3 異端書から浮かぶ邪馬台国の像

 

『東日流外三郡誌』をふくむ「ツガル誌」群書、それに韓国の歴史史料である『桓檀古記』は、とも

に偽書とされています。その理由のひとつは、そこに20世紀でしか知りえない内容をふくんでいる、

ということです。ところが不思議なことに、この両書に、『宇佐家伝承』と、韓国の歴史書である『三国

史記』を加えてやると、卑弥呼の邪馬壱国や、その南にあったとする狗奴国の像が、いとも簡単に

浮かんでくるのです。そこには複雑な操作は不要で、伝承をただ並べるだけでよいのです。

 

 

【桓檀古記】

○ 桓檀国の王である桓雄氏のもとに、虎に象徴される氏族と、熊に象徴される氏族があった。    

○ 百済 (馬韓) の初代王の名を、熊伯多(ユウハクタ)とする。

 

: 『魏志東夷伝』によれば、ワイ国では虎が神として信仰されているとあり、虎氏は、ワイ国をさして

ている可能性があります。熊氏については、百済の初代王の名が熊伯多とされることや、百済の首

都が熊津 (ユウシン) であることなどから、百済をさしている可能性が高まります。

 

○ 百済の山中にあったキョウフ (陜父) は、飢饉のために離散するものが多かった。そこで河を下っ

て狗邪韓国にいたり、さらに阿蘇山に移って多婆羅 (タバラ) 国を建てる。これを多羅国とも、多羅

韓国ともいう。多羅国の南に阿羅国があり、同隣していて同姓である。もと熊襲城がある。これは九

州の熊本城である。

 

: 多羅国と熊襲城の名は、百済の初代王とされる「熊伯多」から取ったものと受け取れます。また、

「多と熊」の文字が、キョウフによって百済から阿蘇山に移されているとすれば、正体が不明とされる

熊襲についても、百済に結び理解するのが第一案となってきます。このさいには、阿蘇山にあった熊

氏が、「熊阿蘇」 「熊襲」、になったと考えられましょうか。

 

 

【宇佐家伝承】

○ 阿蘇地方に、北方系天孫族によって建てられた日の国があった。太祖はタカミムスビ、祖はツキヨ

ミとされる。『古事記』の作者として知られている太安万侶は多氏とされるが、その発祥地は日の国

である。

南九州に、南方系天孫族によって建てられた日子の国があった。祖はカミムスビとされ、アマテラ

スは日子の国から出ている。後に畿内に移って紀氏となる。 

 

: 『桓檀古記』にあらわれる多婆羅国と、『宇佐家伝承』にあらわれる日の国には、出身地が阿蘇山、

「多の字」が関わる、などの共通点が認められますが、ほかにもう一つ、両国をむすぶ意外な共通点

が存在するのです。

 

 

【地名辞典】

○ 多氏の発祥地は、美輪山 (奈良県桜井市) の西方にあたる、田原本 (タワラモト) 町多と考えられ

ている。

○ 奈良市の東部にあたる此瀬 (コノセ) 町の茶畑から、太安万侶の墓誌が発見されている。また、

当地の近辺は田原地区となっていて、田原小学校や田原中学校などの名がみられる。

 

: これらの結果によれば、田原の地名と多氏は不可分の関係にあり、多氏の筆頭者である安万侶

の領地が此瀬町の田原地区にあった可能性が高まります。

田原の地名に強くかかわってくるのが、阿蘇山の多婆羅国です。というのも、多婆羅 (タバラ)

名は、「田原」と書くことができるのです。これは偶然の一致とは考えにくく、多氏に関わる田原の地

名は、もとは多婆羅だったとみるのが妥当となりましょう。

このような結果が、『桓檀古記』と『宇佐家伝承』の協力によって出てくるとすれば、両書は偽書で

はないとする、証拠の一つになるはずなのです。

 

 

【三国史記】

      新羅の四代王となったダッカイ (脱解) は、むかし多婆那国で生まれた。その国は倭国の東北一

千里のところにある。その国王が女国の王女を娶って妻とし、妊娠して七年たったとき大卵を生ん

だ。王はこれを怪しんで捨てさせようとしたが、王妃は捨てるにしのびず、宝物とともに箱に入れて

海に流した。箱は辰韓の海岸に流れつき、あらわれたダッカイは老婆に拾われ養われた。

 

: 多婆羅と多婆那にみられる、「羅」と、「那」については、朝鮮半島の北部では「羅」が使われ、南

部では「那」が使われるとされます。つまり、多婆羅と多婆那は同意味なのです。とすれば、阿蘇山

の多婆羅国と、『三国史記』にあらわれる多婆那王も、同質である可能性が高まります。

そして、多婆那王と女国の王女の結婚は、『魏志倭人伝』にあらわれる、女王の卑弥呼と、狗奴

王との組み合わせが期待できなくもないのです。

『倭人伝』では、卑弥呼が248年ころに亡くなったとした後、狗奴国の名が完全に消えてしまいま

す。その理由は不明ですが、壱与かその後継者が、狗奴王と結婚して両国の平和がえられた、とす

るような可能性があるのです。というのも、「ツガル誌」にはそれを示唆する、予想外の伝承がいくつ

か見られるのです。

 

