05
の言葉は坂田にとって理解し難いものだったようだ。
大人になるという事は様々な弊害を起こす。互いに腹に抱えているもの全てを見せる訳にはいかないのかもしれない。
「、おめーの気持ちはわかるが松陽はもう」
坂田の言葉が紡がれる前に頬に触れていた指先で坂田の唇に触れて、止める。
の意図に気付いたようで苦しげな表情を浮かべた坂田が暫しの間を置いてから目線だけで頷いて見せた。
その先の言葉は結末を知っていても聞きたくはないし、言わせたくない。
後から後から湧いてくる涙は枯れる事を知らず滴となってはらはらと流れの頬と坂田の指を濡らして落ちていく。
それを坂田が親指で優しく拭って慈しむ様な視線をへ向けた。
「泣くなよ、」
「だって銀時が変な事言うんだもん……」
信じたくない気持ちは坂田とて同じだろう。にとって松陽がどれ程大切な存在だったのかなど今更語らずとも知っているはずだ。
松陽の首に縋りつき背に負ぶさり頬を寄せるの姿を坂田も何度も目撃していたはずだし、を泣かせて松陽に怒られた事等数えきれないくらいあった。
「で、おめーは何処に居たかも誰に攫われたかも教えてくれねーの?」
諭す様な坂田の優しい声色に縋りつきたくなる気持ちをぐっと堪える。
会わない年月は坂田をが知らない大人に変え、を坂田が知らない大人に変えた。その過程にはお互い思いもよらぬ事が沢山あるのだろう。
それら全てを語ったら自分達は失った時間を取り戻す事が出来るのだろうか。ただ徒に傷つけあうだけになりはしないだろうか。にはそれが正しいとは思えなかった。
知らない方がいい事もある。知りたくない事もある。ここで再会したけれどきっとこの先歩む坂田の道との道は決して交わらない。
ならば思い出は美しいままいてくれた方がいい。
「銀時は元気だった?」
「ああ」
「小太郎や晋助も皆ずっと元気で居てくれた?」
「ああ」
聞いているのかいないのか。返答する坂田の表情は柔らかくて目を背けたくなる。
坂田の問いに応えようとしないを咎めようとせず、それが逆にを焦燥させるものとなっていた。
「なぁ……」
内緒話をするように額を合わせて、視界に坂田しか映らなくなる。
泣く事等一体何年ぶりだろうか。上手く自分を偽ってきたつもりなのに坂田の前ではどうもそれが崩れてしまう。幼少時の温かい記憶はこうも容易く築き上げてきた壁を壊してしまうのだろうか。
坂田に会って一つわかった事がある。が今を生きていくのに坂田という存在は非常に危険だという事だ。
せめて物理的な距離だけでも離したいのに坂田はちっとも離れてくれない。最早抱き合っているに近い状態である。
心を掻き乱す存在はにとって必要のないものだ。なのに坂田に抗う事が出来ない。
「銀時、そろそろ放して」
「嫌だね。てか何でお前見廻組になんていんの?そんなもん辞めて万事屋に来いよ」
再会して間もないのに何の衒いも無く自分を受け入れてくれようとしている坂田の態度に胸が苦しくなる。
思えば子供の頃から坂田はそういう人だったのかもしれない。懐かないを追いかけまわしては泣かせ、それでも一番親身になってくれた気がする。
いつも傍に居た。手を引いて歩いてくれたし、おぶったり抱っこして貰った記憶もある。松陽と同じくらい自分の傍に居てくれた。
でもそれは遥か遠い昔の事だ。
「無茶を言わないで。私はさぶちゃんと……」
やんわりと否定しようとしたの目に映ったのは火のついた坂田の鋭い目。瞳の奥深くで苛立ちがゆらりと揺れて見えた。
言葉を紡ごうとしたの唇に柔らかいものが押し付けられる。それが坂田の唇だと気付くまでに数秒の時間を要し慌てて抵抗しようとするもののの顔を包み込む坂田の手を掴むがびくともしない。
