日本からこの広い世界に目を向けると多くの事象に溢れているけれども、よく見ると学びの海が深く広がっているので、よく学び誠実な偽りのない心でただ一筋に努力していこうという強い意志を謳っています。 8 最後の4番は、全国の数ある学校の中からこの熊本中学(熊本高校)を選び、多くの学生の中から運命的ともいえる出会いで同級生となった友との友情は、永遠にそびえる金峰山や阿蘇山のように、また阿蘇の伏流水がこんこんと湧いてくる出水の水のように、どこまでも尽きることはないと謳っています。これが本校の校歌の一番大切な部分であり、在学中はもちろん、卒業後も友情を深め合う同窓会において4番まで高らかに歌っていただきたいと思います。 |
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