 

【東日流六郡誌】 [ツガル誌]

○ 九州の宇佐 (大分県) に、熊襲王の治める邪馬壱国があったが、神武天皇によって滅びた。

熊襲族はその後、筑紫の地に卑弥呼を女王とする邪馬壱国を再建させる。

 

: 上記では、邪馬壱国を熊襲族の建てた国としています。それに対して『桓檀古記』では、熊襲城を

多婆羅国の建てたものとしています。両伝をあわせると、熊襲城を建てたのは熊襲族とも呼ばれる

多婆羅国であり、邪馬壱国を建てたのも、やはりは熊襲族と呼ばれる多婆羅国、とするような図が

浮かんできます。

ここに、「多婆那王と、女国の王女が結婚した」、とする『三国史記』の伝えを加えると、多婆那王

は多婆羅王でもあり、いつかの時代、邪馬壱国は多婆羅国 (熊襲族) の支配下にあった可能性は

かなり高いはずなのです。

 

なお、「ツガル誌」には、邪馬台国を、「耶馬台国」や、「耶靡堆国」と書く例や、邪馬壱国を、「耶

馬壱国」や、「耶靡壱国」と書く例が混在しています。以下では、よほどの事情が出てこないかぎり、

「邪馬台国」、「邪馬壱国」に統一しておきます。

 

 

【和田家資料1 [ツガル誌]

      大和にあった邪馬台王の弟に背振彦という者があり、筑紫の嘉瀬川のあたり (佐賀市の西部)を、

邪馬台と名づけて住んでいた。土地は豊かで、二百七領があった。神崎 (吉野ヶ里遺跡の近辺)

に、二百七領を持つ鳥柄村彦王があり、国を造って邪馬壱乃国と名づけた。王には男子がなかっ

たので、一人姫を背振彦の婿として迎えて国を併せた。後継の背振彦にも男がなく、一女があり卑

弥呼という。かの女は男勝りであり、朝鮮、支那とも交わってよく国を治めた。

 

: 上記によれば、邪馬台国と邪馬壱国には、結婚による合併劇があったことになります。ここに、

「邪馬壱国は熊襲族の建てた国で、卑弥呼という女王がいる」  『東日流六郡誌』

「多婆那王と、女国の王女が結婚する」  『三国史記』

などの伝えを重ねると、邪馬壱国、あるいは女王国の相手国として、熊襲族、多婆那国、邪馬台国

などの名が浮かぶことになります。

 

「ツガル誌」を偽書とする方は、「嘉瀬川のあたりにある邪馬台国」を、和田喜八郎氏の出まかせ

の最たるものと思われるかもしれません。ところが、話はそれほど単純なものではなく、そこには意

外な事実が込められているのです。

 

 

【姓氏家系大辞典】

○ 「高木 タカギ 1 紀姓  

肥前国佐賀郡高木邑から起こる。九州屈指の豪族で、菊池氏などはそこから出ている。藤原北

家の後とするが詳しくはわからない。高木氏は、肥前の国府に関係していたのではないか。

 

: 「ツガル誌」のいう、嘉瀬川のあたりにある邪馬台国には、佐賀市大和町を当てるのが妥当と思

われます。というのは、当地には肥前の国府跡があり、大和町の名は、邪馬台国との関わりを示唆

するのです。

そしてもうひとつ、佐賀郡から出たとする高木氏の名は、『古事記』にあらわれるタカミムスビの別

名、「高木の神」と、まったく同じことが注目されます。『宇佐家伝承』の言うように、阿蘇地方にある

日の国がタカミムスビを太祖にしているとすれば、日の国や邪馬台国を建てたのは高木氏である可

能性が出てくるのです。

 

 

【日本書紀】

      応神天皇の十四年、秦氏の祖である弓月 (ユヅキ) の君は、百二十県の人夫をひきいて、百済

から日本に帰化しようとした。

 

: ここでまず注目したいのは、秦氏の祖の弓月が、百済から日本に帰化していることです。この話

は、百済から阿蘇山に移ったとするキョウフに、その境遇が似ているのです。

そしてもう一つの注目点が、弓月 (ユヅキ) の名です。この名は、タカミムスビの子のツキヨミ

(月読み) の別名、「月弓」に、明らかに似ています。

そしてさらに、『魏志倭人伝』にあらわれる狗奴国王の名、「卑弥弓呼」とのあいだに、「弓」という

共通点をもつのです。

これが偶然の一致でなければ、かれらの持つ「弓」には、武人としての性格が読み込まれていて、

狗奴国が阿蘇山の多婆羅国につながる可能性が生じるはずなのです。

 

 

【魏志倭人伝】

○ 邪馬壱国の南に狗奴国がある。男子を王としていて、その官に狗古智卑狗 (クコチヒク) がある。

 