抗議の声を上げようと開かれた唇の隙間から坂田の舌が侵入してきて柔らかくぬるりとした感覚に思わず体が震えた。
また両方の瞳から無意識のうちに涙が零れ落ちる。一体何の涙なのか。その涙は頬を伝って密着している坂田の頬も濡らした。
柔らかい坂田の舌が口内を探るように這い回る。無意識のうちにの両手は坂田の胸元の着物をぎゅっと握り締めていた。酷く息苦しくて、頭の奥が熱くておかしくなりそうだ。
愛おしそうに何度もちゅっちゅと音を立てて軽いキスを落としようやく坂田の唇が離れていく。
「俺がどれだけ会いたかったかわかるか……?あの時、おめーの傍にずっと居ればって何度思ったか」
鼻先が触れ合うほど近くにある坂田の目には以外の何かが映り込んでいるような気がした。熱に浮かされたような瞳から目が離せない。
親愛のキスだと自分に言い聞かせる。感情が昂ってつい、という事だってあるのだ。深く考えてはいけない。
が口を開こうとした瞬間、背後でカタンと音が響く。
音につられて視線を動かした坂田の表情が曇る。それを見ても涙を流したまま振り返り、その場で硬直した。
部屋の入口の柱に肘をつきこちらへ冷めた目を向けているのは真選組の制服を着た一人の男。
の記憶が確かならば真選組一番隊隊長の沖田総悟である。
「旦那ァ、そこまでにして下せェ。じゃねェと婦女暴行の疑いで逮捕する事になりまさァ」
右手の人差し指で手錠をくるくると回す沖田の表情は全くといっていい程無感情にと坂田を見下ろしている。
一方完全に邪魔された形となった坂田の不機嫌指数は上昇の一途を辿っているらしい。
沖田の視線から覆い隠すようを胸に抱いたまま片眉を顰め額に青筋を浮かべている。
「総一郎くん、空気読んでくんない?どう見ても今からしっぽりずっぽりする場面じゃねぇ?てか何で人ん家勝手に入ってきてんの、不法侵入で訴えんぞ」
「旦那、総悟でさァ。俺ァ別にその見廻組の雌豚がどうなろうが知ったこっちゃねェんですがねェ、俺も近藤さんからの頼みは断れねェんでさァ」
そう言って沖田が視線を玄関の方へ向ける。沖田の視線を追って坂田ともそちらを見て、坂田は苛立ちを、は安堵を抱いた。
呆気に取られたのか、一瞬緩んだ坂田の手から隙を突きするりと抜け出したが沖田の横を足早に通り過ぎて入室してきた人物に抱きつく。
見慣れた白い制服が今は酷く頼もしかった。
勢いよく抱きついてきたを軽く受け止めてよしよしと頭を撫でる異三郎の手が温かくて、また涙が出そうになる。
抑え込んできた様々な感情が噴出して過呼吸を起こしそうになるの様子を見た異三郎が一瞬険しい視線を坂田へ向けた。
「泣かさないで下さいとお願いしたはずなのですが困った人ですね、坂田さん」
「さぶちゃん……!」
「はいはい、大丈夫ですよさん。何も問題ありません。遅いので迎えに来ただけです、さぁ帰りましょう」
「おい、待ちやがれ!」
異三郎に抱きつきべそをかくを見て苛立たしげに坂田が立ち上がったが、意外にもそれを止めたのは沖田だった。
今にも異三郎へ掴みかかろうとする坂田の体を押さえて食い止めている。
しかしいくら真選組一の剣士と謳われる沖田とて体格差のある坂田を食い止めるのは大変らしく手こずっている様子で旦那勘弁して下せェと声を荒げていた。
「佐々木殿、早くその雌豚連れてって下せェ。そういう甘ったれた泣き顔見てるといじめたくなるんでさァ」
「沖田さん、あまり失礼な事を言わないで下さいね。間違えて撃ってしまいそうです」
暴れて喚く坂田を取り押さえている沖田に背を向けて異三郎がの背を支えて玄関へ向かう。
靴を履くようへ促した異三郎が鬼の形相を向けている坂田へと振り返り、にわからないよう口元だけで笑ってみせた。
