【2a】
二通の遺文
ここに上げる二つの遺文が、「ツガル誌」の擁護のためにどれだけの力を発揮してくれるかは未
知数ですが、私に強い感動をあたえてくれることだけは確かなのです。
『東日流外三郡誌』の一巻に、前九年の役
(1052~1063) で、源頼義と戦い敗れたとする、安倍
頼時、貞任(サダトウ)親子が残したとされる遺文がみられます。
【安倍頼時遺文】
日高見国の子孫末代のためと民をはげまし、国つくりを進めてきた。南越、東坂東を荒吐族の世
とし、住民一統の政治をして以来、飢える民がなくなった。しかるに朝敵の汚名を着せられ、天皇
は征夷の勅を出して私を討とうとする。まことにもって浅はかな行為である。絹の衣を朝夕まとう
者が、麻を着て汗水を流して働く人間に対して献税とは何事なのか。奥州は昔、耶馬台国を追わ
た先祖以来、我々が広げてきた拓地である。雪に埋もれる北国の食料は乏しいのだ。
一族に貧富強弱をなくし、人民を平等に救済する国づくりに対して国賊とは何事なのか。人民から
権力によって税をむさぼり、遊舞美食する国主は私たちには無用なので、このような政治を奥州
に起こしたのだ。
我々は都人とは違い、自ら鍬を打ち振るって田畑を作っている。これは生きるための国づくりであ
る。子孫を飢えから救おうと国づくりにはげむ我が民を討とうとは。
たとえわが身に撃矢を受けようとも、それが国賊の矢なら恐れない。わが身はたとえ死のうとも、
恨魂となってわが祖国を守るであろう。
天喜元年五月二日
(1053年) 安倍日高之介頼良
石越白河次郎家家宝
寛政五年
(1793年) 秋田孝季
【安倍次郎貞任遺文】
住みにくい蝦夷の血脈は、祖先以来、千歳を過ぎても安らかでありえない。侵してくる国荒しの者
どもは、なおも我々の安住を驚かそうとしてくる。戦いは好みではないが、応じなければ一族の安
泰はない。国を司る私にとって、意にかなうことは何事もない。
生まれてこのかた、父に武を習い文を習ったが、心に悟ることが少なかった。しかしそれも儚いこ
とである。大事と思い慕った父も戦いで死んだ。戦いは常に心を侵す。私はそれを知りつつも修羅
道に落ちようとしている。よってここに最後の一筆を残しておきたい。
子孫にいう
生は死に通じ、死は生に通じる。これは荒吐(アラハバキ)神の要旨である。死を恐れるな。
何事においても自分の心を偽ってはいけない。自分の心を問いただす行為が神に通じる。自分の
行為を問わず、他人のことも考えず突き進むのは邪道である。
わが一族が蝦夷と呼ばれるのは、理非もわからぬ倭人の貧しい心ゆえである。人の種類や人の
性は神が創ったものだから、人が人を判断すべきではない。
我々の先祖はよいことをいっている。すなわち、人として生まれた者は、天日に照らせば平等であ
ると。人を忌み嫌うのも人であり、人の上に人を造るのも人であり、人の下に人を造るのも人であ
る。神の光は平等である。平等は和のもとである。和は救いの基である。これを乱すものは人では
なく、心ない輩である。人が人を支配するのは、神の真理に背く行為である。
僧侶は人に善悪を説くが、彼も神ではなく人なのだから、言うことのすべてが人のためにはならな
い。人を救うための宗教といっても、その内部には抗争がある。この世で、万物に対して、自分の
一子を救うように救済の手をさしのべる僧侶があるだろうか。口では何といっても、自身の行いが
良くない者が多い。
荒吐神を崇拝した我々の先祖の血脈が、現在の権力者にあるのは、憎らしくとも天日のごとくあ
れ。人の道は生死に当てて考えよ。
わが一族よ。この遺文を残すも捨てるも、自分の心に尋ねてからでよい。人間の心には常に選択
の自由がある。しかし、その判断は運命である。
康平五年正月日
(1062年) 次郎太夫貞任
黒澤尻北上邑阿倍忠三郎之家宝
寛政五年
(1793年) 秋田孝季
「人として生まれた者は、天日に照らせば平等である。人を忌み嫌うのも人であり、人の上に人を
造り、人の下に人を造るのも人である。平等は和の基であり、和は救いの基である。」
福沢諭吉は、アメリカの独立宣言書から、「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らずと云
へり」、とする文を引用したのではないか、とされています。ただし、この有名なフレーズが宣言書に
あるわけではなく、出所は不明とするのが正しいあつかいになります。
私は、いくつかの点から考えて、『貞任遺文』が先にあり、福沢諭吉はそれを拝借したのではない
のか、と思ってしまうのですがどうでしょうか。
とりあえず、『貞任遺文』と、『学問のすすめ』の一部を上げておきます。
『貞任遺文』 原文
吾が祖は、よきことぞ曰ふ。すなわち人に生まれる者、天日に照らしては平等なりと。人を忌み嫌
ふは人にして亦、人の上に人を造り、人の下に人を造るも人なり。
『学問のすすめ』
天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らずと云えり。されば天より人を生ずるには、万人は
皆同じ位にして、生まれながら貴賎上下の差別はなく、万物の霊たる身と心との働きを以て、天
地の間にあるよろずの物を資り、以て衣食住の用を達し、自由自在、互に人の妨げをなさずして、
各安楽にこの世を渡らしめ給うの趣意なり。
『貞任遺文』が、理解しやすく首尾一貫しているのに対して、『学問のすすめ』の方は、きわめて難
解なものになっています。私などは、その意味がつかみきれないのです。
かりに、和田氏を偽作者としてみましょう。すると氏は、難解な『学問のすすめ』の条文を噛み砕き、
平易な『貞任遺文』を作り上げていることになります。
この場合、和田氏が、『学問のすすめ』の冒頭の部分を拝借したとするより、諭吉が、『貞任遺文』
の一部を拝借したとする方が、はるかに理解しやすいのです。
なお、「ツガル誌」によれば、和田喜八郎氏の祖父にあたる末吉氏が自由民権運動に共感し、福
沢諭吉に出会う機会があったとしています。