: 狗奴国の長官とされる「クコチヒク」については、これを菊池 (久々彦) 彦、とする意見があります。

ここでかりに、クコチヒクを菊池彦と仮定し、それを熊本県の西北にある菊池川に結んでやると、

きわめて興味ある結果がいくつか現れてくるのです。

その一つは、佐賀郡を治めていたとする高木氏から、菊池氏が派生したとされることです。この

高木氏を、タカミムスビをつうじて阿蘇山の多婆羅国や多婆那王に結んでみると、高木氏と菊池氏

を、阿蘇山の西北の地に置ける可能性が出てくるのです。

なお、系図のうえでは、高木氏の誕生の時代は十世紀ころ、菊池氏の誕生の時代は十一世紀こ

ろとなっているので、厳密なことをいえば、かれらを狗奴国や阿蘇山には結べないのですが。

 

もう一つの問題提起は、菊池川の下流部には玉名市があることです。そして玉名 (タマナ) の名

は、『三国史記』にあらわれる多婆那 (タバナ) 王の名に、瓜二つなのです。これは偶然の一致とい

うこともありましょうが、そうでなければ、多婆那王と菊池彦を、同じ菊池川の流域に住所を持つとい

う、メリットが見込めるのです。

また、多婆那王に狗奴王をあてるとすれば、狗奴国の都は玉名市にあり、それが佐賀平野にあっ

た卑弥呼の邪馬壱国と対立していた、とするような図を描けることにもなります。つまり、卑弥呼の生

前には、邪馬壱国と狗奴国とは対立していたが、かの女の死後には、状況が大きく変わったと考え

られましょうか。

 

 

【東日流外三郡誌】 

○ 北生駒の白谷邑に、ナガスネ彦の守る邪馬台国があった。 

 

: 「ツガル誌」の、『和田家資料1』によれば、邪馬台国の一つは嘉瀬川のあたりにあり、現在の佐賀

市大和町がそれに当たると考えられます。いっぽう、一般的な「ツガル誌」の伝えでは、三輪山の麓

(奈良県桜井市) の蘇我邑と、生駒の里 (奈良県生駒市) の二ヶ所に、邪馬台国があったとしていま

す。

 

北生駒の白谷については、現在てばバス停にその名が残るだけですが、その周辺には白庭台とい

う地名があり、ナガスネ彦の碑石などが建てられています。

物部氏の歴史書とされる、『先代旧事本紀』によれば、物部氏の太祖にあたるニギハヤヒが白庭

山に天下りし、そこで出会ったナガスネ彦の妹、ミカシキヤ姫と結婚したとされています。

ここでの問題は、北生駒という小丘が並ぶばかりの小さな土地に、どうして邪馬台国があったのか

となります。これは、誰もが首を傾げる難問のようですが、「ツガル誌」はここにも、意外な答を用意

しているのです。

 

というのは、白庭台の周辺には田原の地名がひろがっていて、中世の田原の荘にあたるとされて

いるのです。つまり、生駒市にある邪馬台国と、佐賀市大和町にある邪馬台国には、ともに、田原

や多婆羅の地名がかかわっているのです。ひいては、生駒の邪馬台国にも、高木氏や多氏との関

わりが読めることになります。

「邪馬台国」といえば、日本の最高権力者の居住地と考えてしまいがちですが、ナガスネ彦の作

ったとする邪馬台国では、高木氏や多氏との関わりが、より重要だったのかもしれません。

 

 

【まとめ】

「ツガル誌」では、

「邪馬壱国は熊襲族の建てた国」

「嘉瀬川のあたりにあった邪馬台国と、神崎にあった邪馬壱国が合併する」、

「北生駒の白谷邑に、ナガスネ彦の守る邪馬台国があった」、

とするのが主な主張とすっています。

 

これらの伝承は、一見したところでは意味の掴みにくいものになっています。ところがそこに、『桓

檀古記』、『宇佐家伝承』、『三国史記』の伝えを加えてやると、予想外の歴史像が浮かんでくるので

す。このような現象については、かく異端書がカンニングをしあった結果でてきたもの、とする意見も

ありますが、それは考えすぎでしょう。

たとえぱ「ツガル誌」には、佐賀市にあった邪馬台国と、生駒市にあった邪馬台国がみられます。

そして二つの邪馬台国には、高木氏と田原の地名がかかわっているのです。いっぽう『宇佐家伝

承』からは、田原の地名が阿蘇山、タカミムスビ、多氏などにかかわっていることが知られます。

ここで、「ツガル誌」と『宇佐家伝承』の伝承を重ねると、邪馬台国が佐賀市と生駒市にあることに、

それなりの意味があらわれてくるのです。

 

ただし、『東日流外三郡誌』の出版年は1983年、『宇佐家伝承』の出版年が1987年となってい

ます。とすれば、和田氏は『宇佐家伝書』の存在を知らないまま、田原の荘ともされる生駒の里に邪

馬台国を置いていることになります。

和田氏を偽作者としたとき、氏には神通力といえるものがあって、邪馬台国の所在地を佐賀市の

西部と、生駒市の北部に当てたことになります。しかし、そんな無理なことを考えるより、

『「ツガル誌」をふくめた異端書には、真実の歴史の一片が含まれている』、と受け取る方が、はるか

に理解しやすいのは確かでしょう。

 

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