「坂田さん、またご連絡致します」
「ふざけんな!おい、!」
追いかけてくる坂田の声に後ろ髪を引かれつつ、異三郎に促されるまま万事屋の玄関を出て下に待たせてあった見廻組の車に乗り込む。
未だ震えるの手を異三郎が緩く握って、何か欲しいものはありますか?といつもの表情でへ問い掛けた。
変わらない異三郎の態度に強張りがようやく解け始め、途端に喉の渇きを訴える。
と異三郎を乗せた車はあっという間に万事屋を離れてかぶき町から抜けていく。車窓の景色はいつもよりずっと賑やかで、達がいつもいる見廻組屯所近くとは様子がまるで違うものだった。
活気あるかぶき町で、坂田が生きている。そして高杉や桂もきっとこの町に来た事があるのだろう。こうして皆、離れ離れになっても江戸で生きているのだ。それだけでいい。
やはり自分には見廻組の方があっているのだと思う。もう二人きりで坂田に会うのはやめておこうと心に決めて流れる車窓へ視線を向けたまま口を開いた。
「ジャスミンティー飲みたいな」
備え付けの小さな冷蔵庫を探っていた異三郎がすぐにペットボトルを取り出しに手渡した。何であるのだろうか。もしかしてが知らないだけで異三郎の身の回りには四次元ポケットでもあるのかもしれない。
嬉しくておかしくて、笑みが零れる。胸元のポケットから真っ白いハンカチを出しての目元を拭ってくれる異三郎の手つきは酷く優しかった。
宛ら、父親である。
「さぶちゃんって本当に何でもわかるんだね」
「エリートですから」
目元を拭い終えた異三郎の視線がへ向けられている事に気付き、首を竦める。
一瞬何かを問われるのかと思ったが異三郎はそのままふと軽く息を吐いただけで視線を前に向けた。
「私は、ずっとさぶちゃんの傍に居るよ」
車窓へ視線を向けたままぼそっと呟いたの言葉が届いたのか、異三郎の手がの頭に乗せられてゆるゆると撫でられる。
坂田に会えた事は嬉しかった。それに嘘は無い。それでも今が傍に居たいのは異三郎だ。あの日から、異三郎に引き取られたあの時からの真ん中に居るのはいつでも異三郎だった。
隣に信女が居て、後ろに異三郎がいる安心感は今のを構築するのに必要不可欠な存在である。
「いじめられましたか」
「さぶちゃんってたまにいじわるだよね」
「そんな事ないですよ」
いつも通りの返答が嬉しくて、ちょっぴり胸が苦しくなる。
清濁併せ呑む異三郎だからこそは安心して身を任せられるのだ。坂田と共に過ごしたらはきっと苦しくて息が出来なくなってしまうだろう。
異三郎はいつも言葉少なでなかなか心情を吐露したり見据えているものを教えてくれたりしない。
は知らなくていいと言う。もそれに不満は無い。異三郎と共に居ると決めたのだからついていくだけだ。
「さぶちゃん、ありがとう。私きっとさぶちゃんがドSを発揮してくれなかったら銀時と話なんて出来なかった」
「感謝しているのか貶しているのか微妙な言葉ですね」
車の速度が落ち、マスタードーナツと書かれた店の前で停まった。既に見慣れた看板にどこかほっとする。信女の好きなポンデリングはまだ売り切れていないだろうか。
先に降りた異三郎がへ手を差し伸べてくれる。その手をしっかりと握って車を降りた。
「さて、待ち草臥れている信女さんにお土産を買っていきましょう」
車を降りても尚異三郎の手を離さないでぎゅっと握る。
「さぶちゃん、エンゼルフレンチとココナツチョコレートも買ってもいい?」
「勿論です」
胸の中にどっかりと居座る坂田の幻影を振り払おうと強く意識して甘い香りのする店内へ歩を進める。
横から何か言いたげな異三郎の視線を感じたがあえて気付かないフリしては次々にドーナツを選ぶ事で其れを振り切った。